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七 いいカモがやってきた ②

「どういうことでしょうか?」

 鳴坂も少しずつ口調を元に戻しながら、しかし確実に声を低く吐きだし、なおかつ意図的にかすらせた。

「遺書はポストに入れられていたわけですが、ご覧いただいたように本文から署名まで全て印字ですので、本人が書いたとまでは断定しかねる状態です。したがって辻さんが自殺かどうかも、連続殺人の犯人かも確定はしておりません」

 これも、鳴坂にとっては意外でも何でもない。さすがに辻の筆跡を真似て手書きの遺書を作るのはリスクがあった。遺書に関しては、この先も疑問点が出てくるだろう。そこは織り込み済みだと頭の中で確認し、さも驚いたかのような表情を装ったあとで目と頬を和らげる。

「それを聞いて、少し救われたような気がしました。もしそうなら、辻さんは誰も殺していないわけです。でも、だとすると誰かに毒殺されたことになる」

「まったく仰るとおりです。私も何となく辻さんが六人も殺したとは考えづらかったものですから、真っ先にその可能性が頭に浮かびました。毒物が入っていた小ビンに指紋が付いていたといっても、犯人自身がいじり回した後で表面を丹念に拭きとり、意識のない辻さんに握らせたと考えれば説明はつきますので。

 しかし、そうであれば誰が毒物を入れたのかという問題が出てきます。店員の方や当日、お店にいらしたお客さんにもお話はお訊きしているのですが、それらしい人は見つかっていません。個室に誰かが出入りしていたような目撃証言もありませんでしたし、辻さんと何らかの繋がりがある方が他にいたかどうかも今のところ分かっていません。こちらで調べさせていただいたところでも、先日あなたからお聞きした辻さんの方が先にお店にお見えになっていたというお話が事実だったことが確認できたわけですが、同時に出てくる証言は辻さんがずっとお一人でお待ちだったという内容ばかりで、誰かと接触していたという情報がまるでない状態でして」

 さらにここで小さく口の端が上方に吊りあがりそうになるのを抑えた。警察のみならず周囲にも、あの日の食事に誘ったのは辻の方であると思い込ませるのに成功しているのが分かったからだ。続けて能登の滑舌が再びおぼつかなくなるのを耳にすると、鳴坂はますます笑みが外に表れそうになるのを堪えて奥歯を噛みしめる。

「ただ、ただですね」

「どうかされましたか」

「大変、大変にこんなことをお訊きして大変恐縮なんですが」

 鳴坂は圧力をかけたつもりはない。むしろ話を引き出そうとするほどの余裕があった。にも関わらず、能登は妙に口ごもる。

「遠慮なさらず、何でも質問してください」

 ひどくあたふたとした様子で視線を逸らすのを見かねて静かに続きを催促すると、ようやく顔を向けてきた。

「では、お言葉に甘えてお訊きします。都内のビジネスホテルであの六名の方が殺された二月三日の夜、鳴坂さんは何をされていらっしゃいましたか?」

 鳴坂はそれを聞いて息を止める。

「いえ、お気を悪くされたらたいへん申し訳ないわけですけれども、ほら、鳴坂さん、こんど警視庁(うち)のマスコットキャラクターの声を充てられますでしょう? 私は別に鳴坂さんが怪しいだとか、そういうことを考えているわけではありませんが、万が一にもその可能性があると安心できないなどと上司から言われておりまして。

 早い話がさっさと無実を証明しろと。誰が辻さんに毒物を飲ませたのか分からないのであれば、六名の方々についてだけでも、いわゆるアリバイをはっきりさせろと課長や部長から矢の催促が来ていますので、これをお訊きしないと大目玉を喰らってしまうものですから」

「そんなに気を遣われなくても大丈夫です。彼女のそばに僕がいたあの状況であれば、刑事さんのお話は当然です。喜んでお答えします。そこの部分がはっきりしないせいで捜査が進まないのは、かえって僕も困るんです。辻さんのこともありますし、事実が分からないままではいつまでも僕が疑われる羽目になるんですから」

 縮こまる能登に声をかけながら、鳴坂は右の拳を軽く握った。この質問をこそ待っていた。辻と会食していた以上、疑惑から逃れられないのは自明の理だ。だからこそ入念に準備を重ねてきたのだ。

「しかし、アリバイと言われましても……」

 満を持して視線を宙に逸らし、何かを思い出すような素振りをしてみせる。あまり明確に答えると、事前に用意していたと思われかねない。あくまで自然な印象を与える必要があった。

