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3/2 後半の描写をマイルドなものに書き直しました。
一階まで降りると柵を乗り越え、何とか先生に見つからずに森に入ることが出来た。森に入る直前に見張りの先生に見つかりそうになったが、上手い具合いに草影に隠れることが出来て気付かれなかった。
昼間、肝試しに行くと言っていたグループ。行方不明になって見つからないとしたら、この森のなかに違いない。
「森っていうより、山………かな」
木々がうっそうと茂った夜の山の中は、懐中電灯が無いと数メートル先が見えない程に暗かった。時折遠くに見えるチラチラとした光は山に入った先生のものだろう。
「でも夜の森には慣れてる、はず。大丈夫……大丈夫」
小さい頃から夏になると、カブトムシを捕まえに家族で山に何度も入った。夜の山の不気味さには慣れないが、どうすれば行動しやすくなるかといった程度の知識ならば有る。
スッと身を屈めて、木々の隙間から見える空をじっと見つめた。およそ30秒ぐらいといった所だろうか。夜の暗さに目が慣れてきて視界が広がった。先程までは数メートルだったのが、今では十数メートルといったところだろうか。
「よし、行くぞ」
勇気を振り絞って歩き出した。正直オバケだとか怖いものは大の苦手だ。だが親友のピンチとあってはいてもたってもいられなかった。物心ついたころから友達だった兄弟のような存在なのだから。
一歩進む度にぱさりぱさりと枯葉が音をたてる。正規ルートではない所から入り、また先生達と出くわさないようにしているために道からは外れて歩いている。
突然急斜面が現れたり、すぐそこが崖になっている事があったりと山の中は危険が多い。そんな中を深夜の暗い中で歩くのは昼間の何倍も危険だ。注意しながら歩くと、自然と歩みが遅くなってしまう。
一つ不気味に感じたことなのだが、夜中と言えど山の中なので鳥や虫の鳴き声なんかが聞こえるものだと思っていたのが全く聞こえない。しーんと静まり返っていて、聞こえてくるのは自分の足音ぐらいのものだ。
「…………ん?」
ふと、視線を感じて背後を向いた。音はしなかったが、何かに見られているような感覚があったのだ。しかし、振り返ってみてもやはり真っ暗な森が広がっているだけで、何かがいるような感じはしなかった。
気のせい、だったのだろうか。
「くそ………嫌だな…………何処なんだよアッキー」
全身に鳥肌が立ったのを感じる。やはり来なければ良かったと、少し後悔した。
もう既にだいぶ道からは離れている。先生たちが生徒を探している声も聞こえない。とはいえ道まで戻って帰っても、旅館につくまで精々15分といったところ。そう遠くではない。
探すのを諦めてここで帰ってしまっても良いのだ。むしろ、そうした方が良いだろう。第一山の中に彼が居るだなんて根拠もないのにこうして山の中を捜索している僕がおかしいのだ。
「さっさと見つけて、さっさと帰ろう」
しかし、何故だか根拠のない確信があった。彼は部屋から拐われて、この山のどこかに居るのだと。
再び歩き始めてすぐ、足元に何かを見つけた。月明かりに照らされてきらりと光る。屈んでそれを手に取ってみると、それはどうやら学生証のようだった。名前の部分を懐中電灯で照らしながら見てみると『佐倉 大貴』とある。肝試しを企画したグループのリーダーだ。
拾った学生証はやけに土で汚れていた。単に落としただけならこんなに汚れることは無いはずだ。枯れ葉のカーペットが敷かれたこの地面では尚更だ。
まるで、何かに土をつけられたような。
「―――ッ!?」
不意に背筋にぞわりと悪寒が走り、遠くから何かが近付いてくる気配を感じた。
そして、咄嗟の判断で近くの茂みの中に隠れ、息を殺す。頭で考えるよりも先に、身体が判断していた。そして本能が告げている。「これが最善。あの何かに見つからない為に出来る一番」であると。
息を殺してじっと隠れ続けること数分。ガサガサと枯れ葉を踏みしめて歩く、何かの音が聞こえてきた。
「(………来た!)」
茂みの隙間から外を伺いつつ、一切の音を立てない。
ガサガサという音は更に近付いてきて、そして「カンカン」という金属を打ち鳴らすような音も更に遠くから聞こえてくる。
二つの音はどちらも近付いてきているようで、どんどん音が大きくなってきているのがわかった。
そして、先生たちの叫ぶ声。
「(何か…………追ってる?)」
叫び声に意味は無く、ただ大声を出して威嚇しているようで、それに従って「カンカン」という金属音もどんどん大きくなってきている。
いったいどの方向から近づいてきているのか、それを考え始めて、
――――がさり
すぐ近くで、音がした。
「(っ…………アレは!)」
