二木あるはVS七廻八瀬、宿命の闘い。それと、尻子玉。
ようやく、自分の所属するサークルの部長である七廻八瀬のもとへとたどり着き、カッパの少女・亜麻月カノハのために話を始めようとする二木あるは。しかし、七廻八瀬は難敵。知り尽くした相手のハズが思うようにはいかない。果たして、二木あるはは、亜麻月カノハとともに七廻八瀬を乗り越えることができるのか?
あくまでフィクションです。尻子玉の話はグロいので、嫌いな方は読み飛ばして、あんまり追及しないでくださいね。
所属するサークルの部室にたどり着き、中に入ったボク、二木あるはは、部長・七廻八瀬の前に立ち、ただ黙ってその姿を見ていた。
部長は簡素な折りたたみイスに座り、ピンと背筋を伸ばして、両手で開いた本を静かに見つめている。
部室の外には、カッパの姿に戻れなくなってしまったという、今は少女の姿のカッパ・亜麻月カノハを待たせている。
ボクは部長に、カノハちゃんが人間社会でうまくやっていくためにどうすればいいか? ――を相談するため、ここに来た。だから、早く部長と話をしたいのだけれど、部長に声をかけることはせずに、黙ってその姿を見ていた。
本を読んでいるときの部長は、自分が納得するまで読むことをやめない。声をかけたところで、ボクの方を向いてくれないんだ。そもそも、部長はボクが入ってきたことに、とっくに気がついている。だから、部長が自分から本を読むのをやめるまで待つしかない。外に待たせているカノハちゃんのことは気になるけれど……
数分ののち、部長は両手で広げていた本を慈しむように静かに閉じると、テーブルの上にやさしく置き、その碧い瞳でボクを見た。
「ああ、二木、来たね」
そう言って、視線がボクに向けられると、鼓動が早くなる。長いつきあいと言うほどではないにしても、部長とはそれなりの時をいっしょにすごし、毎日のように顔を合わせている。それでも、いまだにその視線に慣れることができていない。
部長はとても美しい女性だ。自身で「国際的な文化交流の結実」だと言う、金色交じりのブラウンの髪、碧い瞳、彫りの深い端正な顔立ち。それらを豊富なコスメの知識を使って、最大限に引き立てている。
「遅かったじゃないか。時間は守れといつも言っているだろ?」
その部長の言葉に、
「すみません。途中でいろいろとありまして……」
ボクは慌てて、ここに来るまでのことを話そうとしたのだけど、
「ああ、いいよ、言い訳は。興味ないから」
と、あっさり切り捨てられた。いやあ、本当にいろいろあったんで、聞いて欲しいんだけどなぁ。カノハちゃんが投げ飛ばしちゃった空手部の先輩・新郷さんに、あとで一緒に謝ってもらいたいし。
「ねぇ、二木。そんなことよりも、私に会ったら、言うことがあるよね?」
部長にそう言われて、ボクはまた慌てる。しまった、ぼんやりしていつものを忘れてた。
「あ、はい! 部長、今日も綺麗ですね!!」
あせりながら、そう言うと、
「うん、ありがとう」
部長はそう言って、にっこりと満面の笑みを浮かべた。これもいつものことなんだけど、その笑顔はクラクラするほどまばゆく、また鼓動が早くなったのだが……
「でもさあ、少しわざとらしくないか? もう少し、自然に、さりげなく言ってもらいたいのだけど……」
と、部長は言った。無理を言わないで欲しい。今日は慌てていたので不自然になったけれど、部長を見れば「綺麗」という言葉は自然に出てくるし、さりげなく、なんて言えるわけがない。そう思って言葉を返せないでいると、部長が言葉を続けた。
「……ああ、すまない。ほめてもらったのに、文句を言ってはダメだよな。今のは忘れてくれ」
