【バベルの国】
生き場所がないから、死に場所を探した。
行き場がないから、逝き場所を求めた。
居場所がないから、誰とも繋がれなかった。
誰とも繋がれなかったから、何者にも紡げなかった。
駄目だった。
失敗だった。
生きたくても。
死にたくなくても。
逝きたくなくたって。
逝くしかない。
死に場所へ、往く。
カーテンコールのないエンドロール。
それが、僕の人生。
もっとちゃんとした人間に。
もっとちゃんとした大人に。
なりたくってなれなかった。
なろうとして、その結果が、この成れの果て。
生き地獄を生きてきたけれど。死に場所を探しに往くんだ。
これからは。
人間失敗。
人生完敗。
僕は、大人になれない人間未満。
この国には、僕が生まれる前から、言語が溢れていた。
僕には、どの言葉が元々この国の言葉だったのか、判別がつかない。
ただ…………ただ、僕は、こんなにも多種多様な言葉の中から弾かれた。
この国には、こんなにも言葉が犇めくのに。
必要とされなかったんだ。どの言葉からも。
言葉だらけの、この国で。僕は、いらないって。
どんなに言葉を覚えても。
僕は、それを自分の口から言葉に出来ず。
僕は、それを筆にして言葉にも出来ず。
駄目で。
駄目で。
駄目。
僕は、駄目だった。僕は、失敗した。
誰かとの繋がり方が分からず。紡がれもせず。
息苦しくて。生き苦しくって。
心臓が空回りしてるみたいで。
僕は、どこにも行けない。
僕は、どこへも居られない。
────この国が、こんなにも言葉で一杯になってしまったのは、この国が、貧しくなろうとしていたから。
なんで貧しくなりそうだったのか。それは、この国の子供が少なくなっていったから。
出生率ってやつ。
それが、ガンガン下がって。
ぐんぐん落ちた。
物価は高くなり。
税は上がり。所得は低くなり。
この国は、このままじゃ、高齢者ばかりになると。そんな風に、危ぶまれていた。
そんな折。この国は、他国からこぞって食い物にされた。
地に落ちた蝶や蛾がそうである様に。蟻の群れに食い千切られ解体されて。
散々、散り散りに細々とした粉々の粉微塵にされて。
利益を巣穴に運ばれて。
意見の食い違いも互い違いに食い千切られ。
話が違うって。これで、助かる筈だって。
これで、自分達の暮らしは、豊かになる筈だって話だったのに。
この国は、移民を受け入れ。
移民をこの国の税で食わせてやり。
……そりゃま、国内の人口は保たれるわな。
それで、宗教が呑まれ、文化が食われ、政治が塗り潰され。ブレーキを踏むには、遅すぎたんだ。
きっと。
移民がどんどん入り込み。
この国には、他国の言葉が飛び交う様になり。看板やポスターもやがて、この国のものではなくなっていった。
土地は切り取られ、文化は横取りされて。この国の、この国の物だった物は、どんどん失われていった。
移民の数が増えていく程に。あの国も、あっちの国までも。
この国を食い物にした。
やがて。
この国の周囲の海に人工島が増えていった。この国になかった産業が次々に生まれたから。
元々の国土が狭かったのだ。それだけ、多国籍の産業の受け皿にするには。
豊か。豊かに。
豊かになった。豊かには、なったさ。
バブルが弾けたってやつらしい。それも、かなり大規模に。
けど。だけれどね。
豊かになった利益はどこへいった?
幸せの行き先は?
誰が笑ってる?
僕は、ネオンが彩る夜空を見上げた。
「…………」
僕は、こんなに沢山の人間が居る国から、必要とされなかった。
だから、途方に暮れている。愛されなかった。
誰からも。この国が、今の状況になった流れを教えてくれた祖父。
あの人は、果たして、僕の本当の祖父だったのだろうか。もう顔も声も思い出せないあの人は。
僕を愛してくれていたのか。僕には、愛が分からない。
愛された実感が、今までなかったものだから。だから、愛の向け方が分からない。
愛し方が分からない。
必要とされたかったけど。
愛されたかったけれど。
僕は、この国での生き方が。
僕は、この社会での振る舞いが。
出来なくて。
馴染めなくて。
一緒になれず。
笑えなくて。息が詰まって。
歩き方も分からず。
壁にぶつかり。
柱にぶつかり。
人にぶつかり。
弾かれた。
もう、いいよって。
いらないからって。
何度も否定された。
何度も排斥された。
何度も違うって。
何度も叩かれた。
何度も殴られた。
何度も失敗した。
何度も駄目だった。
何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も……────
あの日も。あの時だって。
あの人だって。
あの言葉で。
僕は間違っていると。
正しくないのだと。
おかしいと。
異常なのだと。
不愉快にさせた。
傷付いた。傷付いたよ。
傷付けられた。
僕は。
………………。
僕。
…………僕は、僕の正しさを云えなかった。
だから、この傷も癒えなかった。
ずっと。
………………。
なんで。
なんでだよ。
なんで俺がっ!
