カッパが人間に恋したらダメなんですか?
日曜日の朝、カッパになれないカッパの少女・亜麻月カノハが二木あるはの部屋にやってきた。二人の間の緊張をほぐそうと、なにげない会話をはじめたつもりの二木あるはだったが、予想外の事実を知ることになる。
ボク、二木あるはは、友達になった亜麻月カノハがボクの部屋を訪ねて来るのを待っていた。
カノハちゃんと会えるのは嬉しい。だけど、いろいろと考えておかないといけない。なにせ、ボクはカノハちゃんのことをなにも知らない。知っているのは、人間の女の子の姿をしているが、実は「カッパだ」ということと、今は「カッパになれない」ということくらいだ。
友達になったんだから、少しずつ話をしていろいろと知っていけばいいとは思うのだけど、カッパについての話はできるだけしないつもりだ。もちろん、カッパ大好きなボクはその話がいちばんしたい。実は「カッパだ」というカノハちゃんに、カッパについていろいろと訊いてみたいのだけど、「カッパになれない」という女の子に、カッパの話をするのはやはりマズいだろう。この前、カノハちゃんに「カッパになってみてよ」なんて、無神経なことを言ってしまった反省もあるし。
だがしかし、それじゃあ、いったいなにを話せばいいのだろう?
自分で決めたこととはいえ、実は「カッパだ」というの女の子と、カッパに関する話はナシで会話をしろって、かなり無理がある気がするんだけど……。
と、思っていると、ドアのチャイムが鳴った。来たな。ボクは立ち上がり、ドアを開くと、笑顔をつくり、
「いらっしゃい」
と、精一杯に明るい声でそう言った。玄関の前にはカノハちゃんが、入学式の小学一年生くらいに緊張した様子で立っていた。
「おはようございます、あるはくん」
そう言って、ぺこりと頭を下げた。
え?「あるはくん」って? いきなりそう呼ばれて戸惑ったが、亀ケ岡さんがボクのことをそう呼んでいたのをマネしているのだと気がついた。
「本日はお招きいただき、ありがとうございます」
カノハちゃんがそう言うのを聞いて、ボクは、「『お招き』した覚えはないけどね」と、心の中で苦笑した。しかし「あるはくん」と呼んでくれるなら、もう少しうちとけて欲しいなあ。
ボクはカノハちゃんを部屋に招き入れ、この前と同じイスに座ってもらった……のだけど、なんというか、この前と同じように、影が薄い。この場になじんでいる感じがしない。ボクに会うのも、ここに来るのも、二度目なんだから、少しは慣れて欲しいのだけど……、いや、あせっちゃダメだな。とりあえず、飲み物でも出そうと、カノハちゃんに声をかけた。
「カノハちゃん、サイダー飲む?」
カッパ探究者であるボクには、カッパであるカノハちゃんはただの水のほうがいいんだろうとわかっている。だけど、ボクがサイダーを飲みたかったのだ。ひとりだけサイダーを飲むというも寂しいので、軽い気持ちで訊いてみたのだが、
「わたし、サイダーって飲んだことないので……」
と、カノハちゃんは言った。
え、そんなことあるの? とは思ったけど、カノハちゃんはカッパだからな……と納得し、同時に好奇心が湧いた。「はじめてのサイダー」って、どんな感じだろ?
「じゃあさ、ちょっとだけ飲んでみようよ」
ボクがそう言うと、
「…………はい、飲んでみます」
かなり間をあけて、カノハちゃんが答えた。なんだか「勇気を振り絞って」という感じだ。たかだがサイダーくらいでそんな大げさな、と思いつつ、ボクはふたつのコップにサイダーを注ぎ、ひとつをカノハちゃんの前に置き、
「はい、どうぞ。なにごとも挑戦だよね」
と言った自分の言葉に「なにを大げさな」と心の中でツッコミを入れた。
カノハちゃんは覚悟を決めたらしく、速い動きでコップをつかむと中のサイダーをひとくち飲み込んだ。と――
「くしゅん!!」
クシャミをした。
ボクは、「え、なんで? クシャミなの」と思いつつ、恥ずかしそうに手で顔を隠すカノハちゃんを「カワイイな」と思ったのだが……
「くしゅん! くしゅん! くちゅん!」
カノハちゃんは立て続けにくしゃみをし、
「いやだ……」
と言った。その言葉を聞いたボクの中に、カノハちゃんのココロが飛び込んできた。
カノハちゃんは炭酸に喉と鼻腔を刺激されるという今までに体験したことのない感覚にとまどい、くしゃみを止められなかった自分に羞恥を超えて嫌悪を感じている。その気持ちがそのままボクのココロに届いた。
これは……「言霊」なのかな?