そう言って、イスから立ち上がった部長の身長はボクとほぼ同じくらい。女性としては高い方だけど、驚くほどじゃない……ハズだが、スッと背すじを伸ばしたその姿はとても大きく見える。
部長は、かかとの高い靴は履かない。派手な服も着ないし、華美なアクセサリーも身につけない。それは、ファッションについて豊富な知識を持つ部長が、自分の美しさを引き立てるため、あえてやっていることらしい。そして、上品で落ち着いたコーディネートで自分の姿を演出している。そのスキの無い外見が、威厳というかオーラみたいなものになって、部長の姿を大きく見せている。
「それで? 相談ってなんだ。おまえの方から言ってくるなんて、珍しいじゃないか」
そう言いながら、部長が近づいてくると、ボクは思わず後ずさった。
「おい! なんで逃げるんだよ。話があるんだろ?」
部長が不愉快そうに言った。
しまった、反射的に体が動いた。部長は、そのオーラのせいで威圧感が凄まじい。美しさが「暴力」なんだよなぁ……以前、部長がファッション関係者からインタビューを受けていたとき、
「七廻八瀬さん、あなたはなぜ、美しくあろうとするのですか?」
そうインタビュアーに訊かれると、部長は、
「目の前の相手を『制圧』するためですよ」
と、言ってのけた。インタビュアーはその言葉を、「恋愛に勝利する」という意味のジョークだと思ったようで、楽しそうに声を出して笑っていた。
だけど、ボクにはわかった。部長の言葉はジョークなんかじゃない。部長は、本気で誰かを『制圧』するために、自分の美しさを磨いているんだ。
大学に入りたてで、浮足立っていたボクの前に、突如、映像でも見たことないような美しい女性が現れ、「私のやっているサークルに入れ」と言った。
YESもNOもない。そのまま、ボクは七廻八瀬の主宰するサークルに入った。そして、現在に至っている。ボクは『制圧』されたんだ……
「なぁ、二木、なにか話があって私を呼び出したんだろ? ボーッとしていないで、早く話してくれよ」
今、目の前にいる部長が、からかうような口調でそう言った。言葉をうまく出せないでいるボクを見て、いたずらっぽく微笑んでいる。
いやいや、確かに電話したのはボクの方だけど、ここに呼び出したのは部長じゃないですか――と言葉を返しそうになったけど、やめた。そんなことで言い争ってもしようがないし、部長と言い争いになって勝てるわけがない。なにせ、部長は『天才』なのだから。
部長は、日本で生まれたが、幼い頃に父母と三人で国外に渡った。そして、考古学者である両親に連れられて発掘調査に参加し、日本でいうと小学生くらいの歳で、考古学史に残るような大発見をしたらしい。それを、自分自身で英語の論文を執筆して発表し、その発見に関する本も自筆で出版したのだという。ボクのようなごく普通の人間とは住む世界が違うハズの『天才』なんだ。そんなことを考えていたら……
「……なんで、部長はこの大学に入ったんですか?」
ボクの口からそんな言葉が飛び出してしまった。
「え?! おい、なんで今そんなことを訊くんだよ?」
部長は珍しく驚いた顔をして、そう言った。
「いえ、ちょっと訊いてみたくなって……」
今、訊くようなことじゃない。それはわかっている。でもボクは前からこれを訊きたかった……いや、本当は、「アナタみたいな人が、なぜボクの前にいるんですか?」そう訊いてみたかったんだ。
「私はね、日本に戻って、普通に高校に入った。そして、普通に受験をして、この大学に入った。それだけだよ」
部長は、ボクの顔を見ながら、笑って答えた。
いや、「それだけ」って、どう考えても過程がおかしいだろ?
