第1章 依頼(4)
4.
-8月13日 10時00分
「ねえ、最近さあ・・・さーちゃんの様子変じゃない?」
石橋千晶にそう話しかけられた時、栗沢なつこはちょっと驚いた。
その時、自分もまったく同じ事を考えていたからだ。
なつこはゆっくりと、千晶の方を振り向いた。
「千晶ちゃん、そう思うの?」
「思うよ」
千晶は何を言ってるんだ。と言いたげな顔で言った。
「・・・・実はね」
千晶に顔を向けていたなつこは、前に向き直ると
「わたしも、まったく同じ事考えてた」
と、言った。
「やっぱり!?何か、おかしいよね!?ここんとこ」
仲間がいた!という感じで話しかける千晶に
「うん」
と、なつこは頷いた。
東京・渋谷の、某アフレコスタジオ内。
ここで彼女たちは、自分が出演しているアニメ作品のアフレコを行っていた。
4月からスタートしたテレビゲームが原作の作品で、2クール(6ヶ月間)放送する事になっている。
二人ともレギュラーとして、スタート当初からこの作品に参加していた。
なつこは丁度、自分の担当する分が終わったので休憩に入った所だった。
そこにやはり、自分の担当分を録り終えた千晶が休憩に入り、さっきの場面になったのである。
ちなみに、『さーちゃん』というのは井川桜子のニックネームだ。
彼女はこの作品で、主役を務めている。
また、桜子は千晶やなつこと仲が良く、常日頃から親しく友達付き合いをしていた。
「何かさ」
と言うと、なつこはスタジオに来る時に持参してきた、
500㎜ペットボトルのアップルジュースを一口飲み
「おかしいっていうか、何かにおびえているような感じがするんだよね。わたしは」
と、また千晶の方を向いて言った。
「おびえてるか・・・あたしは、なんか雰囲気が変だなー・・って思ってたんだけど、
言われてみればそんな感じもするかな・・・」
千晶もそう言いながら、バックからカフェオレの500㎜ペットボトルを出して一口飲んだ。
「千晶ちゃんは?いつ気がついたの?」
なつこが尋ねると千晶はボトルの蓋を閉めて、目の前のテーブルに置くと
「そうだなあ・・・あたしは・・・最近かなあ?
でも、気がついたっていうか、そんなはっきりした物じゃ無くって何かこう、
そんな感じがしたっていうか・・・さーちゃんを見ていてさ、いつもと同じように明るいんだけど、
それがわざと明るく振る舞っているような気がしたんだよね」
と、足を組み、むう。と考えるような顔をして言った。
「そっか」
「くりたんは?」
千晶はなつこを、軽く指さして尋ねた。
この『くりたん』というのは、なつこのニックネームである。
彼女と親しい者は、大体このニックネームで彼女を呼ぶ。
「わたしは、一週間位前かな。先週さ、アフレコの帰りに三人でご飯に行ったよね」
「あー・・行ったね」
「あの時にさ、さーちゃん、わたし達が座ってたテーブルの上に、携帯置いてたんだけど」
「うん」
「出なかったんだよね」
「何に?」
「携帯に」
それに先に気がついたのは、なつこだった。
「あれ?さーちゃん、携帯鳴ってるんじゃない?これ」
彼女達はアフレコ現場近くの、イタリアンレストランで食事をしていた。
もっともメインになるのは食事よりも専ら談笑の方で、今も桜子となつこは最近購入した、
あるゲームソフトの話題で盛り上がっていた。
もう一人の参加者である、千晶は事務所のマネジャーから携帯に連絡が入り、
今し方電話をする為に外に出て行った。
なつこが話しかけた時、桜子は外で電話をしている千晶の姿に目をやりながら
アイスティーを飲んでいた。
なつこの呼びかけは、聞こえてないようだ。
「ねえ、さーちゃん?」
なつこがもう一度声をかけると
「え!?なに?どしたの!?」
その声に気がついた桜子が、慌ててこちらを向いた。
「いや、だからそれ。さーちゃんの携帯鳴ってない?」
桜子の近くに置いてある、ピンク色の携帯電話が光っている。
それを見た瞬間、何故か桜子は体をびくっと震わせた。
そして、
「また・・・・」
と呟いたきり、電話を出ようとしない。
「?・・・・・どしたの?」
と、なつこは尋ねたが
「・・・・・・・」
桜子は無言まま、固まっている。
「・・・出なくていいの?」
「・・・・・・・」
なつこの言葉に、桜子は携帯にゆっくりと手を伸ばした。
-・・・手が震えてる・・・?
