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第1章 依頼(5)

5.

-8月14日 17時35分

「ふぃーっ・・・あっついなあ・・・」

田村一郎太(たむらいちろうた)はうんざりしたように呟きながら、額の汗を

ハンカチで拭った。


JR線の田町駅。

その改札口を出た所に、田村の姿はあった。

-こりゃあ・・・今夜も蒸し暑くなりそうだな・・・。

周りをゆっくりと見回しながら、頭の中で呟いた。

時間的に駅の中は、仕事を終えたと思われるサラリーマンやOLの姿が

ちらほらと見えている。


「さて・・・と」

田村は携帯電話を取り出し、時間を確認した。

携帯のディスプレイには、17時35分と表示されている。

「予定の時間は18時だったな・・・」

携帯を操作して、スケジュール帳を表示させ今日の予定を確認する。

この後、18時からアラームを上げてきた依頼人と接触しなければならない。


 田村は今年、36歳になる。

職業はPPOのBPだ。

一応、部署のチーフを務めている。


PPOは、正式名称を『Private Police Oraganization』という。

直訳すると『民間の警察組織』という意味であり、その名の通りPPOと言うのは

歴とした警察である。

公務員の警察との大きな違いは、このPPOは『民営による警察』という事だ。

つまりPPOは警察『企業』であり、行う事は警察と同じでもそこに利益が発生する。


PPOという存在は、『民警法』が設立された事によって生まれた。

民警法は2001年1月に制定され、同年の4月より施行開始となった法律である。

正式名称は、『国民生活安全確保自主防犯法』

警察を民営化する事を可能とした、世界で唯一の法律だ。

 

