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最終話 消えた自殺者とその顛末

 佐野が消えてしまった。

 どれほど待っても、窓の外を落ちていくものは、何もなかった。


 何かが落ちたと思って窓にかけよれば、雪が落ちていくだけだった。


 そのまま雪が降り続ける中、俺は何度も窓を開けては外を見た。

 佐野は落ちてこない。

 駐車場に下りていっても、佐野はいない。

 俺はパニックになって、美沢さんに電話をした。


「町田くん、落ち着いて!

 佐野くんが消えたって言っても、いつも気がつけばまた来てたじゃない」

「手紙があったんだ……。

 俺は書いていない。こんなもの」

「手紙……?」


 何年も前に書いて、丸めて捨てたはずの便箋が、飲みかけのペットボトルの下に置いてあった。

 しわくちゃの便箋に俺の字で書かれた一文。その下に、俺の知らない筆跡。


 これは高村先生にお礼状を書こうとした時の便箋。

 何も返さなくていいと、高村先生の手紙に書かれていたのに、何も先生に返せない自分を、ダメだと思った。


 死んでしまいたい。


 だから、思わずふざけたふりをしながら、書いてしまった。


『拝啓 飛び降り自殺の季節となりましたが如何お過ごしでしょうか』


 その後すぐ佐野が現れて、見られたくなくてぐしゃぐしゃに丸めて捨てた。

 佐野が代わりに自殺してくれたから。

 もう要らないと思った。


 その捨てたはずの便箋に、一言。


『じゃあな』


 文字ともいえない頼りない線。

 でもそれは、はっきりと俺に別れを告げていた。


 泣きじゃくる俺を美沢さんは電話越しに慰めながら、最後には一緒になって泣いてくれた。





 それから。


 俺は卒論発表会を済ませた後、本格的に体調を崩しそうになった。

 佐野の不在が、じわじわと俺を不調にさせた。


 それに気づいた美沢さんが、同棲を提案した。


「一緒に暮らそう。お互いの勤務先の真ん中あたりなら、通勤圏内だから」

「……でも」

「一応、考えてたんだよ!でも佐野くんは引越し先には、連いてこられないんじゃないかなって思ってたから、言わなかった」


 俺のところに泊まりにくるたびに、佐野と会えるのを楽しみにしていた美沢さんは、別れを覚悟していた。

 俺よりも早く。


「町田くんがメンタル弱いのは、知ってるから。

 私も、似たようなもんだし……」

「美沢さん」

「だから、佐野くんがいなくなったら、私が町田くんを支えるし、町田くんには私を支えて欲しい」

「美沢さん……」

「もお〜泣かないでよお。私も泣きたくなっちゃうから!」


 美沢さんと泣いて抱き合いながら、俺は佐野のいた部屋を離れて、美沢さんと暮らすことを決めた。




 そして月日は流れて、美沢さんと初めて会った冬が近づいてきた頃。



 俺と美沢さんの子どもが産まれた。



 妊娠が分かったのは、同棲を始めて最初のゴールデンウィーク。

 薬局で買ってきた妊娠検査薬の結果を信じられない思いで見て、産婦人科でやっぱり本当なんだと驚いて。

 病院の帰り道、美沢さんに結婚を申し込んだ。


 そこからは怒涛の展開だった。


 出産予定日よりも前に、婚姻届を提出するために両親たちへの挨拶を済ませた。

 それから社会人三年目の美沢さんの産休の届けを会社に提出。

 俺は新入社員の中で、一番早く子持ちになることが噂で広がり、先輩社員に顔と名前を覚えられてしまった。


 そして合間を見ては、生まれてくる子どものために、必要なものを二人で買い揃えに出かける日々。


 元気に生まれておいで。

 待ってるよ。

 そう思いを込めて。


 柄にもなく、神社やお寺を見かけると必ず安産祈願のお参りをした。



 そして、あっという間に出産予定日近くになり、破水しておろおろする美沢さんの手を握って、一緒に病院へ駆け込んだ翌日の夜。


 男の子が産まれた。


 出産立会いを希望していたのに、一時間で美沢さんに邪魔だと追い出された。待合スペースでうろうろしているうちに、美沢さんが頑張って子どもを産んでくれていた。


 疲れた顔の妻に、俺は泣きながら「ありがとう」と「すごいね」を繰り返し言うことしかできなかった。


 そんな感動的な時間も、ある意味赤ん坊の衝撃によって、吹き飛ばされてしまった。


 産湯に浸かった後、タオルで拭われてきれいになった我が子を見て思ったのは、美沢さんも俺も同じことだった。