「そんなことよりさ、今日は相談があるんだろ? 早くそっちの話をしてくれよ」
部長がいつになく快活な口調でそう言った。
そうだよな。今日はカノハちゃんのことを相談するためにここに来たんだよな。ボクは気持ちを切り替えて、
「……先日、友達ができたんです。そのことで相談したくて」
そう言うと、
「友達って、おまえ……また」
部長から笑みが消えた。笑顔の消えた部長に代わって、ボクは思いっきり笑顔を作り、
「だって、『友達になって欲しい』って頼まれたんですよ。断われないじゃないですか」
そう言うと、部長は渋い顔になる。
「いや、いつも言っているだろ。いくら頼まれたからって、断るべきものはちゃんと断れ、って。で、どんなヤツと友達になったんだ? 話してみろよ」
ボクは、作った笑顔を部長に向け、
「実は、いっしょに来ているんですよ。部長にも友達になってもらいたくて。今、外に待たせています」
と言った。
「私と友達に? うん、まあ、いいけど……そいつがどんな人間かちゃんと見きわめてからな……しかし、なんで外で待っているんだよ? 二人でいっしょに入って来いよ」
部長は怪訝な顔をする。
「それがですね、部長に会うのをすごく楽しみにしてたんですけど、いざ会うとなったら、緊張しちゃったみたいで……少し、落ち着いてもらっています」
ボクが言うと、
「なんだよ、なにも緊張することなんかないだろ? 気安く、ズカズカと入ってこいよ」
そう言葉を返してきた部長に、作り笑いで応じながら、ボクは思った。このひとは本当に自分のことをわかっていない。
「それじゃあ、呼んできますねぇ」
ボクは明るい口調でそう言って、廊下に出た。
カノハちゃんは、まだ緊張が抜けていない様子で、凍りついたような表情で立っている。その姿はとても小さく見えた。こんな子を、あの部長に会わせていいのかな? 今さらながら、思う。だけど――
「カノハちゃん、まだ緊張してる? でもね、少しだけ勇気を出して欲しいんだ。美筆さんが言ってたでしょ? これから会う七廻八瀬という人は悪い人じゃないって。本当に優しい人なんだよ。だからさ……頑張って欲しい」
ボクはカノハちゃんにそう言った。ボクは、部長を、七廻八瀬を信じているんだ。
カノハちゃんは、うつむき気味だった顔を少し上げると、ボクの目を見て大きくうなずいた。
ボクは、ふたたび部室のドアを開け、カノハちゃんの背中に手を添えて先に中へと入れた。続いてボクが中に入ると、部長がこちらを見ていた。その碧い瞳と目が合ったボクは、慌てて視線をはずし、「自己紹介してね」とカノハちゃんに言おうとしたのだが――
「かわいい~~~!! なあにぃ、この子」
部長がカノハちゃんに抱きついていた。ボクが視線をはずした一瞬ですり寄ってきたらしい……。こういうことになるのはわかってはいたし、カノハちゃんのことを部長は気に入るだろうとは思っていたんだけど……予想をはるかに超えてきたなぁ。いつもなら、あいさつが終わるくらいまでは待つのに。
部長は、七廻八瀬は、「女の子」が大好きだ。もうホント、過剰なほどに。
「二木、ナイスな貢ぎ物だ。でかしたぞ」
カノハちゃんを抱きしめながら、部長はそう言った。カノハちゃんは何が起きているのか理解できないようで、凍りついた表情のままだ。
「部長、悪質な冗談はやめてくださいよ」
慌ててそう言った。ボクが、部長のこの悪癖にどれだけ悩まされていることか。いっそのこと、カノハちゃんに部長のことを投げ飛ばして欲しかったなあ、新郷先輩みたいに。
「いや、冗談なんかじゃないよ。おまえがなかなか女の子を連れて来てくれないから、私は『女の子を連れて来て』と言った。そしたら、おまえはこんな可愛い子を連れて来てくれたんだ。これが『貢ぎ物』じゃなくてなんなんだ?」
そんな部長の言葉を聞いて、ボクは呆れた。どーゆう理屈だよ。
