5.悪夢殺し.後編
ナイトメアは魔物の中で最も恐ろしい存在だ。
ゴブリンやスライム、ゴースト、ゾンビ、スケルトン、様々な魔物がこの世界にはいるがそれらには一定の対処法がすでに考案されていた。だがナイトメアはそうはいかない。強固な形態を持つ者もいれば液状で捕獲困難な者もいるばかりか、彼らは触れるだけであるいはその近くに存在するだけで存在の魔力を奪うだろう。魔力は生命力そのものと言ってもいい、それを失うことはすなわち死を意味する。
低級のナイトメアならばその対処は魔術師にとってそう難しい事ではないが、常人にとってそれは恐れ慄くに値する。だからこそ親は子どもに語って聞かせる。本物の闇は炎に照らされようと揺るぎ無い、姿無き影を見かけたならば一も二もなく走りなさいと。
「ごめんね」
ナイトメアにそう謝ったシュイもまた、母が語って聞かせたそれを知っていた。だが恐れは生まれなかった。
それがシュイの強さでもあり危うさでもあった。
ローリエははっと我に返ってあたりに目をやる。
カルディアとローリエによって多くのナイトメアが倒されてはいたもののそれでも脅威は去っていない。各所から悲鳴が点々と上がり始めていた。
「くらえ!化け物!」
それを叫んだ機銃兵の放つ弾丸を受けたナイトメアが裂る。二つに別れたそれは金切り声を上げ一方が機銃兵の左腕にもう片方が右足に喰らいつく。その機銃兵は絶叫し、地面に倒れ込んだ。ナイトメアに触れられた部分はみるみる生気を失っていく。それと反比例するように魔力を吸収したナイトメアは沸き立ち、その質量を増していく。
その腕は焼けるような嫌な音を出し見るも無惨に溶け始めた。
「やだ!いやだ!やめっ……!」
機銃兵のその声にローリエが振り向くがその時にはもう遅かった。ナイトメアにつかれた機銃兵は既にその闇に飲み込まれ、そして砕けた。ぐずぐずになった彼の悲痛な表情をローリエは見ていることしか出来なかった。
「対ナイトメア部隊が来ればこんな事には」
「そうだ、対ナの連中さえ早く来れば俺達がこんなとこに来る必要なんて無かったんだ!」
機銃兵たちの間からそんな弱音が漏れ始めていた。そもそも彼らの主要な役目は街中で暴れる酔っ払いを捕まえたり、人里まで降りてきた下級の魔物を撃退する事でありこれほど多くのナイトメアを目にする事自体はじめての者も多い。
「喚く暇があれば戦え!」
カルディアの声が響き渡る。そう声を上げた彼女の表情は鬼気迫るものだった。普段の彼女からは想像することができない程の冷酷な声だ。機銃兵たちは今一度魔導機銃を構え直す。カルディアがそれを見届けた時だった彼女の背にナイトメアの影が迫る。
今まさにナイトメアの魔の手がカルディアに届こうという時、その頬に風が吹き抜けた。
響くのは人ならざる者の悲鳴。彼女を攻撃しようとしたナイトメアが突風に吹き上げられカルディアの眼前に舞う。それにカルディアはふっと笑った。
「見事だフリア」
「それはどうも」
フリアの魔術によって宙を舞ったナイトメアをカルディアは一刀両断する。
カルディアは強い、それはわざわざ語る必要すらないほどに。だがそれと同時に細々とした戦闘は得意ではなかった。それを補うようにフリアは繊細な魔術展開を得意としていた。機銃兵とナイトメアの敵味方入り乱れたこの戦場でフリアが敵を弾きカルディアが仕留めるという見事なコンビネーションを見せていた。
ローリエやカルディアらに加え機銃兵たちの尽力により事態は収束に向かっていた。それをナイトメアも察したのか散り散りになっていたナイトメアたちが一斉にどろりと溶け出し丘の中心に集まり始める。それはみるみる溶け合い汚泥の塊は急速に膨れ上がった。
「なに、これ……」
シュイの目前に座していたナイトメアの塊。シュイが見上げればその巨大な闇が段々と前かがみに近づいてくる。そしてすっかりシュイの視界はその巨大な影に埋め尽くされてしまう。その影が溶けシュイの肩に落ちる。ジリリと痛みが突き刺してシュイは短い悲鳴を上げ身を引く。
「逃げろ!」
それはローリエの声。今まさにナイトメアに襲われる寸前であったシュイをローリエが突き飛ばした。
弾かれたシュイは驚きローリエを見る。シュイにはただただ必死な彼女の顔が見え、そして次の瞬間には彼女がナイトメアに飲み込まれる光景を見た。
「ローリエさん!」
シュイが叫ぶ。「なんで」とシュイはつぶやく。
ナイトメアに取り込まれたローリエは全身を激しい痛みを感じながらもその刀を手放すことはなかった。常人には到底耐えられない苦痛の中でそれでもローリエは足掻き続ける。魔力を奪われぬよう気力を保つ。
