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カッパは子供が大好きなので

大学へと向かう二木あるはと亜麻月カノハの二人。二木あるはは、部屋を出てほどなく、亜麻月かのはが「子供好き」だと知るのだが、道を進むにつれて、それがとんでもないものだと気づくことになる。

 ボク、二木(ふたつき)あるはは、七廻(ななめぐり)八瀬(はちせ)部長に会うため、亜麻月(あまつき)カノハと並んで、大学への道を歩いていた。

 七廻部長は、こちらの都合は一切無視して「11時に部室に来い」と言った。しかし、そう言ったからには部長自身は必ず11時には部室にいる。部長はそういう人だ。だから、絶対に遅れたくはないのだけれど……そう考えながら、なんだか嬉しそうに隣を歩くカノハちゃんを見た。まずはカノハちゃんをしっかりと大学まで連れて行くことを考えなきゃ。あせっちゃダメだ。


「カノハちゃんは、外に出るのが好きなんだね」


 部屋にいたときより楽しそうな表情のカノハちゃんに、そう声をかけた。


「ええ、はい。大好きです。……でも、わたし、まだこちらにあまり慣れていないので、一人では外に出られなくって……今日は一緒に歩いてくれてありがとうございます」


 カノハちゃんはそう言って、ぺこりと頭を下げた。


「……でも、この前の夜は一人で帰れたんでしょ?」


 ボクが訊くと、


「あのときはキップを買ってあったし、夜は人が少ないですからね」


 と、カノハちゃんは言った。

 あれ? 「人が少ないですから」って……さっきは、人の多いところは嫌いじゃないって言ってたけど……


「今日だって、一人でボクの部屋まで来られたんだよね?」


 ボクが続けて訊くと、


「それがですねぇ……、あるはくんの部屋に着くまでに、たくさんおカネ使ってしまいまして……」


 カノハちゃんは恥ずかしそうに言った。

 ああ、やっぱり。そうは見えないけど、カノハちゃんは浪費家なのか……いや、でも……カノハちゃんはボクの部屋を訪れたときに手になにも持っていなかった。買った物をしまえるカバンをさげているわけでもない。それで、いったい何を買ったというんだろう? ポケットに収まるアクセサリーとか? それとも買い食いでもしたのか? 気になる。カノハちゃんに訊いてみたほうがいいかな? でも、ボクが気にするようなことじゃないか……

 などと考えながら歩いていると、道路脇に置かれた飲料の自動販売機のボタンを小さな男の子がカチャカチャと押しているのが目に入った。この道は通学で毎日のように通るので、同じような光景は何度も見かけている。「ああ、またイタズラしてるんだな」と、たいして気にもならない。もちろん、いつもは飲み物が出てくることはなく、イタズラしていた子供も、すぐにあきて立ち去るのだが、今日は違った。自販機がガチャリと音を立てて、男の子が押していたボタンの飲み物を吐き出したのだ。といっても自販機が壊れたわけでも、男の子が硬貨を入れたわけでもない。ボクの隣を歩いていたはずのカノハちゃんが、いつの間にか自販機に駆け寄り、硬貨を投入したのだ。男の子は飲み物が出てきたことに驚き、カノハちゃんの顔を不思議そうに見た。そして、自販機から飲み物を取り出すと、抱えるように持って走り去った。カノハちゃんはくるりと体の向きを変えると、ボクの隣に戻って来たのだが……その顔には表情が無かった。


「あの……カノハちゃん?」


 ボクが声をかけると、すぐにカノハちゃんに表情が戻り、


「あっ、はい、なんでしょう?」


 と、驚いたように言った。


「今、飲み物を買ってあげた男の子、知り合いなの?」


 そうボクが訊くと、


「……あ、わたし、またやっちゃいましたね」


 カノハちゃんはそう言った。困った顔で。だけど、すごく楽しそうに。


「知らない子なんですけど……『喉が渇いた、飲み物が欲しい』って言っていたので……つい……ですね」


 いやいや、待ってよカノハちゃん。あの男の子はなにも言ってなかったよ。黙って自動販売機のボタンを押していただけだ。それに、はじめて会った子供にいきなり飲み物を買ってあげるなんておかしいでしょ? それからさぁ……なにがそんなに嬉しいの?

