とにかく「拾う」人なので
カッパの少女・亜麻月カノハをボランティアサークルの一員に迎え入れた部長の七廻八瀬は、サークルの活動について説明をすることになったのだが、いつの間にか、話題は亜麻月カノハの服装のことへと移り、亜麻月カノハとともに七廻八瀬の言葉に振り回される二木あるは。果たして、話をうまくおさめることができるのか?
「ボランティアサークルにようこそ。私がこのサークルの責任者、部長の七廻八瀬です。当サークルはあなたを歓迎しますよ」
ボクが所属するボランティアサークルの部長・七廻八瀬は、周囲の空気をきらめかせるような美しい笑顔でそう言った。それは、初めてここを訪れた人にいつも部長がかける言葉だ。やさしく、凛とした声と、圧倒的な美しい姿に迎えられた訪問者たちは、みんな一様に魅入られ、動きを止める。
少女の姿をしたカッパ・亜麻月カノハも例外ではなかった。正面に座っている七廻八瀬の姿に大きく目を開き、その表情は固まっている。
……しかし、数瞬後、固まっていた表情が動き出すと、カノハちゃんは首をかしげて、クチを開いた。
「……あの、七廻さん、それはなんなのでしょうか?」
そりゃあ、まあ、そうなるよなぁ。ボク・二木あるはは、カノハちゃんの不思議そうな顔を見ながらそう思った。
部長のその言葉は、訪ねて来た者にまず最初にかける「歓迎のあいさつ」だ。カノハちゃんがここに来てから、もうすでにかなりの時間が経ち、それなりに言葉も交わしている。なんで今さらそんなことを言うのか、理解できなくて当たり前だ。
「ああ、これはね、これからボランティアサークルの話をするから、しっかり聞いてね、ってことよ」
少し表情を引き締めて部長はそう言った。
いやあ、やっぱり「歓迎のあいさつ」は、しっかりといちばん最初にしてもらわないと……部長がいきなりカノハちゃんに抱きついたりするから、いろいろとおかしなことになってるんですけどねぇ。
「それに、私、自己紹介がまだだったでしょ? ちゃんとしておかなきゃなって思ってね」
部長は続けてそう言った。いや、なにを今さら。と思っていたら……
「あ、そうなのですね。わかりました。わたしも自己紹介してなかったです」
カノハちゃんはそう言うと、
「亜麻月カノハです。よろしくお願いします」
イスに座ったままペコリと頭を下げた。……いや、カノハちゃんも今さらだよ。
「はい、ありがとう、亜麻月さん。とってもステキですよ」
部長がそう言って微笑みかけると、カノハちゃんも照れくさそうに笑った。
……ああ、もう。なんかいろいろとおかしいけど、カノハちゃんと部長がそれでいいのなら、もういいか。
「それでね、亜麻月さん。私たちは、ボランティアサークルなんて言っても、そんなにすごいことをやっているわけじゃないのよ。ときどきみんなで集まって『おそうじ』をしているだけでね」
部長がそう言うと、
「『おそうじ』……ですか?」
カノハちゃんが聞き返した。
「そう『おそうじ』よ。まあ、清掃活動って言っているけど。公園なんかに集まって、みんなでゴミを拾ってね……。私ね、ゴミを拾うのが好きなのよ」
部長はそう言った。いつもの通りに――
初めてここを訪れた人に、部長は必ず言う「私はゴミを拾うのが好き」と。当然、誰もそんなことは信じない。でも、それは本当のことだ。ボクは、部長がとにかくやたらと物を拾いたがる人だということを、よ~く知っている。
部長の両親もそんな人たちなのだという。二人とも考古学者で、考古学者というのは、とにかく拾う人たちなのだと。幼い頃、親子三人で遊びや買い物に出かけたときも、父母がやたらと物を拾うのを見ていて、それをマネしていたら「ゴミを拾うのが好き」になったのだと、部長は懐かしそうに言う。
