1.子連れの魔術師.前編
魔導力車の轍が残る街道を見るからに旅人という姿の二人組みがのんびりと歩いている。
片方は長身に気の抜けた顔の男だ。赤く長い癖のある髪をひとつに束ね下駄を鳴らしながら歩く。古い時代では着物と呼ばれたそれに近い構造をした服装ではあったが、長い年月をへて変遷してきたのか独特のクリエイティビティがあった。
もう一方は小柄で白髪の少年、肩に届かない程度の髪を彼と同様にひとつ結びにしていた。前を行く男のマネをするように大幅に歩く姿は愛らしい。その一方で古ぼけた服装の男とは対象的に洗練された近代的な服装を好む少年はスッキリとしたシンプルな衣服で身を包んでいた。細身の体躯に両手で抱くのも難しいだろう大きな荷物を背負って、よいしょよいしょと男の後ろをついて歩く。
今は昼を過ぎ太陽が傾き始めた時間。街に近づくにつれて人通りもそれなりに増えてきて、少し先に穏やかな街並みが見えてくる。
「パパ様ぁー。いい加減ご飯にしましょうよー。僕ら昼ごはんも食べてないしー」
後ろを歩く少年、シュイは前を歩くルーパスに声をかける訳だが当の彼は聞こえないとでも言う様にむしろ足を速める。カランコロンと彼の足の木製の鈴が鳴る。申し訳程度に舗装された道を危なげなく下駄で歩くルーパスは不機嫌そうに眉をひそめた。その様子に気づいているだろうに、それでもシュイは変わらず声をかける。
「ねーってばー、無視しないでくださいよー」
「……」
「パーパさーまー!」
「あぁああ!うっせぇぞシュイ!2、3分ごとにおんなじような事言いやがって、わがまま言ってんじゃねぇ!」
「でも、さっき通り過ぎた焼き鳥屋台が嫌だって言ったのパパ様じゃないですかー」
やっと立ち止まったルーパスの金色の目がシュイに向く。隠居した彼が王都へ足を運ぶのは随分と久々で、それだけでもルーパスを憂鬱にさせるには十分な理由だった。対するシュイはルーパスのしかめっ面にはもう慣れているらしく、その銀の瞳で臆せずルーパスを見つめて話を続ける。
「あの焼き鳥美味しそうだったのにー」
「嫌いなんだよ、ああいうの」
「パパ様って見かけによらず野菜好きですよねー、ネギでも食べてりゃいいのに」
「だべる暇があったらとっとと街に行くぞクソガキ」
そっけなく扱われても気にしないシュイだがクソガキと呼ばれるのは少々不愉快らしく、背中の大きなカバンを背負い直して足を早めた。スタスタスタといった具合にシュイはルーパスの横を抜けそのまま小走りで数メートル先に。そこで足を止めいたずらっ子のように振り返る。
「意外と好き嫌いが多いんですねパパ様」
「ほっとけ」
「あははは、なんだか“子ども”みたい」
シュイのからかう声色に今度はルーパスがムスッとする。しかし反論の一つも発さず彼は口を真一文字に閉じたまま、またシュイの横を通り過ぎて先を行く。
通り過ぎていくルーパスの後ろ姿をまたシュイは追いかける。
せっせと追いかけるシュイがルーパスを見上げる。ルーパスの首には包帯が巻かれていた。真新しいものではないが血の跡もない。
その下にある傷跡をシュイは知っている。何時ついたものかはわからないがそれがルーパスの消えない欠損だと知っている。
何時だったか加護と呼ばれた力がそこに宿っている。それをルーパス自身は呪いと呼んだ。
シュイの首元にも痛々しい痣がある。それは首輪の跡。痛々しいそれを指摘された時、シュイは「お揃いです」と笑って彼に言った。その時のルーパスのなんとも言えない表情をよく覚えている。
「パパ様ってなんでお肉嫌いなんです?」
「……はぁ。いい加減、そのパパってのを辞めろ」
「えー。ルーパス=パラディンって長いんですもん。僕だってシュイじゃなくてシュウイチですからね」
シュウイチ。ここらでは耳にしない響きの名前だ。それを呼びにくかったのか、はたまた呼ぶ気がないだけか、ルーパスはシュウイチをシュイと呼んだ。シュイも時折言い直してはいたがもう半ば諦めていた。最近はただ問答するその時間を楽しむようになっている。
