6 オスカル・ゼーゼマン
私は三人の護衛とともに、自分の家へと向かった。
日はすっかり落ちて、あたりは静寂に包まれていた。
草を踏みしめる私たちの足音だけが聞こえている。
「敵と戦う前に、あなたたちに防御の魔法をかけておきますね。体のまわりに分厚い布団を巻き付けてたのと同等の防御力が得られます」
「布団……ですか」
「と、とにかく見えない障壁を張ります。動きづらくなったりはしないので、ご安心を」
私は杖を護衛の人たち一人一人に向けて、魔法を放った。
「これでよし。武器はその警棒を使うんですね?」
「はい」
「わかりました。それでは、ここからは私が先頭を行きます。みなさんは私のあとをついてきてください」
「は……しかし、それでは、護衛になりません」
「敵は魔法を使ってくると思われます。私が先頭にいないと、対応ができませんから、みなさんは私の後ろにいてください」
護衛の人たちは互いに顔を見合わせていたが、「承知しました」と言ってくれた。
魔法に対抗できるのは魔法だけであると知っているのだ。
それから、しばらく歩くと、大きな丘が見えてきた。
この丘を越えれば、私の家だが……。
――――丘の向こうからは煙が上がっていた。
その煙は真っ赤に染まっており、煙の発生源で火が勢いよく燃えていることがわかった。
「アリーヌ様……これは……」
「慌てないで。別に家が燃えたって構わないわ。……それよりも、回り込まれていないか注意深く観察してください。背後を取られると厄介です」
丘の向こうからバチバチと木が燃える音と、レンガが崩れる音がする。
あの家は、街の人たちが好意で建ててくれたのに……。
そんな思いが胸にこみ上げてきたが、今は感傷に浸っている場合ではない。
丘の頂上まで来ると、丘を少し下った先に私の家が見えた。
ごうごうと勢いよく火を噴き、煙を上げている。
見ると、家の前に黒いローブを着た四人の人間が立っている。
全員がフードを被っていて、顔は見えない。
その近くには、一人の人間が倒れ伏している。
火に照らされて見えるその姿は、クロエさんで間違いなかった。
「……クロエさん」
ここからでは、クロエさんが生きているのか、死んでいるのかわからない。
奴らがあんなに堂々と構えている以上、罠に違いなかったが、もう少し近づくしかない。
サクサクと草を踏みしめながら前進する。
周りにほかの敵がいないか、注意深く観察しながら……。
奴らのいるところまで、あと十五メートルほどまで近づくと、ローブを被った背の高い男が喋りだした。
「そこで止まってもらおうか。アリス・アリーヌ。それ以上近づくと、この女を殺す」
そこまで大きな声ではなかったが、威圧感があり、はっきりとここまで聞こえた。
私たちは足を止めた。
「杖を捨てて、両手を頭の後ろに組んでうつ伏せになれ。そうすれば、女は解放してやる」
私はクロエさんの方を見た。
ここからでは、彼女の様子がよくわからない。
男はさらに話を続ける。
「安心しろ。この女は生きている。だが、生きて帰れるかどうかはお前の態度次第だ。さっさと杖を捨てろ」
私は杖を取り出した。
そして、そのまま杖の先を奴らの方に向けた。
「杖を捨てたら彼女のことを解放する? いつからそんなにお優しくなったのかしら。杖を捨てるのはあなたたちのほうよ。死にたくなければ降伏しなさい。そうすれば、また監獄に送るだけで勘弁してあげるわ」
「強気だな。俺が殺さないと思っているのか」
「逆よ。どっちみち殺す気でしょう? だから杖を捨てても無駄だと言っているの」
「フッ。なるほど。やはりこういう展開になったか。……では、人質を有効活用させてもらおうか。さきほど、貴様らが丘の頂上からこちらに向かってくるときに、この女に呪いをかけた。もう数分もすれば、呪いの力で死ぬだろう」
数分……。
はっきり何分と言わないあたりがいやらしい。
呪いの力が発揮される前に奴らを退け、クロエさんに解呪の魔法をかけなければならない。