 ボクは、ニコニコと上機嫌で隣を歩いているカノハちゃんを見ながらそう思った。男の子に飲み物を買ってあげたのが嬉しいんだろうけど……それって、そんなに喜ぶようなことなのか?

 だけどこれで、カノハちゃんがボクの部屋に来るまでにどんなことにおカネを使ったのかはだいたい想像がついた。出会った子供に何か買ってあげたんだろう。

 カッパは人間の子供が好きで、やたらとなにかをあげたがる、という「おはなし」はよくある――人間の姿をしていてもカノハちゃんはやっぱりカッパなんだな。あらためて納得した。


「カノハちゃんは子供が好きなんだね」


 ボクが少しあきれてそう言うと、


「ええ、はい、大好きですよ。だけど、子供はみんな好きでしょ? 好きじゃない人なんているんですか?」


 カノハちゃんは、不思議そうに言った。

 ……そりゃあ、子供を好きじゃない人間だっているよ。ボクだってどちらかと言えば…………まあ、でも、いいか。子供に勝手に物を買い与えるのはマズい気がするし、カノハちゃんの様子がおかしかったような気もするけれど、そうたいした問題じゃないよな。とにかく今は、七廻部長のいる大学へ急がなきゃ。

 ボクはカノハちゃんの様子をうかがいながら、黙って少し足を速めると、上機嫌になったカノハちゃんの方から話しかけてきた。


「わたしね、チェルシーさんとはときどき出掛けるですよ」

「へえ、そうなんだ」

 

 ボクは、たいして気にも留めず、軽くあいづちを打つと、


「二人でね、ギュッと手をつないでね、街を歩くんですよ」


 カノハちゃんが嬉しそうに続けた。


「……へえ、仲がいいんだね」


 と、ボクは言ったのだが……「手をつないで」だって? カノハちゃんはそれほど子供じゃないと思うけど……。女性同士だと、そうゆうことをするものなのかな? ボクが考えていると、カノハちゃんがさらに続けた。


「チェルシーさんがね、言うんですよ、『あなたは絶対に一人にはさせられないから』って。だから、しっかりと手を握られちゃって……」


 カノハちゃんは楽しそうに言った。いや、ちょっと待って。「絶対に一人にはさせられない」って、どうゆうことなんだろ? 気になる。訊いてみようと思ったが、カノハちゃんは勢いづいてしゃべり続けていた。


「ちょっと前のことなんですけど、チェルシーさんと出かけたときに、気がついたら、わたし、知らない男の子と電車に乗っていたんですよ。二人だけで。それで、ぜんぜん知らない駅で慌てて電車を降りて、『どうしよう』って思っていたら、その男の子がおウチに電話かけてくれたんです。そして、その子のお母さんが、警察の人と一緒に迎えに来てくれて。わたし、警察の人に、すごく怒られちゃったんですけど……よかったですよね?」


 ボクは、カノハちゃんのその問いかけに足が止まり、思わず声を上げた。


「なにが?」


 すると、カノハちゃんは楽しかった思い出を話すように、


「いや、ほら、だって、あの男の子は自分でお母さんに電話して、ちゃんとおウチに帰れたんですよ? エラくないですか? スゴイ電車に乗れたって、とっても喜んでいたし」


 と、言った。

 ボクは、止めていた足を慌てて動かし、二、三歩先を歩いていたカノハちゃんの前に回り込んだ。そして、正面から、


「ねぇ、カノハちゃん。なんで、そんなことしたの?」


 と、訊いた。


「え? 『そんなこと』って、なんですか?」


 カノハちゃんは、本当に不思議そうに言った。


「なんで、知らない子と二人だけで電車に乗ったりしたの?」


 ボクがそう訊き直すと、


「ああ、それはですねぇ、男の子って、かっこいい電車とか見ると、乗りたがるじゃないですかぁ~」


 カノハちゃんは、なんだかうっとりとしてそう言った。

 ……つまり、その男の子がかっこいい電車を見て「あれに乗りたい」と言ったので、いっしょに乗っちゃいました。楽しくって、気がついたら知らない駅でした、ということなのかな? ……冗談じゃないなぁ。警察まで来たってことは、あともうちょっとで誘拐事件じゃないか。それで、今では「絶対に一人にはさせられない」と、がっちりと手を握られて外を歩いている、というわけか。