ボクは慌ててカノハちゃんのコップのサイダーを流しに捨て、かわりに冷蔵庫からペットボトルの水を取り出して注ぐと、ティッシュペーパーと一緒にカノハちゃんの目の前に置き、
「ごめんねカノハちゃん、サイダーはダメだったみたいだね」
と言った。カノハちゃんはコップを手に取ると、自分を落ち着かせるように、ゆっくりと水を飲み、少し間をおいて息を整えると、鼻をティッシュペーパーでおさえながら、
「もう、だいじょうぶ……です」
と言った。それを聞いたボクのココロの中に、落ち着きを取り戻したカノハちゃんのココロが直接にしみ込んでくる。
――やはり、これ、カノハちゃんのチカラだ。
ボクは、ティッシュで鼻を抑えている涙目のカノハちゃんの姿を「カワイイ」と思って見ている自分をサイテーだと感じながら、そう思った。
この前の夜、ボクはカノハちゃんの「だいじょうぶです」という言葉を聞き、カノハちゃんが夜中に一人で帰るのを止めなかった。それを「言葉に縛られた」と感じたが、ちょっと違うのかもしれない。ボクは、カノハちゃんの言葉に乗せられていた「自分はだいじょうぶなのだ」というココロを受け取り、それがボクのココロを動かし、カノハちゃんを信じて、ひとりで帰らせたのだ。
さっきのカノハちゃんの「もう、だいじょうぶです」という言葉にも、不快感や自己嫌悪が消え、落ち着いたカノハちゃんのココロが乗っていた。だから、ボクは安心できた。
「河童のお告げ」の伝承で、村びとたちが河童の言葉に従って村を捨てて逃げ出したのは、「川が氾濫するぞ」という河童の言葉に、それを予測し確信していた河童のココロが乗っていたからだろう。
ボクはカノハちゃんのチカラを、言葉で人を操る「言霊」だと思っていたが、どうやら「言葉にココロを乗せて、聞いた相手のココロを動かす」ということらしい。
……しかし、それじゃあ、カノハちゃんはこの前の夜、なんで「自分はだいじょうぶだ」と思ったんだろう? 夜中に女の子がひとりで帰ることを危険だと思わなかったのか? 世間知らずだから? いや、ボクはあのとき、カノハちゃんに確認したが、それでも「だいじょうぶだ」と言った。その根拠はなんだったんだろう?
ボクは、すっかり落ち着いてコクコクと水を飲んでいるカノハちゃんに訊いてみることにした。
「ねえ、カノハちゃん、この前の夜はちゃんと帰れたの?」
「あ、はい、だいじょうぶでしたよ」
即答したカノハちゃんの言葉には、それを事実だと告げるココロが乗っていた。だけど……
「帰りのキップはちゃんと買ってありましたので」
カノハちゃんはそう言葉を続け、ポケットからネコが描かれたガマグチを取り出すと、パチンとあけてキップを一枚取り出し、ボクに見せた。
「ほら。今日も、帰りのキップはちゃんと買ってあるので、だいじょうぶです」
それは、このアパートの最寄りの駅からのキップだった。……だけど、それが、なんなの? 別にキップなんてあとで帰るときに買えばいいじゃないか。ボクはわけがわからず、訊き直した。
「いや、この前、帰ったときは夜中だったし、怖くなかったの? 誰かに襲われたりしなかったかなって……」
「いえ、わたしは、そういうのはだいじょうぶなので」
カノハちゃんは、あっさりとそう答え、
「わたし、カッパなので」
と、得意げに言った。
言ってる意味がまったくわからない。亀ケ岡さんも同じようなこと言ってたけど、カッパだからって、なんで「だいじょうぶ」なの? もしかして、誰かに襲われたらカッパに変身しておどかすとか? たしかに、それなら相手は逃げ出すかもしれないけれど……カノハちゃんは「カッパになれない」んだよね?
