七廻八瀬はわからない
カッパの少女・亜麻月カノハに、聞かせてはならない話をして傷つけてしまった二木あるは。部長の七廻八瀬に亜麻月カノハを奪われながらも、孤独に頑張るのだが、七廻八瀬の強引な謎すぎる理屈に振り回されっぱなし。果たして、二木あるはに逆転の機会はあるのか?
「それじゃあ、話の続きを聞かせてくれよ、二木」
部長・七廻八瀬は、その美しい顔を真剣な表情にして、いつもの威厳に満ちた口調で、ボクにそう言った。
人間の少女の姿のカッパ・亜麻月カノハは、今にも泣き出しそうな顔を部長の胸にすり寄せ、その腕に抱かれていた。
ボク・二木あるはは、自分が情けなかった。ボクはカノハちゃんのためにここに来た。それなのに、カノハちゃんをあんなに悲しい顔にしたのはボクだ。部長には本当のことを話しておきたい、そう思って「カノハちゃんの前ではカッパの話はしない」という自分で決めたルールをあえて破ったのだけど、結局、カッパの話に夢中になって、カノハちゃんを悲しませるようなことを聞かせてしてしまった……。ボクは、ダメだな。カノハちゃんの友達失格だ。
「おい、二木、カノハちゃんのことで相談があるって言ったのはおまえだろ? 黙ってないで、話を続けろよ」
部長は、真剣な顔を少しだけ笑みでゆるませてそう言った。そうだよな。ボクじゃ、カノハちゃんになにもしてあげられない。だから、部長に相談しようと思ってここに来たんだ。とにかく、話を聞いてもらわないと。
……でも、なぁ。
微笑みを浮かべて、ボクを見ている部長にチラリと目を向けた。
ホントに自分勝手なお願いだとは思うのだけど、少し黙って話を聞いてくれないかなぁ……いちいち皮肉な言葉をはさまれると、どうしたって反論したくなるし、気持ちがなえる。部長がそういう人だってことは、よ~く、知っているんだけれど。
「さあ、黙ってないで、早く何か言ってくれよ」
部長は、抱いているカノハちゃんの頭をやさしく撫でながら、ニコニコと笑みを増やしてそう言った。
もしかして、このひと、楽しんでいないか? なんだか、ネコにもてあそばれるネズミになったような気分なんだけど……。いやいや、部長はそんな人ではない。ボクは、七廻八瀬を信じている。そう自分に言い聞かせて、話の続きをすることにした。
「ふ~ん。今朝、カノハちゃんが二木の部屋にはじめて一人で訪ねてきて、それから、二人でここまで来たのね」
ボクの話を聞いて、部長はそう言った。
「ええ、それから……」
ボクが続きを話そうとすると、
「ちょっと待ってね~、質問いいかなぁ?」
……きたぁ。
「はい、どうぞ」
と、言うしかない。すると部長は、
「二木、おまえはなんで、そんな服を着ているの?」
そう言った。
部長は、ファッション……というか、服装にはとてもきびしい。出会ったばかりのころは、さんざん指導を受けた。だけど、まあ、それには感謝している。高校時代は制服だったし、大学に入って、何を着ていいのかわからず頭を悩ませていたので、部長のアドバイスは大変ありがたかった。
今、着ている服にしたって、部長から助言を受けて買ったもので、これを着て何度も部長の前に立っているが、文句を言われたことなど一度もないのだけど……
「なんで、って……これ、いつも着ているじゃないですか」
ボクが答えると、
「それがいつも着ている服だってのはわかっているよ。でも、おまえは、もっといい服を持っているよね?」
うん、持っていますよ。だけどそれだって、他校の学生などをうちの大学へ案内するときに失礼にならないようにと、部長に言われて買ったもので、ふだん着じゃない。今日、着るような服じゃないと思うけど……ボクが戸惑って言葉を返せずにいると、部長が続けて言った。
