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不死身の師匠と死に急ぎの弟子  作者: 雨美乃ユウ
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8.真っ白な雪の中で.前編

 カランコロンと木製の鈴か何かが数回鳴ってぎしりぎしりと床がしなった。

 耳馴染みのない音に少年は夢うつつのままゆっくりと目を開く。

 月明かりが当たり白くなった障子にそれの陰がぼんやりと浮かび上がった。それは確かに人の姿をしていたが不明瞭にたゆたう炎のように蠢いていた。そしてこちらに気がついたようにそれはたんと足を止めゆっくりとこちらを向いた。


「……ァ……アア」


 まるで仕切りの向こうからでもこちらが明確に視認できているかのように、それは迷いなく近づいてくる。障子に伸ばすそれの両腕はまるで汚泥を突き抜けるようにしてそのままずぶりと障子をすり抜ける。ゆっくりとそれでいておぞましいそれは室内へと踏み込み、少年はその姿を見た。

 目も鼻も無い、ただ巨大な口が、そこにあった。


「……ッ!」


 叫び声を上げそうになったその時、パシリと大きな音を響かせてそれの背後にあった障子が開け放たれる。そこに立っていたのは長身の男。癖のある赤毛の男、ルーパスだ。


「止まれ、ルイ」


 月明かりを背負う様に立つルーパスは険しいような憐れむような無表情でそれを見た。ルイと呼ばれたそれもまたルーパスを見る。それは言葉にならない音を発して腕を蠢かせる。まるで懇願するように嗚咽を吐いている。その気味の悪い姿に少年は身を引くが対するルーパスは一歩前に踏み出す。


「ごめんな」


 次の瞬間、その影が2つに切り裂かれる。

 ルーパスの振り上げた片手の一太刀によるものだと理解するよりも前に弾け飛んだ墨液のようなそれが少年の頬を汚した。

 姿を保てなくなったそれはドロドロと溶け出して部屋の四隅の影に逃げるように流れ去った。ルーパスは自分の手に一瞬視線をおくるがそこに見慣れた手があるだけだった。

 そうして部屋には静かな月明かりとあたりを満たす冷気と黙ったままの二人だけが残される。

 ルーパスは呆気にとられている少年の様子に気づくと乱雑に手ぬぐいを放ってよこした。


「怪我は?」


 少年はルーパスの平然とした様子にすこし面食らっていたがそれを知ってか知らずかルーパスは部屋の端にどっと腰を下ろす。そして腕を組んで目を閉じた。

 受け取った手ぬぐいで頬を拭けば血なのかも分からないそのシミが滲んだ。動揺がひとまず落ち着いた頃、少年はやっとルーパスに向き直る。彼は部屋の端であぐらをかき目を閉じていて、いかにも眠っていますという様子ではあったがそれでもなんとか声をかけてみる。


「えっとすみません、あなたは?」


 ルーパスは眠たげに片目を開けちらりとこちらを見たがまた直ぐに目を閉じた。その様子に少年が「あの」とか「えっと」とか要領の得ない言葉を発して、それが耳に届いたのか面倒そうにルーパスは頭をかいた。


「俺はお前を拾って来ただけだ」 

「それだけ?」

「それだけだ。どうせ短い付き合いだ、洗いざらい自分語りする必要もないだろ」

「たしかに、そうですね。でも、名前ぐらいは教えて下さい。僕はシュウイチといいます」


 渋々と目を開けたルーパスが大きく息を吸い、次に少年に目を向ける。名前を名乗るなんてのはどれくらいぶりだろうか。そのことになんとも言えないこそばゆさを感じながらもルーパスは素直に応える。


「ルーパス……ルーパス=パラディンだ」

「魔術師さんですか?」

「どうしてそう思う?」

「だってさっき魔術で」


 間違ったことを言っただろうかと少年が不安になるくらいにはルーパスはその事に触れたくない様子だった。


「魔術は使ってない」

「でも魔術師ですよね……?」


 その質問をルーパスは否定もしなかったし肯定もしなかった。ただその話は気が進まないという様子だけは少年も読み取り、別の話題で対話を試みる。


「さっきの魔物、闇食いですよね」

「ナイトメアさ。今時、闇食いなんてジジイババアでも言わねぇよ」


 小馬鹿にするような物言いが少々ムカついたが彼が守ってくれたことは純然たる事実であるだろう。それにさっきのあれは少年の知る闇食いとは様子が異なって見えた。


「さっきのは今までに見た闇食い、いやナイトメアとは何か不思議でした。僕がこれまで出会ったモノたちはみなもっと好戦的かもっと狡猾な怪物でした。でもあのナイトメアは何だか怯えているみたい」