「あのですね、部室に女の子たちが来なくなったのは、部長のせいですからね。部長がそういう行動をとるから、みんな寄りつかなくなるんですよ」
ボクがそう言うと、
「なんだよ~。私はね、女の子の可愛さを正当に評価して、自分の気持ちを素直に表現しているだけだよ」
抱きしめたカノハちゃんに頬ずりしながら、部長は言った。
あー、はいはい。そういうのはもう何度も聞かされたので、聞きあきましたよ。カノハちゃんを見ると、呆然と虚ろな目をしている。こういう女の子たちの顔ももう何度も見ている。
ボクは、いままで何人もの女の子たちを部長のもとへと案内した。それはすべて、女の子たちの希望によるものだ。「とにかくすごく美しい」と評判の七廻八瀬に「直接、お会いしたい」と言ってくる女の子は、ウチの大学内に限らず、他大学や高校にも数多くいた。だけど、いざ部室に来て、部長を目の前にすると、みんな固まる。部長の圧倒的な美しさと凄まじい威圧感に、みんな、ベンガルタイガーの前にいきなり置かれた仔猫みたいになるんだ。部長はというと、上機嫌でひとり話し始め、女の子をホメまくる。すると、女の子も少しずつ喋るようになるのだが、やがて部長は女の子にさわりはじめ、しまいにはハグをして撫でまわす。そして、女の子が「そろそろ帰ります」と勇気を出してクチにした頃には、精神的に疲れきってボロボロになり、帰っていく。
それでも、それ以降に行われるサークルのイベントに参加してくれる女の子はけっこういる。だけど、もう一度部室を訪ねてくる女の子はまったくいない。そりゃあねぇ、イベントなら部長と距離もとれるし、他に参加者もいるので女の子がさわられる率は減る。部室に来て、威圧感の固まりのような部長と少人数で相対するのはキツすぎる――と、いうような話が広まって、新しく部室を訪れてくれる女の子はいなくなった。
ちなみにだけど、ここには男性が訪ねて来ることもある。「七廻八瀬の美貌を間近で拝見したい」という男たちだ。もちろん、部長は男性には抱きついたりしない。だけど、男たちは、部長の美しさに圧倒されて固まる。そして、しまいには部長の問いかけにも答えなくなる。部長は不機嫌になり、皮肉な言葉をひと言、ふた言、吐く。そして、男たちは負け犬のように帰っていく。それは、結構みじめな姿なのだけれど、それでもボクは男の側でよかった、と思う。
「本当に可愛いわ~。なんだか不思議な雰囲気があるわねぇ。まるで、妖精みたい」
部長は、近くにあったイスに座り、小柄なカノハちゃんをヒザの上で抱えて撫でまわしている。カノハちゃんは虚ろな表情だ。ごめんね、カノハちゃん。ボクは心の中で謝った。今日だけ、今だけ、ガマンして。
ボクは、横に長い会議用テーブルを回り込むと、部長が座っているイスと向かい合う位置のイスに座った。
「ねえねえ、あなた、名前は? 名前はなんて言うの?」
部長が、カノハちゃんにそう訊いた。答えはない。答えられるワケないでしょ、そんな状態で。
「彼女の名前は、亜麻月カノハです」
ボクが代わりに答えると、
「ヘぇ~。カノハちゃんかぁ。ステキな名前ねぇ」
部長はそう言って、またカノハちゃんを抱きしめた。
ボクは間を置かずに、
「亜麻月さんは、『カッパ』ですからね」
と、言った。
ニコニコと笑っていた部長の表情が消えた。同時に、虚ろだったカノハちゃんの表情が少しだけ動いた気がした。
「おい、二木。おまえ、今、なんて言った?」
部長はカノハちゃんを抱きしめたまま、冷たい乾いた声でそう言った。ボクは体がすくみそうになる。ダメだ。ここは踏ん張らないと。
「その亜麻月カノハさんは『カッパ』です。そう言いましたよ」
平静を装い、そう言った。
「……なあ、二木、何度も言っているよな? おまえがカッパを好きだというのはいいよ。勝手にしろ。だけど、むやみに他人を巻き込むんじゃない」
その部長の言葉には怒気が含まれていた。
「だって、ボクは本当のことを言っているだけですから」