そして、遺跡発掘調査のために親子三人で海外へと渡り、両親の遺跡発掘を手伝わせてもらうようになると、部長はますますゴミを拾うのが好きになったのだという。そして、それがやがて、考古学上の大発見につながった……らしいのだけれど、考古学の知識がないボクには、よく理解できない。
ボクは一度、
「遺跡に落ちてるものと、街の中に落ちているものは、ぜんぜん違うでしょ?」
と、訊いたことがある。当然の疑問でしょ? すると、
「同じだよ。街の中に落ちているゴミも、遺跡に落ちてる遺物も、人が生きたあとの残りカスだからさ」
部長はそう言って楽しそうに笑った。「残りカス」? ……やっぱり、理解できない。
そして、日本に帰ってきてから部長は、遺跡ではなく、いろいろな場所でゴミを拾うようになり、大学に入ると、遺跡発掘……じゃなくて、清掃活動をするボランティアサークルを立ち上げた……ということなのだけど、ボクが大学に入る前の話なので、詳しいことはよく知らない。とは言っても、今、ボクの目の前で、カノハちゃんに話をしている部長が、なにか隠し事をしているワケでもない。部長は本当にゴミを拾うのが好きで、ボランティアサークルを立ち上げた。それはウソではない。部長の近くにいて、本人から何度もこの話を聞いているボクにはわかる……でも、理解はできない。
「だからね、私が好きではじめた清掃活動で、私が好きなことをするために作ったボランティアサークルなの。そして、ボランティアサークルでは、いろんな人に参加してもらって清掃活動をするイベントをやっているの」
ボランティアサークルでは、うちの大学内だけでなく他の大学や高校からも参加者を募って清掃活動をするイベントを行っている。そして、参加希望者たちは、部長の七廻八瀬からイベントについての説明とボランティアサークルの活動について話を聞くため、ここを訪ねて来る。
――というのは、もちろんタテマエ。実際は、すごく綺麗だとウワサの七廻八瀬に会いやって来るのだけど。
そして、部長の方もイベントやボランティア活動についてあまり熱心に話をしたがらない。本当は、ボランティアサークルの活動方針とか、ボランティアの意義とかについても話すことになっているんだけど、適当なところで話を切り上げてしまい、訪ねてきた大学生や高校生がどんな毎日を送っているのか、どんなことを考えているのか、そんな話を聞きたがる。もちろん、それで訪問者たちが文句を言ったりはしない。そもそも、みんな部長に会うのが目的なのだから。それに、その後のイベントに参加してくれる人はそれなり多いので、問題はない……ハズなんだけど、いろんなところから数多くのご批判をいただくことになる。なにせ、部長は敵が多い。
だから、カノハちゃんを学外協力者にしたからには、なるべく早めにカノハちゃんをイベントに参加させて、部長が強引なことをしたことが、バレないようにしたいのだけど……
「私ね、亜麻月さんに、ボランティアサークルのイベントに参加して欲しいの。だけど、強制はできないわよね。私が好きではじめた清掃活動だし……なにより、亜麻月さんの気持ちを大切にしたいの。だから、自分の素直な気持ちで決めてくださいね」
部長はそう言うと、カノハちゃんを見て静かに笑った。
「イベントに参加しなさい」と言えばいいのに、とボクは思う。
部長は本当にカノハちゃんにイベントに参加して欲しいと思っているはずだし、学外協力者にした一番の理由は、カノハちゃんに会いに来て欲しいからだろう。そういうワガママならば、押し通してしまえばいい。その方が、部長らしいのに。だけど、部長はこの件に関してだけは強引なことはしない。
「イベントへの参加は絶対に強制しない」それが、部長のポリシーなんだ。
