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◆◆◆
「だぁ、あぶぅ。あぁーうぅ」
「え、ここ………どこ?」
気が付くと見覚えの無い日本家屋の中に立っていた。敷き詰められた畳の麻の香りが鼻をくすぐる。障子からは外の暖かい陽射しが入ってきて部屋を黄金色に照らしていた。
「あぁぅぅ、うぁぁ。ばぁー」
「赤ちゃん? どうして」
先程から赤ちゃんの声がすると思っていたが、足元をみると可愛らしい顔をした赤ちゃんがニコニコして此方を見上げている。その赤ちゃんはおしめしか身に付けておらず、よく見ると足は膝から下が存在しない。まるで元からその先など無かったというように選択が丸くなっていて、ハイハイをするたびに畳にすってしまっていた。
「駄目じゃないか。肌が荒れちゃうぞ」
「だぁぶぅ。へぁっへぁっへぁっ」
「あはは、面白い笑いかただなこの子」
ハイハイしながらよってくる赤ちゃんを抱き上げると、その子は嬉しそうに笑い始めた。抱っこされたのが相当嬉しかったようだが、「へぁっへぁっ」なんて笑いかたをする赤ちゃんは始めて見た。
「それにしても、ここって何なんだろう」
「あうあうぅぅぅ、だぁぁ」
「えっ、向こう?」
ここは何なのだろうかと辺りを見回していると、抱き抱えていた赤ちゃんが両手を1つの襖の先へとのばしていた。それが「向こうに行こう」と行っているように見えて、赤ちゃんの顔を覗き込むとまた赤ちゃんは嬉しそうにニコニコする。
「………うん」
ゴクリと息を飲み込み、恐る恐る赤ちゃんが指し示した襖を開いた。襖の先には相変わらずの和室があり、部屋の中央にはよく磨かれた木目の美しいちゃぶ台が置かれている。その回りを小さな男の子や女の子が駆け回り、そして―――
「い、ラッ、しゃ……イ」
目の前に、異形が居た。
座っていると言うのに天井まで届きそうな巨体。その肌は青白く、ゆったりとした甚兵衛から覗く腕は丸太のように太くとても筋肉質だ。ばさりと顔を隠すほどに延びた髪の毛の隙間からは金色に光る眼と大きく横に裂けた口が見えた。
明らかに人間ではない見た目だ。しかし恐ろしい外見をしたものが目の前に居るにも関わらず、何故だか恐怖は感じなかった。むしろ祖父母の家を訪れたときのような穏やかな心地さえする。
「そこ……すわっ、テ」
巨体の化け物はゆったりとした動きで向かいを指差す。赤ちゃんを抱き抱えたままに座ると、台所の方から10歳ぐらいの和服の少女が歩いてきて湯気の立ち上る湯呑みを彼と僕の目の前に並べてくれる。前髪をぴったりと切り揃えた、人形のように綺麗な女の子だった。
「あ、ありがとう」
そう言うと彼女はお盆を胸に抱えて、にこりと花のような笑みを浮かべた。見た目が年下とはいえ女の子に免疫の無い僕は、彼女の笑顔に一気に顔が熱くなるのを感じる。だが少し不思議だ、彼女は先程から少しも声を出していない。今も彼女はとても嬉しそうな様子を見せつつも、無言を貫いていた。
「栞さん」
「声が出ないんだ」
ふと今度は隣から二人の少年の声がした。そちらを向くと、双子………と言うべきなのだろうか。頭が二つだが身体は一つで腕が左右二本ずつあるという奇妙な姿の少年が、ニコニコと二つの口で半分こにしたどら焼きを食べていた。
「「驚いた?」」
「あ、え、あっ! うん」
「こんな風にね、ここにいるのは僕らみたいに身体に障害があったり」
「もしくは親から捨てられちゃったような子供が集まってるのさ」
「「おとろしさんが皆を助けてくれてるんだ」」
「おとろし、さん」
どうやらこの巨大な化物は『おとろしさん』という名前らしい。彼の方に向き直ると、彼はその恐ろしい顔で穏やかな笑顔を作った。
「ケイ、うつワ、とテもオオきィ。ばショ、ヒロくとレた」
「僕の名前、知ってたんだ」
「いツモ、ミまもッテる」
身体を動かす度に天井にこすれそうになる巨体をちぢこめて、彼は身体を揺らして笑うと小さな湯呑みに入ったお茶を一気に飲み干した。彼の大きさでは普通の湯呑みでは一口ぶんにも足りないのではと思ったが、お茶を飲んだ彼は満足そうに「ふーっ」と息を吐き出してニコニコしている。
自分もお茶を出されたが、どうしたものかと湯呑みを眺めていると。目の前の彼は再び口を開いた。
「だいじょ、ぅブ。ヨモつへグゐ、なラナい」
「えと、安心って、事ですか?」
「そぅ。アンシん」
そう言われて恐る恐る湯呑みに口をつけると、見た目通りに暖かく、そして一口飲むと香ばしい匂いが口から鼻へと抜けていった。どうやら中に入っていたのはほうじ茶だったようだ。
「コこ、オぅち。わるィこ、きて、ケイ、きぜツしタ。だから、つれテキた」
