第三話 自殺者と死にたい人たちの蜜月
話を聞いてみると美沢さんは、俺と同じ大学の違う学部に通う先輩だった。
「バイト仲間が出産と逮捕と蒸発と強制送還でいなくなっちゃって。その後に募集かけたんだけど、やっぱり人が足りなくてシフトが何ヶ月も鬼だし。てゆーか、本当なら実験の時間をもっと取らなきゃいけないから、三年になったらバイト辞めなきゃいけなかったのに夏休みまでって言わなきゃよかった!
それに実家の猫が帰れない時に死んじゃったし、就職活動をみんな始めているのに私だけ何にもできてないし、このまま就職できないんじゃないかとか思いはじめたら止まらなくて……なんか、もう嫌だなぁと思ってさ」
雪の吹き込む通路にへたり込んだまま、動けなくなった美沢さんを(入念な説得と俺の学生証の提示により)部屋に避難させて聞いた話は、以上のようなことだった。
冷えた体を温めるため、インスタントカフェオレの入ったマグカップを美沢さんに渡して、俺は向かい合って座った。
佐野は当然な顔をして美沢さんの隣に座ると、嬉しそうに話に割り込んできた。
「えへへ〜。町田以外の人で、俺のこと見えるのって、美沢さんが初めて。
俺の初めて、美沢さんにあげるね!」
「それなら俺は佐野を見えないことにするから、すべての初めてを美沢さんに捧げてくれ」
「えー。でもぉ、やっぱり本当の初めては町田だからぁ〜」
きゃっきゃと非常にテンションを上げた佐野がうざい。
そんな佐野とのやり取りを美沢さんはカフェオレをすすりながら眺めている。乱れたままの髪が、しんなりと力が抜けたように肩に落ちる。
「……バイト行く前に仮眠しようと帰ってきたんだけど、なんか空が見たくなって。
そんで、空を見たら飛んで楽になれるかなぁって……」
「そういえば、屋上の鍵はどうやって開けたの?」
「あ、高校の時の趣味がピッキングだったから。ここは南京錠タイプでやれば出来ると前から思ってたんだ」
表情の変化なく、美沢さんが危険な趣味を暴露した。俺はひとりぼっちで鍵が友だちの女子高生を想像してしまい、心が痛んだ。
美沢さんはマグカップを両手で包み込むように持ったまま、ぼんやりと遠くを見るような視線で呟いた。
「でもねー。飛び降りようとしたら、横から出てきた佐野さんが、私の目の前で落ちていって。
とっさに死んじゃだめって思ったんだよね」
「もう死んでるけどね、俺」
「うん。ふふっ、私も思った」
美沢さんはマグカップの底を勢いよく天井に向けて、残りのカフェオレを飲み干すとバイトに行くと言った。
「でもさ〜、美沢ちゃん寝てないんでしょー?大丈夫なの?」
この短時間で佐野のなつき度合いが上がっている。ここまで人に懐ける奴が自殺するんだから世の中分からない。
「うん、でもバイト先の人たちもみんないい人たちなんだ。
無理なのに辞めていいよって言ってくれてる」
「それなら……俺、バイトしても、いいよ」
「え?!町田くん、バイトに入ってくれるの?!」
「え?!大学で一年半以上もぼっちの町田が、バイトできるの?!」
喜ぶ美沢さんとディスる佐野。
言い分としては佐野が正しい。
正しいけど、このままじゃいけないのも、間違いない。
いつもの俺なら絶対にバイトしようとは思わなかった。誰とも関わらずに、少ない仕送りだけで生活する陰陰滅々とした日陰生活を選び続けていただろう。
でも、さっき葉書を出しに赤いポストの前に立った時、少しの戸惑いと味わったことのない清々しさが入り混じった感覚が、俺に勇気を出させてくれた。
この感覚が消える前に、一歩踏み出してみたい。
ダメかもしれないけれど、大丈夫かもしれない。
「授業時間以外は空いてるけど、バイトを一度もしたことがない俺でも出来るかな?」
「大丈夫!教える!今から覚えれば冬休みには絶対大丈夫!」
「あ、冬休みには何日か帰省したいんだけど」
「わかった!私が冬休みまで働くから、町田くんは休んで!」
「……それは美沢さんが大丈夫じゃないんじゃない?」
美沢さんはきょとんとした顔になった後、爆笑した。
「確かにダメだね!うん、バイトの募集ちゃんとやってるか、聞いてみる!」
さっきまでは萎れた野菜みたいにくったりした顔の美沢さんが、花が咲くように笑ったので、俺はなんだか驚いて挙動不審になってしまった。
空いたマグカップを受け取ろうとして、美沢さんの手に触れてしまう。
「あ!ごめん、美沢さん!マグカップを取ろうとして、その!」
「あー、大丈夫大丈夫。町田さんの手、あったかいねー」
へにょっと笑った後、美沢さんは俺の手を握って、握手した形で上下にぶんぶんと振り続けた。
俺は初めて触った女の人の手が小さいのと柔らかいのとで、驚いて心臓がドキドキした。
