1.冒険は廊下の奥の部屋から始まる
女探偵鹿野凛シリーズ第2弾です。
シリーズ第1弾「夏に降る雪」をまだ読んだことのない方はそちらを先に読んでいただくと分かりやすくなっており、またこの作品には第1弾のネタバレも含まれます。是非第1弾の方も読んでみてください。
「日本のモン・サン・ミシェルですか。凄いですねその人。」
日曜日と火曜日と木曜日。週に3回僕の家でご飯を食べるという決まりが新しい「普通」になってきた秋の食卓で好物のハンバーグを頬張りながら鹿野凛は言った。
彼女は数ヶ月前の夏の殺人事件で両親を一度に失った。
正確に言うと父親は被害者で母親は加害者だった。
親戚を説き伏せ、僕の家の近所で一人暮らしをし、同じ高校に通っている鹿野凛は僕の幼馴染みでもある。
「そんな人と知り合いだったとは蓮のお母さんもやり手だなー。」
相変わらずハンバーグを口に放り込む。蓮というのは僕の名前で苗字は鹿野ではなく名代だ。名代家と鹿野家は古くからの付き合いがあり夏の事件もその中で起きた事件だ。
僕の目の前に座る父・名代研二が水をゴクっと飲み話を進める。
「そんでその日本のモン・サン・ミシェルの持ち主が来週末に知り合いを集めて推理ゲームをするらしい。俺の元にも2名様の招待状が来たんだが生憎俺は来週末は野球観戦なんだ。という訳で幻想的な島での推理ゲームの参加権を凛ちゃんにあげようと思ってるんだけど、、、」
「いいんですか⁈行きたいです!来週末は土日に加えて文化祭とか体育祭の振替休日で月曜日火曜日も学校ないので、時間に余裕がありますし。」
「じゃあ蓮と凛ちゃんで楽しんできてくれ。」
そう言って1人早く食べ終えた父は二階の自室へと上がっていった。
父なりに凛を気遣っているのだろう。推理や謎解きの類は父も凛も得意とする所だ。普段なら上司との野球観戦になんて目もくれず推理ゲームに飛びかかる所だ。
ハンバーグの最後の一切れを掴みながら凛が隣の僕を見て尋ねた。
「その日本のモン・サン・ミシェルは一体どこにあるの?」
「確か瀬戸内海のどこかだった気がする。」
幼稚園生の時一度母に連れられて言った記憶を絞り出して答える。
「それって、厳島神社じゃない?」
「厳島神社は干潮でも鳥居に行けるだけでしょ。」
「潮干狩りも出来るらしいよ。」
ハンバーグを食べ終えた凛は食器を下げ、父と自分の分の皿を洗う。
「蓮も早く食べ終わってね。一緒に洗うから。」
「あー、ありがとう。」
凛が僕の家でご飯を食べるときは凛が片付けをすることになっている。
僕がサラダを掻き入れ、キッチンの方へ持っていくと凛は手元に目線を置いたまま意地悪い笑みを浮かべて言った。
「2人で旅行だね。」
決して付き合っているわけでもなく、独りでに突き進む凛の後ろを僕が付いていくだけの関係だと信じ込んでいたが迂闊にもドキッとしてしまった。
そんな僕の様子を見て凛はケラケラと嬉しそうに笑っている。
片付けを終え時刻は8時近くになっているのを見て凛が帰り支度を始め僕も彼女を送るために上着を羽織る。
初めの頃は凛もわざわざ送ってくれなくても大丈夫と言っていたが、これも一つの習慣となっていた。
すっかりと暗くなった夜空に満月になりかけの月が浮かんでいる。最近になってようやくLEDに変わった電灯に照らされた道路を2人並んで歩いていく。凛の家までは10分ほどだ。
「蓮のお母さんの事件の犯人まだ捕まってないんだっけ?」
「え、、あぁ。うん。捕まって無いどころか、誰なのかさえも分かってない。」
唐突な話題に反応が少し遅れた。
僕の母はこの世にはもういない。
僕が小学生の時に突如起きた母の死はそれが他殺によるものということしか分かっていない。
「研二さんがいてもまだ分からないのか。」
研二とはもちろん僕の父のことで、先述した通りその推理の腕は息子の僕から見てもなかなかのもので、凛の両親の事件は研二が解決したのだ。(凛も真相には辿り着いていたのだが。)