「ええと………ここはおとろしさんの家で、あの化け物に襲われて僕が気絶したからここに連れてきた。これであってますか?」
「そゥ。いしキだけ、つれてきタ」
どうも彼は僕があの猿の化け物に襲われたのを助けてくれたらしい。思い出してみれば「ひだりへ」と言ったあの声はおとろしさんの声と同じような気がするし、旅館の部屋で聞いた子供達の声と低い声はこの場にいる皆の声のような気がする。一回目の忠告は聞かずに森へと向かってしまったが、きっとおとろしさんは最初から僕のことを助けようとしてくれていたのだろう。
「助けて下さりありがとうございます」
「けぃ、『いい子』。それニ、けンじトの、おやくソく」
「お約束?」
「………! いいノ、いイノ、きにシナイデ」
おとろしさんはハッと何か思い出したように大きく目を開くと、慌てたようにその大きな手をひらひらと横に振った。それがあんまり激しいものだから部屋の中に風が出来てしまい、双子は素早くお菓子の乗ったカゴを押さえ付け、栞さんは服の裾を手でおさえ、そして抱っこしていた赤ちゃんはびっくりしたのか泣き始めてしまった。
慌ててわぁわぁ泣きわめく赤ちゃんを揺すりながらあやすが、一向に泣き止む気配がない。どうすれば泣き止んでくれるかと困っていると、ぬうっと大きな青白い手がのびてきた。
「ごメん。とりみダした。たぇこちゃン、あやす」
「すみません、お願いします」
彼の大きな手に『妙子ちゃん?』と呼ばれた赤ちゃんを乗せると、彼は赤ちゃんを身体によせてあやしはじめた。しかし変な顔をしているようなのだが、彼の恐ろしい顔のせいでかえって赤ちゃんは更に大きな声で泣きだしてしまう。見かねた栞さんが何か書いた紙きれをおとろしさんに見せると、彼は申し訳なさそうな顔で赤ちゃんを手渡した。流石は女の子と言うべきか、赤ちゃんはしばらく栞さんに抱っこされていると泣き止んですぅすぅと穏やかな寝息をたて始めた。
「あ、うゥゥ……」
「お、おとろし、さん?」
「こども、むズかしイ」
おとろしさんはずいぶんと落ち込んでいるようで、がっくりと肩を落として一回りぐらい小さくなってしまったように見える。やはりこうして見ていると恐ろしさを感じない。おとろしさんは見た目こそ恐ろしいものの、仕草の一つ一つに人間味が滲み出ているのだ。
――――おい! ケイ、起きろ!ケイ!
ふと、玄関先からアッキーの声が聞こえてきた。しかし、自分以外の人も入ってこれるのかと外を確認してみるが、声の聞こえた場所には誰も居ない。ただ、声だけが聞こえてくるのだ。
「……アッキー?」
「オむかえ。色々、ハナすこトあタけど、こコまで」
「おむかえ?」
「アンシん、いっショ、いく」
おとろしさんはそう言うと、天井に頭をぶつけないように低い姿勢でゆっくりと庭へ出た。続いて自分も外に出ると、中にいる子供たちが笑顔で手を振ってくる。
「次は僕たちとも」
「沢山お喋りしよう」
「「またねー!」」
「…………!」
別れの言葉を告げながら手を振る双子。声は出さずとも身ぶり手振りで感情を伝えてくる少女。
どうやらこの家から出る時間になったらしい。横に立つおとろしさんがゆっくりと手を伸ばしてきて、此方からも手を伸ばしてその手をつかんだ。そしておとろしさんと手を繋いだまま外へと続く門へと向かう。門の外は不思議なことに何も存在せず、ただ真っ白に光輝いていた。
◆◆◆
「―――い、ケイ! ケイ!」
「う、ぐ………」
幼馴染みの少年の声と、身体を激しく揺さぶられたことで目が覚めた。相変わらず辺りには鉄臭い匂いと獣の糞便のような臭いが漂っていて気持ちが悪い。
「ケイ! 良かった!」
「あ、れ………アッ、キー?」
「そうだ、俺だ! 気が付いたか!? 良かった! お前が死んでたらどうしようかと」
「わ、ちょっと、そんなはげしく揺さぶらな"ッ!」
「あ」
あまりにもアッキーが激しく揺さぶってくるものだから舌を噛んでしまった。じーんと染みてくる痛みに思わず顔をしかめて踞る。
「っ、くぅぅぅ~~ッ」
「ご、ごめん。やりすぎた」
しばらくそのままの体勢で痛みを堪え、痛みが引いてきたところで周りの様子を確認した。
まず一番近くにいるのが僕が探していたアッキー。そして僕を囲むように同じ部屋のクラスメート達が心配そうな顔で此方を見下ろしている。
「そうだ……! 佐倉君は―――」
「えっ? あぁ、もしかしてあれが……」
気絶する直前、あの化け物に貪られていた佐倉君の遺体はどうなったのか無性に気になりそんな言葉が飛び出した。アッキーはそれを聞いて苦虫でも噛み潰したような顔になり、周りのクラスメート達も何か察したように顔を見合わせる。