「……おやおやぁ、町田ったら」
ニヤァっと笑う佐野の顔から血が消えていた。あ、こいつ消える寸前だ。
「なんだか町田さんとも佐野さんとも、会ったばかりなのに気が置けないのはなんでかなぁ。
長い付き合いになりそう」
「ちょ、美沢さん、分かったから、手を離して!」
「冷え性だから、温かいものを見つけたら触らずにはいられなくて」
うへうへと笑う美沢さんとそれに絡まれる俺を置いて、佐野はいつの間にか消えていた。
その後、美沢さんのバイト先に連れて行ってもらい、無事採用されることになった。
そして、また春になった。
桜が咲き始めた頃、正月に帰省した時に会った恩師の高村先生から、先生が農作業の手伝いをしている農園のフルーツトマトが送られてきた。
俺はそのお礼状を書いて、佐野に絡まれながら美沢さんへのお裾分けを持って、三階の部屋へ向かう。
偶然にも俺の真下の下の部屋だった。ただし、佐野が飛び降りた時はバイトで、美沢さんはあの騒ぎは直接見てはいなかった。
「……説明会行ったけど、何をどうすればいいかわかんないし。でもとりあえず面接を何社か受けてくる」
俺が切って皿に盛り付けたフルーツトマトを食べながら、美沢さんがグスグスと泣き言を並べる。
「うう……味が濃くて美味しい……」
「美沢ちゃん、美味しいもの食べて元気になってね……」
「ありがとう、佐野くん。佐野くんだけが頼りだよ」
「なんで持ってきた俺がカウントされてないんだよ」
血まみれの佐野は勝ち誇ったような顔をすると、美沢さんの肩に手をかけるようなポーズをとった。
「実体はないけど、美沢ちゃんの一番の味方だから!」
「本当に精神的な支えになっているみたいで、それはそれでなんかムカつくな。天パのくせに」
「あー!また天パだからってバカにした!差別だ差別だ!」
死んだ人間と生きている人間は差別しないといけないと思ったけど、そこは黙っておいた。
「今日はバイトあるけど、パン食べる?」
「レーズンとナッツの入ったハード系があれば食べたい。なければ、ベーコン入ったパンがいい」
「わかった」
美沢さんが鬼のようにバイトをしていた会社は、そもそもの企業形態の見直しをしたらしく、事業内容を縮小した。
その頃には俺もバイト先の人たちと仲良くなっていたので、一緒に異動をして今はショッピングモールのベーカリーコーナーでバイトをしている。
最初の頃にやっていた弁当工場の流れ作業と違って、一個一個が出来上がる過程が見えて、結構楽しかったりする。
「やっぱりあのままだと無理があったんだねー」
初めてバイト先のパンを買って帰った時、美沢さんがしみじみと言っていたのが忘れられない。
美沢さんのハードな生活も、俺のぼっちな生活も、あのままでは無理があった。
美沢さんはバイト先の話をしていたけれど、俺には妙に心に残った。
「佐野くんは何時までいられるのー?」
「んー、美沢ちゃんの気が済むまで一緒にいたいけど、町田が嫉妬するからさぁ。俺、幽霊で何もできないのにねぇ〜」
「幽霊でも……ちょっかい出していいわけないだろ」
冬から春に変わる間、佐野が飛び降りるたびに美沢さんが驚いて俺に電話をしてきて、だんだんとなんか、そういうことになった。(初めての彼女で、いまだに【俺の彼女】というパワーワードを口にできない)
窓を閉めて、カーテンも閉めてしまえば佐野が飛び降り自殺をする瞬間は見えないから、二人の時間を佐野に邪魔されることもない。
それでも日中はカーテンを開けて、佐野が飛び降り自殺をするのを見るようにしている。
美沢さんも俺も、なんだかんだ言いながら、佐野が飛び降り自殺をするのを待っているのだ。正しくは、佐野が姿を現すのを待っているのだが、飛び降り自殺をしないと出てこないので、結果的にそうなる。
そして、なぜか命日の日、珍しく真夜中になっても佐野の姿は消えなかった。
「なんでだろうねー?佐野くんの気合い?」
「それなら毎日ずっといるようにしたいどなぁ〜」
「やめろ天パ。邪魔だ」
しなだれかかってきた佐野の頭が俺の目の前で止まる。やめろ天パ。本当にやめてくれ。視界にくるんくるんが入ってて、笑いそうになるだろ。
「でもねー。俺、命日とか忘れていたし。
てゆーかぁ、死ぬ前のことは本当に屋上に出てから死ぬ直前までのことしか今はもう覚えてない。だから何日だとか思い返してなかったから、日付は忘れてるんだよね〜」
「人にあれだけの恐怖を与えた日を忘れるなよ。飛び降り自殺を目撃した後に部屋に出てくるって、かなり怖いぞ」
「だって目が合ったから〜」
まるで運命の出会いのようだったと言いながら頬を染める佐野に、死人のくせに血色よくするなと言ったら拗ねられた。
次話、9:00投稿予定です。ゆっくり眠ってください。