針のように刺してくる怒気に耐えながら言った。
「ふざけるな! こんな可愛い女の子をカッパ呼ばわりとはどういうつもりだ。どうしておまえは目の前の人間をちゃんと見ようとしないんだよ? よく見てみろ、この子のどこがカッパなんだ!?」
部長は、抱きしめたカノハちゃんをボクに見せつけるようにして、そう言った。ボクは冷静を装ったまま、言葉を返す。
「カッパはね、人間に姿を変えられるんです。亜麻月さんをボクに紹介したカッパが言っていましたよ。この社会には、人間に姿を変えたカッパたちが数多く暮らしていて……」
と、そこまで言ったとき――
「放してください」
部室の中に声が響いた。静かな声。だけど、沁みわたる声。カノハちゃんの声だ。カノハちゃんを抱きしめていた部長が、はじかれたようにその腕を放した。カノハちゃんはスッと立ち上がり、固い意思をもった表情でボクに向かって歩いてくる。
部長は、自分がなぜカノハちゃんを放したのか理解できない様子で、呆然としていた。
ボクも驚いた。カノハちゃんが突然声を上げたことにもだけど、部長は女の子に「放して」と言われて、あっさり放すような人じゃあない……まあそれは、カノハちゃんが、言葉で人を操る能力を使ったからなんだろうけど……でも、まさか、あの部長に初対面で「放して」なんて言える女の子がいるとは思わなかった。
カノハちゃんは、ボクのすぐそばまで来ると、耳元でささやいた。
「あるはくん、あの……その話はナイショなので……」
カノハちゃんが声を上げたタイミングからすると、「ナイショ」というのは、人間に姿を変えたカッパたちがこの社会で暮らしている、って話についてだろう。確かに、カッパであることを隠して生活しているのだろうから、ボクが軽々しくしゃべっていい話ではない。しかし、ね……。ボクもカノハちゃんの耳元でささやいた。
「ごめんね、カノハちゃん。それはわかっているよ。でもね、ボクは……」
ひとりイスに残されて、呆然としている部長を見ながら、
「……このひとに嘘をつくことはできないんだ。だけどね、このひとは大丈夫なひとなんだよ。だから、信じてくれないかな?」
そう言って、カノハちゃんに微笑みかけた。
「……わかりました」
カノハちゃんは、ボクの目を見てそれだけ言うと、真剣な表情のまま、ボクから視線をはずし、隣のイスに座った。
「なんだよ、もぉ。二人で仲良くナイショ話とかしちゃってさぁ。私はねぇ、カノハちゃんのために言ってあげたんだよ」
部長は、呆然状態からは抜け出したようだ。でも、カノハちゃんに逃げられたのがショックらしく、テーブルに上半身をぐったりと伸ばし、すっかりやさぐれている。
「部長、話を続けてもいいですか? 今日は、亜麻月さんのためにここに来たので」
ボクがそう言うと、部長は机から顔だけを上げ、
「ああ、わかった、わかった。話せよ。でも、カッパの話はもうナシな」
と、言った。
「なに言っているですか、そんなわけにはいきませんよ。亜麻月さんはカッパなんですから」
ボクの言葉に、部長はウンザリという顔をする。
「おまえなあ、いいかげんに……」
そう言いながら、部長は視線をカノハちゃんに向けた。カノハちゃんは、ボクの隣に黙って座り、真剣な顔でボクたちの話を聞いている。部長は「チッ」と大きな音を立てて舌打ちをすると、
「……ああ、わかったよ、話しなよ」
部長のその言葉を合図にボクは話し始めた。カノハちゃんに初めて会ったあの夜の話を――
「うん、なるほど。ある夜突然、二木くんの部屋に、カノハちゃんがカッパに連れられてやって来ました。と、二木くんは言うわけね」
皮肉な口調を隠さず、部長はそう言った。
「ええ、その通りですよ。カッパが亜麻月さんを連れて来たんです」
ボクが表情を変えずにそう答えると、
「で、『カノハちゃんとお友達になって』と、カッパさんが言ったのね」
部長がそう続けたので、
