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七 いいカモがやってきた ①

 荷物をまとめた鳴坂は、カバンを抱えて楽屋の戸口に足をかけた。

「では、お先に失礼します。お疲れさまでした」

 その場の全員に向かって適切な角度で頭を下げ、自然に受けとられる笑顔と声を繕い、爽やかな挨拶を送る。「仕事を長く続け、なおかつより快い環境を保つためにも共演者やスタッフには分け隔てなく礼儀正しく接するように」「その日の仕事を終えるときも周囲に気持ちのよい印象を当たるように」という事務所の教育が身に沁みついている鳴坂にとって、これらの動作はもはや習慣となっていた。

 とはいえ表層的には何とも思っていなくとも、方々に気を遣うと自ずとストレスは溜まり、あまり神経をすり減らしすぎると諸々に支障が出る。精神的な緊張はそこまで長くない時間、適度に感じればプラスになるが、限度を超えるとマイナスに転じてしまうからだ。ましてや第一線で容姿も売りに活動するとなれば、オンとオフの区別はより重要になる。鳴坂はそれを熟知しているゆえ、こうして部屋から人気の少ない廊下に出たあと、いつもあればストレスを軽減すべくすぐさま笑顔を作るのを止めるところではある。

 しかしこの日は勝手が違った。先日、例の現場で話をした能登とかいう刑事がこちらに出向いてくるというのだ。

 鳴坂は慌ててはいない。事は今のところ思惑通りに進んでいる。それは昨晩、スマートフォンに「個室バルで中毒死の女性宅から遺書発見 都内ホテルでの六名殺害を実行したとの記述 警察発表」とのニュースが速報で飛びこんできたことからも明らかだ。

 もっとも、これからの受け答え次第でアシがつく可能性は十分にある。安心するのは警察が自分から目を離してからだと、逆に気を引き締めていた。その点では、警察の方から接触の日時を事前に知らせてくれるのはありがたかった。何といっても、それがあるのとないのとでは事前の心構えが違うのだから。

 建物出口ちかくの待ち合わせ場所には、すでに能登の姿があった。自身が出てくるのを待っていたはずなのに、あさっての方を眺めている。

「どうも、お待たせしてしまいましたね」

 鳴坂から先に声をかけると、能登もすぐに気づいて振りむいた。

「いえ、私もちょっと前に着いたところです」

 それにしても、と鳴坂は思う。

 この能登とかいう男は、相変わらず刑事には見えない。服装が平凡なのは鳴坂自身も変わらないとしても、大人しそうな顔や髪型をはじめとした首から上が、暗い部屋でひとりアニメや漫画を観ているのがお似合いの、絵に描いたようなオタクそのものの特徴を備えているのである。本人の親告が正しければ実態もそのとおりなのだが、刑事のイメージとあまりにかけ離れているせいでどうにもおかしく感じてしまう。

 先日は完全に聞き込みをされる側であったため受け手に回らざるを得なかったものの、今日あたりから主導権を取っておいた方がやりやすいのではないか。油断は禁物だが、この冴えない刑事ならそれがうまくいくのではないか。鳴坂はものは試しとばかりに先に話を振る。

「またお目にかかれて嬉しいですよ。実は先週、お会いした後でどこかで見たことがあるお顔だと思ったんですが、少し経って思い出しました。刑事さん、ちょっと前にテレビの警察特番に出てた〝イケメン刑事〟ですよね」

「やめて下さい。あ、あれはテレビ局が勝手に演出を入れだけの話です。おまけに無断で顔を映されて、全然イケメンじゃないとか何とか苦情も入って上司もカンカンに怒ってしまいまして。でもびっくりしました。噂だけは聞いていましたけど、本当にあんなことをするなんて……」

 能登は明らかに慌てている様子だ。にわかに赤らんだ顔に苦笑いを浮かべており、喋り方もバタついている。どうやら焦り、緊張すると早口になるのが癖であるように思われた。予想どおりやりやすい相手かも知れない、と値踏みしながら鳴坂は話を合わせる。

「テレビ局に出入りしてる私が言うのも何ですが、マスコミなんてそんなものです。ああいう杜撰なことを色んなとこでしてるんですから、視聴者に見放されても仕方ありません。分かってくださる方が増えて嬉しいですよ」

「そうでしたか。私もあれ以来、特にテレビも地上波は何となく観ないようになりまして。いや、正確に言えば元から大して観ていなかったんですが……」

「奇遇ですね。私もです。ニュースもスマートフォンなんかのウェブ媒体で事足りますから。刑事さんとは話が合いそうです」

「こちらこそ」

 乗り気で握手を求めてくるところからして、本当にこちらに気を許しかけているように見える。鳴坂は能登の友好的な態度を検めつつ、右手を握りかえした。するとスムーズに挨拶が済んだためだろう、能登は懐からメモ帳を出ながら先ほどよりほんの少し落ち着いた調子で口を開く。