「父さんも初めの頃は自分で調べたり、警察の人に色々聞いたりしていたんだけどね。結局何も分からなかったみたい。僕も何も覚えてないし。」
「何も?」
覗き込んでくるようにして聞いてくる凛に驚き僕は少し頭を回す。
「あー、いや。一つだけぼんやりと覚えているのは警察の人たちがモズって言っていたことなんだよね。まあ意味分からないから聞き間違いか、どこかで変な記憶が出来ちゃったか何だろうけど。」
「モズ?それって鳥の百舌鳥?」
「いや、分からないけど。」
「犯人を示す異名みたいなものかね。よくあるじゃん、警察がつける平成の〇〇とか、たまにふざけたような奴。あ、ごめん。気悪くした?」
「ううん。大丈夫。」
母の死は5年も前のことだ。それに凛が面白がっているわけでは無いこともわかっている。それに、父が無理でももしかしたら凛なら母の事件を解明してくれるかもしれない。
「蓮はお母さんの事件、解決したいの?」
「そりゃ勿論。」
「じゃあ、来週末頑張らないとね。」
「へ?」
「だって、蓮の死んじゃったお母さんの知り合いからの招待なんでしょ?生前の蓮のお母さんを知っている人ならもしかしたらなんか知ってるかもよ?」
なる程、全く考えていなかった。
「手伝ってくれるの?」
「そのつもりだったけど、迷惑かな?私のお父さんの時も蓮が手伝ってくれたしね。それとも私じゃ物足りない?」
「いや、全然そんなことない。ありがとう。」
凛の両親の事件で僕がしたことといえば凛の後ろを金魚の糞みたいについていったことぐらいだが。(一応、犯行の動機を犯人がわかった後で言い当てたが、偶然が重なりまくった結果だし、凛や父の推理に比べれば月とスッポン、雲泥の差だ。)
「でも分かっていることが、『百舌鳥』だけじゃ、さすがの凛も何もできない?」
「いや、そんなこともないかもよ。当時どう言う状況でお母さんが殺害されていたか覚えてる?」
「いや、父さんは聞いただろうけど、まだ小6だった僕には何も伝えられてないよ。死んだ母さんに会ったのは司法解剖の前に警察の建物の中でだったから。」
「そっか、じゃあ正確には推測できないけど。百舌鳥ってのが本当に犯人の異名だと仮定すると結構なことが推測できるね。」
「何で?」
「異名ってさ、鳥の図鑑にダーツ投げて刺さった鳥の名前に決定する、とかじゃないと思うんだよね。きっと意味がある。特に『百舌鳥』なんて異名に意味がないわけないよ。」
鳥に詳しくない僕は何を言っているのか分からない。
「百舌鳥が何か特別なの?」
「百舌鳥の早贄って知ってる?百舌鳥の習性で、秋から冬にかけて捕まえたエサを小枝や有刺鉄線のトゲに串刺しにして置くことがあるの。理由とかは確かじゃないんだけど。その『百舌鳥』って言う異名が、百舌鳥の早贄と犯人の犯行の特徴をかけたものなら納得がいく。」
「あまり、考えたくないね。」
「そうだね。後もう一つ。異名がついてその異名が指すものが犯行の特徴なら、その犯人が殺害しているのは蓮のお母さんだけじゃないかもしれない。」
「つまり、複数人を殺害してて、毎回『百舌鳥の早贄』のようなことをしてその被害者のうちの1人が母さんだったと。」
「そういうことになるね。まあ、そもそも本当に百舌鳥が異名なのかっていう疑問があるけど。今のところ情報がなさすぎるね。」
相変わらず凄い速さで話が展開した。多分僕じゃなかったら気を悪くする人もいるだろう。月か電灯の光かを反射して輝くミディアムヘアを弄りながら進める彼女の話は刺激的に違いない。
「何かないもんかね。情報を知る糸口が。」
「、、、もしかしたら、父さんの手帳になんか書いてあるかもしれない。当時色々調べていたことを。」
今まではどこか怖くて父の手帳を盗み見ることはしたことはなかったが、凛と一緒ならその恐怖も全く無い。
と考えて自分が情けなくなる。
「5年も前ならその手帳を今も持ち歩いてるってことはなさそうね。まだ捨てずに持ってるかな。」
