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おとろし  作者: 青蛙
いち・常餓猿鬼編
8/17

6


 女子生徒の泊まっている部屋は談話室のある二階。全速力で階段を駆け上がった僕は、彼女の叫び声が聞こえた部屋へと急いだ。


「彩風さん!」


 談話室の横を通り、悲鳴をあげながら逃げてくる女子生徒達を避けて、左へと曲がった廊下の先に彼女は居た。

 酷く怯えた様子で尻餅をつき、扉が開け放たれた部屋を凝視していた。あまりの恐怖に彼女は立ち上がれないのか、尻餅をついたまま必死に身体をばたつかせて後ろへと下がっている。しかし少し下がった所で彼女の身体は廊下の壁に当たり、動けなくなってしまう。


「彩風さん! 立って! 逃げて!」


 そう叫ぶ声も聞こえていないのか、彼女はただ口をぱくぱくとさせているだけ。そんな彼女の目の前、部屋の入り口から黒いものがゆっくりと姿を現した。

 間違いない。昨日、森の中で見た猿の化け物が、今にも彩風さんに襲い掛かろうとしている。


「クソ猿! うおぉぉぉっ!」


 咄嗟に廊下に設置されていた消火器を両手で掴み、走りながら彼女に掴みかかろうとする猿の化け物へと投げ付けた。

 猿の化け物は一瞬此方を向いたかと思うと素早い動きで部屋の中へと再び引っ込んでいき、投げ付けた消火器を避ける。その隙に僕は彩風さんの所まで駆け付け、立ち上がれなくなった彼女を抱き上げた。


「けっ、けけ、けいくん。さささるの、ばけもの、が」

「掴まって! 逃げるよ!」


 こう言うのを『火事場の馬鹿力』と言うのだろう。自分でも信じられない程の素早い動きで軽々と彼女の身体を抱えると、談話室に向かって走り出した。

 数秒ほど走った時点で背後からドタドタという音が聞こえ、奴が再び部屋から出てきて追い掛けてきた事を察する。


 彩風さんを抱えて談話室へと飛び込んだ僕は、すぐに彼女を床におろして背後の談話室の分厚い扉を勢いよく閉めた。そして素早く扉の鍵を内側からかけた瞬間、「ドン!」という何かが扉にぶつかったような鈍い音が聞こえ、僅かに扉が振動した。


「はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ………」


 どうにか逃げ切った。

 途端に疲れがどっと溢れ、その場にへたり込んでしまう。


 扉の外からは、数度「ドン!ドン!」と体当たりするような音が聞こえてきたが、流石に諦めたのかドタドタと階段を降りていく音が聞こえたきり静かになった。

 この談話室は集会用に造られたものらしく、窓の無い四方が分厚い防音壁に囲まれたものなので、これでひとまずは安心だろう。


「はぁっ、はぁっ………鈴さん。だいじょう、ぶ?」


「だ、大丈夫。助けてくれて、ありがとう、ケイ君」


「はぁっ、はぁっ………無事、なら、良かった」


 一気に体力を消費して限界を迎えた僕は、その場で大の字に倒れた。酸素が足りていないのか視界がチラチラと明滅し、気分も悪い。

 とはいえ僕の心は達成感で満たされていた。目の前まで迫っていた猿の化け物から彩風さんを救い出す事に成功し、追い掛けてきたヤツからの逃走にも成功した。

 あの化け物の姿を見た瞬間心を恐怖が支配し、僕も彩風さんも逃げ切れずに死ぬのではないかとも思ったのだが、まさか上手く行くとは。

 階段を降りて一階に向かわず、最初から談話室を目指したのも正解だった。彩風さんを抱えたまま階段を降りてなんていたら確実に追い付かれてしまっていた事だろう。


 しばらくの間広い談話室に二人きり、無言の時間が続く。二人とも極度の緊張から解放されたばかり。静かな部屋に二人の息遣いだけが響いた。

 最初に会話を切り出したのは、彩風さんだった。


「ケイ君………私の事、助けてくれてありがとうね」

「はは………それ言うの二回目だよ」

「知ってる。何度お礼を言ったって足りないくらいだもん」

「そうかな? 僕は当たり前の事をしただけだよ」

「みんな私を置いて逃げちゃったのに?」

「皆は逃げちゃったけど、僕の中では当たり前なの」

「ふふっ。やっぱりケイ君って優しいんだね」


 彼女はそう言って微笑むと、大の字に寝っ転がっている僕に寄ってきた。

 ずっとだらしなく寝っ転がっているのも何だと思い起き上がると、すぐ隣に彼女が腰を下ろす。彼女も大分落ち着いてきたのか、いつもの穏やかな雰囲気を取り戻していた。


「ねぇ。ケイ君は、()()、何だと思う?」

「………わかんない。この地域の古い話に似たような怪物が出てくるらしいんだけど、あんまり詳しくなくて」

「そうだよね…………でも、あれは絶対に生き物なんかじゃなかった」

「? どうしてそう思ったの?」

「だって、少しも息してなかったんだもの。まるで操り人形でも見てるみたいだった」


 そう言ってから、彼女は襲われた時の恐怖を思い出したのか自分の身体をぎゅっと抱き締めてぶるりと震える。


 そんな彼女を横目に僕は衝撃で動けなくなっていた。

 僕もあれと間近で二度も対峙したというのに、全く気付いていなかった。あの化け物が呼吸をしていない事に、まるで違和感を感じていなかった。

 心の何処かでまだ信じきれていなかったのだ。非科学的な存在など有り得ないと。普通の猿が何らかの突然変異であれだけの異様な見た目と凶暴性を得たのではないかと。


 そんな淡い期待が一言で打ち砕かれた。


「そうだ………ヤツは一階に降りていった」


 一階にはアッキーと木嶋さん、それに逃げていった女子生徒の一部や他の先生、生徒、そして旅館の従業員さん達と大勢の人が居た。あれから悲鳴や激しい物音は何故かしていなかったが、皆は大丈夫だっただろうか。