そんな彼らが行動を共にすることになったのはそう昔のことじゃない。野ウサギのような愛らしさのあるシュイと、天邪鬼で人付き合いを好まないルーパス。正反対とよく言われる二人がそれでも片田舎から都近くの街道まで共に旅をして来た。
ルーパスとシュイ。どちらもこの繋がりが王都につけば終わるだろう事を自覚していたし、彼らが共に王都を目指しているのはそれぞれに利害が一致するからに過ぎない。
魔術を使いたがらない魔術師のルーパス。
魔術を学び、強くなりたいシュイ。
ルーパスはシュイに魔術を教え、道中の魔物を遠ざけ、コミュニケーションを嫌うルーパスの代わりにシュイは出会う人々へうまく立ち回ってみせる。
ちなみに旅費の類いはルーパスが持ち出したものであり、今はシュイの持つ大きなカバンに入っている。
「ここまで来るとすっかり街道も賑やかですねー。あ!もうちょっと行くと横断鉄道の駅がありますよ!出発時間を調べたらここで宿探しですかねー」
「じゃあそれで」
「パパ様もちゃんと考えてくださいよ。お金払うのだってパパ様なんですから」
金や贅沢に興味が無いのかルーパスの資金管理は雑としか言えないもので、とりあえず大金を積んでおけばいいと思っている節がある。そのためよく無駄に高い商品をつかまされていたりするところが最近のシュイの悩みの種になっていた。それでも彼の資金はなかなか底をつくことはなく、一体ルーパスはこれまで何をしてきた人なのだろうかとシュイは思わずにはいられない。
「温水の出る宿がいいですねー」
「お前と別部屋とってくれれば文句はない」
「それはお金が勿体無いので却下で!」
二人がそんな事を言い合っていた時だ。
ルーパスがたんと足を止めシュイがその背中に衝突する。
「なんですか、……!」
シュイが小言を言おうと口を開いた次の瞬間、巨大な破裂音が響き、地面がドンと轟く。
「──爆ぜろ塵!」
男の声。それは詠唱だ、魔術を使うトリガー。
ルーパスが目を細める。
詠唱の後、再び幾度かの爆発音は連鎖する。シュイは驚き、思わずルーパスの陰に身を引いた訳だが、ルーパスの方はまっすぐと、そしてひどく面倒そうな顔をして震源地を見た。
音がしたのは街道脇の酒場。木製の酒場の正面扉は先程の爆発で破壊されたようで、すっかり内装が露出している。
「?」
シュイがその砂埃に気を取られていると粉塵に紛れた何者かがこちらへ猛進して来ることに気がついた。その人物の手には術式の描かれた符が握られている。
魔術符、すなわち魔術師だ。
酒場の方から「捕まえてくれ!」と誰かが叫ぶのが聞こえ、同時にゴロツキ魔術師のもう一方の手に握られた袋から紙幣がはみ出ているのが見える。十中八九強盗だろう。
その男は全速力でこちらへかけてくる。
「パパ様、なんかやばめなおじさんが来てますよ?」
「そう思うんならお前がなんとかしろ」
ルーパスがシュイのカバンを片手に引き寄せ、かと思えば「え」と間抜けな声を出したシュイを迫るゴロツキの方へ放り投げた。
「教えたろシュイ、あんな雑魚瞬殺してみせろ」
「パパ様そんなー!」
軽々持ち上げられたシュイが空中で丸くなる。放り投げられ慌てた素振りを見せるシュイであったが素早く空中で体勢を整えるとニ枚の魔術符を取り出す。
そして見事に着地して見せた。
ゴロツキは突如目の前に降ってきた少年に進行方向を変えることもままならない。
シュイはというとまっすぐゴロツキと向かい合い符を構える。こういう時、シュイは14歳とは思えないほどの落ち着きを見せる。
「どけ!クソガキ!」
「どいてもいいけど、僕の後ろの人のほうがおっかないよ」
そう言ったシュイは符に目を向け、意識を集中させる。