「明日父さんの部屋を探してみるか。父さんは仕事で出ているし、部屋に鍵がかかっているわけでも無い。」
「いいの?勝手にそんな事して?」
「僕が提案してなくても、凛が提案していたでしょ。」
凛は笑いながら「そうかもね」と呟く。
「じゃあ、明日放課後、2人直で蓮の家に行こう。蓮は水泳部の練習大丈夫?」
「うん、休めばいいから。」
うちの水泳部は体育会の部活の中で一番緩いと言われている。一日練習を休んだ程度では何も言われない。
ちなみに凛は剣道部だが、剣道部の稽古日は火曜日木曜日金曜日なので明日月曜日には練習はない。
話は明日の約束をして終わり、残りは剣道部のメンバーについての話になった。
凛を彼女のアパートに送り届けた後自宅に帰る道で見た月はさっきより少し満月に近づいているような気がした。
白い布をどかすと、そこには母の青白くなったものの綺麗な顔があった。小6の僕でも母がもう息をしないことが分かった。建物から出ると雪が降っている。その白さをみて再び母の死顔を思い出す。悲しみか虚無かそれとも恐怖か、なんとも分からないものが自分の中で渦巻き続け涙は出なかった。母が死んだと聞いた時に出し尽くしていたのかもしれない。
僕は少し歩く速さを上げて家へ帰る。明日に向かえる冒険に少しだけ胸を膨らませながら。
その日は夢を見なかった。いや見ていたのかもしれないが少なくとも覚えていない。
キーーンコーーンカーーンコーーン
全国どこにでもありふれたチャイムの音が鳴り、本日の6限目終了を告げる。僕は隣の席に座る水泳部の友達に部活を休むことを伝え、教科書類を鞄に詰める。終礼が終われば僕と凛はすぐに学校を出て5年前の未解決の事件に首を突っ込むという高校2年生には十分刺激的な冒険に出るのだ。
担任教師が二学期末試験の試験範囲について説明し終え起立と号令をかける。
僕と凛はアイコンタクトを交わし、さようならという声が止む前にそれぞれ教室の前と後ろのドアからでて階段で合流する。
どうやら凛も冒険を前にして少し興奮しているらしい。
「そういえば何で蓮のお父さんに内緒で調べるの?話を聞いた方が早い気もするけど。」
「父さんに話したら十中八九、危険なことには首を突っ込むな。っていうでしょ。犯人まだ捕まってないし。」
「だね。」
凛も半ばわかっていて聞いてきたみたいだった。
2人で秋の高い空の下少し急ぎ目に僕の家に向かう。
周りから見たら夏休み明けの小学生のように見えたかもしれない。家に入り、そのまま玄関の横の階段を上り荷物を僕の部屋に置いて二階の廊下の奥にある父さんの部屋のドアノブに手をかける。
「なんかドキドキするね。」
「うん。」
僕は返事をしながらドアノブを回す。父の部屋に入った事がないわけではないが今は何処かに宝が隠された秘密の部屋のように見えた。
ドアの目の前に机があり手前の壁に本棚、部屋の左側にはベッドがある。
「蓮から見て怪しいのは?」
「無論机の引き出し。」
手帳を入れる場所といえば机の引き出しと相場が決まっている。
予想通り机の下の方の大きな引き出しの中に10冊程度の手帳が入っていた。手帳には表紙にそれぞれ恐らく使用期間であろう年号が書いてあった。
「事件は5年前だから2015年の緑のやつだね。」
凛はそう言って黒い文字で2015年と書かれた少し燻んだ緑色の手帳を手に取った。
「一旦この部屋出て僕の部屋で見ない?なんかここ落ち着かないし。」
僕の提案で、隣の部屋に移動して2人して白い絨毯の上に座り手帳をめくる。
「取り敢えず事件に関係するページを見つける。そのページをコピーしてその後はこの事件の捜査本部は私の部屋にしよう。蓮の部屋だと、蓮のお父さんにバレる可能性もあるしね。」
「異議なし。」
短いやり取りが終わったちょうどその時凛がページをめくる手を止めた。
「これだね。」
凛が指したページから数ページにわたって調べた事が箇条書きで書き殴ってある。
事件に関係する最後のページには「断念」と取り分け乱暴な字で書いてあった。