――でも、まあ、しかしね、大丈夫だろう。カノハちゃんは、部長の問いについて考えている。ボクはカノハちゃんのことをまだ少ししか知らないけど、どんな返事をするのかはだいたい想像がつく。カノハちゃんは、時おり強い主張をすることはあるけど、基本的にとても従順な子だと思う。部長のことも好きになったみたいだし、「イベントに参加して欲しい」と言われれば、拒否するはずもない。
「わかりました。わたし、やります」
カノハちゃんは、そう言った。やっぱり想像の通りだ。まあ、よかったなと、ひと安心していたら……
「わたし、七廻さんと、あるはくんと、いっしょにゴミを拾いたいです!」
と、カノハちゃんにしては大きな声で言葉を続けた。……いや、ボクはゴミを拾いたいわけじゃないんだけどなぁ……まあ、いいけど。
部長はニコリと笑い、落ち着いた表情で、ゆっくりとイスから立ち上がると、
「ありがとう、亜麻月さん」
と言った。そして、そのまま歩いてテーブルを回り込むと、座っているカノハちゃんに抱きつき、
「カノハちゃん、ステキよ。私、とっても嬉しいわ」
そう言った。カノハちゃんは、部長の腕の中で、くすぐったいような顔をしていた。
ボクはその光景をぼんやりと見ていた。まあ、よかったけど……まさか、二人がこんなに仲良くなるとは思わなかったなぁ。これでボクは、カノハちゃんをここに連れて来ないわけにはいかなくなった。そうしないと、部長が納得してくれないだろうし、なにより、カノハちゃんのためにはそれがいいのは間違いない。
でもなぁ……ボクはカノハちゃんのことをまだまだわかっていない。カノハちゃんがなにをやらかすかわからないし、ボクにそれをなんとかできるとも思えないのだけど……
「お~い、二木」
ボーッっとしていると、部長から声をかけられた。
「……あ、はい、なんでしょう?」
慌てて答えると、
「私さ、カノハちゃんをみんなに紹介したい。近いうちに、いつもイベントに来てくれるメンバーを集めて、少人数でイベントしようよ。今回は、女性限定でね」
とても楽しそうに部長が言った。
「ああ、それはいいですね。わかりました」
それは本当にありがたい。そもそも、カノハちゃんに女性の友達を作って欲しくて部長に相談したんだし。やはり、部長はいつも前向きだな。ボクも、考え込んでばかりいないで、やれることをやらなきゃな。
「それじゃあ、常連の女性メンバーにメールを回しておきますね。場所と日時は、メールの返信を見て検討することにしましょう」
「うん、お願いね」
部長はそう言うと、カノハちゃんに向き直り、
「それじゃあ、カノハちゃんも準備をしなくちゃね」
と言った。
「はい、がんばりますので」
カノハちゃんは、部長の顔をしっかりと見て、言葉を返したのだが……
「……カノハちゃんって、お化粧は全然していないわよね? イベントの時はちゃんとお化粧をしてきてね」
部長はカノハちゃんの顔をマジマジと見ながらそう言った。
「えっ? あの、『ゴミを拾う』のですよね?」
カノハちゃんが驚いた様子で問い返すと、
「ええ、そうよ。ゴミを拾って、キレイにするの。キレイにする人が、自分をキレイにしていないのはおかしいでしょ?」
部長にそう言われ、カノハちゃんは「よくわからない」という顔になった。少しして、あせった様子で、
「あの、でも、わたし、お化粧ってしたことがないので……」
と言った。そりゃあ、カノハちゃんはカッパだものな。今の姿も、飾り気のない純朴な少女というカンジだし。しかし、部長はカノハちゃんをじっと見つめ、
「カノハちゃんは今でもとてもキレイよ。カノハちゃんのことを見て幸せな気持ちなる人はたくさんいると思うの。だけどね、だからこそ、カノハちゃんがもっとキレイになれば、世の中に幸せな気持ちがもっと増えるのよ。それって、とっても素敵なことだと思わない?」