『カッパの神隠し』という話がある。むかし、ある村で子供が一人いなくなった。子供の両親や村の人たちが探し回るが見つからない。そして、数日ののち、その子供は近くの池に浮いた姿で見つかる。二度と目を覚ますことのない冷たい体となって……。そして、ひとりの村びとが言うのだ。


「私は、その子がカッパと歩いているのを見ました。水神さまがその子を連れてくるようにカッパに命じて、池の中に引き込んだのでしょう」


 もちろん、そんなのは嘘だ。子供を失った両親の心の痛みを少しでもやわらげようと、「あなたの子供は水神さまに選ばれ、召されたのだ。あなたたちはなにも悪くない、悪いのはカッパだ」と嘘をついているんだ。カッパがそんなことするものか。

 ――と、ボクはいままで思っていたのだけど、知り合いでもない子供を連れて電車に乗ってしまい、そのことを浮かれて話すカノハちゃんを見ていると、どうしても考えてしまう。

「池に行ってみたい」と、子供に言われたら、カノハちゃんは上機嫌で連れて行くんじゃないのか? そして――

「池の中に入ってみたい」と、その子供に言われたら、カノハちゃんは……。

 いや、いや、いや! そんなことはない。絶対に。カノハちゃんは「子供が大好き」と言ってたじゃないか。それに、カッパが溺れる子供を助ける話はいくらでもある。カッパは子供の守り神なんだ。

 そう考えながら、ボクはカノハちゃんの前に立っていたのだが、ニコニコと笑いながらカノハちゃんがボクに言った。


「あの……だいじょうぶですよ。警察の人にいっぱい怒られたし、もうあんなことはしませんので」


 ボクは少し間を置いて、


「ああ、うん。そうだよね……」


 と、答えた。だけど……カノハちゃん、それ、嘘だよね。

 カノハちゃんは自分のココロを言葉に乗せて伝えられる。……いや、この場合は、口にした言葉にココロが乗って相手に知られてしまう――そう言うべきなんだろう。

 今の「だいじょうぶですよ」には、自分がまた同じようなことをしてしまうんじゃないか――という不安なココロが乗っていた。カノハちゃんは、自分が同じようなことをやらかさないという確信を持てていないのだ。にも関わらず、相変わらず上機嫌で楽しそうに笑っているカノハちゃんを見ていると、ますます不安になってくる。ボクも、カノハちゃんの手をがっちりと握って歩いたほうがいいのかな……でもなぁ、ここからは、知り合いに出くわす可能性がかなり高い。女の子と手をつないで歩いてるところに声をかけられたりしたら、なんて説明すればいいのかボクにはわからない。……まあ、いまのところは、男の子に飲み物を買ってあげただけで、たいしたことはしていないし、目を離さないように気をつけていれば、大丈夫だろう……たぶん。


「うん……それじゃ、行こうか」


 ボクがそう言うと、


「ええ、はい!」


 カノハちゃんは明るく答えて、再びボクの隣を歩きはじめた。「この先には、楽しいことばかり待っているんだ」そう言わんばかりの軽快な足取りで。


 そして、駅前の広場が見えてきた。

 お昼前のハンパな時間だが、日曜日なので人がたくさんいる。今朝、亀ケ岡さんと電話で話したときに、「駅でカノハちゃんと待ち合わせしたい」と言ったボクの言葉を、亀ケ岡さんは大慌てで拒否した。「カノハを人の多いところで一人にはできない」と。その時は、なにをそんなに慌てているんだろう、と思ったけど、今はわかる。カノハちゃんが知らない子供と電車に乗ったりしないか、子供を連れ去って消えてしまわないか、不安でならない。