「さて、あまりお時間を取らせてはいけませんので、お話に入らせていただきます」

 意外に早く本題に入るようだ。となれば刑事に尋問される立場だというのに、いつまでも普段どおりでいてはおかしい。鳴坂は小さく首を縦に振り、畏まった体をとる。

「まず、すでに報道されておりますように、辻さんのマンションから遺書が見つかりまして、辻さんご自身が都内ホテルでの連続殺人犯であるとの記載があったわけですが、このことはご存じですか?」

 質問されるまでもないというのが鳴坂の本音だ。ただ、それを表に出すわけはいかない。暗く沈んだ表情を作り、記憶を呼び戻すだけでも辛いと言わんばかりの仕草を交えて呟いてみせる。

「はい。ニュースで知りました。たしかに誰かに写真を撮られたような気がしたことが少し前にありましたが、まさか辻さんが。未だに信じられません」

「公表する前に鳴坂さんにお話ししようかと迷いましたが、職務上、難しかったものですから断念させていただきました。でもいきなりあんな報道を目にされたら、二重でショックですよね。その点は申し訳なく思っています。

 そこでお詫びというわけではありませんが、遺書のコピーをお持ちしました。また鳴坂さんを悲しませてしまうかも知れませんけれども、あなたへの感謝とお別れの挨拶も綴られていましたので。どうぞ、こちらをお読みいただければ」

 この演技はかなり効いたらしく、能登は重々しい表情で一枚の紙を渡してきた。そこには明朝体でプリンタされた字で次のようにある。「ずっと鳴坂さんのことが好きでした。こんな勝手な真似をしてごめんなさい。大変なことに巻きこんでごめんなさい。でも最後に鳴坂さんの顔を見られてよかった。桐ケ谷さんとお幸せに。さようなら」。

 鳴坂は目を通しながら、内心ではせせら笑う。こんなものは、わざわざ見せられるまでもない。他ならぬ鳴坂自身が書いたのだ。だが、だからといって無感動と受けとられる反応をしてはならない。この刑事の話も遺書の内容も、メディアの報道より詳しい。はなから全て知っていることを覚られてはまずい。鳴坂はしばらく手元に視線を落とし、声を詰まらせてみた。

「すみません。あの後、なるべく思い出さないようにしていたのですが、そういうことだったんですね。これはほとんど、いや完全に僕のせいだ。辻さんの気持ちにはとっくに気づいてたのに、それに甘えて萌のことでも相談なんかして、利用して……」

「鳴坂さん、あまりご自分を責めないでください」

 同時に、さも狼狽えるような仕草もしてみせる。先輩のベテラン声優から「たとえ声の出演だけでも全身の演技を心がけた方がよい」との指導を受け、また舞台俳優としてのキャリアを積み重ねてきた甲斐もあり、事件が起こって以来、いかにも被害者らしい態度を貫くことができていた。

 事実、目の前にいる能登ら捜査関係者がどう考えているかはともかく、大方の相手を騙すのには成功しているようで、自身を疑うような声は周囲からは聞こえてこない。正確に言えば事件が起こった直後のみ訝しげな目を向けられることはあったものの、そうした状況は長くは続かなかった。イメージダウンを恐れた事務所が、鳴坂と事件を結びつける情報を取り扱わないよう早々に動いてくれたのである。おかげで程なくして状況は好転し、先ほど楽屋にいた仕事相手が良好な反応を示してくれたように、各方面とも従前どおりの関係を維持することができている。遺書の件が報道された今日などは、何人かから同情の言葉をかけられたほどだ。疑惑の目は皆無といってよい。

「刑事さん、僕の方こそお時間を取らせてしまったようです。おかしいですよね。外だっていうのに、こんな」

 完全なサル芝居だが、この調子で警察も欺いていこう。鳴坂は心の中で嘲りつつ顔を上げ、わざと流した涙を拭い、軽く鼻をすする。

「いいえ。これが多くの方の当たり前の反応です」

「ありがとうございます」

 それから感謝の言葉を述べると、能登は雰囲気などからいくらか気分を持ちなおしたと見たらしく話を進める。

「まあ、事実はおそらく今しがた私が申しあげた通りだとは思います。けれども、果たしてこれが本物の遺書かどうかは少し考えなければならないところでして」

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