と、そこまで考えて、「訊いちゃいけない」部分に踏み込みそうな自分に気がついた。これ以上はやめておこう。ボクは疑問を呑み込んで、話題を変えることにした。
「ねえ、カノハちゃんってさ、どこに住んでいるの?」
友達をはじめるなら、やはりこういう無難な質問からだよな、と思いながら訊くと、
「わたし、会長と住んでいるんですよ」
そうカノハちゃんは答えた。会長? ああ、亀ケ岡さんのことだっけ。……いや、待って。それは大丈夫なの? カッパの倫理観は人間と違うのかもしれないけれど、亀ケ岡さんは人間として会社の社長をしてるって言ってたし、若い女の子と同居はちょっとマズいのでは?
「亀ケ岡さんと……二人で住んでいるの?」
心配になって、そう訊くと、
「いえ、会長は奥さんがいるので」
と、カノハちゃんは答えた。それを聞いてボクは納得し、少し驚いた。亀ケ岡さんって、結婚しているのか。そんなふうには見えなかったけどなあ。つまり、亀ケ岡さんと奥さんカッパの夫婦がカノハちゃんの面倒を見ているってわけか。ボクがそう考えていると、
「奥さんはね、とっても素敵なひとなんですよ。いろんな話を聞かせてくれて……」
カノハちゃんは嬉しそうに言った。奥さんのことが好きなんだろうな。積極的に話をしてくれるようになった。これはありがたい。
「どんな話を聞かせてくれるの?」
と、ボクがうながすと、
「この前は、子供の頃に海に泳ぎに行った話をしてくれたんです。わたし、海で泳いだことないので……いつか海で泳いでみたいなぁ、って思っちゃいましたね」
カノハちゃんは楽しげに言った。
ボクは、「へえ」と軽いあいづちを入れて……困惑した。
いつか海で泳いでみたい――か。でもね、カノハちゃん、それは無理だ。カッパは「清涼な淡水」でしか泳げない。海水で泳ぐことはできないんだよ……。カノハちゃんはそのことを知らないのだろうか? 亀ケ岡さんの奥さんは、なんでわざわざそんな話を……
――いや、待て。いま、奥さんが「子供の頃に海に泳ぎに行った」って言ってたよな。それって、つまり……
「……亀ケ岡さんの奥さんって、カッパじゃないの?」
ボクは思わず「カッパの話はしない」という誓いを破り、カノハちゃんにそう訊いてしまった。すると――
「ああ、はい、そうなんですよ~」
カノハちゃんは笑顔でそう答えた。
カッパが人間と結婚……しようとする「おはなし」はよくある。男のカッパが人間の娘に恋をしてしまい、美しい青年に化けて求愛するのだが、カッパだとバレて、たっぷりと懲らしめられ、追い払われて、めでたしめでたし――というのが、よくあるパターン。
でもねぇ……カッパ愛好者のボクは思っていたんだ。カッパが人間に恋をしたからってナニが悪いんだ。懲らしめたり、追い払ったり、そこまでしなくてもいいじゃないかと。
だけど、ちゃんとうまくいって、結婚までたどり着くパターンもあるんだな。よかったですね、亀ケ岡さん。そう思っていると……
「……でも、チェルシーさんはカッパじゃないけど、本当に素敵な奥さんなんですよ」
と、カノハちゃんがあわててそう言い足した。
ああ、大丈夫だよカノハちゃん。ボクはカッパが人間と結婚することを祝福しているよ……あれ、でも、「チェルシーさん」って?
「亀ケ岡さんの奥さん、『チェルシー』っていうの?」
ボクがそう確認すると、
「ええ、チェルシーさんですよ」
カノハちゃんがそう答えたので、
「……もしかしてだけど、日本のひとじゃないとか?」
ボクがさらにそう訊くと、
「え~と、海の近くのメルボルンってところで生まれたって、言ってました」
メルボルン……って、たしか「豪」?! なんで、オーストラリア生まれのひとが日本でカッパと結婚したの? ……いや、祝福はしているんだけどさぁ。
そのあと、カノハちゃんは、子供の頃のチェルシーさんがメルボルンの海で家族と一緒に泳いだ――という話をはじめた。チェルシーさんから聞いたのであろう話を楽しそうに語ったのだ。だけど、ボクの頭にはまったく入ってこない。だって、カッパの亀ケ岡さんとオーストラリア人のチェルシーさんがどうやって出会い、結ばれたのか? そちらのほうが、どうしても気になる。ボクは、カノハちゃんの話に適当にあいづちを打ちながら、「亀ケ岡さんとチェルシーさんの出会いのことを知りたい」そう強く思っていると、
「……あの、あるはくん、ごめんなさい」
と、カノハちゃんが、突然、話を中断して言った。
「え、なに? どうかしたの?」
ボクは軽くあいづちを打っていただけなので、謝られるようなことはなにも言ってないと思うのだが……
「チェルシーさんと会長がどうやって知り合ったのか、わたしも知らないんです。チェルシーさんが話してくれないので……」
カノハちゃんがそう言うと、「チェルシーさんが話してくれない」ことへの悲しみが、言葉に乗ってボクのココロに押し寄せてきた。ああ、これはキツイな。カノハちゃん、チェルシーさんのことが本当に好きなんだな。
……でもあれ? なんでボクが亀ケ岡さんとチェルシーさんの出会いのことを知りたがっているのがわかったんだろう?