 とにかく、カノハちゃんから目を離さないようにしなきゃなと、ボクの隣を楽しそうに歩くカノハちゃんを見ていたのだが……突然、カノハちゃんから表情が消えた。そして、加速した――「急に走り出した」というカンジではない。だって、上半身は歩いていたときの姿勢そのままで、まるで何かに飛び乗って移動をはじめたみたいに、あっという間にボクから離れていったのだ。慌ててその後ろ姿を眼で追うと、脚だけがものすごい勢いで動いているのがわかった。腰から上はほとんど動いていないのに……。

 人間って、あんな動きができるんだっけ? 上半身と下半身って連動するものだろう? 小学生の頃「走るときは全身を使いなさい」って言われたよな……ああ、いや、そうだ。カノハちゃんはカッパだったな。カッパはあんなカンジで走るのか……いや、待て。カッパってそもそも走るの? そういう話は聞いたことないのだけど。カッパのあの美しいフォルムは走るためのものじゃないだろう……ボクは混乱していた。

 落ち着け! とにかく、カノハちゃんを追いかけなきゃ。運動不足ぎみのボクは上半身と下半身をぎくしゃくと連動させて全速力で駆け出したが、カノハちゃんとの距離は開く一方だ。大声を出して止めようかな……いや、恥ずかしい。それに、カノハちゃんのあの勢いだと、声をかけたぐらいで止まってくれるとは思えない。とにかく、見失わないように追いかけよう。

 そして、駅舎の前までくると、カノハちゃんが止まったのが見えた。ボクは息を切らせて走り、なんとか追いついた。カノハちゃんは息が乱れた様子もなく立っていた。無表情のままで。


「カノハちゃん、突然、どうしたの?」


 ボクは荒い息でそう訊いたが、なにも答えてくれない。無表情のままのその視線の先を見ると……思っていた通り、というか、恐れていた通り、子供がいた。女の子が駅の売店に並べられたお菓子を見つめている。そして、カノハちゃんがその女の子に向かって歩き出した。


「ダメだよ、カノハちゃん!」


 ボクは、カノハちゃんがその子を連れ去るような素振りを見せたら、なんとしてでも止める覚悟をしたのだが、カノハちゃんは女の子の横を通り過ぎ、売店の前まで行くと、お菓子をひとつ手に取り、ネコの描かれたガマグチからおカネを取り出し、無言で店員に渡した。

 あれ? カノハちゃん、お菓子を買いたかっただけなのか? ……いや、そんなワケないよな。

 カノハちゃんは、買ったお菓子を持って女の子の前に来ると、無言のまま差し出した。びっくりした様子の女の子は、少しためらってから、お菓子を受け取り、


「ありがとう」


 と言って、近くで携帯で話をしていた女性に駆け寄ると、そのお菓子を見せた。


「お母さ~ん、これ欲しかったんだ~」

「あら、どうしたのそれ? 勝手に持ってきちゃダメでしょ」


 そう母親が言うと、


「買ってくれたんだよ」


 と、女の子は言い、ボクとカノハちゃんを指さした。母親は驚いた顔でボクたちを見ると、会釈をした。ボクは慌てて会釈を返すと、


「カノハちゃん、行くよ」


 カノハちゃんの腕を掴んで引っ張り、その場から逃げ出した。


「あれぇ~?! わたし、またやっちゃいましたか~?」


 カノハちゃんは、ボクに引っ張られながら、「楽しくてしようがない」というような明るい声で、そう言った。


 ボクは、カノハちゃんを引っ張って歩きながら、考えていた。

 ――どうやら、カノハちゃんは子供のココロを読めるらしい。

 さっきの女の子は売店のお菓子を見ていただけで、ひと言も喋っていなかった。それなのに、カノハちゃんはいくつも並んでいたお菓子の中から、あの子の欲しがっているものを迷わずに選んで差し出した。ココロを読んで、欲しがっているものがわかったから、としか思えない。

