鉄塔の町
幼い頃から私には一つの習慣がある。
毎日の朝晩の散歩、そしてその途中で鉄塔を見ることだ。
海抜200mの小高い山の峠に造られたこの町には大きな送電鉄塔が3つ、小さなものが4つの、計7つたっている。
幼少期はただ日常の一部でしかなかったが、県外に出て四年ほど暮らしてみると、故郷を横断するように建てられた数本の鉄塔がめずらしく思われた。何もないこの町の、唯一好きなところだった。
県内に出戻りしてきてから最近はただ鉄塔を見るのではない、新たな習慣が出てきた。
50mはゆうにあろうかという大きな鉄塔のてっぺんに、登るのだ。
もちろん立ち入り禁止の看板もあるし、本当に登るわけではない。そうしている自分を想像するのだ。
下から順に登っていき、天辺に到達する。すると今度は想像が妄想へと変わってくる。
不思議に心地よくなってくる。妄想という名の宇宙に脳が接続されるかのような感覚にしばし酔いしれる。
なんてことはない、とりとめもないことが浮かんできては消え、また浮かぶ。
今日の夕飯は美味しかった、明日の仕事はいやだな、冬の海にでも行きたい、バッティングセンターでホームランを打ってみるか、なんて綺麗な朝焼けだろうか、なんて優美な夕焼けなんだ、旅でもしてみるか。
そうしているうちに妄想は終わる。終わり方はいつも同じだ。
塔から私は飛び降りる。そして、まるで餌を見つけた燕のように、地面に落下する寸前で宙へと身を翻して日に焼けた空へと飛んでいく。そこで現実へと帰ってくるのだ。
この一連の想像と妄想を以って私は1日の始まりと終わりを考える。
最後の妄想、強烈な死と再生のイメージが私に活力を与えるのだ。