「あのさ、チェルシーさんは、カノハちゃんのこと大事にしてくれてるんでしょ? 亀ケ岡さんと出会った時のことを話してくれないのは、なにか理由があるんだよ。わかってあげなくちゃ」
ボクは押し寄せてくるカノハちゃんの悲しみを押し返そうと、苦しまぎれにそう言った。実際のところ、ボクはチェルシーさんに会ったこともないし、話してくれない理由があるかどうかなんてわかるはずもないんだけれど。
「……はい、そうですね」
しかし、カノハちゃんはそう言い、悲しみは引いていった。ボクはほっとした。だましたようで悪いのだけれど、ボクのココロにカノハちゃんの悲しみが直接押し寄せてくるのは結構しんどかった。
それから、少しの間、ボクはカノハちゃんの話を聞いていた。チェルシーさんの子供の頃の話を。今度は、ウソいつわりなく熱心に耳を傾けていたのだけれど、やはり、ほとんど頭に入ってこない。そもそも、ボクはチェルシーさんのことをまったく知らないし、彼女の故郷だというメルボルンについてもそんなに知識がない。どんな人かも知らない女性が遠い異国の地で少女時代を過ごした――という話を、知識量も説明能力も十分にあるとはいえないカノハちゃんが話すのだから、理解するのはむずかしかった。言葉足らずの説明に疑問を返すこともできず、ボクは笑顔でうなずき続け、カノハちゃんの話が終わったとき、頭の中にはなにも残らなかった。
でもまあ、収穫はあった。作り笑顔で話を聞き続けたおかげで、カノハちゃんのボクに対する緊張はかなりゆるんだようだ。それに、カノハちゃんはチェルシーさんとは良好な関係だとわかった。つまり、女性ならカノハちゃんと友達になりやすいんじゃないかな? 亀ケ岡さんが、カノハちゃんの友達候補にボクじゃなくって女性を選んでくれればよかったんじゃないのか……という気もしたけれど、ボクくらいカッパ愛に満ちあふれた人間が女性にいるわけないしな……と、交流のあるカッパマニアの女の子たちに優越感を持つと同時に「ゴメン」と頭を下げたのだけど……彼女たちにカノハちゃんの友達になってもらう……というわけにはいかないよなぁ。だって、基本「カッパの話はNG」なんだから。カノハちゃんがカッパということを隠して友達になってもらったところで、「カッパの話はナシね」なんて言えるわけがない。猫の群れにカツオ節を投げ込んでおあずけさせるようなものだ。
と、なると……ボクの女性の知り合いはもう大学にしかいない。高校時代の女性の友達とはこちらに来てから交流がないし、バイトはリモートワークで、たまに職場に出かけて男性の社員さんと打ち合わせするくらいだし。いや、いいんだよ、大学にも女性の友人は多いし、カノハちゃんを紹介して、どんどん友達になってもらえばいい。
でもなぁ……、その前には大きな壁がある。カノハちゃんをボクの所属するサークルの部長・七廻八瀬に紹介しなければならない……いや、本当は、カノハちゃんと友達になったことを、七廻部長に報告しなきゃならないんだ。友達ができたら報告する――そう約束しているから。馬鹿げている、と思われるかもしれないけれど、こちらに出てきたばかりでなにもわからなかったボクに「人間関係は大切だが慎重に」とアドバイスしてくれたのは部長だし、プライベートな相談にも乗ってもらっている。カノハちゃんのことだけ黙っているわけにはいかない。それは最初から分かっていたことなんだけど……
「カノハちゃん……ごめんね」
ボクは、「チェルシーさんとメルボルン」の長い話を終えて満足げにコップの水を飲んでいるカノハちゃんに声をかけた。
「え、なんですか?」
カノハちゃんはそう言って、不思議そうにボクを見た。
「……いや、ちょっと電話するからさ、待っててね」
「あ、ハイ、わかりました」
快活にそう答えるカノハちゃんを見て、ちょっと心が痛んだ。
……いや、でも、七廻部長はきっとカノハちゃんのためにいろいろ役に立ってくれる。ボクにそうしてくれたように。そう思いながら、部長に電話をかけた。20回くらいコール音を鳴らして、ようやく応答があった。