 自動販売機で男の子に飲み物を買ってあげた時も、「喉が渇いた、飲み物が欲しい」という声が聞こえた、とカノハちゃんは言っていたが、男の子はなにも言っていなかった。

 知らない男の子と電車に乗っちゃった、という話も、考えてみれば、子供が知らない人に「あの電車に乗りたい」なんて言うとは思えない。男の子のココロの声を聞いて、やってしまったのだろう。

 そして、いままでの様子からみて、カノハちゃんは子供のココロの声の「欲求」を聞くと、我を忘れてしまうらしい。今の売店でも、自動販売機の時も、「欲求」を叶えるまで表情を失っていたし、声をかけても答えなかった。知らない男の子と一緒に電車に乗っちゃった時も、男の子があきるまで電車に乗ったんだろう。そして、男の子が満足して、家に帰りたくなってやっと気がついた、というわけか……。

 言葉にココロを乗せて他人に伝えることができるカノハちゃんだから、子供のココロの声を聞くこともできるんだろうけど……やっかいだなぁ。今みたいに、何十メートルも離れた場所の子供のココロの声を聞いて、そのたびに無我夢中で走り出されたら、ボクの身がもたない。ちゃんとおカネを出してモノを買うという最低限の理性はあるみたいだけど。

 少し離れた場所まで来ると、ボクはカノハちゃんに、


「勝手に子供にお菓子を買ってあげたりしたらダメだよ。その子の親に失礼になるからさ」


 と言った。すると、


「ええ、はい。それは、わかっています。チェルシーさんにも言われているので……それでも、つい、ですね……あの、ごめんなさい」


 カノハちゃんはそう言って深々と頭を下げた。

 ああ、ダメだってわかっててやっちゃったワケか……そして、今の「ごめんなさい」には、反省しているココロが乗ってはいたのだけど、それ以上に「子供にお菓子を買ってあげられて嬉しい」というココロがキラキラと輝くように乗っていた。つまり、「わたし、またやっちゃうかも」ってことなんだよな……。

 ボクは、カノハちゃんの腕をつかんでいた手にさらに力をこめて、


「それじゃあ、もう行くよ」


 と、引っ張った。カノハちゃんは子供のココロの声を広範囲で聞けるみたいだし、駅のまわりに子供はいくらでもいるだろう。ここにいたら、いつまた、なにかを欲しがる子供のココロの声を聞いて暴走するかわからない。

 だけど、少し歩いたところで、引っ張っていたカノハちゃんが動かなくなった。慌てて振り向くと、カノハちゃんは、少し離れた場所を歩く家族連れに手を振っていた。それに気づいた二人の小さな子供たちが、こちらに手を振り返す。両親らしき二人が笑ってそれを見ていた。


「家族でお出かけ、楽しそうですね~」


 カノハちゃんは自分自身も楽しそうに言った。


「……あの、カノハちゃん。ちょっと、急ごうよ」


 ボクが、タメ息まじりにそう言うと、


「あ、すみません」


 と、カノハちゃんは頭を下げたのだが……やはり、その言葉には「子供が手を振ってくれた~。嬉しい~♪」というココロが、謝罪するココロよりもかなり多めに乗っていた。ボクは、大きくタメ息をついた。


「とにかく、急ごう。早くバスに乗らないと……」


 そう言うと、カノハちゃんの様子が少し変わり、


「え、バスに乗るんですか?」


 と、言った。あ、話してなかったっけ。 


「大学へはここからバスに乗るんだ。だから、早くバスターミナルへ……」


 と、ボクが言い終わらないうちに、


「ごめんなさい!」


 カノハちゃんが突然、激しい勢いで頭を下げた。


「え?! どうしたの?」


 ボクが驚いて訊くと、


「わたし、おカネぜんぶ使っちゃって……バスのおカネないので、貸してください、お願いします」


 カノハちゃんがそう言うのを聞いて、さっきボクの部屋で「帰りの電車のキップ」を見せられたことを思い出した。その時は、「なんで、そんなもの買っておくの?」と思ったけど……なるほど、子供にいろいろと買ってあげて、帰りの電車賃まで使っちゃうからか。


