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4 エウース襲撃

 私はベルトランの屋敷で過ごす準備をするために、いったん街のはずれにある自宅へと向かった。ベルトランが馬車を用意してくれていたので、帰るのに一時間もかからないだろう。

 念のため、護衛を三人つけてもらった。敵に襲われるのが怖いというわけではないが、油断して敵に不覚をとるリスクはなるべく避けるべきだと思った。


「あっそうだ。帰りにクロエさんの喫茶店に寄ってください。立ち寄る約束をしていたので……、五分ほど立ち寄るだけです」


「承知いたしました。アリーヌ様」


 もうポールさんはクロエさんに会いに行っただろうか。

 二人の仲がどのように進展するのか気になるところだが、今はそれどころではない。

 場合によっては、同じく街のはずれに住んでいるクロエさんにも、一時的に避難してもらったほうがいいかもしれない。


「もしかすると、私の友人にも屋敷に来てもらうことになるかもしれません。構いませんか?」


 私は護衛の一人に尋ねた。


「はい……いえ、どうでしょう。ベルナール様がご許可されるかどうか、我々にはわかりかねますので……」


「ああ、そうじゃなくて。この馬車って四人乗りでしょう? もう一人増えると、誰かが馬車の御者席に移ってもらわなくてはならないの。それは構わないでしょうか?」


「その場合は、護衛の一人が御者席に移りますので、問題ありませんが……」


 どうやら、ベルトランに無断で客人を増やすことに不安があるようだ。

 まあ、普通は主人に許可を取ってから判断することではある。


「ベルトランには私から言うから大丈夫ですよ。心配しないでください」


「は、はい。ですが、やはり許可は必要なのでは……」


「許可はあとからでいいんですよ。仮に怒り出しても、あなたたちのせいではないと言っておきますから。私を信じてください」


「しょ、承知いたしました」


 護衛の三人は少し不思議そうな顔をしていた。

 それもそのはずだ。

 実は、私がベルトランの師匠の師匠であるという情報は、誰も知らないのだ。私は七十年前の大戦で死んだことになっているので、護衛の人たちにとって、私は単なる客人という認識なのだ。


 ベルトラン・ベルナールという人物は、この街の顔役である。

 いや、この街だけではなく、このリイヨン王国における重要人物だ。そのへんの木っ端貴族よりも名が通っているし、国への貢献度もほかに比肩する者はほとんどいないだろう。

 若くして私の弟子であるランベールに才能を見出され、ベルヒニャンからこのエウースの街にやってきた。魔法学、哲学、数学、物理学、医学、建築学、法学、経済学、政治学などなど……ランベールと私で教えられることは全て教えた。

 特に、魔法学、建築学、経済学の分野で成果を上げている。魔法学において、魔法の杖における魔力伝達の高効率化に関する論文が学会で高い評価を受けた。

 魔法の杖は、魔法陣の内部生成を行うために必要な道具だ。杖に魔力を早く通せると、それだけ早く杖の内部で魔法陣を組むことができる。ベルトランは、その杖に使われる材質として銅30パーセントとオリハルコン70パーセントの合金である銅真金が最適であり、その際の杖の内部構造はサイクロイド状に捻じれている必要があることを理論的に突き止めた。

 これにより、ベルトランの論文は、製杖業会を激震させた。

 オリハルコンを使用した杖は高額であるため、一般の魔法使いが購入できるものではないが、ベルトランの論文に触発された研究者たちがベルトランと共同で開発した赤銅を内部にサイクロイド状に埋め込んだ杖は、従来のものに比べて非常に魔力伝達率の高いものであり、それでいて廉価であった。

 この杖は非常に高い評価を受け、現在、リイヨン王国の魔法学校で学生が使用するスタンダードな杖のモデルとして採用されている。他国でも、ベルトランの理論を応用して似たような杖が開発され使われている。

 これだけでもすごいが、ベルトランは建築学において、経験則として知られていたサンブナンの原理を橋梁工学からのアプローチで証明したり、経済学において、物理学の理論を応用して経済物理学という新しい分野を確立することに寄与したりしている。