……なんで俺なんだ。
なんでうまく出来ないのが、俺なんだよ。
たくさんある言葉の中で、そのどれもが僕を否定する。肯定してはくれない。
認めない。愛してくれなかった。
この世の言葉は全て、僕を否定してきたものばかり。
こんなに人間が他にも一杯いるのに。その中で…………僕だけが異物で、歪で。
僕だけが。駄目で。
失敗ばかりで。何もうまく出来なくて。
遠くへ。どこか、遠いところへ。
行こう。そうしよう。
そこで、死のう。
だって。
こんなに人が多いと。誰も僕と目を合わせてくれない。
こんなに言葉が多いと。何を聞けばいいのか、何を読めばいいのか分からないじゃないか。
人で溢れ。物で溢れ。
仕事で溢れ。言葉で溢れ。
欲望が溢れていく。
でも。
そんな場所でも。僕に居場所はないのだ。
邪魔だった。僕は、この国の邪魔者だったんだ。
流れてきた移民の血族だからといって、この国と社会に適応出来ているかは、また、別問題なわけで。いや、そもそも血や生まれがどうのこうのって、移民同士で血が混ざり合って、もう、この国の純血なんて見なくなったくらいだ。
僕が駄目な理由は、血や生まれが理由じゃない。僕の、もっと本質的で根本的な部分が原因なのだろう。どちらにせよ、僕はお荷物でしかない事に、変わりはないのだしね。
僕の持っている、どんな言葉も、誰かを傷付け、苛つかせてしまうし、この国のあらゆる言葉が、僕を刻み付けた。
だから、邪魔にならないところで。目障りにならない場所で。
終わろう。終わりにしよう。
そこで。
灰になろう。
願わくは。
植物の様に、穏やかに朽ち果ててしまいたものである。
「…………ねえ」
……どれだけ歩いたかな。
雑踏も、喧騒も消えて。たまに見掛ける看板や標識も、かすれて読めないものばかり。
引き潮のうちに、あの島まで行けたらな。駄目なら溺れ死ぬ。
どうせ、死に場所探しの短い旅だ。
「ねぇ、無視しないでよ」
予定外な事に、見知らぬ女の子がついてきちゃっているけれど。
「なんだよ、もう。煩わしいな。
僕にかまわないで。ほっといてくれよ。
そっとしといてくれよ。他人と関わるなんて、ぞっとしちまうだろ」
「おお、なんだ喋れるんじゃん。なんでずっと人が話し掛けてんのに、ずっと無視してたの?」
無視すんだろ。なんか、血で汚れた金属バットを引き摺ってる女の子が話し掛けてきたら。
こえーじゃんよ。ホラー映画の殺人鬼かよ。
「ねえ、君は1人でずっと歩いてるよね。街から出て、本土から離れてもまだ」
ぐいぐい来るな。こいつ。
「どこまで行くの?」
うるさいなあ。僕は無言で、遠くに見える島を指差す。
「とりあえず、あそこまで」
「ふうん」
さらさら。さらさら、と。
女の子が引き摺る金属バットが砂を鳴らす。
「治安悪そう」
女の子の云う通り。
あの、打ち捨てられた人工島は、表向きは無人島だ。作りかけのところで、企業が倒産した。
そして、流れ者が行き着く島となった。……らしい。
何せ、行くのは初めて。作りかけだった人工島は、不法に居座り始めた流れ者達による、違法建築の群れが生えている。
あれは、もう、一個の国の様なもの。
「何しに行くの?」
「死にに行くんだよ」
「へええ」
からから。からから、と。
彼女は笑う。嗤ってる。
何がおかしい。何が。
「何で死ぬの?」
「生きていられないから」
「死にたい?」
「分からない……でも、生きるのは、辛いし、難しいから」
歩きながら。僕と彼女は、お喋りをした。
ネオンの光も届かなくなった、夜空の下で。
例えば、この国の事。
例えば、僕の事。
例えば、彼女の事を。
「私ね、逃げてきたんだ。飼い主を殺してきて」
彼女は、ここ数年、見なくなった数少ない、この国の人間らしい。観賞用に買われた人間。
衣食住を与えられ、教養をも与えられ。その対価は、首輪付きの人生だ。
ある日、ブチ切れた彼女は、飼い主を殴り殺して、首輪を引き千切った。お陰で、追われる身になったそうな。
そりゃそうだ。飼い犬に手を噛まれる飼い主は居ても、食い殺される飼い主はなかなか居ないだろうから。
事件になっただろうね。僕には、関係のない話だけれど。
「殺してあげよっか?」
たぶん、善意で云ってそう。
「やだよ」
死にたいからって、殺されたいわけじゃないんだよ。
勘違いしないでよね。
「どうやって死ぬつもり?」
「さあね。分かんないよ、そんなの」
何も。
特に何も決めてないしさ。どんな風に、自分を終わらせるのかなんて。
「あそこじゃなきゃ駄目なの?」
「別に、そんなわけでもないよ」
とりあえず、あそこを目指してるだけ。死に場所は決まってないんだ。
「じゃあ」
並んで歩く彼女の歩調が弾む。
「あそこまで。とりあえずは、あそこまで」
彼女が、人工島の国を指差す。
「一緒に行こうよ」
『そして、気に入った場所があったら、そこで死のう』…………と、そんな提案をされた。1人旅が、2人旅に。
予期せぬ同行者。予定外だよ。
今更。今更、こんな。
誰とも。誰とも繋げなかったこの手が。
今になって。……どうしてくれるんだよ。
決心が、鈍りそうだ。
「…………」
僕は、差し出された手を握る。
生まれて初めての握手。
今までは、悪手ばかりだったから。
緊張したよ。
この旅が、どこまで、いつまで続くのかは分からないけど。それこそ、あの国で無法者に襲われ命を落とすかも知れなければ、彼女の追っ手に殺されるのが、僕達の旅の終わりになるのかも知れない。
だけど。まあ。
今は。
「じゃあ、行こうか」
生きようか。いつか来る、終わりまで。
「あっ、そうだ。自己紹介がまだだったよね。
私、ナナシノ=メイ」
「……………………僕は、アーサー=キング」
「そんなかっけぇ名前だったん!?」
「うるさいな」
「あはは。ごめんごめんって。
そんな怒んないでよ、アーサー。よろしくね、これから」
「………………よろしく、ナナシノ」
「メイって、呼んでもいいんだよ?」
「……いつか、気が向いたら、ね」
「! そうだねっ。よろしく」