「それなら大丈夫だよ。亀ケ岡さんからおカネを預かっているからさ」


 ボクがそう言うと、


「ああ、そうなんですね……」


 カノハちゃんは苦い顔をした。その言葉には、亀ケ岡さんに対して謝罪するココロが乗っていた。

 今日、カノハちゃんが持っていたおカネは亀ケ岡さんからもらったものだろう。それを使い果たしてしまうことを見越して、亀ケ岡さんはボクにさらにおカネを預けていた。そのことに気づき、自分を責めているのだ。さっきまでのキラキラと浮かれていたココロが沈んでいくのがわかった。なんだか可哀想だが、しようがないよな。

 亀ケ岡さんはボクに「カノハには現金を渡さないで」とか「おカネの使い方を教えてやって欲しい」と言っていた。つまり、こういう事なんだよな。今のカノハちゃんにいくらおカネを渡しても、子供になにかを買ってあげてスグに使い切ってしまうだろう。それじゃあ、この社会でやっていけるわけがない。

 バスターミナルまで歩き、大学へ行くバスを待つ列に並んでいると、カノハちゃんは言った。


「わたし、会長には本当にお世話になってばかりで……頑張って、恩返ししなきゃって思っています」


「恩返し」ねぇ。亀ケ岡さんがそんなことを望んでいるとは思えないのだけれど……まぁ、カノハちゃんが頑張ると言っているんだからな。


「そうだね、頑張らなくちゃね」


 ボクがそう言うと、カノハちゃんは少し元気を取り戻したようで、「わたしガンバリます」という決意の表情をつくった。それを見てボクは「カワイイな」と、なごんだのだけど……少しして、また、カノハちゃんの表情が消えた。「ああ、これはマズい」と、ボクは慌てて、カノハちゃんに手を伸ばそうとしたのだが……


「ごめんなさい!」


 間に合わなかった。カノハちゃんは、突然、頭を下げたのだ。ボクに――ではない。クルリと体の向きを反転させて、ボクたちの前に並んでいた見ず知らずの中年の男性に、いきなり深々と頭を下げた。


「……あの、わたし、もうおカネを持ってないので……タバコはあげられません。ごめんなさい」


 と、カノハちゃんは言った。いったいナニを言ってるの? 理解できない……けれど、とにかく止めなきゃ。


「ちょっと、ちょっと。ダメだよ、カノハちゃん!」


 カノハちゃんに頭を下げられた中年男性も、「なにを言っているんだ」と言いたそうな怪訝な顔をしていたのだが、しばらくすると少し表情がやわらぎ、口を開いた。


「ああ、大丈夫。ここでタバコを吸ったりしないよ。禁煙って、ちゃんとわかっているからさ」


 その言葉を聞いてボクは理解した。この男性は「タバコを吸いたい」と思っていたんだ。だけど、バス停は禁煙だから吸うことが出来ず、積み重なった「欲求」をカノハちゃんが読み取って「タバコを欲しがっている」と思い込み「あげられません」と言った、ということか……カノハちゃんは、子供だけじゃなく、大人のココロも読めるんだな……それが、強い「欲求」であれば。

 そう言えば、ボクが「亀ケ岡さんとチェルシーさんがどんな出会いをしたのかを知りたい」と強く願ったときも、「わたしも聞いてないので、教えられないです」と、カノハちゃんに謝られたんだっけ。

 しかし、どうしよう。まさか、「あなたのココロを読んだんです」なんて言えやしないし、言ったところで信じてもらえるわけもない。とにかく、謝らなきゃ。ボクは頭を下げているカノハちゃんの横に並んで頭を下げた。


「すみません、失礼なことを言って……」


 怒鳴りつけられるくらいは覚悟していたのだが、


「ああ、いいよ、いいよ。私からタバコのにおいがしたんだろう。娘からもよく言われるんだよ、タバコくさいとか、もう禁煙してよ、ってね……でも、なかなかヤメられなくて……。お嬢さん、安心してね、バスを降りるまでタバコは我慢するからサ」