「………ケイ君?」

「皆が心配だ。スマホは………しまった、部屋だ」

「私のスマホならあるけど………貸そうか?」

「いいの? ありがとう、鈴さん」

「気にしないで。私も皆が大丈夫か心配だから」


 彼女に差し出されたスマホ受け取り、LINKを開いてクラスのグループからアッキーのアカウントを選択、個別チャットを開く。そして、例の化け物から逃げてきて談話室に彩風さんと居る事と、其方は大丈夫なのかという事を簡潔にまとめて送信した。


 しばらく彩風さんと共にスマホの画面を眺めていると、ピロリン!という音と共に返信が送られてきた。少し静かな時間が続いた為に、音に驚いた彩風さんがしがみついてきて一瞬スマホを取り落としそうになったが、しっかりとスマホを握り直して内容を確認する。


「ええと……『一応大丈夫。降りてきたけど誰も襲わずに逃げてった』えぇ?」

「襲われなかったのは良かったけど、どうして?」

「『今からそっちに行くから待ってろ』って。鈴さん大丈夫そう? 立てる?」

「うん、もう大丈夫。それにしてもあの時はケイ君凄かったね。まさか私の事お姫様抱っこして走るなんて思わなかった」

「あっ、あの時はいきなり抱き上げたりしてごめん! い、嫌だったよね」


 助ける為とはいえ、好きでもない男子に身体を触られるというのは彼女も嫌だったろう。今更ながらそんな事に気が付いた僕は慌てて彩風さんとの座る距離をあけて謝った。

 しかしそんな僕の思いとは裏腹に彼女はきょとんとした表情になって此方を見つめてくる。


「別に………嫌じゃ、なかったけど」

「それって、どういう……」


 顔を上げると彼女と目があった。ほんのりと顔を上気させた彼女と目を合わせ続ける内に、無意識にお互いの距離が近づいて行く。

 もう少しで身体が触れあいそうになった瞬間だった。


「おい、来たぜケイ! 大丈夫か!?」


 アッキーの声と扉を叩く音でハッと我に帰った僕と彩風さんは慌てて身体を離して立ち上がった。そして、ふと互いに顔を見合わせる。


「今の! 忘れて………」

「う、うん。そうだよねケイ君。吊り橋効果みたいな、ものだよね」

「そう……一時の気の迷いみたいな、ものだよ、きっと」


 互いに誤魔化し合うようにそう言葉を交わし、ドアノブに手を掛けた。


「ふぅ。アッキーの好きなアイドルはHLB46と?」


「夏色クローバーXだぜ。推しはさおりん一択」


「成る程、アッキーで間違いない」


 簡単な本人確認を行い、鍵を開けて外に出るとアッキーと木嶋さんが待っていた。彼等は僕と彩風さんの無事を確認するとほっとしたような表情になった。


「良かった。そっちも無事だったか。お前が悲鳴を聞いて一人で走ってった時は肝が冷えたぜ」

「あはは……心配かけてごめん。でも、ちゃんと皆無事だよ」

「あっ、私ケイ君に助けて貰って。ケイ君が来てなかったらどうなってたか………」

「ハハハ、んな必死になんなくてもわかってるって。流石は俺の親友だな」


 そう言ってアッキーは僕の背中を力強くバンバン叩く。かと思えば今度は肩を組んできて顔を近付けてきて、耳元で囁いた。


「おいおい何か随分と仲良くなったみてぇじゃねーか。何やったんだ? 白馬の王子様よぉ」

「んなっ…………! 僕は何も。彩風さんともいつも通りだって」

「ふゥーん、まァいいや。うだうだしてる内に他の男に取られても知らねぇからなー」


 アッキーはまた僕の背中をバンバン叩いてから、顔をニヤつかせながら離れていった。姿勢をもとに戻すと、険しい表情に戻った木嶋さんが三人をそれぞれ確認して腕組みをする。そして彩風さんに視線を向けると口を開いた。


「さて、落ち着いた所で悪いんだが、小寺君と獺魯士君の二人にまた話があってな。まぁさっきの化け物の話なんだが………正直危険だから女の子の君には話に参加してほしくない」

「あれについて知ってるんですか!?」

「いや、ハッキリ知ってるとは言えないんだが………」

「私も話に入れて下さい! さっきは怖くて動けなかったけど、私も皆の力になりたいんです。あれをやっつけられる方法があるなら、知りたいです!」

「あー、うん。こう言ってるけど、君らはどう思う?」


 予想外の彩風さんの勢いに、困った顔になった木嶋さんが、助けを求めるように僕とアッキーに顔を向ける。僕とアッキーは顔を見合わせた。


「彩風さんだけどよぉ、やっぱ話に入れるべきかな。俺ァそれでも良いと思う」

「そうだね。もうアレに近くで遭遇してるからまた狙われるかもだし、知識があった方が安全かもしれない」


 それを聞いて木嶋さんは納得したようで、頷くと談話室の中へと歩き出す。そして適当に壁に立て掛けられていた折り畳みテーブルを部屋の中央に設置した。


「そんじゃあ、もう一度話し合いを始めようか」


 談話室の扉の鍵が、再び閉められた。


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