8 カーズ・バック
私は十人の魔法使いに囲まれて、身動きがまったく取れないでいた。
ゼーゼマンは少し離れたところから私のことを観察している。
長い白髪の間から見える顔は、七十年前と変わらない。
長寿の魔法で年齢を維持しているのだろう。
「やっとこの目で貴様が死ぬところを見れそうだ」
彼は挑発するように笑っていた。
普段は鋭いその眼光は、今ばかりは歓喜の色を放っていた。
「くっ……」
まずい。このままではやられてしまう。
ベルトランはまだ来ていないのか。
彼が来れば助かるのに……。
なぜ、ゼーゼマンの狙いに気づけなかったのか。
このままでは、このままでは……。
焦りから考えがまとまらない。
私は自分がパニックに陥りかけていることに気が付いた。
「ふーーーーっ……」
息を深く吐く。
落ち着かなければ。
冷静になるんだ。
挑発的な笑いに気を取られてはいけない。
ゼーゼマンは敵を屠ったところで笑うような男ではなかったはずだ。
いつでも仏頂面で、人を殺しても眉ひとつ動かさない冷徹な男。
あの笑みは、私の平静さを失わせるための罠だ。
まだ助かる道はある。
私の手には杖が握られている。
この呪いの本質さえ見抜ければ、即席で解呪の魔法を組み立てられる。
私は杖をアンテナのように立てて、私に浴びせられる呪いの魔法を受信した。
詠唱の内容はわからないが、奴らの杖で生成されている魔法陣の特性は、これで解析できる。
「だいぶ時間がかかっているな。長生きしていたおかげで、ちょっとだけ死ぬまでの時間を先延ばしにできたな」
「……」
「傍らの女の心配もしてやったらどうだ? 波が強め合う位置ではないとはいえ、若返りの影響は受けているぞ。貴様よりも先に胎児まで戻ってしまうだろう」
「……」
「つまらんな。最後に言い残したことがあれば聞いてやろう。遺言だ。残り時間は少ないぞ」
「……戻るって、言ったかしら」
「……なに?」
「戻る……、これは時間が巻き戻っている。……時間回帰の呪い」
私のつぶやきを聞いて、ゼーゼマンの顔色が変わった。
「おい。いつまで時間をかけている。さっさと呪いをかけきってしまえ!」
「『カーズ・バック』」
私は自分にかけられた呪いを弾き返した。
その瞬間、手足が動くようになる。
「ぐあ……」
「あぐぐぐ……」
「が……あ……」
私を取り囲んでいた十人の魔法使いのうち、三人が体を痙攣させながら倒れた。
まずは、体の自由を奪っていた呪いを奴らに『カーズ・バック(呪い返し)』で返した。
「しまった!」
ゼーゼマンが焦った声を出す。
私は急いでクロエさんのことを魔法で浮遊させ、取り囲まれた円の外へと放り投げた。
ちょっと乱暴だが、防御の魔法もかけておいた。
怪我はないはずだ。
ゼーゼマンはというと、自分が落とした杖を探していた。
「俺も呪いをかける! お前らそれまで持ちこたえろ!」
杖を探し出して、一緒に時間回帰の魔法をかけるつもりのようだ。
私は杖を振り、竜巻を起こした。
さきほどの戦闘でゼーゼマンが生み出したものよりも何倍もの規模の竜巻だ。
ゼーゼマンの周りにある瓦礫を竜巻で巻き上げ、はるか彼方まで吹き飛ばした。
「杖は見つかりそうかしら? 探すのを手伝うわ」
ゼーゼマンは茫然と彼方へ消えていった瓦礫を見つめていた。
彼の杖も一緒に吹き飛ばせたはずだ。
彼は私のことを睨みつけて怒鳴った。
「……宝杖ヨルムンガンド! その忌まわしき杖をいまだに持っていたのか!」
「捨てようと思っていたんだけどね。今回はこの杖に助けられたわ」
この杖の感度は抜群にいい。
さきほどアンテナとして魔法を受信することで、奴らが使っている呪いの魔法陣は解析できた。
加えて、時間回帰の呪いであるというヒントを得られたことが大きい。
これだけの材料があれば、奴らの使っている呪いに対抗する魔法をいくつか思いつける。
すでに、解呪の魔法陣を脳内で組み立て終わった。