 その男性は、そう言って、にっこりとカノハちゃんに笑いかけた。

 ああ、いいひとだなぁ。しかし、カノハちゃんは、


「いえ、あの……、わたしは……」


 ハッキリと言葉を返さない……なにか変なことを言い出しそうな気配を感じたボクは、カノハちゃんの前に立つと、


「ゴメンなさい。彼女シャイなので、ちゃんと謝れなくて……」


 と、頭を下げた。すると、男性は、


「ああ、嫌われちゃったか……私はやはりタバコくさいのかな……」


 男性はそう言うと、背中を向け、バスを待つ列を一歩前に進み、ボクたちから距離をあけた。

 ああ、本当にいいひとで助かった。と、ボクがほっとしていると、背後のカノハちゃんが言った。


「あるはくん、わたしは、あのひとにタバコを吸わせてあげたかったんです。すごく吸いたいって言っていたので」


 カノハちゃん、ボクもあのひとにタバコを吸わせてあげたい気はするよ。だけど……そうはいかないよな、やっぱり。


 それからすぐに、バスはやって来た。あとは、これに乗って大学キャンパス内の停留所で降りれば、部室は目の前だ。約束の11時にも間に合いそうだ。

 バスに乗り込む前に、ボクはカノハちゃんに言った。


「バスの中では、知らないひとに声をかけたりしないで、おとなしくしていてね」


 カノハちゃんは、亀ケ岡さんからもらったおカネを使い果たしてしまったことや、タバコを吸いたがっていた男の人とうまく話せなかったことが悲しいらしく、


「はい、わかりました……」


 と、沈んだ声で言った。その言葉には、かなり重めの反省するココロが乗っていた。それが伝わってきて、ボクまでせつなくなったけれど……仕方がないよな。反省して、社会のルールやおカネの使い方を学んでもらわないと、これから先、やっていけないだろうし。

 バスに乗り込み、ボクは二人掛けの席の通路側に座り、カノハちゃんを窓側に座らせた。車窓の風景の案内でもして、少しでもカノハちゃんを元気づけようと思っていると、ベビーカーを押した女性が乗って来て、通路をはさんだ隣の席に座った。ベビーカーは通路に置かれ、その中で赤ちゃんが眠っている。

 ボクは、このバスには毎日のように乗っているので、こういうのはよくあることだとわかっているし、もう慣れているんだけど……隣に「赤ちゃん」か、これはちょっとマズいんじゃないかな……今日はカンベンして欲しかった……。ボクがそう思っていると、


「すみません、邪魔でしたか?」


 ベビーカーを押してきた母親らしい女性がボクに言った。

 しまった、表情に出ちゃったか。ボクは慌てて、


「いえ、ぜんぜん。そんなことありませんよ」


 と言った。ボクが「カンベンして欲しい」と思ったのは、過剰なくらい子供が好きなカノハちゃんが一緒だからだ。で、カノハちゃんを見ると……思った通り、こぼれて落ちてしまいそうな笑顔で赤ちゃんを見ていた。あ~あ、ほんの数十秒前まであんなに落ち込んでいたのになぁ……。


「カノハちゃん、赤ちゃん寝ているんだから、起こすようなことしちゃダメだよ」


 ボクがそう言うと、


「はい、わかってますよぉ。だいじょうぶ、だいじょうぶです、だいじょうぶですからぁ~」


 とろんと、とろけそうな口調でカノハちゃんは答えた。その「だいじょうぶ」という言葉には、「赤ちゃんかわいい~」というココロしか乗っていなかった……いいよ、3回も言ってくれなくて。

 ボクには、全然だいじょうぶだと思えない。見ず知らずの子供を連れて勝手に電車に乗ってしまったり、子供に欲しがっているものを次々に買い与えて持ち金を使い果たすカノハちゃんだ。赤ちゃんになにかしやしないか心配で仕方ない。