桜子の様子がおかしい。
どことなく、顔が青ざめているようにも見える。
-どうしたんだろ?
首を傾げながら、なつこはアイスコーヒーを一口飲んだ。
結局、桜子が出る前に携帯は切れてしまった。
一方の桜子は無言で、携帯を持ったままだ
「さーちゃん?」
と、なつこが声をかけた時、携帯が再び光った。
その瞬間-。
今度ははっきりと、異変が現れた。
手の中の携帯を見た桜子は、
「嫌ァッ!」
と短く叫んで、携帯をテーブルの上に放り投げたのである。
「ちょ、ちょっと、どうしたの!」
突然の事になつこは驚いて、桜子の顔を見た。
「嫌・・・」
桜子は身を縮めるように自分の肩を抱き、小さく呟いてかぶりを振る。
顔がはっきりと青ざめ、その表情は完全に怯えたものになっている。
叫び声が聞こえたのか、周囲の客もこちらを伺っている。
「さーちゃん!」
なつこはそんな外野に目もくれず、桜子に駆け寄ると
「ねえ、さーちゃん。どうしたの?大丈夫?」
桜子の肩を掴んで言った。
-!!・・・震えてる・・・。
桜子の肩が、小さく震えている。
「さーちゃん?大丈夫?」
桜子の肩を軽く揺すって、優しく声を掛けた。
その声に気がついたのか、桜子がゆっくり、というより恐る恐るという感じでなつこの顔を見た。
「あ・・・・」
「大丈夫?さーちゃん」
また、同じ言葉をかける。
「くりたん・・・あ・・・えっと・・・・」
桜子は、不安げに周りをゆっくりと見回す。
周りの客がこちらに注目している事に気づくと、ばつが悪そうな顔をした。
「さーちゃん。大丈夫?落ち着いた?」
なつこは、もう一度穏やかに声を掛ける。
「え・・・あ・・・うん。あの・・・ご、ごめんね」
ごめんなさい。という顔で謝る桜子に
「ううん。大丈夫。私は別に何でもないから」
と、なつこは軽く首を振って言うと桜子に尋ねた。
「ねえ、さーちゃん。一体・・・どうしたの?何かあったの?」
「えっと・・・何でもない。うん。大丈夫だから。ごめんね?急に」
なつこの問いに、桜子はうつむき加減で答えた。
だがあんな所を見た上で、『何でもない』と言われても到底納得できない。
「何でもない。って、そんな風に見えるわけ無いじゃん!さーちゃん、絶対に・・・」
なつこが尚も問い質そうとした時・・・
「何でもないの!!!」
桜子が強い口調で、なつこの言葉を遮るように言った。
周りの客が、またもこちらを注目する。
「さーちゃん・・・」
「あ!ご・・・ごめんね!ごめんなさい!・・・・・・あの・・・ホントに何でもないの。
ホントに大丈夫だから・・・・・ね?」
「あ・・・・うん・・・・大丈夫なら・・・良いんだけど・・・」
「ごめんね・・・くりたん。でも、ホントに大丈夫だから」
「うん・・・」
なつこにはもうそれ以上、桜子に何が起こっているのかを聞く事は出来なかった。
桜子の態度や言葉から、はっきりとした『拒絶』を感じたからだ。
なつこは椅子に座り直すと、またアイスコーヒーを飲んだ。
一方の桜子は、暗い顔で俯いたままだ。
二人の間に、どことなく気まずい雰囲気が流れていく。
「ゴメン、ゴメ~ン。事務所のマネージャー、話が長くってさぁ~」
千晶が明るい声で、両手を合わせて謝る素振りをしながら店内に戻ってきたのはその時だった。
「そうだったの!?へえ~・・・」
「うん。そうだったんだよ」
「あ~そういえば店内に戻った時、なーんか雰囲気が変だな~って気はしたっけ」
「けっこうね。周りの人にも、注目されちゃって結構、気まずかったよ」
そう言うと、なつこはバックから携帯を取り出し、ディスプレイに表示されている時間を確認した。
「まあ~でもさ、そういうのを考えていくと、さーちゃんが変なのは間違いないよね」
