9 ベルトラン VS ゼーゼマン
私が着地をすると、ゼーゼマンは急いで近くで倒れている黒いローブを着た人間に駆け寄った。
そして、素早くその人間から杖を剥ぎ取ると、こちらに向けて杖を構えた。
「一足遅かったな。貴様がアリスの弟子か?」
「……」
私は問いには答えずに、今しがた奴が落とした瓦礫の下を見た。
あの瓦礫の下から少しだけ見えているのは、アリスの服ではないのか……。
いずれにせよ、アリスは不老不死、瓦礫で潰されたくらいでは死なないはずだ。
問題なのは、奴がアリスと戦って勝利したという事実。
そこからうかがえる奴の戦闘力の高さが問題だ。
「貴様も始末したいところだが、今日はここまでとしよう。目的は達せられたのでな」
「逃がさん」
目的は達せられたというのは、どういうことだ。
それも含めて聞き出す必要がある。
「俺に構っている暇があるのか? 貴様の師匠は瓦礫の下だぞ。救い出さなくていいのか?」
「ふん。だからどうした、彼女の不死身を知らんわけではなかろう。瓦礫で潰されたぐらい、五分もあれば元通りだ」
「不死身ではない。俺の編み出した時間回帰の呪いにより、不死の体になる前まで時間を戻した。今の奴は瓦礫の下敷きになれば確実に死ぬ」
時間回帰の呪い?
そんなものが本当にあるのか。
だとすると、アリスは……。
「それでは、これで失礼するよ」
ゼーゼマンはそう言うのと同時に杖を振るい、青白い光の刃で切りつけてきた。
咄嗟にしゃがんで刃を避ける。
頭の上を刃が通る。空気が切り裂かれる音がする。
当たれば致命傷になるだろう。
私がゼーゼマンに視線を戻すと、奴はすでにそこにはいなかった。
上を見ると、空を飛んで逃げようとしている奴の姿があった。
どうする……。
アリスのことは気になるが、奴のことを逃がすわけにもいかない。
私は一瞬だけ逡巡したが、奴のことを追うのが先決だと判断した。
アリスがそう簡単にやられるなど、ありえない。
私は再びオリジナル(固有魔法)を使い、自らに電気を纏わせ、雷の化身へと変身した。
地面を強く蹴って飛び上がり、奴のあとを追う。
雷の化身となった私の体は、音速にも耐えられる。
アリスと比べると魔力の量は少ないため、発動できる時間は短いが、この魔法を使っている間は誰よりも速く動ける。私の魔力性質を応用したこの魔法は、私が使える魔法の中で唯一、アリスにも、ランベール様にも使えないオリジナル(固有魔法)だ。
この姿になれば、銃弾よりも早く動ける。
空中を逃げるゼーゼマンの背後にすぐに追いついた。
「ちっ。もう追いついてきたのか!」
「逃がさん、と言ったはずだが? 『ライトニング』!」
私の杖の先から黄色い閃光が放たれる。
そこから白い稲妻がジグザグに不規則な動きをしながら奴の背中へと向かった。
「くっ……」
奴は杖を振るって、稲妻が体に触れるすんでのところで防いだ。
「うっ……この魔法は……」
「痺れるだろう。この魔法はギリギリで避けても体を麻痺させる」
空中で一瞬動きが止まった奴の頭上に飛翔する。
そこから落下して、隙だらけの脳天に雷速の蹴りを入れた。
ゼーゼマンは地面へ急降下し、鈍い音を立てながら地面へと落ちた。
私は落下点へと静かに降りて行った。
「……死んではいないはずだな。お前が一流の魔法使いであるならば」
私がそう呟くと、ゼーゼマンは倒れていた体をゆっくりと起こした。
奴は上半身だけを起こし、ずるずると移動し始めた。
アリスとの戦いで受けた傷。そして、私から受けた傷。どちらも致命傷ではないが、すでに体を動かすものきついはずだ。
苦しそうに体を引きずっている。移動するのもやっとの状態だ。
それでも油断してはならない。まだ魔力は温存しているように見える。
魔力が使えれば、攻撃できるし、浮遊魔法で逃げることもできる。
「もう抵抗するな」
私がそう言うと、奴は近くの大岩にもたれかかり、そのまま座りこんでしまった。
やっと観念したようだ。
「はあ、はあ、……さすがは、あの魔女の弟子だ」
「さきほど、お前は『目的は達せられた』と言っていたな。お前の目的とはなんだ?」
「知れたこと。アリス・アリーヌの抹殺だ」
「不可能だ」
私が当たり前の反論をした。
アリス・アリーヌは不老不死だ。
私が生まれるよりもずっと昔に竜の血を浴びて死ねない体になった。
七十年前の大戦では、そのことを活かし、リイヨン王国のために獅子奮迅の活躍をした。
かつてアリスと戦ったことのある者なら、そんなことは知っているはずだ。
「話を聞いていなかったのか? あの女に時間回帰の呪いをかけた。俺はあの女の体が縮むのを見た。つまり、竜の血を浴びた年齢よりも前まで、奴を若返らせたのだ。ただの瓦礫が致命傷になる。もっとも、時間回帰の呪いで胎児にまで戻って死んだ可能性もあるがな」
そんな馬鹿な!