 このようなトチ狂った法案が可決された理由は、一にも二にも警察の能力低下が

全てに他ならない。

90年代後半から内部での不祥事が続々と発覚するにつれ、警察の能力は

一気に低下した。


かつて世界一優秀と言われていた信用はとうに失われ、80%を記録していた

検挙率は今や20%を切ろうかという勢いだ。


警察官個人に目を向けても、犯罪を犯して『犯罪者』に変わる警察官が続出した。


周りを見回しても、明らかにお役所仕事専門という者ばかりで、かつてのような

『職人気質で犯罪捜査に執念を燃やす』というタイプの人種は殆どが消え失せるか、

いたとしても厄介事が大嫌いな『事なかれ主義』『臭い物に蓋をする』の上役に

煙たがられ冷や飯を食わされるのが大体だった。


警察の能力低下に反比例するかのように、日本で起こる犯罪は年々巧妙に

猟奇的に、大胆に変わっていき、これまでは欧米諸国などでしか聞いた事が

なかったような異常な犯罪が相次いで起こるようになった。


白昼の人通りが多い場所で人が殺害されるというような、これまでの日本では

あり得なかった事が、さして珍しい事では無くなる程に、この国の治安は

劣化してしまったのである。


この警察の能力低下は、さらにもう一つの問題を引き起こした。

上記にもあった、警察の職務放棄だ。

民間人が犯罪被害に遭い、警察に駆け込んでも警察官に助けてもらえない。

時には頼みである警察にすらひどい扱いを受け、孤立無援となり

更に悲惨な目に遭ったり、結局命を落としてしまう犯罪被害者が続出した。


だが治安悪化も警察の能力低下も、具体的な改善はされず

今も悪化の一途を辿っている。


先述したとおり、民警法は警察の民営化を謳った法律である。

しかし、これまで日本で行われてきた電話・鉄道のような民営化と異なっているのは、

組織そのものを国の管理下から外して民営にしてしまうのではなく、本来の警察は

現状のまま国が運営していくという点だろう。


つまり、この法律に則り警察を設立した場合、警視庁・警察庁とは

別個の扱いをされる事になる。


そのような点から見ると、この法律は完全な意味での『警察の民営化』を

謳っているとは言えない。


しかし、そもそも政府がこの法律を創ろうとした背景には、現在の治安低下の

原因の一つに、近年の人口増加に対して今の官公警察が抱える警察官の人数

では、人数的にどうしても全ての犯罪に対応しきれない。

という理由があり、それを改善する為に世の中の警察官を増加させようと、

毎年新規採用される警察官の人数枠を大幅に増やそうとしたことにあった。


が、警視庁及び警察庁はこの考えに対して、


現在、用意している人数枠からさらに増加させることは出来ない。

ごく少数ならば考える事も出来るが、大幅な増加となると状況的に不可能。


という、強い拒否反応を示した。


 この件に関しては何度も話し合いがもたれたが、両者が納得するような結果を

創る事が出来なかった。

そこで、政府は新たな方法を模索する事になった。


おりしも、この当時の政府が打ち出していた公約の一つが『治安回復』であり、

政府は自分たちが掲げた公約に対してなんとしても、例えどんな形であっても

結果を出したいという強い考えがあった。


そして、模索に模索を重ねた上に考え出されたのが、外部の力。


警察単体の力で警察官を増加させられないなら、外部に協力して貰って

警察官を増加させれば良い。

つまり、民間に『警察』を設立出来るようにし、そちらで警察官を増やす。

正確には『警察と同権力を有する存在』を作り、警察と一丸になって

治安維持にあたる。


この形をとれば、警察に負担をかけずに『法の番人』を増加させる事ができるし、

今までの人手不足の為に発生する全ての犯罪に対応出来ない。という事態にも

十分対応出来る。


『民間警察』の導入-。


これこそが、これ以上の治安低下を防止するに最善の策であるとして、当時の首相は

すぐに『民間警察』を作り出す為の法案=『民警法』の作成に着手した。


法案を作成すること自体は滞りなく行う事が出来たが、法案を可決する事には

やはり苦労を強いられた。

 