「……見事に天然パーマだな」

「……ね。くるんくるんだね」


 毛量が多いと思っていたけど、まさかの天然パーマだった。

 それは佐野と同じくらいに、見事なまでのくるんくるんの天然パーマだった。


 静かな個室の病室で、俺と美沢さんは顔を見合わせた。


「佐野が消えた時ってさ、美沢さんの所に泊まりながら、新採用の研修を受けて帰った時なんだよな」

「……お医者さんにだいたいの目安の日は聞いてたけど、妊娠したのって、その頃なんだよね」

「まさか、消えたと思ったら、美沢さんのお腹にいたなんて……」


 結婚してもまだ旧姓の美沢さん呼びをしてしまう。いつもならそこの訂正が入るのに、さすがに今はスルーされた。


「佐野くん、私たちのこと、大好きだったからね」

「だからって、こんな」


 生まれ変わってまでついてこなくても。

 悪態をついてやりたいのに、涙で声が出なくなった。


 何度も何度も飛び降り自殺を繰り返して、その度に笑って俺の前に姿を現す佐野に、死んでしまった後なのに、俺は幸せになって欲しいと思っていた。

 もう生きていないのなら、俺のそばにずっといればいい。

 そう思うくらいには、俺も佐野のことが大好きだった。


 まさかこんな近くに来てくれるなんて。


 ふやふやの生まれたての赤ん坊に涙が落ちないように、俺はしゃがみこんで泣き続けた。

 その声に触発されたのか、赤ん坊も一緒になって泣き始めた。

 美沢さんは「もう」と言いながら、何度も鼻をすすって、赤ん坊を抱き上げてあやし始めた。

 初めての家族行事は、文字通りみんなで泣くことになった。


 静かな個室に、三人分の涙があふれ続けた。




 感情が落ち着いた頃、泣き止んで眠り始めた我が子を見ながら、親として美沢さんと相談した。


「名前、決めていいかな?」

「何?」

「……たすく。佐野の佐の一字で、たすくって読めるんだ。

 それに俺はたくさん助けてもらったし」

「うん。いいと思うよ。まちだ、たすく、町田佐。うん。いいと思うよ」


 それから二人で、「たーくん」「たっくん」と呼びかけながら、寝顔を見守りつつ話をした。


「とりあえず、自殺ダメってことは、教え込もうか」

「そうだな。佐野の魂が残ってたらやばいから、徹底的に教育しよう」

「もう飛び降り自殺は充分やったもんねー。あとはおかーさんたちよりも、長く健やかに生きてね」


 ふんわりと笑う妻の顔が、とても美しく見えた。

 ああ、彼女は母親になったんだなと思った。

 俺は父親になれるのか怖くて仕方なかった。けれど、佐野の生まれ変わりなら、なんとかそれなりにいい父子関係を築けるんじゃないかと、根拠のない自信を持てるような気になった。


「あとね、生まれてきてくれて、ありがとうって、教え込もうね」

「教え込むんだ?」

「そう。自殺しちゃダメって言うのと同じくらいに、ううん、それ以上に言って体に教え込むの」

「……わかった。言い慣れるために、今から言っておく。

 生まれてきてくれて、ありがとう。たすく」


 くるんくるんパーマの我が子は眠ったまま、聞きなれない言葉を聞いたかのように、しわしわの顔をしかめた。 

 それを見て、俺たちは「佐野っぽい」と言って、笑ったのだった。



 あの頃、言えなかった言葉は、死ぬまで言うことはできないけれど、忘れないように、心の中で何度でも言うよ。


 生まれてきてくれて、ありがとう。佐野。

 おまえに会えて、よかった。







【悲報】天然パーマは、死んでもなおらなかった!(※個人差あり)

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― 新着の感想 ―
[良い点] 飛び降り自殺しようとする人の前に飛び降り自殺をする人が、という最初のシリアスな状況からは想像のつかない展開で、楽しく読ませていただきました。 自殺者の佐野さんのキャラクターは、生前とはきっ…
[良い点] 今度は愛される子供になれたのですね。 よかった。 [一言] 新着欄でタイトルが目に入った瞬間、これは絶対におもしろいに違いないと思っていました。 完結したら。 それから文字が頭に入るように…
[良い点]  シリアスな飛び降りシーンから始まり、飛び降りシーンをはさみつつコメディーを経て、ハートフルストーリーで終わる。面白かったです。
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