「そうですよ、亀ケ岡さんというカッパに、『亜麻月さんと友達になって欲しい』と頼まれたんです」
と答えた。すると、部長は、
「それはなぁに? おまえのやっているカッパ大好きサイト……えーと、なんだっけ……ああそうそう、『河童への愛を伝えたい僕たち』だったね。それでやる新しいネタなのか?」
と、露骨にバカにした口調で言った。
やっぱり、部長は信じてくれないな。まあ、一般人でも受け入れがたい話だとは思うし、部長はバリバリの現実主義者だものなぁ。
部長は自分の目で見たものしか信じない。いや、たとえ自分の目で見たものでも、検証してそれが事実だと確認しない限りは信じないし、他人に話したりしない。そんな人なのだ。今まで、カッパが目撃された話を何回も聞いてもらったけれど、まったく信じてくれなかった。だから、カッパのナイショの話をいくら聞かせたところで、なんの問題もない。この人から秘密が漏れるわけがないから。
「あのですね、『河童への愛を伝えたい僕たち』では、この話はやりませんよ。カッパ研究サイトの主催者が、『本物のカッパと会いました』なんて言ったら、アクセス数を稼ぎたくてホラを言っているんだ、と思われるだけですから」
ボクが、タメ息をつきたいのをこらえて、そう言うと、
「おまえ、それ、自分で言ってて悲しくならないの?」
部長は本当に不思議そうに言った。
そりゃあね、悲しくなるよ。だけど、それが現実ってもんでしょう? でも、いいさ。ボクはカッパの亀ケ岡さんとコネができたし、なんと言ったって、カノハちゃんと――カッパと友達になったんだから。これから、少しずつ着実に研究と発表を積み重ねて、カッパの素晴らしさを世の中に知らせてみせる。
「悲しくなんてなりませんよ。だって、カッパは、ほんとうに素晴しい存在なんですから」
ボクは、本心を隠し、そう言葉を返した。
「カッパなんてどこが素晴しいんだよ、妖怪だろ? どうせなら、座敷わらしにすれば? カネになるらしいぞ」
イヤなこと言うなぁ。これだからリアリストは。
「座敷わらしのファンの人たちだって、おカネ目当てでやっているわけじゃありませんよ」
ボクがそう言うと、
「そうなのか? だって、『座敷わらしに会って、宝くじを買おう』って……」
ボクは部長の発言を慌ててさえぎった。
「とにかく! カッパは素晴らしい存在なんですよ!!」
部長は、とにかく攻撃的な発言が多い。やたらと敵を作る。部長に憧れ、恋心を抱く男性はボクの友人にも数多くいるが、その圧倒的な美貌から飛んでくるキツイ言葉の切れ味を恐れて近づこうとはしない。頭のいい人だから、本当にタチが悪い。
「だって、カッパって子供を水の中に引きずり込んで、溺れさせたりするんだろ? どこが、素晴らしいんだよ」
部長は不快な顔でそう言った。
やめて! 子供が大好きなカッパのカノハちゃんの前でそういうこと言うの。カノハちゃんを見ると、プルプルとかすかに震えている。ボクは急いで反論する。
「ちがいます!! カッパはそんなことしません。古くから、これといった理由もなく水辺に近づいて、ふらふらと水に入り、そのまま溺死してしまう子供は多いんです。そんな行動を『カッパに呼ばれた』とか言うようになって……カッパは何もしてないのに……」
ボクのその言葉を聞いて、部長はすぐに言葉を返してきた。
「どうしておまえが、『カッパは何もしていない』なんて言えるんだよ? ほら、言うじゃないか、カッパは人間の『尻子玉』を抜くって……」
ボクは気持ちが熱くなった。
「あのですねぇ、実在しないんですよ、『尻子玉』なんてものは。人間はね、死んだあとなんの処置もしないと、数時間後には肛門の括約筋がゆるんで、腹圧で腸が体の外に押し出されます。溺死の場合、死後数時間以上経ってから発見されると、自分の内臓を水の中にぶちまけて、尻の穴がまるくぽっかりとあいた状態で発見されるんです。それをですね、昔の人間が、カッパに尻の栓である『尻子玉』を抜かれて、臓腑を食われたんだ――って、言い出したんです。とんでもない言いがかりです」
