【408話】 闇の住人
「よ、よし…準備完了!」
アリスにバフ魔法をかけてもらったリリア。
床の開口部の前に立つ。
気合の入った表情だが、けっこう腰が引けている。
まぁ、飛び込まない側が笑えることではないが…
「よ、よし… い、行くわよ…本当に行くわよ」リリアの声が震える。
「… 無理しなくても… 待ってるから心の準備が出来たらでいいよ」ペコが声をかける。
「こ、こういうのはね、考えるな、感じろ!よ!」とへっぴり腰で震えながら言うとリリアは「や!!」と気合を入れて地下室に飛び降りた。
素早く立ち上がるとリリアはランタンを翳す。
「ッグエ! ぅおぇ!」
悪臭がとんでもない勢いでリリアの鼻に襲い掛かる。
アリスの呪文が効いて、ゾンビやアンデッドは土になったようだ。
人の形をしたような土盛りが足元に散らばる。
中は食べ物やお酒を貯蔵するのに使っていた様だ。
両壁に棚があり、発酵食品や、酒樽が置いてある。
その風味と悪臭と物が焼ける匂いでリリアはえずく。
ランタンを前方に翳してみる。
そんなに大きくない地下室なのだが、煙が立ち込めていて視界が悪い。
蟲も沸いている。
「今のところ変わったことは無いみたい。煙が凄くて見えないよ。奥に行く」
リリアが歩くと背後で大きな足音がした。
「降りたわよ。カバーする」ペコの声が背後からする。
奥に進むほどの部屋でもない。単に煙で周辺が見えにく。
「煙がまわって危ないね。早く済ませるわよ」ペコの声がする。
「何か、周りに犠牲者の跡と… 壁や床に儀式かなんか呪文?かな…魔法陣みたいなのが… この辺り… ぬあ!」
実況しながらゆっくり移動していたリリアが驚きの声を上げて、床に尻もちをつく。
「こ、これ!ひ、人!い、いたいた!」リリアが腰を抜かしたようだ。
「どうした!リリア!」背後からペコの声が迫る。
「どうした!俺も降りるぞ!」続いてバジルの声が地下室に響き、床が大きく音を立てる。
ランタンを翳していたリリアの視界、煙の中の闇から突然、それが目に飛び込んできたのだ。
いや、一階から存在を認めていて異様な存在がいるとは予想はしていたが、間近で見るその姿は言い難い程、異様で醜悪そのものだった。
皴しわに縮んだような老婆の顔、何か異様に細く長く伸びる、血管の浮き出た腕。
その腕は手先には壁や床に根付くような皮や肉がはっている。
上半身は裸だが、どこか木の幹を想像させるような、鱗のような異常な皮を纏っていて、かと思えば、ところどころ干からびたように醜く皮がただれ落ちたようになっている。
上半身の途中から胴は蜘蛛のような形になり、長い毛で覆われ、そこからやたらとひょろ長い足が生えている。
散乱とした頭髪は後頭部から壁の魔法陣に巻き付くように絡んでおり、外見は老婆だが、髪の一部は反して若々しくも見えなくない。
そして、全身は何か濁ったスライム状の液体を滴らせて、肉や皮がつららの様に床や壁に垂れ下がり、魔法陣と一体化している。
「あ… あ… あぁ…」
リリアは突然視界に飛び込んできた者の姿を目では確認したが、そのあまりに異様な光景に驚愕のあまり固まってしまった。
ランタンを虚空に掲げたまま、我を失って座り込んでいる。
「リリア!伏せろ!もう十分だ! ペコ!やれ!」
バジルの叫びが耳に飛び込んでくるなり、リリアは強く床にねじ伏せられた。
※※※※
”………”
神経を研ぎ澄ませる。
体に伝わる感触からは十名以上の何者かが集落内のトラップを破りつつあるようだ。
”あれだけの贄を喰ったのに”
苦々しく思う。
トラップもゾンビやアンデッド頼りにならないもの。
”明らかに力が… あの頃の様に…”
私はしばらく暗い中で魂を吸うことにだけ集中した。
壁の魔法陣、床の魔法陣を通じて、贄から、魂吸のロッドから人間どもの血や肉を吸う。
思うより効果が発揮されない。最近特にこんな感じだ。
贄が出涸らしになったこともあるだろうが、明らかに一部の封印が効いて効率が落ち続けている。
”人間共め…”
しばらくして私は気配を伺う。
どうやら建物内に進入してきたようだ。
トラップと同時に張ったセンス効果だけではなく、体にも振動を感じる。
”獲物… この獲物で…”
どうやら、魔力もソールも高い連中が踏み込んできているようだ。
”この獲物を手に入れることができれば… しかしこのままでは…”
私はどうにかこの場で獲物を捕獲しなければならない。
私は侵入者の気配をトラップ、体で探る… そう、蜘蛛の様に…