「おお、二木か。なんか用か?」
「部長、今日、時間ありますか? 会ってお願いしたいことが……」
「ああ、いいよ。ちょうど退屈してたとこだし」
退屈してたのなら、長々とコールさせないで、さっさと電話に出てくださいよ、と思ったが、もちろん口には出せない。まあ、いつものことだしな、と考えていたら……
「じゃあ、11時に部室な」
七廻部長は間を置かずにそう言った。しまった、速攻で決められた。できれば、ウチに来て欲しかったんだけどな……。でも、もうどうしようもない。部長が一度決めたことを変えられるわけがない。
「それでですね、お願いというのは……」
そう言って、ボクが話を続けようとすると、
「ああ、いいよ。どうせ会うんだから、その時に聞く」
すぐに話を打ち切られた。
「……はい、そうですね」
まあ、これもいつものことだ。ボクがいろいろとあきらめていると、
「それで? 二木、おまえの方からお願いしてきたんだ。なにか貢ぎ物はあるんだろうな?」
七廻部長はボクのことを試すような口調でそう言った。
「……部長、悪い冗談はやめてください」
ボクがそう答えると、スマホの向こうで、「チッ」と大きな舌打ちの音がした。そして、
「じゃあ、11時な。遅れるなよ」
それだけ、投げ捨てるように言うと、通話は一方的に切られた。
あーあ、もう、本当に。いつもこれだ。少しはこちらの話とか都合とか聞いて欲しいんだけど……11時に部室だって? あんまり余裕がない。すぐにでもここを出なきゃ、と考えていると、
「あの、あるはくん……『悪い冗談』って、なんですか?」
ボクと部長の通話を眼の前で聞いていたカノハちゃんが、そう尋ねてきた。ボクはその質問は無視して、
「あのさ、カノハちゃんに紹介したい人がいるんだ。とっても頼りになる人だから、カノハちゃんのためにいろいろしてくれると思うんだよね」
そう言うと、
「あ、はい、ありがとうございます」
と、カノハちゃんは頭を下げた。
部長を紹介した後でもカノハちゃんは「ありがとう」って言ってくれるのかな……。でも、ウソは言っていない。部長は必ずカノハちゃんのためになってくれる。
「それで……、今から二人でその人に会いに行こうと思うんだ。ボクの通っている大学まで行くんだけど……カノハちゃんって、人の多いところは苦手なんだよね?」
ボクがそう言うと、カノハちゃんはきょとんとした顔で、
「いえ、そんなことないですよ。人がいっぱいいる所はステキなので」
と、楽しそうに言った。
あれ? 亀ケ岡さんは、カノハちゃんのこと「ひとの多いところでは一人にできない」って、言ってたけれどな。人混みが苦手、ってワケじゃないのか。……まあ、それならよかったけど。
「それじゃあ、スグに出かけたいんだけど、いいかな?」
ボクが訊くと、
「はい、だいじょうぶですよ」
カノハちゃんはそう答えた。その言葉には「だいじょうぶ」というココロが乗っていてボクの中に直接しみ込んできた。そして、ボクの中に「だいじょう」というココロが満ちていった……んだけど、ボクはそれがカノハちゃんのチカラによるものだと知ってしまった。だから、「だいじょぶ」というココロのなかに不安が湧き出してくるのを抑えられない――「本当に、だいじょうぶなのかなぁ?」
でも、部長と約束をした以上、出かけないわけにはいかない。だから、カノハちゃんを信じよう。
「じゃあ、行こう。カノハちゃん」
ボクはイスから立ち上がり、そう声をかけた。
自身が所属するサークルの部長・七廻八瀬に紹介するため、二木あるはは、カッパになれないカッパの少女・亜麻月かのはを自分の大学へ連れて行くことになった。しかし、通いなれたはずのその道で、亜麻月カノハの常識はずれの一面を知り、その「能力」に振り回されることに……。果たして二人は七廻八瀬のもとにたどり着くことができるのか?