顔を伏せたまま押し黙ってしまったアッキーに代わり、クラスメートの一人、鈴木が近付いてきて無言で地面の一点を指差した。他の皆は意識的にか、その指差した先から目を逸らしていた。
「あ……」
「俺達が気絶した獺魯士くんを見付けた時には、既にこうだったんだ。誰かまではわからなかったんだけど………そうか、佐倉君が」
佐倉君の遺体がぶら下げられていた木の根もと。そこに出来た黒い水溜まりの中に、彼の遺体だったものが散乱していた。もはや人の原型さえ留めていない。残っていたぼろぼろの布になった制服から、それが人であったことを辛うじて知ることが出来た。
あの化け物は、僕が気絶したあとも尚佐倉君の遺体を貪り続けていたと言うのか。そして、おとろしさんに守られていた僕には手を出せずに何処かへと去っていった、と。
「とりあえず、目が覚めたならここを早く離れないか? 佐倉には悪いけど、これ以上ここにいたら気が狂いそうだ」
「あ、ああ、そう、だね………鈴木君。ほら、アッキーも立って」
「………わかってる」
鈴木君に促されて立ち上がり、そしてしゃがみこんでいたアッキーも立ち上がらせる。同室のクラスメート達はアッキーも入れて五人。欠けること無く揃っている皆を見て少し安心した。
来たときと同じように片手に懐中電灯を握り、そして今度はスマートフォンで動画を流す。画面には朱くなるまで熱された鉄をひたすらに鍛える職人の姿が映る。
当然と言えばそうだが、突然大音量で動画を流し始めた僕にクラスメートの一人が掴みかかってきた。顔を青ざめさせ、必死の形相でスマートフォンの電源を落とそうとする。
「何してるんだお前、音であの化け物に気付かれたらどうするんだよ!」
「逆だよ。鉄を叩く音であの化け物を遠ざけるんだ。先生達が金属を叩いてあの化け物を追い込んでたから、有効なはずだって!」
わめく彼をどうにか宥め、あの化け物を近くから観察して得た情報で如何にこの音が有効であるか説明をする。最初こそ半信半疑だったようだが、途中から何か察したアッキーがこちら側についてくれてどうにか全員に納得してもらうことが出来た。
「それにしても、みんなあの化け物を見てたんだね」
「あぁ、まぁな」
「俺達気が付いたら何でか森の中に突っ立っててさ、旅館まで戻ろうってなって歩いてる途中で一回だけチラッと見えたんだよ」
「あんときゃバレなくて助かったけどバレてたら死んでたわ」
やはり皆も既にあの化け物と遭遇していたそうで、僕がそう言うと周りを歩いていた彼等は口々に例の化け物について話してくれた。皆は僕のように面と向かうような形で遭遇した訳ではなかったそうで、話してくれる内容の殆どは既に得られていた情報だったが、彼等がこうして同じものを見たことを教えてくれる事で自分の目が正しかった事を確認できた。
もと来た道を辿って戻り、化け物に襲われること無く旅館まであと数分といった所まで来てふとアッキーが話し掛けてきた。
「なあケイ、あれからずっと疑問だったんだけどさ、お前あんなとこで無防備に寝ててよく殺されなかったな」
「え? そりゃあ『おとろし』さんが―――」
そこまで言ってふと僕にも疑問が沸いた。
おとろしさんはいったい何処へ行ってしまったのか? アッキーには彼の姿は見えていなかったのか?
それともやはり、あれはただの夢で運良く助かっただけだったのだろうか。
「どうしたよケイ、いきなり無言になって」
「………あ、いや、なんでもないよ。でも、ちょっと聞きたいんだけど僕の周りに変なものとかって見えない?」
「えぇ? いや、なんも居ないけど………」
「本当に?」
「ああ、本当に」
それを聞いて少し残念に思ってしまった。自分では居ると思っていた彼が居ない。今この場で一番頼りになる存在だった彼は僕の妄想の中の存在でしかなかったのか。途端に心細くなってきて金属音を流し続けるスマートフォンがどうしようもなく頼り無いものに思えてきてしまった。
「大丈夫か? 顔色悪いぞ?」
「え………うん、大丈夫」
「調子悪いんならすぐに言えよ。何か起こってからじゃ遅いからな」
「………ありがとう」
しかしそうした心配とは裏腹に、最後まで何事もなく僕たちは旅館に辿り着くことが出来た。
旅館に残っていた先生達が安堵の表情で僕らを迎え、そして沢山怒られた。理由はどうあれ、事実としてこんな真夜中に外を出歩いて居たのだから当然だと言えるだろう。
そして、残りの肝試しに行っていたメンバーなのだが………。
明け方になり、5人だけが先生と地元のおじさん達によって森から連れ戻された。5人は何故か酷く怯えた様子で落ち着きが無く、何があったのか先生が聞こうとしても会話にすらならない。
残りのメンバー。目の前であの化け物に食われていた佐倉君も含めた9人は結局見つからず、夜が明けたのだった。