3.悪夢殺し.前編
正面扉が壁ごと弾け飛んだらしいその酒場はそれでもとりあえずは崩壊の危機には瀕していないようで丸見えの街道を背にシュイは席についていた。と言ってもカルディアに連行され無理やり座らされたわけだが。
「あ!カルディア!何処に行ってたんですか!大変だったんですよ!」
店の奥から現れたのは身軽な服装に王家の紋章が刻印された術符入れを下げた栗色の髪の青年。紋章から見ても彼がカルディアと同じく王立魔術騎士団の一員であることがわかる。
「おうフリア!探したぞ!この少年に美味なる夕食を振る舞ってやってくれ!」
カルディアがそう言えば、フリアはキッと表情を変える。穏やかそのものだった目元に力が込められ、それは明らかな怒りであることはカルディアにもわかったらしい。
「探したぞ?探したぞですか?私がどれだけ貴方を心配したと思っているんですか!貴方も手伝いなさい!!」
「あ、はい」
彼はフリア・クラヴィス。一応カルディアの部下ではあるらしいが幼馴染ということもあってその仲はさながら姉弟のように見えた。そんな二人は今並んでキッチンに立っている。
「あ!こら!まず手を洗いなさい!」
「はーい」
まだカルディアの戦う姿は見たことが無いがそれでもフリアに手洗いを命じられおずおずと流し台に向かう姿にはギャップがあった。
そんな様子を見ていたシュイの横にどこからかひょいと人影が現れる。
「フリアさんって凄いよねぇ〜あのカルディアさんが子供みたい」
「うわっ誰ですか!?」
唐突にシュイに話しかけてきたのはどこか胡散臭い空気をまとった男だった。彼はその長身を屈めてテーブルの端に顔を出し、丸眼鏡をクイッと上げる。まったくもってシュイにとっては見知らぬ男な訳だがまるで旧知の仲かのように自然に男は話し始める。
「二人は同じ村の出身なんだってさ。騎士団長になったカルディアさんをフリアさんが追いかけて来たんだって。きっと必死に鍛錬したんだろうね、そして今は補佐官として彼女を支えてる。青春だねぇ」
話によればフリアは団長補佐という立場にあり騎士団におけるナンバー3だそうだ。カルディアも相当の手練であるだろうと言う事はシュイにもわかったがあの一見ひ弱そうな彼も魔術の腕は相当なのだろう。
「で、愛らしい君は誰かな?」
丸眼鏡の男はひょいとシュイの方を向いた。金色の髪が揺れて銀の瞳と尖った耳が見えた。狐のように切れ長な目に射抜かれた様にシュイは萎縮するが、全く気にしていないというように彼は笑顔を崩さない。
「……僕はシュイです」
「シュイ君かぁ。よろしくねー。いやぁ遠いとこからよく来たね」
「……え?」
「王都に行く途中なんだろう?彼もひどいよねー置いてっちゃうなんてさ」
シュイが不思議げに「はい」と頷けば彼はうんうんとつぶやきながら立ち上がった。その姿を目で追うシュイは少し戸惑っていた。そんな事は気にしないというように男は「ボクの店へようこそ、シュイ君」と言った。
「えっと貴方はいったい……?」
「ん?ボク?マスターでいいよ」
マスターと名乗った男は袖丈の合っていないオーバーサイズの上着を揺らしながら足取り軽やかにキッチンへ向かって行った。
「なんで僕らのこと、知ってるんだろう」
ここでシュイはやっとルーパスの事を思い出す。キッチンから美味しそうな匂いがしてきっとルーパスはお腹を空かせているに違いないとシュイは思ったが、そもそもシュイを置いて行ったのはルーパスの方であってこちらが宿の心配をする事があっても、あちらの様子を心配するのは少し変な気がした。寧ろシュイを置いて一人で王都に行ってしまうのではないかと心配するべきだ。
「マスター!包丁は何処だ!」
「そこに無いなら無いんじゃないのー?」
「そうか!」
「そうかじゃないでしょ。包丁無いんですか?!飯屋なのに?」
「飯屋じゃなくて酒場だよー。栓抜きならあるよー」
「じゃあそれでいいか!」
「よくない!」
なにやら大変そうなフリアには悪いがとても楽しそうに見えた。シュイも幼い日には彼らと同じように母や兄弟と慌ただしく、それでいて微笑ましく過ごした日々があった。
母はにぎやかな人で何事も楽しそうにこなし、隔絶された村の中で子供たちは何処の家ともなく皆等しく家族だった。懐かしい。でももう誰の声もがおぼろげだ。