「お婆ちゃん… 力を… もっと人間どもを壊したい…」
呟いていた。
途端に懐かしいお婆ちゃんの思い出が過る。
ポーションを煮込む匂い。
煮えたぎるポッドの液体。
お婆ちゃんの鼻歌。
アルケミスト台に滴る血。
大皿の上の肉片。
骨を砕く音。
「あぁ…お婆ちゃん… 私のお婆ちゃん…」
お婆ちゃんが優しく微笑み、仕込んだ薬を私に飲ませてる
私は自ら儀式代の上に…
私は衝撃を感じて我に返った。
勘違いだけではない、何者かがこの地下に進入してきたようだ。
私は不意を突かれる思いで、慌てて魔法陣の発動を試みる。
目の前に灯りがちらつく。
久々の光… 眩しく揺れる。
何とかお婆ちゃんへの想いを振り払う。
昔なら簡単に発動できた魔法が…
私は可能な限り集中し、体の底から気力を振り絞る。
「人間BBQを… スキュアーオブ…」
言いかけた時だった…
目の前に不意に人の顔が現れた。
目を凝らす…
間違いない人間だ。
女の顔がすぐそこにある。
人の顔だ…反吐が出る思い…
”せめて一人でも多く…おまえだけでも…”
気力を振り絞…
女はこちらを見て驚愕の表情をし、のけ反る様に床に尻をつく。
一瞬私の目に映った、純真な瞳…
脳裏に葬り去った記憶が蘇る
”お父様、お母様!”
笑顔、家族の声、食卓…
”なぜ私達を捨てたの? 家族でいつまでも幸せに暮らせると思っていたのに”
気が付くと私は炎に包まれていた。
私は改めて自分の醜い姿を目にする…
”お婆ちゃん、お婆ちゃん! まだ死にたくない…力を… 人間に復讐を…”
「ぉぉおおぉおおおおおぐえええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇ」
私を葬り去ろうとする人間に憎悪を向けたが、揺らめく炎が視界を遮り、はっきりとは見えない。
ただ、陽炎のなかに一瞬浮かんだ連中の眼差し…
嫌悪するような、憐れむような、怒るような…
思わず私は目を背けた…
次の瞬間目の前が光りに溢れる
「…ザ… エルザ…」
私は呼ばれて目を覚ます。
私は、始めは何がなんだか理解できなかったが、やがて意識がはっきりとしてきた。
「お、お父様!お母様!」
白い窓、白いカーテン、白いテーブルクロス…
「メラニー姉さん、ミランダ、コレット」
私は家族の名を呼ぶ。
家族団らんの場。
「お父様!お母様! なぜ!なぜ私を、私達を捨てたの?私はお父様とお母様と一緒にいたかった。皆で暮らしたかった!私達がどんな思いをしたか… あぁぁお父様、お母様、あなた達には私の苦労が、苦痛が分からないでしょう」
私は父と母に詰め寄る。
家族は、困ったような、悲しげな表情…
「エルザ、本当にすまない。しかし、私達もお前たちの元から去ったのではない… あの日街に向かう森の中で叔父の手にかかり…」お父様が口惜しそうに言う。
「それでは…捨てられたと言うのは… 叔父の… そんな」
私は何か頭の中が、脳が裏返しになるような衝撃。
「そ、それでは、これからは皆一緒… 私達は皆一緒… 失った時間を…私の一生を取り返せる…」
私は泣きながら訴える。
「エルザ、本当にすまない。父さんと母さんを許してくれ。神が、おまえの罪を許してくれたもうなら、いつか再び一緒に暮らせるだろう。それまで… エルザ、本当にすまない、父さんも母さんも、皆家族でお前との再会を待っている」お父様が言う。
「なぜ!なぜ私だけ!」
突然私の視界長く伸びる様に、暗い影に包まれていく。
テーブルが長く長く伸びる様に視界が縮み、家族が悲しそうに私を見つめる。
「エルザ、出来るなら皆一緒に居たい。しかし、これは決まりだ。おまえは来れない。父さんと母さんを許してくれ!」
声と視界が遠のく。
私は慌てて幻を追う様に走りかけて転倒し自分の姿を目の当たりにする。
醜く歪んだ蜘蛛でもない人でもない… 魔物でものない…
醜態
「いやぁあぁぁぁああぁぁぁぁぁ、お父様!お母様!メラニー、ミランダ、コレットーーーーーーーー!」
そして深い深い、延々とした闇に私だけ飲み込まれていく。
全てが闇となり、時間の流れさえ失った漆黒の空間に何かが出てきた。
「おまえ、召されようなんてムシの良い事があるか… おまえは一生こっち側さ。おまえも分かっていただろう。人を捨てて来たんだろう… おまえは悪魔に魂を食われるまで延々と闇の住人として在り続けるのさ」
「お、お婆ちゃん…」
私は声も無く呟く