と言って微笑んだ。カノハちゃんはまた「よくわからない」という顔になり、言葉を返せないでいると、
「とにかくさ、一度、お化粧をしてみましょうよ。お化粧って人によって向き不向きがあるし、自分で毎日するものだから、私が全部教えるってわけにもいかないけれど、相談には乗るからさ」
部長はそう言うと、ボクに向かって、
「二木だって、カノハちゃんがもっとキレイになったら嬉しいよね?」
と訊いたので、ボクは、
「ええ、はい、もちろんですよ」
と即答した。カノハちゃんは「よくわからない」という顔のままでボクを見た。
「それじゃあ、カノハちゃん、次に会う時には、お化粧をしてきてね。楽しみにしてるわよ」
部長が微笑みながらそう言うと、
「……はい」
カノハちゃんは、小さな声でそう答えると、困った顔をした。仕方ないよ、カノハちゃん。なにごとも経験だからさ。と、思っていたら……
「それでさ、二木。おまえ、カノハちゃんの服をほめてあげたの?」
部長がボクに訊いてきた。うわ、今度はボクが責められるのか……
「いえ、ほめていません。ボクはそういうの、よくわからないので……」
仕方なく、正直に答えた。実際の話、ボクは、カノハちゃんの服装については「地味」という印象しかないのだけれど……あれ? いや待てよ。外に出ていっしょに歩いてからは、カノハちゃんを「元気」で「可愛い」と思ったけど、あの服装と合ってたような気がするな……まあ、それどころじゃなかったのだけど。
「なんだよぉ~、わからないとかじゃないだろ? カノハちゃんはオマエのために着飾っているんだよ。素直に、キレイだとか、カワイイとか言えばいいじゃないか」
部長は、ボクを責めるというより、なんだかすごく浮かれた口調でそう言った。そして、カノハちゃんをボクの目の前に立たせて、
「カノハちゃんのこのコーディネート、すっごくいいじゃないか。全体にアースカラーでまとめた抑え気味の色彩が、逆にカノハちゃんのビビッドな印象を引き立てている。ジェンダーレスで統一したと見せて、少しマニッシュな要素を入れているのが、カノハちゃんの中性的な魅力に合っているよね?」
と、カノハちゃんの服装の解説をはじめた。いえいえ、ボクにはカノハちゃんの服装のことも、部長が言っていることもよくわかりませんよ――ボクは言葉を返せなかったが、部長は気にする様子もない。すると、
「この服はですねぇ、チェルシーさんが選んでくれたのですよ~」
カノハちゃんが嬉しそうに言った。
「へえ、そうなのね……だけど、チェルシーさんって誰?」
部長がカノハちゃんに訊き返したので、ボクは慌ててクチをはさんだ。
「チェルシーさんは、カノハちゃんと一緒に暮らしている亀ヶ岡さんの奥さんで、オーストラリア出身の方だそうです」
すると、カノハちゃんが、
「メルボルンですよ~」
と、ワクワクした様子で、さらにクチをはさんできた。マズい。カノハちゃんにチェルシーさんの話をさせると長くなる。あのよくわからない長い話をもう一度聞かされるのはカンベンして欲しい。しかし――
「え? 亀ケ岡さんの奥さんでオーストラリアの人だって? ……二木、おまえ、さっき、亀ヶ岡さんはカッパだって……」
部長は、少し驚いた様子でそこまで言って、慌てて言葉を吞み込んだ。
うん、部長の言いたいことは、よくわかりますよ。「なんで、カッパの奥さんがオーストラリア人なんだよ」って訊きたいんですよね? だけど、やっぱりカッパの話はしたくないのですね。しかし、まあ、ボクとしても助かりますよ。この話は今日聞いたばかりで詳しいことは知らないので。
部長は少しだけ言葉を止めて、すぐに話題をカノハちゃんの服に戻した。