そんなことを考えていた時。
静かな足音と共に先程聞いた刀の揺れる音がした。シュイが振り返ればそこにはあの機銃兵の隊長ローリエが、扉の無い店先に少々戸惑った様子で立っていた。
「ええっと……」
ノックしなくてはという意識とその為の壁が存在しない事にしばしおろおろとあたりを見るがすっと諦めたようにまた冷静な無表情を浮かべる。
「カルディア騎士団長に、お伝えすべき事態が発生しました」
壁ごと消え失せている扉のあっただろう所にローリエは行儀良く足を揃えて立ち、そう声を張った。
「ローリエ殿か!どうした?」
キッチンから顔を出したカルディアはエプロン姿であったがローリエは彼女がそういう人物であると理解したのだろう表情を変えず状況説明を始めた。
「巨大なナイトメアの反応がこの先の丘に接近中であると現地の機銃兵より報告が入りました」
「なるほど、どれほどの規模だ」
おちゃらけた様子だったカルディアは一瞬にして舞う綿毛の様な雰囲気から騎士団長に相応しい重みをまとう。
それに気圧されそうになるのをぐっとこらえローリエは事態の説明を始めた。
ローリエの話によれば北の紫玉の森から現れた巨大なナイトメアの集積体がこちらへ向かっているそうだ。魔力を食らうナイトメアは魔物の中でも厄介なもの。その集積体、つまりナイトメアの塊が人を求めて街へ向かっているのだ。それを放っておけば市民が犠牲になる他、王都へ続く鉄道路線が破壊される恐れがある。
「つまりナイトメア退治に手を貸して欲しいと言う訳か」
カルディアは二の句もなく頷くとエプロンをもぎ取りマスターへ放った。マスターは涼しい顔でそれを受け取り「頑張ってねー」と言った。
「すまないシュイ!夕食はまだ作りかけだが食べれない事もない!好きなだけ食べていってくれ!」
緊張感の張り詰めたその場でカルディアの快活なその声はとても良く響き渡り、その温度がさめるのを待たずその場を後にしようとしたカルディアたちにシュイは「待って!」と言った。その声にフリアやローリエも立ち止まった。
「僕も一緒に行かせて下さい!」
シュイがそう言えばフリアが驚いた様にこちらへ向き直る。カルディアは変わらず若者を見守る聖者の様にシュイへ目線を送っていた。その様子はシュイの次の言葉を待っているかのようだったが先に口を開いたのはフリアだった。
「ナイトメア退治はとても危険なんだ。子供は連れていけない」
ローリエも言葉にはしなかったが概ね同じ意見のようだ。それでもシュイは変わらない意志を示す。まだまだナイトメアの事はちっともわからないシュイではあるがそれでもナイトメアが居ると知って黙って待っている気にはならなかった。
明らかに反対するフリアを制してカルディアが前に出る。
「何故、付いて行きたいのだ?」
カルディアは馬鹿にするでも無く子ども扱いする訳でも無くただシュイをまっすぐ見据えて言った。それは騎士足り得るかを見定めるようだった。
「わからない?そのような事のために使えるほど自分の命は安いのか?」
「……」
口をつぐんだシュイだったがすぐにまたカルディアへ向き直る。そして今度はより強く、言葉を口にする。
「きっと僕の命の意味はナイトメアと繋がっている、そんな気がするんです」
カルディアは目を細めた。シュイはつづける。
「僕は、ナイトメアに会いたい」
「これまた酔狂な事を。これは遊びではない、悪夢殺しは文字通りの惨状になるだろう」
「それでも僕は行きたいです」
それは異質な訴えであったがシュイは揺るぎない眼差しをカルディアへ向けていた。例え後ろのローリエがあからさまに顔をしかめようとそれは変わらない。カルディアにもその気迫が伝わったようで彼女はニッと笑った。
「いいだろう!」
「カルディア!?」
「ああ!だが、私に許可を求めたのなら君の命は君だけのものじゃないと心すべきだ!いいな!」
「はい!」
「ならば付いて来い少年よ!」
店の前に出ればそこはローリエの連れてきた馬が何頭か待っていた。段々と空が暗くなってきた現場はそう遠くないようだが付く頃には空が真っ赤に染まっているだろう。
それだけでもおぞましい何かを予感させるには十分だった。