と、ボクは、カッパの濡れ衣を晴らすため、興奮して一気にしゃべったのだが……ハッと気がついた。この話はグロ過ぎる。『河童への愛を伝えたい僕たち』でも封印している。女性相手にしていい話じゃない。
「すみません、部長。気持ちの悪い話をしてしまって……」
ボクは謝ったのだが、部長は平然としていた。
「ああ、私はそのくらい平気だよ。歴史を学んでいると、もっとグロテスクな話はいくらでもある……でもさぁ」
そう言って、首を少し傾けると、
「カノハちゃんの顔色がものすごいことになってるけど、いいの?」
と言った。
ボクは、慌ててカノハちゃんを見ると、真っ青な顔色で全身をブルブルと震わせ、小声で、なにかをつぶやいている。
「うわ?! どうしたの、カノハちゃん」
ボクはそう言って、カノハちゃんに顔を近づけると、
「……カッパはそんなことしないもん。カッパはそんなことしないもん」
繰り返しそうつぶやいていた。「カッパが人間を水の中に引きずり込んで内臓を食べる」なんて、思われていること知って、相当ショックを受けたようだ。
「うん、そうだよ、カッパはそんなことしないよ。そんなことは絶対しない、って話を、ボクはしたんだよ。ああ、でも……ごめんね、カノハちゃん。ごめんね、カノハちゃん」
ボクが、必死に謝っていると、カノハちゃんの体に、手がスッと伸びてきた。部長の手だ。そして、部長はカノハちゃんを抱き寄せ、
「ああ、可哀想、可哀想。カノハちゃん、可哀想」
と言った。
カノハちゃんは、今にも泣き出しそうな顔を、部長の体にすりつけていた。部長は、ボクを見てニヤリと笑った……ああ、カノハちゃんを奪還された。
「まったく、本当にマニアは無神経で困るよなぁ」
部長がそう言った。返す言葉もない。
「でも、まあ、わかったよ。カノハちゃんは、カッパ大好き少女なんだね。それで、おまえと友達になったってわけね」
部長は納得した顔で言った。
「違いますよ。カノハちゃんは、仲間のカッパを大切に思って、カッパの名誉を守ろうとしているカッパなんです」
ボクが反論すると、
「おまえ、まだ言うの? ……まあ、そんなことよりさぁ、おまえも『カノハちゃん』って、呼んでいるんだね、この子のこと」
部長はカノハちゃんの頭を撫でながら、ニコニコと楽しそうに言った。
ああもう。いろいろと、しまったなぁ……
「なんだよぉ、おまえにしちゃあ、やるじゃないか、女の子を名前で呼ぶなんてさあ」
部長は、からかう口調で言った。
「いや、あの、カノハちゃんはカッパなので、親近感が湧いたんです」
ボクは事実をそのまま告げたのだが、
「まあ、照れるなよ。女の子のことを親しみを込めて呼ぶのはいいことだぞ。そうだ。この機会に、私のことも『八瀬ちゃん』と呼んでくれよ、もう親近感は十分に湧いてるだろ?」
と部長は楽しそうな声で言った。
「お断りします。やめてくださいよ、部長」
ボクがきっぱりと言うと、
「なんだよぉ、遠慮しなくてもいいのになぁ……」
部長は「本当に残念だ」というように唇を尖らせ、子供のような顔でそう言った。部長は、ちょくちょくボクのことをからかう。いい加減にして欲しいのだけど。
そして、部長は、スネたようなしぐさで、抱きしめているカノハちゃんの頭の上に、唇を尖らせた顔を伏せた。そして、数秒後に顔を上げると、その顔はすっかり真顔になっていた。
「それじゃあ、話の続きを聞かせてくれよ、二木」
部長は、いつも通りの、威厳に満ちた声でボクに言った。
カッパのことを愛するあまりに、七廻八瀬に亜麻月カノハを奪還されてしまった二木あるは。彼に逆転のチャンスはやってくるのか?
「座敷わらし」を愛する皆さま。わたし(作者)は皆さまの純真を信じていますので、怒らないでね。