 さっきのナイトメア、ルイと呼ばれたあれは見知らぬ客人に怖れを抱くように震えていた。

 普通ナイトメアがとる行動は、生き物の持つ魔力を奪うか、人間を誘惑しその名を奪うかの二択だ。


「ルイってなんですか……?」

「あいつの名前だ。あれはそこらのナイトメアとは少し事情が違うらしい」

「というと?」

「俺だって詳しく知りゃしない。ここの家主とは昔馴染みだが、そいつが生まれるずっと前からこの屋敷にいるんだそうだ。地縛霊みたいなもんだろうよ」


 少年はルーパスから受け取った手ぬぐいに残る黒いシミを見る。


「話はもういいだろ、朝まで静かに寝てろシュイ」

「はい。……はい?」


 「シュイって僕の事ですか?」と聞こうとしたがそれを待たずしてルーパスは部屋を後にする。パタリと閉じられた障子を見てあの人も不思議だなぁと思いながらシュイは布団に潜り直す。思えば外は雪が降っていた、寒いわけだ。そういえばルーパスと名乗った彼は薄手の着物のようなものを着ていた随分寒そうだったなと思って、なんだか笑顔がこぼれた。

 昼間に干してあったらしいその布団はとても優しく包み込んでくれる。そのまどろみの中で誰かの背中を思い出す。

 ああ、あの背中はルーパスか、夢じゃなかったんだ。口ではぶっきらぼうに言っていたが足取りは慎重に丁寧に。あの時はすっかり冷え切っていて体温なんて感じられなかったけど、彼は恐る恐るといった様子でありながらもあたたかかった。


 また少し時が流れて、朝日が差し込む頃シュイは目を覚ます。すっかり雪はやんだらしい外に目を向けては雪の眩しさに目を細める。


「……おはようございますー?」


 昨晩の彼や家主のイリという人物はどこにいるのだろうか。他人の家をねり歩くのもどうかと思いつつ廊下へ足を踏み入れれば、さきの襖の合間から揺れ動く影が廊下に伸びていた。

 恐らく家主であろうと思い、声をかけようと覗き込んだシュイは目を見開いた。

 そこにはイリがいた。恐らく調理場だろうそこでイリはナイフを手にしていた。


「……!」


 そしてあろうことかそれを自分の片腕にあて、切った。当然ではあるが彼女も痛みを感じ一瞬顔をしかめるがそれ以外声一つ上げることはなかった。その何だかおどろおどろしい空気にシュイの方が声を上げそうになった自らの口をふさぐ。


「さぁ、ルイ。朝ごはんだ」


 イリの腕から血が流れてはぽたりぽたりとたれ落ちる。それが床に落ちると思った時、地面から影が浮き上がった。

 ルイだ。

 彼女は血を与えている。ナイトメアに血を与えている。イリの腕には無数の傷があった、ずっとこれを続けてきたのだ。こうして彼女はナイトメアと共に暮らしてきたのだ。


「よう、クソガキ」

「……うわ!」


 唐突にかけられた声に思わずシュイは飛び上がる。振り返った先にいたのはルーパスだ。

 まるで悪事を目撃されたような罪悪感に、あたふたと絵にかいたような慌て方を見せるシュイ。その様子に眉をひそめたルーパスであったが横の襖に目をやって次には納得したような顔をした。

 すると同時に襖がぱっと閉じられる音がしてイリもまた廊下へ現れる。腕には包帯が巻かれていた。


「おや、起きてたんだね。おはよう、そういや名前を聞いてなかったね」

「シュイだ」


 イリの質問に答えたのはルーパスだった。シュイはそれに戸惑ったがイリが「そうかそうかシュイか」と言いながら食事を取りに奥へ行ってしまったので修正のタイミングを失ってしまった。

 そんなシュイは気にも留めずルーパスは土間の下駄に足を下ろす。どうやら外へ行くらしい。


「出かけるんですか?」

「夕方にはまた来る」


 それをイリへの伝言としてシュイは受け取った。

 彼は見送ってからまた先程の光景を思い出す。あれは、ルイと呼ばれたナイトメアはまた現れるのだろうか。もしもあれがこの家の日常なのならそれに動揺している自分の方がよっぽど異物なのではないだろうか。そんな気持ちは郷愁を誘う朝食の香りに解れて消えた。

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