「お前たち! 何人かは時間回帰の呪いを解いて、拘束の呪いに切り替えろ! 身動きさせるな!」
「遅い!『カーズ・バック』!」
「くっ……お前ら自害しろ! 呪いを返させるな!」
ゼーゼマンが命令するやいなや、私を取り囲んでいた七人の魔法使いは、杖を自分の胸に突き立て深々と突き刺した。
黒いローブから赤い鮮血が飛んだ。
「なんてことを!」
呪い返しは、返す相手がいなくなれば成立しない。
「ふははは! これで呪いは再び貴様に浴びせられるぞ!」
ゼーゼマンの言う通り、黒い光を纏った呪いの魔法は一瞬だけ宙を彷徨ったのちに、私の方に飛んできた。
「あっ!」
私に黒い光が直撃した。
その瞬間、体全体に強い痛みが走った。
先ほどまでは爪が縮んだり元に戻ったり、髪が短くなったり長くなったりしていただけだったが、今度はほかにも変化があった。
体が縮みだしたのだ。体が軋み、痛みがある。
私は自分の手を見た。どんどん小さくなっていっている。
服がぶかぶかになり、目線が下がっていく。
「ふぅ……ふぅ……。どうにか間に合ったか」
私は喉が痛くなって、声を出すこともできなくなった。
体組織がどんどん過去に巻き戻っている。
その副作用で、体の中が傷つき、血を吐いた。
立っていられない。
私はその場で膝をついて、それから前のめりに倒れた。
「さあ、止めだ。最後まで油断はしないぞ」
◇
◇
◇
~ベルトラン視点~
アリスから伝言を受け取った私は、この街に危機が迫っていることを、すぐさま警官隊に知らせた。
アリスのもとへ駆けつける前に、警官隊へ指示を出さなければならない。
敵の狙いはアリスだけかもしれないが、それが陽動ではない保証はどこにもない。
「ベルナール様。警官隊への指示は……」
「この紙に書いておいた。隊長が来たら渡せ。私はアリスの家へと向かう。警官隊十名は、すぐさま街はずれにあるアリスの家に向かうように伝えろ。途中にある喫茶店に敵が一人捕縛されているとのことだから、そこにも二名向かわせろ」
「承知いたしました。馬車の準備が整いましたので……」
「すぐに出る」
玄関へと向かうと、逆に玄関から慌てた様子で警官隊の隊長が入ってきた。
「ベルナール様。お待たせいたしました。警官隊三十名、到着いたしました」
「指示は全て執事に伝えてある」
「は……。ベルナール様はどちらへ……」
「古い友人を助けに行かねばならん。街のことは任せたぞ」
私は馬車に乗り、アリスの家へと向かった。
途中、喫茶店を通り過ぎて、アリスの住む家まで丘を一つ挟んだところまできた。
――――丘の向こうから煙が上がっている。
「ここまででいい! あとは自分で飛んだほうが早い!」
馬車の扉を開けて、自分に浮遊魔法をかけて外へ飛び上がった。
私はオリジナル(固有魔法)で自らを雷の化身へと変え、丘の向こうへと飛んだ。
空からアリスの家を見る。
いや、正確にはアリスの家があった場所を、だ。
家は粉々に吹き飛んでいる。
なんと凄まじき攻撃力だろう。
敵は相当な手練れのようだ。
家から少し離れたところには、黒いローブを着た者たちが縛られている。
その近くには、私がアリスと行動を共にするようにと送り出した護衛たちが倒れている。
吹き飛んだ家の近くには、もっと多くの人間が倒れている。
いや、一人だけ立ち上がっている者がいる。
奴は……たしか、オスカル・ゼーゼマン。
デスルーアンの監獄より脱獄した四人のうちの一人。
マウンテン・カニグルの大虐殺を引き起こした悪魔のような男。
服は焼け焦げ、頭からは血が流れている。
激しい戦闘があったことがうかがえる。
しかし、あの男は何をやっているのだ?
何やら瓦礫を魔力で持ち上げて、あの布の上に落そうとしている。
そのとき、私はハっとした。
あれは、……あの布はアリスの衣服ではないのか。
そう思うのと同時に、ゼーゼマンは瓦礫をドスンと布の上に落した。
そして、落とした瓦礫をじっと見つめている。
まさか……。
私はそこから少し離れた場所に着地した。