「携帯をサイレントにしてる時点で、おかしいとは思ったんだけどね」
「サイレント?」
「うん。だから、消音でノーバイブにしてたんだよ」
「それじゃあ、電話かかってきてもわかんないじゃん」
「っていうか、わからないようにする為じゃないかな」
「電話がかかってきた事が?」
「そう」
「う~ん・・・」
千晶は腕組みをしながら、椅子に寄りかかって唸った。
「・・・何があったんだろ?悩みがあるなら、せめて相談ぐらいしてくれても・・・
別に大した事が出来る訳じゃないけど、他人に話すだけでも大分違うもんだよ?」
「何か抱えてるのは、間違いないけど・・・
さーちゃんは、あんまり他人に喋ってくれない子なんだよね・・」
なつこは、口元に手を当てて考え込んだ。
「悩みを中に抱えて、そのままパンクしちゃうタイプだからね・・・
でもあたしは友達として、このまま放ってはおけないよ」
千晶が体を起こして、なつこの顔を見て言った。
「それは、わたしだってそうだよ」
なつこも、千晶の顔を真っ直ぐに見て言う。
「まあ・・・ぶっちゃけた話、何を悩んでいるのかあらかた予想はつくんだけど・・・」
なつこが続けてそう言ったとき
「おつかれさまです~」
という声と共に、誰かが休憩室に入ってきた。
そちらの方に顔を向けた二人は、思わずぎょっとなった。
噂をすればなんとやら。
入ってきたのは、今まさに話題に昇っている桜子本人だったからだ。
「・・・・・・・?どしたの?二人とも。そんな、
毒島大公に満塁ホームランを打たれた時の菅野純みたいな顔して」
何も知らない桜子は、当然の如く首を傾げて尋ねる。
桜子の言葉を聞いた千晶は
「・・・・・・例えが分かりにくいよね」
と、なつこに小声で言った。
「うん。っていうか、なんでストッパー毒島知ってんの?野球見ないはずなのに・・・」
「・・・まあ、その辺は物語書いてるヤツが、自分の権限で言わしてんのよ」
「あ・・・そっか。作者は野球マンガばっか読んでるもんね」
「ホントにね。ドカベン香川みたいな体してるクセして」
二人は顔を近づけて、ヒソヒソと小声で話す。
「・・・・・・・?」
一方の桜子はそんな二人の姿をみて、ますます怪訝な顔をするばかりだ。
「あの~・・・いいですか?」
桜子は、もう一度声をかけてみた。
「あ、ごめん」
一瞬、ヒソヒソ話に夢中になりかけた二人は、ここで我に返った。
「二人とも、さっきからなに話してんの?」
「うん。ちょっとアヤシイ密談。ねえ?千晶ちゃん」
桜子の問いに、なつこはそう答えると千晶に話を振る。
「・・・・え!?あ、あーあーあ。そうそうそうそう。うん。ちょっと悪巧みを」
いきなり話を振られた千晶は、舌を縺れさせながら慌てて話を合わせた。
「悪巧みってどんな?」
「うえ!?え?悪巧み?あ、えーっとね」
当然の質問を桜子に返され、千晶はまたもしどろもどろになる。
「それは教えられないのだ」
なつこはすかさず、助け船を出した。
「えーっ・・・気になるから教えてよ」
「ダメ、です」
なつこはそう言いながら、桜子をそっと観察した。
桜子の様子は、いつもと変わらない。
いつものように、元気で明るい。
だが
-作ってる・・・・・・・。
いつもと同じ・・・・・に見えるけど・・・さーちゃんは、明るい顔を作ってる。
なつこは自分の読みに、少し自信がある。
それに、自分の親友の異変が分からないほど鈍くは無いつもりだ。
「・・・・・・・」
テーブルの上に置いてあったアップルジュースを飲み、一つ息を吐く。
「・・・・・ねえ。さーちゃん」
「ん?なーに?」
なつこは千晶を一瞥してから、桜子の顔を真っ直ぐに見た。
「ちょっと、聞きたい事があるんだけど。良いかな」