「二木、おまえは、今日はじめてカノハちゃんと二人で街を歩いたんだよね? それなら、自分の持っているいちばんいい服を着なきゃダメだ。カノハちゃんはおまえのことをまだよく知らないんだろ? だったら、知ってもらうためにはできるだけのことはしろよ。そうしなきゃ、気持ちは伝わらない。友情も愛情も信頼も生まれはしないよ」
碧い瞳ににらまれ、ボクはまた鼓動が早くなった。しかし、指摘を受けてにらみつけられているのだから、こちらから目をそらすわけにもいかない。苦しまぎれに言葉を返す。
「いや、でも、いい服を着たからって、気持ちが伝わるわけじゃないでしょう?」
部長は唇の端を少し曲げてボクを見た。
「いいや、伝わるよ。少なくとも『あなたのことを大事に思ってます』って気持ちだけはね。服っていうのは、そういうことのためにあるんだ……。言葉だけじゃ足りないんだよ、気持ちを伝えるには」
部長はそう言うと、ボクから視線をはずして、カノハちゃんの頭を撫でた。ボクは射抜かれるような碧い視線から解放され、ほっと息をつくと、
「すみませんでした。ボクの考えが足りなかったです。次からは気をつけます」
すかさず謝ったのだが、
「『次』はないんだよ、二木。次はもう『はじめて』じゃないだろ? せっかく、カノハちゃんと『はじめて』街を歩いたステキな思い出をつくる機会だったのに……残念だったな」
と、部長は、カノハちゃんの頭を撫でながら、悲しそうに言った。
そんなこと言ったって、いまさらどうしようもないでしょう? 時間は戻せないんだから。だいたいね、部長がギリギリの時間でボクを呼び出したから、「どんな服装で出掛けようか」なんて、考える時間すらなかったんですけど。それに、カノハちゃんとはじめて街を歩いた思い出なら、十分にできましたよ。そりゃあ、ステキな思い出ばっかりじゃないけど……
「それから、さぁ、二木」
少しだけ間を置いて、部長がやさしげな声で言った。
あ~、まだなにかあるの~
「おまえ、カノハちゃんが訪ねて来た時に『キレイだね』って言ったんだろうな?」
あ~あ、やっぱりそれ訊かれるのか。まいったなぁ。部長に嘘はつけないし。
「……言っていません」
仕方なく、正直に答えると、
「なんでだよ!」
たちまち部長の声が怒りを帯びた。
ボクは部長に厳しく命じられている。
「女性に会ったら、必ず『キレイですね』と言うように」と。
そりゃあね、このキャンパス内でなら言えるよ。ボクが部長にそう命じられていることをみんな知っているし、七廻八瀬はそういうひとなのだと知れわたっているから。だけど、学外でそんなこと簡単に言えるわけがないじゃないですか。
「いや、だって、ボクとカノハちゃんは知り合ったばかりですし……まだ、そういうの早いかなぁ……って。それに、ボクたちはあくまで友達ですから……」
ボクは、しどろもどろに言い訳をした。
「知り合ったばかり、とか、友達だから、とか、関係ないんだよ。二木、おまえは、カノハちゃんのことをキレイだと思っていないのか?」
部長が碧い瞳でボクを見て言った。
いや、それ、本人のいるところで訊いちゃいますか? カノハちゃんを見ると、悲しい顔は消えていて、きょとんとしてボクを見ていた。ああ、よかった。よかったんだけれど……
ボクは、はじめて会ったときから、カノハちゃんのことを可愛いと思っているし、今日、いっしょにここまで来る途中で、見とれるくらい美しい姿も見た。だから……素直に言おう。もうカノハちゃんに悲しい顔はさせられない。
「キレイだと思っていますよ。カノハちゃんのこと」
ボクがそう言うと、部長は一瞬、意外そうな顔をしたが、
「なんだ、言えるじゃないか」
と、楽しそうに笑った。ボクの頭の中に、法学の授業で習った「自白の強要」という言葉が浮かんだ。……でもまあ、しょうがない。