「そうだ、たしかあの日は製作会社に顔を出したとき、スマホを忘れてなかったかと電話してたんです」

「いつ、どなたにですか?」

「二十時半より少し前くらいに、〈S・Kスタジオ〉でADをしている印南さんにです。スマホは自宅ですぐ見つかったので、二度、電話しました」

「〈S・Kスタジオ〉。耳慣れた名前です。場所はどちらですか?」

新宿()()神楽坂()にあるアニメ制作会社です」

「ああ。だからそういう名前なんですね。そちらへ二十時半の少し前に電話、と。他には?」

「自宅で台本を覚えている最中、ちょっと夜食が欲しくなってコンビニに行きました」

「何時に、どこのコンビニですか?」

「日づけが変わって一時すぎだったかと思います。自宅からいちばん近い、若葉台駅の中にあるコンビニです」

「ありがとうございます」

 それから能登が話を終わらせようとするのに気づき、鳴坂はすぐに呼びとめた。

「ああ、あと……」

 まだ知らせておかなければならない情報がある。内心でやや焦りながら、スマートフォンを出して画面を指ししめす。

「自分が出ている作品を観ていて、感想をこのSNSで発信したんです。時刻で分かるかと思いますが、放送が終わった直後でした。これでは証拠になりませんか?」

 そこには「今回のCS版限定シーン、三笠さんの演技凄かったですね。『やあっ、こんなの知らないっ、らめぇ』ってアドリブとか気合入ってました」とある。能登はそれをまじまじと覗きこんだ。

「これですか」

 次いで能登は数秒ほど固まったあとでまた視線を鳴坂の方に向け、手元のボールペンをメモ帳に走らせる。

「作品のタイトルは?」

「『桃色学園でハーレムを』です」

「それを自室でご覧だったわけですね?」

「そうです。ここのシーンは地上波バージョンでは別の場面に差し替えられているので、僕があの日、あの時間に放送を観ていた証拠になると思うのですが。それと多分、おかしな操作をしてなければこのスマートフォンのGPSもオンにしてたはずです」

「であれば、位置の特定ができますね。どういった経由で電波が発信されたかも辿れます」

 鳴坂の目に、能登の満面の笑みが映った。

「いや、ありがとうございます。本当に助かりました。これが確認できれば、アリバイの証明になります。念のため、その画面は消さないでください。いま私の方でもスクリーンショットを保存させていただきますが、上司にも報告しますので」

 実のところでは、鳴坂こそ能登に礼を言わんばかりに歓喜していた。この先も警察が幾つかの疑問を抱くだろうが、そのときにはもう自分にかけられた容疑は外れている。だが、まだだ。さらに能登には手土産を持たせなければならない。

「こちらこそ。ですが、一つお願いがあります」

「何でしょう」

 能登がスマートフォンとメモ帳をしまってこちらを向くのを待ち、鳴坂は口を開いた。懇願の意図が伝わるように、声に適度な力を込める。

「僕だけじゃなく、辻さんのアリバイも確認してもらえないでしょうか? 遺書とか証拠らしきものはあるんでしょうけど、やっぱり彼女が事件を起こしただなんて信じたくありません。たとえば僕と同じように当時、別の場所にいた証拠になるSNSの発信とか……。仮にそれがなくても、GPSをオンにしていればどこにいたかが分かるんじゃないかと思うんです。どうか」

 さらに深々と頭を下げると、数秒ばかりの間を置いて答えが返ってきた。

「分かりました。辻さんが事件に関与していなかったと断言はできませんが、殺人を実行できたかどうかを検証する必要は当然あります。むしろ本来はそこまでもうやっていなければならないところ、先ほど申しあげたお店関係の聞き込みでかなりの時間が潰れてしまっておりまして……。とにかく、お任せください。やらせていただきます」

 能登は心から捜査に注力すると宣言したつもりなのか、とりわけ声に力を入れている。表情も真剣そのものだ。裏があるようには見えない。

「本当に感謝します」

「それでは、これで」

 背を向けた能登を見送る鳴坂の顔には、いつの間にか笑みが広がっていた。

 完全に計画どおりだ。偶然ながら、担当の刑事がオタクであるのも好都合だ。アニメに詳しいこの刑事なら、思いどおりに捜査をしてくれるはずだ。その結果が期待外れに終わった場合でも、後から情報を付けくわえて誘導すればよい。

 などと考えているうちに、能登が軽やかに回れ右をして戻ってきた。

「すみません。大事なことを一つ忘れていました」

「何でしょう?」

 鳴坂は急いで顔を下げ、表情を引き締めてからまた上げる。

「忘れていました。先ほどのコピー、お返しいただけませんか。一応、元の文面までは公表しておりませんので」

 ほんの一瞬だけ緊張したものの、大した話ではないのに安堵して深く息を吐く。その際、いかにも惜しいといった風に目と眉尻、口元を下方に向けることも忘れない。

「すみません。私の方でも気づかず」

 鳴坂がコピー用紙を差しだすと、能登は静かにそれを受けとり懐にしまう。

「では、今度こそ失礼します」

 そして今度は振りかえらず、遠くへと歩いていく。

 実に慌ただしい男だ。ぜひその慌ただしさで思うとおりに捜査をしてくれ。鳴坂は舌を出しつつ、先ほどコピー用紙に触れていた手をハンカチで拭った。

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