草木の隙間から辛うじて見えたもの。
あちらはこちらに気付いていないようで、しきりに自分の背後を気にしているようだった。
その姿は、明らかに僕の知っている生き物ではなかった。
しかし、知っている。怪談好きのアッキーから聞いたことがある。毛の無い体表がぬるりとした猿で、身体は赤。そして、周囲に漂う血のような生臭い臭い。更にその生臭い臭いに混じって磯のような塩辛い臭いも漂ってくる。身体のあちこちにイボのようについていた小さくて堅そうな突起物だけは、聞いていた姿についての話と違っていたが全体的にはよく似ている。
「(ヒサルキ………)」
それはネット上でまことしやかに噂されるその化け物に、非常に似た姿をしていた。
かの化け物は猿の死骸に取り憑いて形を成すという。ヒサルキは周りの生き物を残さず食い殺し、ヒサルキの現れた山には動物が殆ど現れなくなると言う。勿論、人間がその山に入ってしまえば、どうなるかは想像に難くない。やけに鳥や虫の鳴く声が聞こえずに静かだったことを思い出し、その理由を察した。
『く……ひも…………な…ほ……』
化け物は奇妙な声を出しながらやけに怯えた様子で周囲をぐるりと見回すと、また枯れ葉を踏みしめながら夜の森へと消えていった。
カンカンという金属音も一つではなく別方向からいくつも聞こえ、そしてかなり近付いてきている。確かネットの情報では、その化け物の苦手とするものは自然界に無い人工物だったはず。だから精錬された金属の打ち合わせる音なんかは特に苦手とされている、らしい。
先生たちに見つかっては不味いと考え、僕はそのまま茂みの中でじっと隠れ続けることにした。静かな森に、居なくなった生徒の名を呼ぶ声と金属のぶつかりあう音だけが響く。
どれぐらいの間、そうして茂みの中でじっとしていただろうか。茂みは完璧に僕の姿を隠し続けてくれた。生徒を呼ぶ声も、金属の音も聞こえなくなったところで茂みから抜け出て、最初にあのヒサルキに似た何かが歩いてきた方向を見やる。
「あっちか………?」
確証は持てない。だが、もしもあの化け物が皆をさらったのだとしたら、アレのいた場所に皆は居るはず。そう考えて、アレの来た方向へと歩き始めた。
森の奥へ奥へと進むほど、周囲の空気が重くなっていっているように感じる。生い茂る草木が段々と増えていき、月明かりさえ届かない暗闇が全身を包み込んだ。最早夜目をきかせればどうにかなる範囲を越えてしまった。
「ええと、懐中電灯は……よし」
カチリと音が鳴るまでスイッチをスライドさせるとオレンジ色の光が地面を照らした。そう大きくはない懐中電灯だ。広い範囲は照らせない。しかし、その懐中電灯によって照らされた枯れ葉の積もった地面が、妙にぬらぬらと滑りけを帯びて光っているのに気が付く。
はっとして足元を照らすと、そこにもやはり黒々としたぬめりが枯れ葉にへばりついていた。暗い中を歩いてきたせいで、足元の異常に気が付かなかったのだ。
「なん、だ……これ?」
足をどけると靴の下敷きになっていた枯れ葉がニチャァと音をたてながら剥がれていった。懐中電灯の灯りのもとでぬらぬらと光るそれが、あの化け物のぬるりとした赤い身体と重なった。
「体………液?」
そう思った瞬間、濃厚な生臭い臭いが森の奥から漂ってきた。あまりの臭いに思わず顔をしかめ、口と鼻をサッと片手で塞ぐ。懐中電灯でその臭いが漂ってきた方向の地面を照らしていくと、ぽつぽつと黒い滑りが続いているのに気付いた。
もしかしたらアッキー達、行方がわからなくなった皆はあの先に連れ去られたのではないか。あの化け物と同じ臭いがすると言うことは、化け物の住み処も近いのではないだろうか。そんな考えがふと頭に浮かび、自然とそちらに足を向けた。
点々と続く黒い滑りを追って歩く。次第に臭いの元が近付いてきたのか生臭い臭いは更に強烈になっていく。そうして進んでいく間も必死に周囲を見回して、誰か居ないか、誰かがこの近くに居た痕跡は無いかと探し続けた。しかし誰かがいた痕跡も、居なくなったクラスメートの姿も何も見つからないまま時間だけが過ぎていく。
――――ぴちゃ……ぴちゃ
「………水?」
ふと、水のしたたるような音が耳に入る。それは今いる場所からとても近くで聞こえた。
その音の元に近付こうとして、僕は気が付いてしまった。気付くべきではなかった事に。
「ひっ……」
この生臭い臭いは、人間の血の臭いだ。つんと鼻につく嫌な臭いは生物が腐ったような臭いだ。黒々としたぬめりは酸素を失って変色した血の色だ。そして、あの化け物の身体の色だと思っていた赤は、真新しい返り血の色だと。
すぐ目の前の方向から聞こえてくる水のしたたるような音。それが何の音かは容易に察しがついた。