「うん、なるほど。カノハちゃんと一緒に暮らしているオーストラリア生まれのチェルシーさんのコーディネートなのね。それで、大自然との調和がテーマのオーストラリアのファッションスタイルなのか。一緒に暮らしているチェルシーさんがこんなに元気で素敵なコーディネートをしてくれるんだもの、カノハちゃんって、いつもはすごく活発なのでしょうね」
部長がそう言うと、カノハちゃんは照れくさそうに笑った。
そりゃあねぇ、しっかりと手を握っていないとすぐに走り出しちゃうカノハちゃんだもの、「活発」なのでしょうけど……チェルシーさんは大変なんだろうなぁと、会ったことのないオーストラリア人女性に同情していると、
「私、カノハちゃんに服を買ってあげたい!」
部長が興奮気味にそう言った。
ああ、きたきた。いつものやつだ。部長は、やってきた女の子の服装を気に入ると、ちょくちょく「服を買ってあげたい」と言い出す。どうやらその服装に対抗心が湧くらしい……
「カノハちゃんの今のコーデもすっごく素敵なんだけど、カノハちゃんの可愛さをもっと素直に活かして、フェミニンで組むのもありだと思うのよね~」
部長は浮かれた調子で話を続けているけど……こりない人だなぁ。部長は今まで何度も「いっしょに服を買いに行きましょうよ」と、女の子を誘っている。だけど、応じてくれた子はひとりもいない。そりゃあそうだろう。その日に会ったばかりで、威圧感の固まりで、非常識なくらいに美しい女性と、いっしょに街に買い物に行く勇気のある女の子なんているはずがない。
……と、ボクは今まで思っていたのだけど、カノハちゃんはいろいろとボクの想像を超えているからなぁ、もしかしたら?
「あの……七廻さん、この服はチェルシーさんが選んで買ってくれたものですから、そういうのは困りますので」
しかし、カノハちゃんはそう言って、割と普通に断った。まあ、やっぱりそうだよねぇ。
「うん、わかるわよ、カノハちゃん。あなたの今の服装から、チェルシーさんがあなたのことを大切に思っているのが伝わってくるもの。だけどさ、そんなチェルシーさんをびっくりさせたくない? 『わたしは、こんな服も似合うんだぞ』って、新しい服を着て見せて、驚かせたくない? もっと可愛くなったカノハちゃんを見たら、チェルシーさんはきっと喜んでくれるわよ」
部長にそう言われると、カノハちゃんは考え込んでしまった。仕方ないな。ボクはクチ出しをすることにした。
「部長、カノハちゃんに服を買ってあげるなんてダメですからね」
「え~、なんでだよ~。いいじゃないか~」
「ダメです。部長が買ってあげたい服って安い物じゃないでしょ? 大学内で初めて出会った女の子にいきなりそんな物を買い与えたりしたら、問題になるに決まっているじゃないですか」
「そんなの……黙ってりゃバレやしないよ。おまえだって、黙っててくれるよね、二木?」
部長はそう言うと、その碧い瞳でボクを見つめた。ボクは慌てて眼をそらす。ホントにもう、この人は……
「ダメですって……じゃあ、こうしてください。ボクは亀ヶ岡さんからおカネを預かっているので、それで服を買ってください」
ボクがそう言うと、部長は意外そうな顔になり、カノハちゃんは驚いた顔でボクを見た。
「いや、私はカノハちゃんに服をプレゼントしたいんだけど……」
部長がそう言ったのに重なって、カノハちゃんがボクに言った。
「あの、あるはくん、それは……困ります」
うん、わかるよカノハちゃん。亀ヶ岡さんのおカネを、あまり自分のために使って欲しくないんだよね。でもね、
「カノハちゃん、亀ヶ岡さんはね、『カノハちゃんのために』って、ボクにおカネを預けたんだよ。その気持ちは素直に受け取ってあげないと。チェルシーさんだって、絶対に喜んでくれるよ」
ボクがそう言うと、カノハちゃんは少し考えてから、おずおずと、