「それなら、最初にカノハちゃんに会ったときに言ってあげなくちゃダメじゃないか。おまえ、カノハちゃんに幸せになって欲しくないのか?」
部長は、口調を厳しいものに戻して言った。
ああ、また、いつもの話になるのか……ボクはタメ息が出そうになるのを抑えて、
「もちろん、幸せになって欲しいと思っていますよ」
と、答えた。そう答えるしかないじゃないか。カノハちゃんは目の前にいるんだし。
「だったら、『キレイ』って言ってあげなきゃダメじゃないか。女はみんな『キレイ』って言って欲しいんだよ。言ってもらえたら、それだけで幸せになれるし、気持ちが前向きになって頑張れるんだ。私、何度もそう言っているよね?」
ええ、何度も聞かされていますよ。でも、それって本当なんですかねぇ? 男のボクには、よくわからないんですけど。そりゃあ、ボクだって「キレイですね」って女性に言って、笑顔になってくれたら嬉しいですよ。でもねぇ、変な顔されることも多いんですけど。
今だって、カノハちゃんは変な顔をしている。困ったような、なにか言いたいことがあるような……これって、カノハちゃんのことを「キレイだと思っています」って、ボクが言ったせいじゃないですかねぇ……
ボクはそんなカノハちゃんを見てから、部長に顔を向け、呼吸を整えると、
「よく、わからない……です」
思ったままを言った。いつもの通りだ。これを言うと、部長は必ず怒る。だけど、ボクは部長の話をいつもよく理解できない。それでも、適当にわかったふりをして、ごまかす気にはなれないんだ。
「なんでだよ!」
部長は、ボクをにらみつけた。
「おまえは、カノハちゃんや自分のまわりの女性に幸せになって欲しいって思っているだろ?」
イラついた口調で部長は言った。
「だったら、『キレイです』って言えよ。それだけで、みんな幸せになれるんだから」
いや、だから、どうしてそうなるのかがよくわからないのだけど。
「……やっぱり、わかりません」
ボクが言うと、
「なんでだよ!」
怒りの口調で、部長は「バン!」と机を叩いた。
ああ、話がゼンゼン前に進まない。いつものことだけど。
そのとき――
「……あのォ、ハチセちゃん」
カノハちゃんが突然、声を上げた。
えっ?! 「ハチセちゃん」って……
「……あるはくんは、とってもやさしかったです。話もいっぱい聞いてくれました。いっしょに歩いてくれました。だから、だから、怒らないであげてください、お願いします。お願いですから」
カノハちゃんは、部長の胸にあずけていた顔を上げ、部長の顔をまっすぐに見てそう言った。
ああ、ボクのことかばってくれたんだね。ありがとう、カノハちゃん。とても、うれしいよ。でも……すっごく恥ずかしいんだけど。それに、「ハチセちゃん」ってのは……
部長は、驚いた表情で固まり、なにも言わず、カノハちゃんを見下ろしている。ボクはあわててクチをはさんだ。
「いや、違うんですよ、部長。さっき、部長がボクに『八瀬ちゃんと呼んで』なんて言ったじゃないですか。カノハちゃんは、そういうの本気にしちゃうんですよ、だから……」
と、部長に言い訳をした。
「……ああ、そうか。うん、なるほど」
部長は、いつもの表情に戻り、カノハちゃんの両肩に手を置くと、
「カノハちゃん、あのね、私、八瀬ちゃんって呼んでもらって、とっても嬉しいわ。でもね、それならね、そんなお話しの仕方はおかしくないかなぁ?」
まるで甘えるような、他の女の子と話しているときには聞いたことのない、やさしい声で語りかけた。
カノハちゃんは、少しの間、考え込んでから、
「……そうですね。ごめんなさい、七廻さん」
と言った。
部長は、見たことのない表情になり、わずかの間、沈黙したが、少しして、