シュイがその姿に駆け寄ろうと足を踏み出す。するとカランと彼の木製の鈴の音がした。
「まったく、一人で大人しくしとく事も出来ねぇのかクソガキ」
聞き覚えのある落ち着きのあるそれでいて気の抜けた声がシュイの耳に届いた。
「パパ様!」
シュイがその名を呼べば彼、ルーパスは短く「連爆の符は?」と言った。ゴロツキが持っていたそれを取り出すシュイ。いつの間にやら隣に現れたルーパスはそれをひょいと受け取ってそのままナイトメアへ向かっていく。
「どうすればいいかわかってるだろうなシュイ!」
ルーパスはそういうと場違いなほど軽快な掛け声を放ち地面を強く蹴った。皆が息を呑んでそれを見る。彼は見事に飛んでみせた。それは鳥とも違う兎とも違う。形容するのなら谷を飛ぶ狼のようだった。
「……!」
ナイトメアに囚われ魔力を奪われる激痛にローリエはルーパスを見た。彼は三枚の連爆の符をナイトメアへ叩き込む。
「シュイ!」
「爆ぜろ塵共!」
シュイが唱える荒々しい呪文と共に連爆の符が輝き始めた。これはシュイにとってはじめての連鎖魔術、しかし見事に破裂しナイトメアを横一文字に引き裂く。そして巨大な爆発音が連鎖してぱっと明かりが一瞬照らされる。
盛大に砕けた影は崩れ落ち全ては蒸発して消えた。想像よりも大きな衝撃に驚きシュイはローリエの姿を探す。
彼女の姿は無い。ローリエだけで無くルーパスの姿も見えない。丘の上に風が吹き抜けてようやく彼らは空が夕焼け色に染まっていたことに気がつく。ナイトメアのいなくなった草原はたんと静まり返る。
「お疲れ様は?」
シュイが振り返るとローリエを抱え上げたルーパスが立っていた。いわゆるお姫様抱っこという状態にローリエは状況が理解できていないようだ。だがみるみる彼女の顔は真っ赤になっていく。それを見たルーパスはあまりにもあっさりとローリエを手放す。重力に従い地面に落とされたローリエであったが上手く受け身は取れたようでさっと起き上がってみせた。
「まずは礼を言う。が!いきなり何をするんだ!と言うか誰だお前は!」
ローリエの問いはシュイの「パパ様!」と言う呼び声に遮られる。
「お前がルーパス=パラディン、か……?」
「それだけ元気がありゃ十分だな。えーっとロリなんとか」
「ローリエ・ローラスだ!」
「私も自己紹介させてもらおうか!」
気が付けばカルディアとフリアの姿もそこにあった。
「いやはや見事な跳躍であった、流石は優秀な少年の父君であるな!」
「いや親じゃねぇし」
「全然似ていないな!」
「だから親じゃねぇって」
「それにしても、何故君自身が魔術を発動しなかったのだ?」
カルディアのその質問にローリエも同じく不可思議そうな目をルーパスに向ける。
「魔術は苦手なんでね」
「冗談を。私は君の魔力に全く気付くことが出来なかった!そんな事は並の術者には不可能だ!少年の腕前から見ても師匠たる君は魔術騎士に引けを取らないだろう!」
「おい、シュイ。こいつ誰?」
「えっと……」
「私はカルディア・ホネスト!王立魔術騎士団の団長として頼みたい!二人共、私の仲間にならないか!」
「嫌だね」
「そうか!残念だ!」
カルディアの唐突な提案に驚いたのは当人らでなくフリアの方だった。そしてあっさりと断るルーパスに今度はローリエが驚く。
「理由を教えてくれないか!」
「俺、騎士って嫌いなんだわ」
もう背を向け立ち去り始めていたルーパスはちらりと振り返ってそう言った。
「ならば好かれるよう努力しよう!君の好く騎士であろう!私は諦めないぞ!」
「カルディア……!」
カルディアは有言実行を体現するような人間だ。それを知っているフリアはその宣言に頭を抱えた訳だが、当のルーパスは「ご勝手に」と言い捨ててくるりと背を向ける。そしてシュイはカルディアらに一礼し同じようにルーパスの後を追って歩き出す。
「そんなに彼が気に入った?」
「シュイ少年が連爆を放った瞬間、たしかにそれが彼にも命中していた。にもかかわらずどうだ五体満足で去っていくではないか」
「それはどういう魔術なのでしょうか」
「なぁ?とても興味をそそられるだろう?」
すると、負傷した機銃兵らには目も向けず歩くルーパスがふと思い出したように振り返りローリエを見る。
「あぁそうだった。ガキが世話になったな。“騎士もどき”」
「な……!」
それにローリエの顔がかっと赤くなる。それを見たルーパスはいたずらっ子の様に鼻で笑って舌を出す。ローリエはより顔をしかめる。
「私はお前が大嫌いだ!」