 ボクは、緊張しながら、ベビーカーの中でスヤスヤと眠る赤ちゃんをニコニコと嬉しそうに見つめているカノハちゃんを見ていた。


 そして、いくつかのバス停を通り過ぎ、十数分の時が過ぎたのだけど……なにも起こらなかった。というより、なにも変わらなかった。赤ちゃんは相変わらずスヤスヤと眠り、カノハちゃんはニコニコとそれを見つめている。ボクはそれをずっと見ていたのだけど……あきた。というか、あきれた。だって、赤ちゃんはずっと眠ったままで、表情が変わるわけでもない。それをずっと見続けて、なにが楽しいんだろ? 母親だって、ときおりチラっと赤ちゃんに目をやるだけなのに。

 まあ、いいか。落ち込んでいたカノハちゃんは元気を取り戻したみたいだし、赤ちゃんを見ているだけで、変なことをする様子もない。

 ボクはカノハちゃんの監視をやめ、スマートフォンを取り出すと、着信履歴とメールとSNSを確認した。電話の着信はなかったが、友達からの連絡が何件か。そして、バイトの担当者から、在宅の仕事の進捗具合を確認するメールが入っていた。

「日曜日なんだから、ほっといて欲しいなぁ」と思ったが、メールには「休みの日に仕事させてゴメンね」と書かれていた。今日、ボクが部屋で仕事をしていると思っているんだな……。仕事はある程度は進めてあるし、確認などしてくれなくても、締め切りには間に合わせる。だけど、気を使ってメールをくれたんだよな。自分だって休日なのに。

 ボクはそのメールに返信をすることにして、バイトの仕事をどこまで進めたかを思い出していると……泣き声が響いた。隣の赤ちゃんが起きたのだ。さっきまで、あんなによく寝ていたのに……。チラリと見ると、母親が懸命にあやしている。でもまあ、これもよくあることで、慣れてはいる。他の乗客たちもみんな気にする様子を見せない。ボクもメールの作成を続けようと、スマホの画面に向き合ったが……やはり、気になる。隣で赤ちゃんが泣いているのだ。それでも、ボクは気にする様子をオモテに出さないように、顔を伏せてメールの文案を考えていると、


「大丈夫?」


 と、席の前の方から声がした。さっきのタバコを吸いたがっていた男の人がこちらを見ている。泣いている赤ちゃんと母親を気づかっているのだろう。本当に親切な人だなぁ。でも、こうゆうのは、他人がどうできるものでもないよな。そう思いながら、メールの作成を続けていると、男の人が席を立って、こちらに来た。そして、


「大丈夫なのかい?」


 と言った。赤ちゃんのお母さんに、ではない。カノハちゃんに、だ。ボクは慌ててカノハちゃんを見ると、真っ青な顔でブルブルと震え、頭を抱えていた……しまった、メールに夢中になって、今日はカノハちゃんが一緒なのをすっかり忘れていた。


「カノハちゃん、大丈夫?」


 ボクは慌てて、声を掛けた。それに続いて、


「……あの、大丈夫ですか? ごめんなさいね」


 と、泣きやまない赤ちゃんの母親が、赤ちゃんを抱いてあやしながら、申し訳なさそうに、ボクとカノハちゃんに頭を下げた。

 バスの乗客たちの視線が、ボクとカノハちゃんに集まった気がした。そして、


――赤ちゃんは泣くものでしょ? 少しぐらい我慢できないの?


 そう言われている気がして、ボクは慌てて言い訳をした。


「いえ、あの、彼女はバスに乗り慣れていないので、酔っちゃったみたいです」


 そして、バスの降車ボタンを押した。ここから大学まではもう少しだ。残りは歩くことにしよう。

 次のバス停で、ボクはカノハちゃん背中に手を添えながらバスを降りた。

目的地である大学を眼の前にして、バスを降りてしまった二人。深く落ち込んでいるようすの亜麻月カノハを、二木あるはは必死に元気づけようとするのだが……。心が折れそうな二人は、七廻八瀬のもとにたどり着くことができるのか?

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