「そうですね、わかりました」
と言い、それから、
「七廻さん、わたしの服を選んでください。お願いします」
部長に頭を下げた。部長はチラリとボクを見てから、
「まかせておきなさい」
と、笑顔でカノハちゃんに言った。
それから、ボクら三人は大学の食堂に移動した。「お昼を食べてから買い物に行きましょう」と、とても楽しそうに部長が言ったので。そもそも部長は、ボクと昼食を食べるつもりで、部室に呼び出したのだと思う。うちの大学の食堂は休日でも営業しているが、平日よりは人が少ない。ボクと部長は、休日の静かなこの食堂で昼食をとりながら、サークルのことを話し合うことがよくある。
カノハちゃんと三人になった今日は、二人掛けの長イスが向かい合わせに置かれているテーブルについた。カノハちゃんを自分の隣に座らせようとする部長を、なんとか振り切ってボクの隣に座らせた。部長の隣に座ったら食事中でも抱きつかれる。カノハちゃんにはゆっくり食事をさせてあげたい。
そして、はじめていっしょに食事をするカノハちゃんに、
「なにか食べたいものとかある?」
と訊くと、
「なんでも、おいしいですよ~」
とニッコリ笑って答えた。ああ、とっても可愛い。なるほど「好き嫌いはない」ということだな、と納得して、ボクと同じメニューを食べてもらうことにしたのだけど、食事をとるカノハちゃんはもっと可愛いかった。うれしそうで、楽しそうで、幸せそうで、「おいしい」というカノハちゃんの気持ちが伝わってくるみたいで。ときどき、ボクや部長を見て、ニコリと笑う。こちらも笑顔になり、食事の席にとても安らいだ空気があふれた。
そして、食事の途中、カノハちゃんはコップに入った水をひとくち飲むと、
「このお水、とっても美味しいですね~」
瞳をキラキラ輝かせてそう言った。すると、部長が、
「そうでしょ? この食堂の水は地下から汲み上げているんだけど、大学ができる前、このあたりは名水が湧く土地として有名だったのよ」
と言った。へえ、それは知らなかった。つまり、カノハちゃんがすごく入りたがっていたあの池と同じ水源ってことか。
それから、カノハちゃんは再びコップに口をつけ、ゆっくりと水を飲んだ。部長は少し驚いた顔になって、それを見つめていた。コップが空になり、テーブルに静かに置かれると、ボクはすぐにカノハちゃんに声をかけた。
「カノハちゃん、水のおかわり欲しいでしょ? 持って来てあげるよ」
しかし、カノハちゃんは、
「あ、わたし、自分でもらってきますので」
そう言うと、空になったコップを持ち、いそいそと嬉しそうに給水機のあるコーナーへと歩いていった。部長はその姿を眼で追いながら、
「カノハちゃんって本当に可愛いわねぇ。あんなに美味しそうに水を飲む子、はじめて見たわ」
感心した様子でそう言った。
「そりゃあ、カノハちゃんはカッパですからね」
ボクがそう言葉を返すと、部長は呆れた顔になり、
「おまえ、まだ、それ言うのかよ?」
と言った。
「だって、本当のことですから」
ボクがそう言うと、少し沈黙があり、
「……おまえ、さっきカノハちゃんに、私と服を買いに行くように言ったのは、私のためだよね?」
部長が言った。ああ、お見通しか。まあそうだろうな。
「だって、部長は前からずっと、女の子と服を買いに行きたがってたじゃないですか。カノハちゃんはいっしょに行ってくれそうだったし……カノハちゃんのためにもなると思いましたから」
ボクは部長の視線を避けてそう言うと、料理をクチに運んだ。
「気を使ってもらって、こんなこと言うのもなんだけどさ……私はね、心配なんだよ。おまえは、誰とでも友達になりたがる。誰にでもとても気を使う。それは、いいことだよ。でもさ、そういうの苦しくはないのか?」