「ああ、ううん、いいのよ。こちらこそ、ごめんなさいね。私のことをなんて呼ぶかなんて、カノハちゃんの自由なのに、変なことを言ってしまって」
カノハちゃんに笑いかけながら、やさしい声で言った。それから、ボクの方を向くと、
「なぁ、二木、もうこまかいことはいいや。相談ってなんなんだよ? それを先に言ってくれよ」
と、妙にサッパリした表情で言った。
「え、でも……」
ボクは、カノハちゃんと出会ったあの夜から、今日ここにたどり着くまでのことはすべて部長に聞いてもらった方がいい、そう思って話をしていたんだけどなぁ。
「だって、なかなか話が進まないじゃないか。もう相談というのを先にしてくれよ」
いやあ、話が進まないのは部長がいちいちクチをはさむからだし、話を全部聞いてもらってからじゃないと、部長からちゃんとしたアドバイスをもらえるか不安なんですけど。
「あのォ、部長、怒っていませんよね?」
ボクが、顔色をうかがいながら、そう訊くと、
「何を怒るんだよ。怒るようなことがあったか? いいから早く、相談したいことを言ってくれよ」
部長のその口調は、怒っている時のものではなかった……。なんだか、ヤケになっている時のような……やっぱり、よくわからないなぁ、このひとは。でも、部長がそう言うのなら仕方がない。ボクは、できるだけカンタンに相談したいことを話した。
「ああ、つまり、カノハちゃんが社会に慣れるにはどうしたらいいのか、ってことね?」
ボクは、いろいろと話をすっ飛ばして、必要な事だけを部長に伝えたつもりなのだが、部長はさらに話を切り飛ばしてそう言った。
「ええ、まあ、だいたいはそういうことですけど……でも、カノハちゃんはカッパなので、人間とはいろいろ違うところがありまして」
ボクがそう言うと、
「あのな、二木。人間ってのは、みんな違うよ。それぞれがお互いの違うところを認め合って生きていく。それが社会ってものだろ?」
と部長は言った。いや、そういう話じゃないですよ。ボクが相談したいのはカノハちゃんのことだけなので。それに、なんで「カッパ」という言葉を無視するんですか?
「ですけどね、カノハちゃんは、違い過ぎるんですよ。今のままじゃ、とてもこの社会で生きていけない」
そうボクが言うと、
「ごめんなさい……」
悲しい顔でカノハちゃんが言った。
「おい、二木、それは言い過ぎだ」
部長はカノハちゃんの頭をやさしく撫でながらボクをにらんだ。
いや、だって、本当のことですよ。カノハちゃんは持っているおカネをすぐに使い果たす。カッパだから、ちょくちょく水分の補給が必要なのに、街のなかで長い時間一人きりにしたら、水も食料も手に入れられなくなって、干からびて倒れかねない。
「言い過ぎたかもしれませんが、本当にどうにかしないと。だから、部長に相談しているんですけど」
ボクがそう言うと、部長は少し首をかしげて、
「カノハちゃんが『生きていけない』って言うけど、実際、こうやって生きているじゃないか」
カノハちゃんを後ろから抱きしめながら言った。
「それは、亀ヶ岡さんがいろいろと支援をしてくれてるからですよ」
ボクがそう言うと、カノハちゃんは神妙な顔つきになった。部長は間をおかずに、
「今日だって、ちゃんとここまで来れたじゃない。ねぇ、カノハちゃん」
と言って、カノハちゃんに笑いかけた。
「でも……あるはくんには、すごく迷惑をかけてしまって……」
「そんなの気にしなくていいのよ。友達なんだから」
部長はそう言うと、厳しい目でボクを見た。
ハイハイ、その通りですよ。カノハちゃんは友達なんだから、迷惑だったなんて言いませんよ。
「だけど、本当にここに来るまでいろいろとあったので……このままじゃいけないと、思うんですよ」
ボクは部長をまっすぐに見てそう言った。