 新しい『法』というのは、いつの時代でも受け入れられるのが困難だが、

この法律の時は今までのそれを上回った。

何しろ、『警察』という存在を民営化するのである。


この法案を初めて、表に出した時は周囲から大きな反発が生まれた。

先述の通りこの法案は、『官公警察』とは別に『民間で警察組織が創れる』事を

定めた法案であって、『警察そのものを民営化します』ということではないのだが、

当時の政府はちょうど景気回復策の目玉として同時に『郵政の民営化』も

掲げており、それと一緒くたに扱われた。


『警察を民間に渡すなんて、国民の命の安全を守る事を放棄するつもりか!』

という批判が、野党だけではなく与党からも激しく巻き起こり国会は紛糾した。


議論の過程で『民警法』の本質は理解されたが、それでもやはり

『民間で警察を創る』ということに対して批判は依然収まる気配は無かった。


『民間でも警察を創ってしまったら、本来の警察の存在意義がなくなる』

『民間の企業で、官公警察のような資本・人員・設備をそろえるのは不可能』

『犯罪被害者から金銭を取るなんて、苦しみにつけ込むような真似は

 人道的にいかがなものか』

『国家に縛られない警察組織では、戦前の特高警察のように

 暴走してしまう恐れがある』


 批判は次々とぶつけられたが、政府は一貫して治安悪化に歯止めをかけるには、

これが最善の策であると主張。


最終的には半ば強引な形でこの法案を可決し、『民警法』と『民営警察=PPO』は、

世の中に誕生することになった。


 田村が在籍しているPPO『サジタリアス・コーポレーション(SagittariusCorporation)』

は、その民警法施行後に創設されたPPOの中でも最古参の一つだ。


正確に表すと日本初のPPOは別に存在しており、SC

(サジタリアス・コーポレーションの略称)は日本で2番目に

創設された組織に当たる。


 実績と年間の『売り上げ』こそ、『PPO業界』の中で第3位という位置付けだが、

その丁寧な『仕事』ぶりは世間から高い評判を得ている。


また、PPOとして有している捜査能力も実際にはSCが図抜けてトップであり、

その捜査能力はいまや警察を凌ぐのではないかと噂されていた。


このPPOに所属して民営警察官として活動する者のことを、

『PPA(正式名称はPrivatePoliceAgent)』と呼ぶ。

PPAは免許制で、『特殊職業従事者免許(Special an Occupation License:SOL)』

を取得しなければ、PPAになることはできない。


 PPOに所属してなんらかの活動をする者は、その業種がなんであれ全てSOLを

取得することを要求される。


これは、所属している者全てが警察官の官公警察と同様だ。

その為、世間的には『企業』という部類に入るが、PPOには一部の業務を除き

アルバイトや契約社員・派遣社員は在籍していない。


働く者全てが、PPAである。


事件捜査には携わらない部署の人間である田村も、SOLを取得・所持している。

階級は、『Expert(エキスパート)』だ。

 

 PPAも警察官と同じように、階級が分けられている。


官公の警察は下から

『巡査→巡査長→巡査部長→警部補→警部→警視』

と続き、さらにそこから上の役職へと繋がっていく。


PPAの場合は下から

Beginner(ビギナー)Regular(レギュラー)→High-class(ハイクラス)

Expert(エキスパート)

と続き、またその上へと繋がっていく。


『Beginner』は警察で言うところの、警察学校学生。

『Regular』は警察における、巡査・巡査長。

『High-class』は警察における、巡査部長・警部補であり、そして『Expert』が

警察での警部にあたる。

『Expert』は実際に事件捜査に当たる実務担当のエージェントの中では、

最も階級が高い。

これも官公の警察と同様である。


ただ、警察と異なるのは『警部』がどちらかというと、現場などで下の階級の

捜査員に指示を出す立場にいるのに対し、PPOの『ExpertAgent(EA)』は

積極的に事件捜査を行う。


 もちろん、エージェントの中では最高位に当たるので、大人数で捜査に当たる

場合には下階級のエージェントに対する指揮をするが、大体はEA自ら捜査に

当たりながら部下のエージェントに指示を出している事が多い。


田村もEAであり所属部署のチーフであるが、やはり自分でもBPの業務をこなしながら

チーフとしての役目も行っていた。


「え・・・っと、クロスポイントは・・・」

田村は駅の入口を出た所で立ち止まると、携帯電話を取り出した。

メールボックスの履歴から、一通のメールを表示させる。

「そうそう。三田国際ビルだったな」

田村は携帯を折りたたむと、ポケットにしまいながら辺りを見回した。

さっきと比べて、駅に向かって歩いてくる人が多くなっている。


-休み返上で仕事。かなあ・・・


自分の前を通り過ぎ、駅に入っていく人を眺めながら、ふと田村は思った。


 今の時期は世間的には丁度『盆休み』だが、勿論休み返上で働いている人もいる。

「そういやあ・・・今年もこの時期は休みをとれなかったな・・・」

田村は一人つぶやくと、足下に置いてあるカバンを持つ。

「ま、ウチは仕事柄、暦通りの休み取るのは無理だからな。しょうがないか」

夜に近い夕暮れの空を一度見上げると、よし、と一つ気合いを

入れてから歩き出した。


 一日の仕事を終え帰宅するために駅へと向かってくる人々と反対に、田村は

田町駅の階段を降りる。

階段を降りてすぐ目の前にある裏通りの道を、慶応大学方面に向かって進んだ。


歩きながらもう一度携帯を取り出し、さっき見た物と同じメールを表示させる。

メールには、今日これから会う『的』の最低限の情報が書き込んであるのだ。


-今回の『的』は29歳の女性・・・内容は典型的な『オニ』・・・

 捜査開始日は本日希望。

 