部長の言葉にボクは答えず、ただ黙って食事を進めた。すると、
「なあ、二木、私には話してくれないのか?」
部長が訊いた。
「なにをですか?」
意味のよくわからない問いかけに、ボクはつい訊き返してしまう。
「カノハちゃんって、本当に素敵な子だ。可愛くて、とても芯の強い子だと思う。だけど、どこか影があるよね? なにか問題を抱えているんじゃないのか? それを私には話してくれないのか?」
その部長の言葉を聞いて、ボクは食事を止めて顔を伏せた。まいったな、そんなこともお見通しか。確かに、カノハちゃんは問題を抱えている。それは「カッパになれない」ということだ。カノハちゃんは「自分の意思で人間の姿のままでいるんだ」と言った。それは本当だろう。だけど「カッパに戻りたい」とも思っている。カッパになれないことが、カノハちゃんの心に影を落としている。そのことに、ボクも亀ヶ岡さんも気がついているのだけど……
「部長の言う通り、カノハちゃんはある問題を抱えています……」
ボクは顔を伏せたままで言った。部長の顔は見られない。今の部長はボクがいちばん苦手な眼をしている。見なくてもわかる。……それは、とてもやさしい眼だ。
「亀ヶ岡さんから、その問題については聞いています。でも、カノハちゃんはその件について触れて欲しくないみたいで……亀ヶ岡さんから『そのことは気にせずに友達になって欲しい』と言われたんです。実際、ボクにどうにかできる話じゃないので……もう触れないつもりでいます」
ボクがそう説明をすると、
「そっか……わかった。じゃあ、私ももう訊かない」
微笑んでいるのがわかる口調で部長が言った。
「……すみません、部長」
「なんだよ、なにを謝っているんだ? 謝ることなんかなにもないだろ? カノハちゃんは本当に素敵な子だ。紹介してくれてとても感謝しているよ。私ももうカノハちゃんとは友達だからね。できるだけのことはするさ」
ボクが顔を伏せたまま、なにも言えないでいると、足音が近づいてくるのが聞こえた。カノハちゃんが戻ってきたみたいだ。
「え? あれ? あの……カノハちゃん」
部長の驚いた声がして、ボクは慌てて顔を上げた。カノハちゃんはすでにテーブルのすぐ近くまで来ていたのだが……その手にコップを「三個」持っていた。丸いコップを三個、三角に並べて、両手にはさんで持ち、恐る恐るでもなく普通に歩いてくる。なぜそれでコップが落ちないのか理解できないのだけど、さらに、コップには水がなみなみと入っていて、表面張力というヤツでコップの上面を越えてあふれている。だけど、なぜか水はこぼれない。
ボクと部長があぜんとしてカノハちゃんを見ていると、
「みなさんも、お水、飲みますよね? 飲みますよね?」
カノハちゃんはそう言って、ボクと部長の前に、今にも水がこぼれそうでこぼれないコップを一個ずつ置いた。そして、ボクの隣の席に戻ると、もらってきたばかりのコップの水を嬉しそうに飲み始めた。その姿を、ボクも部長もあぜんとしたままで見ていたのだけど……カノハちゃんが水を飲み終え、空のコップを満足そうにテーブルに置くと、部長は突然イスから立ち上がり、
「ほんとにもお、カノハちゃん可愛いんだから~」
そう言って、ボクとカノハちゃんが座っている二人掛けイスの方にやってきて、ものすごい勢いでカノハちゃんに飛びついた。イスの反対側に座っていたボクは、その勢いでイスから落ちそうになったのだけど、なんとか踏みとどまった。
亜麻月カノハと七廻八瀬。華やかな二人と服を買いに出かけることになった二木あるは。しかし、フツウじゃない二人との買い物に、心が華やぐはずもなく、不安ばかりが積み重なっていく・・・果たして、難易度超高めのこのプロジェクトをクリアすることはできるのか?