「うん、まあ、いろいろとあったのはわかるよ。おまえがこんなに時間に遅れたのは初めてだものな。でもねぇ……」
部長はそう言ってから、カノハちゃんの頭をなでて、
「いろいろと『失敗』しちゃったけど、頑張ってここまで来れたんだものねぇ。偉いわよ、カノハちゃん」
と笑いかけた。カノハちゃんも、少しだけ嬉しそうに笑った。
いや……カノハちゃんの「あれ」を、「失敗」で片づけられちゃ困るんですけど。ボクはあわてて部長に言った。
「いや、カノハちゃんはカッパなので、神通力という特別なチカラが使えるんですよ。それでいろいろと面倒なことに……」
と、そこまで言って気がついた。部長にこんな話をしたところで信じてくれるはずがない。ボクが言葉を止めると、部長は、
「うん、だからさ、誰だってうまくやれないことはあるよ。だけど、経験を積み重ねて、それを克服していくのが人間ってものだろ」
と言った。やっぱり。ボクの言ったことはまるごと無視している……仕方ないなぁ。
「あの、部長。さっきから何を言っているのかわからないんですけど。ボクはカノハちゃんがどうすればいいか、を相談しているんですよ」
ボクはそう言うと、部長は本当に不思議そうな顔で、
「わからない、ってなんだよ? カノハちゃんに社会に慣れて欲しいんだろ。それなら、社会に出て、ひとつずつ失敗を乗り越えて、少しずつ慣れていくのがいい、って私は言っているんだよ」
と言った。
「それって、外に出て、社会を体験しろってことですよね? だけど、カノハちゃんは外を歩くと、いろいろと……」
「いろいろと、失敗しちゃうんだろ? でもさ、今日はここまで来れたじゃないか。つまり、二木と一緒なら失敗を乗り越えられるってことだよね。だったら、おまえと一緒にどんどん歩いて経験を積んで、失敗を成功に変えていけば、カノハちゃんはすぐに社会に慣れるんじゃないの?」
……ああ、しまった。やはり部長にはもっとちゃんと話をしてから相談するべきだった。カノハちゃんとここまで来るのがどれだけ大変だったか……それをちゃんと話しておけば、部長だってこんなことは言わなかっただろうに。
「いえ、部長、ちょっと待ってくださいよ。ボクだって、大学に通わなきゃならないし、休みの日はバイトもあるんです。一緒にどんどん歩け、ってわけにはいきませんよ」
カノハちゃんと歩くのはイヤじゃないけど、すっごく大変なので、ゼヒお断りしたい。でも、できるだけカノハちゃんを傷つけない方向で。
「でもさ、カノハちゃんは学校には行ってないんだよね?」
と、部長が言った。なにを言っているんだ? さっきからちょくちょく会話がかみ合わない。まあ、いつものことではあるけど。
「学校には行ってませんよ。カノハちゃんはカッパなのでね」
どうせ無視されるとわかっているので、思いっきり皮肉な口調で言ってみたのだが……
「じゃあ、この大学に通えばいいよ。おまえと一緒に」
本当に、なに言ってるんだ? このひとは。
「いや、カノハちゃんはこの大学の学生じゃないですからね。今日は休日だからいいけど、平日はキャンパス内に入れませんよ」
ボクがそう言うと、
「いや、だからさ……カノハちゃん、ちょっとゴメンね」
部長はそう言うと、ヒザの上のカノハちゃんを立ち上がらせ、自分もイスから立ち上がった。そして、カノハちゃんだけを再びイスに座らせると、部室の隅にあるロッカーに向かい、扉を開け、中を探ると、何かを持ち出した。
「カノハちゃん、これ、持っていてね」
そう言うと、まるで首飾りをかけるような優雅なしぐさで、カノハちゃんの首にネックストラップのついたカードケースをかけた。
「あの……それって、『学外協力者証』ですよね?」
ボクがそう言うと、部長は得意げにこちらを見た。