それには泥化の魔術と緑珠の魔術式が描かれている。道すがらルーパスが片手間に教えた低級魔術ではあるが、稀に見る素質を持つシュイにかかれば捕獲術に十分成り得るもの。
魔法は自らの生命力、魔力と呼ばれるそれを術式に乗せ対象に虚像に実存を与える行為。
「沈め船腹、囲め緑苑」
シュイが冷淡にそしてはっきりと唱える、自らの魔力を術式に練り込む詠唱。
シュイもまた魔術師だ。
少年の詠唱とともに魔術符がきらめきだし、たちまちゴロツキが何かに躓いたようにバランスを崩す。
地面が脈動するような音がした。
何が起きたかとゴロツキが足元を見れば、先程まであったはずの道が瞬時に泥沼に姿を変えている。
「なっ!」
地面を底無し沼に変えた泥化の魔術は対象を飲み込むように展開し、次の瞬間にはその全身を覆う“ツタの檻”が出現する。
緑珠の魔術。
それは丸くすっぽりとゴロツキを捕まえてしまう。
「こんなもの俺の連爆にかかれば……」
ゴロツキは全身をすっかりツタの球体に捕まってしまっていたがそれでも威勢良く吠える。
男の手には連爆の魔術符。それは符を中心に連鎖したいくつかの爆発を発生させる魔術。ゴロツキのその様子にシュイは思わず笑ってしまう。
「それ、おすすめしないよ。貴方がその檻の中で自分が焼ける事もいとわず連爆を放てるなら別だけど」
魔術による出現物の強度は術者の精神力に依る所が大きく、ゴロツキがいくらそのツタの檻を引き裂こうと力を込めようと、それはびくともしないばかりか段々と泥と化した地面に沈んでいる事にゴロツキは気付く。気付いてしまえばたちまちその顔が青ざめていった。
「きっと数分もすれば貴方は地中の住人になるだろうね」
すっかり戦意を喪失し情け無く喚くゴロツキは「助けてくれ」と叫ぶ。その手に残った符を投げ捨ててさらに懇願した。シュイは連爆の符を拾い上げ、ルーパスに誇らしそうに振り返る。
「どうです?パパ様、僕もなかなかやるでしょう?」
ルーパスはそれを見て微かに口角を緩めるがそれは極めて瞬間的であって次にはまた見慣れた仏頂面になる。そしてふんと息をつきこちらを見た。
「俺は瞬殺しろっつった」
「いや、殺しちゃまずいでしょ」
不機嫌そうに言うルーパスであったが彼が本気でそう思っていないと言う事がわかる程度にはシュイはルーパスに親しみを持っていた。
そうして一段落ついた頃には辺りにすっかり人だかりが出来ている。若い救世主に沸き立つ通行人の波にルーパスはまたもいかにも不愉快そうな顔をした訳だが、シュイの方はと言えば年若い子供らしく照れながらも微笑ましい表情を浮かべる。
「えへへ」
そうして歓声を浴びるシュイは、人気を避けてさらりと姿を消すルーパスに気づかない。ルーパスは人だかりができると決まって足早にそこを離れることをシュイは知っていたが、自分にかけられる歓声に気を取られていた。
シュイが愛想笑いを振りまいていると規則正しい足音をたて重々しい銃を下げた兵士が数人、野次馬をかき分けて姿を現す。
「すまない、通してくれ」
魔導機関銃士兵団。銃士兵と呼ばれる彼らはここ十年ほどの間で整備された警察組織のようなものだ。
世相に明るくないシュイであっても彼らのことは見たことがある。魔術師に類する存在でありながらその本質は異なることを知っている。魔術の才を持たない魔に導かれる者、魔“導”師。
魔道具がなければ魔法を扱えない人間だ。
「街道で暴れているというのはお前か?」
こちらを見下ろすその短髪の女は、銃士兵の武器たる魔導機銃はもちろんのこと、荘厳な刀を腰に下げていた。
【追記】
この世界の魔術師の多くは、魔法術式を必要とし、常に術式の書かれた符を何枚かストックしている。
符のストックが切れた際には手間はかかるがその場で術式を作り発動することも出来る。
また、上級魔法は臨機応変にその場の情報を術式に取り入れなければならず、事前に術式を小分けの符にし、発動時に組み立てるということが一般的だ。