なるほど、この時限式の呪いには覚えがある。
四人の脱走者の中でも、とりわけ呪いが得意な奴がいた。
「制限時間を設けて焦らせようってわけ? それだけで私に勝てそうかしら? オスカル・ゼーゼマン」
「覚えてくれていたとは光栄だ。今宵、七十年越しの復讐を果たさせてもらうぞ」
オスカル・ゼーゼマン。
彼が得意としているのは呪いの魔法だ。
呪いにもいろいろあって、童話などに出てくる呪いは、獣や爬虫類に変えられてしまったり、眠りに落ちてそのまま目覚めなかったりするが、ゼーゼマンが得意としているのは生命の根源に対する冒とく、死の呪いだ。
特に、時限式の即死魔法は、彼の代名詞となるオリジナル(固有魔法)だ。
この呪いの解呪はそこまで難しくない……が、呪いをかけた人間にリスクがないことが珍しい。普通、呪いが解かれるときには「呪い返し」といって、呪いをかけた人間にその呪いが返される。呪いは強力であるがゆえに、そのリスクも大きいのだ。
しかし、ゼーゼマンは何のリスクもなしに他人に対して呪いをかけられる。
彼がニューペリー大学の医学部学生だったころ、安楽死の研究にのめり込んだすえに、彼の生来の魔法特性を利用する形で時限式の即死魔法が開発された。世紀の大発明だと喜ぶ研究チームだったが、その日のうちに、研究チームの教授を含む七名はゼーゼマンによって殺害された。
彼がどんな理由でその凶行に及んだのか、彼以外の誰にもわからないが、それ以降、ゼーゼマンは姿を消した。
時は流れ、第四次魔法対戦が始まると、当時の帝国の軍最高司令官ギュンター・ヴォルヘルムは、どこからかゼーゼマンを探し出して来て、軍の参謀総長に任命した。
いったいどこで何をしていたのか、彼は多くを語らなかったが、参謀総長としての手腕はリイヨン王国の参謀本部の人間も舌を巻くほどだった。
彼は優秀な人間を次々に発掘して登用し、指揮系統の強化を図り、裏切り者を死の呪いで脅して秘密裏に王国の暗号化された作戦命令を解読した。
リイヨン王国は作戦が筒抜けになっていることを知らないまま物資や人員を各拠点へと派遣し、ことごとくその拠点を潰された。
事態を重く見た王国の参謀本部は、私と私の弟子であるランベールを招集し、ランベールに新たな暗号の開発を依頼し、私には現場にて拠点防衛をするように依頼してきた。それでようやく、王国は敗戦の風向きを変えることに成功する。
ゼーゼマンは、大戦末期になると自ら前線へと趣き、現場指揮と戦闘の両方をこなした。彼は自身の凶悪な呪いの魔法で、カニグル山防衛戦にて、リイヨン王国の人間を四十四名殺害している。マウンテン・カニグルの大虐殺は、今では歴史の教科書に載っている。
結果的には前線に出てきたことが仇となり、カニグル山中腹に構えたキャンプにて、私と私の弟子であるランベールに捕らえられた。
帝国はゼーゼマンを失ったことで総崩れとなり、リイヨン王国は辛くも勝利した。
本来ならばBC級戦犯として死刑になるところだったが、帝国はさまざまな代償と引き換えに身柄を自国へ引き渡すように交渉してきた。戦費の浪費によって疲弊していた王国はこれを了承し、多額の賠償金と引き換えにゼーゼマンを帝国へ引き渡してしまった。
そして、加算式懲役を採用している帝国の裁判によって、懲役八百年の終身刑となった。
「……ゼーゼマンの相手は私がします。みなさんはほかの三人のお相手をお願いします」
「承知しました」
私は護衛の三人に指示を出した。
フードで顔が隠れてはいるものの、敵の残りの三人は、例の脱走者の三人ではないと思われる。
わずかに見える顔と、背格好から、そう判断できる。
脱走者でここにいるのは、このゼーゼマンだけということになる。
それならば、私だけでも十分に勝機はある。
彼の実力が七十年前のままなら、だが……。
「あの者たちを俺に近づけさせるな。俺は、これから不死の魔女と戦わねばならん」
ゼーゼマンも傍らの三人に指示を出した。
これで、私とゼーゼマンの一騎打ちとなった。