ああ、来なければよかった。進みたくない。このまま何も知らないまま部屋に帰りたかった。明らかに普通の事件では無かったのに、変に関わろうなどと思わなければ良かった。まだ得体の知れない者がいる旅館に居た方がマシだった。
「あ………あ………」
ぴちゃぴちゃと赤黒い水滴が地面に水溜まりを作っていた。定まらない思考の中、軽率にも向けてしまった懐中電灯の光に照らされて変わり果てた彼の姿が暗闇に浮かび上がる。
「さ、佐倉………くん」
木の枝に胴体を突き刺される形でぶら下げられた彼の遺体から、ぽたりぽたりと血が滴り落ちていた。彼の遺体は想像を絶する暴力に晒されたのか損傷が酷く、破けた服の合間からは見たくもないものが露出している。あまりにも残酷なその姿に内臓を掴まれるようなストレスを感じ、喉まで上ってきたすっぱい液体が出そうになる。
きっと、殺されたあとにここまで運ばれたのだろう。だから血痕がぽつぽつと黒いぬめりになって地面に残った。そしてその犯人であるだろうあの毛の無い猿は、未だこの森の中を彷徨いているかもしれない。
全身の血の気が引き、冷や汗が吹き出して止まらない。脚にもうまく力が入らなくなり、情けなく歯をガチガチと震わせる。ああ、どうにか先生達があの化け物を殺していてくれますように。あの様子からしても弱点は確実に突けていたはず。何発も鉛玉を撃ち込まれた上に全身に弱点の金属を押し付けられれば化物と言えど只では済まない、だろう。
―――パキッ……ガサ、ガサ
「ひっ」
枝のような細いものが軋んで折れるような音。枝葉を掻き分けるような音が不意に頭上から響き、咄嗟にその方向に向けて懐中電灯を向けた。
「な、な、な……!」
「ミ、い………ツケ……ァ」
―――ガリッ………ボリッ、ボリッ、ボリッ
先程までは何もいなかったはずなのに。木にモズの速贄のようにぶら下げられた佐倉くんの遺体の上に覆い被さるようにしてソレは居た。
ぬるりとした毛の無い身体。血に濡れて赤く染まった全身、夜の闇のように黒く深い白眼の無い眼。口元からはみ出る牙と、異様に延びた手足の爪。
猿の化け物はそうして佐倉くんの遺体にかじりつき、次に何が起きるかを予期して一瞬目を逸らしてしまった。何か硬いものが砕けるような音と、ぶぢゅり言う水音と共に辺りに液体が飛び散り、更にじゅるじゅるとすするような音まで聞こえてくる。そして化け物へと視線を戻すと、ソレは極上の果物でも食べたような、実に満足そうな笑みを浮かべてこちらにジッと視線を合わせていた。
「………なん、で」
おかしい。確かにヤツは逆方向へと向かっていったはず。なのにどうしてここに居る。恐怖のあまりにかえって冷静になった頭で考えを瞬時に巡らせる。どうやってこの場を切り抜けるか。手元にヤツの弱点となる音を出せるようなものはあっただろうか。今持っているのは懐中電灯とカッター、そしてスマートフォン。
カッターは一応金属だが、スマートフォンや懐中電灯に打ち付けて甲高い金属音が出せるとは思えない。だが、十数秒ほど余裕が出来ればスマートフォンで動画を出して金属音ぐらいならば出せるだろう。この森も山のようだとは思ったが、電波が届かないような高い場所に来ている訳でもない。昼間は森の中でも問題なくスマートフォンが使えたことからも、使えないということは無いだろう。すぐさまポケットに手を突っ込んでスマートフォンの操作を開始した。
だが、今にも此方に飛びかかろうとしている奴の攻撃をどう躱すかがどうにも浮かばない。どう避けた所で、結果的にやつに捕まってしまう未来しか予想できないのだ。
そして、どう動くべきか考えも纏まらず、遂に化け物が動き出そうとした瞬間だった。
『ひだり、へ』
そんな声が聞こえた。
旅館の部屋で聞いた声と同じだ。低く落ち着いた、男性のような声。声は左へと避けるように指示しているように聞こえた。
人は命のかかった極限状態では、それが例え不確かなものであろうとも助けの手を差し出されればそれにすがりたくなるものだ。咄嗟に指示の通りに左へと飛び退いた。
―――ドサッ!
「かは………ぃ、はヤ、し……?」
つい先程まで自分が立っていた場所に猿の化け物が前のめりになって着地する。化け物の左腕が先程居た場所から見て右側の空を切っていった。
声に従っていなかったらどうなっていたか。右に避ければ腕に捕まり、後ろに避ければ前のめりになった化け物に掴みかかられる。左へと避ける事が結果として最善の選択となっていた。
「っ、スマホ!」
『だいじょ、ぶ。もぅ、まカせて』
操作の続きをしようと取り出して、ポケットからはみ出すスマートフォン。すぐに此方に振り向き再び掴みかかろうとする化け物。
不意に暗転していく視界の中で、化け物へとのびる太く青白い筋肉質な腕が見えたような気がした。
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