 忙しい忙しいと言う割に、年に数回は論文を学会に投稿しているし、どこからその気力が湧いてくるのか謎である。彼の周りにいる人たちには、ベルトランは超人に見えていないだろう。実際、超人だ。

 そんなわけで、彼は有名人なのである。彼のもとで働いている者たちは、全員が強烈なファンだと言っていい。

 だから、この護衛の人たちは、そんな自分たちが崇拝している超人のことを敬称もつけずに呼び捨てにしたり、許可もなく客人を増やそうとしたりしている私のことを不思議な人物だと思っているのだろう。


 ……愛人だと思われてないよね?





 馬車を走らせて三十分。

 私たちはクロエさんの喫茶店の前に着いた。

 外はだいぶ暗くなってきた。もう日が落ちかけている。

 店の明かりはついていた。


 私は馬車を降りたとき、店のドアが半開きになっていて、店内から明かりが漏れていることに気が付いた。

 嫌な予感がした。


 杖を取り出し、急いでドアへと向かった。

 バンっと音を立てて店の中に踏み込んだ。


 ―――――店の中は、燦燦たる有様だった。

 机やイスは乱れ、食べ物と飲み物が床に散らばっていた。

 二人分の食事、……ポールさんとクロエさんが食事をしていたのか。


「……誰かいませんか」


 私は震えそうになる声を抑えて、静かな声でそう言った。

 すると、倒れた机の向こう側でうめき声が聞こえた。

 駆け寄ってみると、家具屋のポールさんが倒れていた。

 顔が青白くなっていて、頭からは血が流れている。


「ポールさん! ……今、ヒールの魔法をかけます」


 私は杖を取り出し、ポールさんの傷を癒す魔法をかけた。

 杖の先に緑色の光が灯り、その光がポールさんのことを包んでいく。


「護衛の方々は、店の中と外を調べてください。敵がいたら私に報告を、この店の店主のクロエさんのことも探してください」


 まさか、……まさかこんなに早く敵が来るとは。

 デスルーアンの監獄から四人の受刑者が脱走したのは五日前。グルノブルで目撃されたのが昨日。

 異常な移動速度だ。グルノブルからここまで、汽車に乗っても二日はかかる。

 襲ってくるのはどんなに早くてもあと1日はかかると思っていたが、甘かった。


 ポールさんの顔色は次第によくなっていった。

 よかった。呪いなどはかけられていないようだ。

 ただの外傷ならば、もうじき目を覚ますはずだ。


 私は邪魔な机やイスをどけて、ポールさんの体を仰向けにした。

 頭の傷以外は擦り傷程度なので、問題なさそうだ。


「アリーヌ様。この家の中には、誰もいないようです。奥の厨房や貯蔵庫は荒らされていません」


 貯蔵庫が無事ということは、強盗が押し入ったというわけではないということだ。

 やはり、帝国の人間が襲ってきたのか。


 そして、家の中には誰もいない。

 つまり、クロエさんは連れ去られた。

 何のために?


 ……決まっている。人質だ。


 私は、目をつむり、深くため息をついた。

 この事態は、全て私が招いたことだ。

 後悔の念が押し寄せてくる。

 もしも、クロエさんがすでに……、そんなことは考えたくない。


 ベルトランの言う通り、七十年前に奴らを始末してしまえばよかったんだ。

 なぜ、あんな凶悪な人間に慈悲などかけたのだろうか。

 ……いや、慈悲ではない。わかっている。

 私が人を殺したくなかっただけなんだ。

 人殺しの業を背負いたくないという私のわがままを、慈悲の心とすり替えていた。


 涙が溢れ出てきそうになる。

 ……だめだ。泣いている場合じゃない。

 私は歯を食いしばった。


「…ア、リスちゃん、なのか……」


 私はハっと目を開いた。

 ポールさんが薄目を開けて、こちらを見ていた。



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