ハッタリだ。聞くだけでも難易度の高い呪いの魔法だ。
あのアリスを相手取って、どうやってそんなものを成功させたのだ。
「どうやったのか、疑問か? 簡単だ。クロエとかいう女を使ったまでのことよ。あの魔女の弱点は貴様でも知っているだろう? 不死身の魔女の甘い性格」
「……!」
「どうした? 表情が固いぞ。……ククク。……だが、まだ生きているかもな。あの魔女はしぶとい」
「そのとおりだ。どっちにしろ、お前は監獄送りにする」
「それはどうか……な!」
そのとき、奴がもたれかかっていた大岩が持ち上がった。
無駄なことを……。
「くらえ!」
ゼーゼマンは大岩をこちらに投げつけてきた。
これだけの傷を負いながら、大した魔法の出力だ。
だが、私は軽々とその大岩を避けた。
「最後の抵抗か。……まだ私のスピードを理解できていないようだな」
私は杖をゼーゼマンに向けた。悪あがきはこれまでのはずだ。
それなのに、奴は不敵に笑っていた。
「いいや? 十分に理解したぞ。貴様なら、あの大岩がアリスを潰すまでに追いつける。ギリギリな」
私はハッとした。
奴が大岩を投げた方向。それは……アリスの家があった方向だ。
「さあ、どうする? まだ生きているかもしれないアリスを助けに行くか? それとも、……」
私は奴の言葉が終わる前に、アリスの家に向かって飛翔した。
奴の言葉の信ぴょう性は薄い。だが、今になってもアリスが私たちを追いかけてこないのはおかしい。
とっくに体は再生していてもおかしくない時間だ。
「まったく世話の焼ける!」
雷の化身となった私は、すぐに大岩を追い抜いた。
アリスの家があった場所が見えてくる。
状況は、さっきと何も変わっていない。護衛たちや黒いローブの人間は倒れ伏したままだ。
そのことが、私の心をざわつかせた。
アリスは、まだ回復していないのか!
私は焼け焦げた地面に着地し、アリスを探した。
ゼーゼマンが落とした瓦礫の下からは、アリスの衣服がわずかに出ている。
まさか、本当にこの瓦礫の下にアリスが……!
「アリス! 起き上がれ! 大岩が飛んでくるぞ!」
……くそっ。何の反応もない。
瓦礫の近くには誰かが血を吐いたあとがあった。
まさか、この血はアリスのものなのか。
間もなく、大岩がここに飛んでくる。
考えている時間はない。
「くっ。力業は得意ではないというのに……!」
上空から大岩が飛んでくる。
その質量と落下のスピードから、相当な運動エネルギーを有しているとわかる。
「『サイコキネシス』!」
大岩に杖を向け、物凄い勢いで迫ってくる大岩のベクトルを操作した。
「うっ……空中で止めることは叶わぬか。ならば……!」
大岩の進行方向が逸れるように横向きに力を加える。
結果、大岩は私がいる地点の右前方五メートルのあたりに落下した。
大岩は家の瓦礫を吹き飛ばしながら、地面にめり込んだ。
もうもうと土煙と家が焼けたときの灰が宙に舞う。
パラパラと舞う小さな木片と灰が私の頭に降りかかる。
「アリス……! いいかげんに起きてくれ!」
アリスの衣服の上に落ちた瓦礫を撤去する。
怪我をしているなら、すぐに治癒の魔法をかけらるよう、杖を構える。
……が。
――――そこには……アリスの衣服だけがあった。
「ア、アリス! まさか胎児にまで戻ったか!」
衣服の上から手探りで、アリスを探す。
きっと、衣服で隠れて見えないだけだ……。
だが、いくら探してもアリスはいなかった。
「はあ、はあ、はあ、…………い、いない」
そこには誰もいなかった。
残ったアリスの衣服だけが地面の上に置かれていた。