 急だな。それだけ切羽詰まってるってことか。


メールの表示を消すと、携帯電話を閉じてポケットにしまった。


 『的』とはSCの専門用語で、事件捜査の依頼者=犯罪被害者の事を指す。

犯罪被害者は、犯罪もしくは犯罪者の『標的』であることから、『的』という

隠語が使われているのだ。


-実際に聴取してからになるけど、エージェントのスケジュールを

 調整しないとな・・・。


頭の中で、これからの段取りを思い浮かべながら歩く。


-今、手が空いているエージェントが殆どいないからな・・・

 今日から事件にかかれるエージェントとなると・・・。


田村の頭の中に、二人の男の顔が浮かぶ。


「・・・良い所があいてるな。あの二人なら、セキュリティも高いし」

ボソリとそう呟くと、もう一度携帯電話を取り出してディスプレイの時間表示を見た。

「おっと、ヤバイ!のんびり歩いてる場合じゃない」

田村は急いで携帯をポケットにしまうと、歩調を小走りにして

三田通りを進んでいった。



 目的地である三田国際ビルには、何とか18時前に到着した。

三田国際ビルは芝公園料金所の近くにあり、すぐ側に東京タワーも建っている。

そのため、都心の中でも車の往来が多い。

今は夕方という時間帯もあって、いつも以上に車の通行量が多かった。


田村は正面玄関の自動ドアを通って中に入ると、まっすぐエレベーターホールに

向かった。


『▽』のボタンを押して、エレベーターが来るのを待つ。

このビルは二階より上の階層は全て、ある日本有数の電機メーカーと

その関連企業のオフィスが入っており、立場上は別企業が運営する賃貸ビルだが

殆どその電機メーカーの自社ビルと変わらない。


程なくエレベータの到着を知らせる音とともに、ドア付近の上部にある

ランプが点滅した。


「お。来たか」

当然、二階より上の階は容易に入る事はできないが、一階及び地下一階には

飲食店やコンビニエンスストアがあり、ビルの関係者でなくとも入る事ができる。

『的』とは、その地下一階にあるコーヒーショップで接触することになっていた。


エレベーターのドアが開くと田村は中に乗り込み、『B1』と表示されたボタンを押した。


 目的のコーヒーショップは、エレベーターを降りてすぐ右手にあった。

エレベーターから降りた田村は、また携帯電話を取り出すと時間を確認した。

「よし。まだ時間前だな」

と一息ついてから店の前まで行き、観察するように店内を見回した。

店内には多くの利用客が席に座り、思い思いの時間を過ごしている。

夏休みシーズンではあるが、ちらほらと背広姿の勤め人らしき姿もあった。

これなら、背広を着た自分が店に入っても浮いてしまう事はないだろう。

「さてと・・・どこの席にするかな・・・」

と、店内に入ってもう一度店内を見渡してみると、奥の方に空いている席があった。

四人掛けになっているので、荷物を置く事もできそうだ。

「お、良い所が空いてるじゃないか」

と口に出して言いながら、その席に向かうと取り敢えず椅子の一つに鞄を置いた。

さらに背広の上着を脱ぐと、椅子に置いたカバンの上に覆い被せるようにかけてから、

自分はレジのカウンターに足を運んだ。

カウンターに立っていた女性店員に、オレンジジュースを注文する。

代金を支払うと、ジュースが入ったグラスを載せたトレイを持って席に戻った。


田村はコーヒーが苦手で、専らお茶かジュースしか飲まない。

ちなみに最近は、健康を気にしてジュースは極力控えているのだが・・・。


席に着いた田村は、ジュースを味わいながら携帯電話で時間を確認した。

「時間になったな・・・」

ディスプレイには、18時01分と表記されている。

「そろそろ来るだろう」

携帯電話を閉じるとテーブルに置き、入口の方を観察した。

「まっ、的が遅れるのはよくある事だからな・・・」

と呟きながら、ジュースのグラスを手に取った時、店内に女性の二人連れが

入ってきた。


-あれだな。


その姿を見た瞬間、田村は彼女達が『的』であると直感した。

一方の女性達は、お互いに何かを話しながら店内を見回している。

どうやら、誰かを捜しているようだ。

その様子を見ながら、田村はグラスをテーブルに置き、ゆっくりと立ち上がった。



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