ボクの……いや、部長のサークルのイベントには大学の外からも参加者がいる。その中でサークルの活動を手伝ってくれるという人がいたら、「学外協力者」になってもらい、このキャンパスに呼んで、イベントの計画や下準備など、いろいろと助けてもらう。そのために「学外協力者証」を交付して、それを提示すれば、平日でもキャンパスの出入りができるように、大学の許可も取ってある。
「カノハちゃん、これは、いつも首からさげてなくてもいいわ。だけど、ここに来るときは必ず持っていてね」
部長が、学外協力者証を首からさげたカノハちゃんを満足そうに見ながら言うと、
「はい、わかりました」
カノハちゃんは、学外協力者証を手に取って嬉しそうに見ながら言った。
「ちょっと待ってくださいよ、部長。学外協力者証を交付するときは、大学に『事前に』申請して、許可を取らなきゃダメでしょ?」
ボクがそう言うと、
「ああ、わかってるって。私が『あとで』申請して、許可も取っておくから、心配するな」
部長はイスに座ったカノハちゃんに向かって前かがみになったままで、こちらを振り返らずに、軽い口調で言った。
「心配するな、じゃないですよ。『あとで』じゃなくて、『事前に』申請が必要だって言ってるでしょう。それで、許可も取るだなんて……そういう強引なことをしないでくださいよ」
ボクがそう言うと、部長は前かがみの姿勢からスッと立ち、背筋を伸ばした姿勢でこちらを振り返った。
「いいんだよ、こまかいことは。『大学の広報のためだから』とか言われて、大学にはさんざん協力しているんだ。くだらないインタビューに答えさせられたりな。このくらいのこと大目に見てくれなきゃ、やってられないよ」
部長はふんぞり返るような姿勢で言った。
いや、だからね、そういう態度で、そういうこと言うから、強引だって言われて、敵を作るんですよ。
そうは思ったものの、ボクはそれ以上なにも言葉を返さなかった。なにを言ったところで、どうせ部長は止められない。
部長はくるりと体の向きを戻すと、ふたたびカノハちゃんに話しかけた。
「それじゃあ、カノハちゃん、二木といっしょに、またここに来てね」
ああ、もう。ボクがカノハちゃんを連れてこのキャンパスに来ることは決定なんだな……こうなってしまったら、もうあきらめるしかない。部長が一度決めたことは、誰にもくつがえせない。そのことは身に染みて知っている。少しくらいボクの都合を考えてくれてもいいんじゃないか、とは思うけれど、もともとはボクが持ち掛けた相談だし、カノハちゃんのためだものな。ボクは黙って部長とカノハちゃんを見ていた。
「それでね、二木が講義のときは、カノハちゃんはここで待っていればいいわ。私がいたら、話し相手になってね」
その部長の言葉に、カノハちゃんは、
「はい、ありがとうございます」
と、嬉しそうに笑って答えた。
意外だった。内気な女の子に見えたカノハちゃんを部長に会わせたら、まともに話ができるのか心配していたんだけど、ちゃんと受け答えが出来ている。部長と二人きりになることも恐れていないようだ。
今まで、部長に会いにここに来た女の子たちは、みんな部長に圧倒されて、げっそりして帰っていった。そして二度とここを訪ねて来ない。カノハちゃんも二度とここには来たがらないと思っていたんだけどな……ボクは、カノハちゃんのことを、まだよくわかっていないな、と考えていると、
「あの、七廻さん、これに『ボランティアサークル』って、書いてありますけど……」
カノハちゃんが学外協力者証を見ながらそう言った。
「え?! ああ、うん、うちはボランティア活動をしているサークルだからね……」
部長はちょっと困った顔で、歯切れ悪くそう答え、ボクの方を見ると、
「なんだよ二木、カノハちゃんにうちのサークルのことを話していないのか?」
と言った。
「ええ、話していませんよ。ボクは、カノハちゃんのことを個人的に部長に相談したかっただけで、ボランティアサークルのことは関係ないと思ってましたから」
そう答えると、カノハちゃんが、
「ボランティアって知ってます。困っている人のために、いいことをするんですよね?」
なんだかワクワクとした顔で言った。すると、部長はますます困った顔になり、
「カノハちゃん、それは違うわ。ボランティアってのは『自分のやりたいことをやる』って意味だからね。うちはね、『私のやりたいことをやっているサークル』なのよ」
そう言った。カノハちゃんは「よくわからない」という顔をした。まあ、そりゃあそうだろうな。
「部長、そういう誤解を招きそうな言い方はやめてくださいよ」
ボクが言うと、
「なんだよ、私がなにか間違ったことを言ったか? 本当のことだろ?」
部長はふてくされたように言葉を返した。ボクは、大きく息を吐くと、
「とにかく、ボランティアサークルの活動のこと、ちゃんとカノハちゃんに説明してください」
そう言った。
「なんでだよ、イヤだよ。そんなのオマエが後でカノハちゃんに話しておけばいいじゃないか」
部長のその言葉に、ボクはまた大きく息を吐いてから、
「カノハちゃんを学外協力者にしたのは、部長ですよね? ボランティアサークルの活動についても、ちゃんと部長から説明してくれないと困りますよ」
と言葉を返した。すると、部長はすごくイヤそうな顔になり、
「私、せっかくカノハちゃんとお友達になったのに……メンドくさい話をするのイヤなんだけどなぁ」
と言って、ボクらの話を不思議そうな顔で聞いているカノハちゃんを見た。ボクは、本当にイヤそうな顔をしている部長に、
「部長が、カノハちゃんのためを思って、学外協力者にしてくれたってことは理解していますよ。だけど、それでも、ちゃんとボランティアサークルの活動について説明をして、イベントにも参加してもらわないと」
と言ったのだけど、
「ああ、もう。なんでオマエそういうところ変に真面目なの? 大学の方は適当にごまかしておくって言っているじゃないか」
部長は不機嫌にそう言った。そのとてつもなく美しい不機嫌な顔を見ていると、ボクはすべてを許してしまいたくなる。……だけど、そうもいかない。
「大学の方は、まあ、いいですよ。カノハちゃんにキャンパス内でのルールはしっかり守らせますから。でもね、学外協力者はボランティアサークルのイベントに参加した人から選ぶものでしょ? イベントに参加してないカノハちゃんを学外協力者するなら、後からでもイベントに参加してもらわないと、他の参加者に失礼じゃないですか」
そう言うと、部長はウンザリした顔になり、
「わ・か・り・ま・し・た! まったく、オマエはもう……」
そう言うと、ぐるりとテーブルを回り込み、カノハちゃんが座っているイスとテーブルをはさんで向かい合うイスに座ると……
「カノハちゃん、ちょっといい?」
正面に座っているカノハちゃんに声をかけた。
「あ、はい、なんでしょう?」
カノハちゃんが驚いた様子で返事をすると、部長は息を整え、
「ボランティアサークルにようこそ。私がこのサークルの責任者、部長の七廻八瀬です。当サークルはあなたを歓迎しますよ」
とても美しい笑顔でそう言った。その声は優雅でやさしく、だけど、聞く者に凛とした意思を伝える――そんな言葉だった。
実はカッパの女の子・亜麻月カノハを社会に慣れさせるにはどうすればいいのか? 主人公・二木あるはの問いに、所属するボランティアサークルの美しき部長・七廻八瀬が出した結論により、二木あるはは苦悩の日々を送ることになるのですが……引き続き、七廻八瀬の言葉をもう少しお聞きください(苦笑)