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「ええと、それじゃあ景君は薪拾いと米研ぎお願いできるかな」
柔らかな色の茶髪をポニーテールにした少女が、申し訳なさそうに僕にそう言って苦笑いした。
僕の通う中学校『小霊寺中学校』では、一年生の5月半頃に『臨海学校』という林間学校に似たような催しがある。4月に入学したばかりの生徒たちに、より仲を深めてもらう為の小旅行のようなイベントだ。その『臨海学校』で県内のちょっとした観光地、万葉県の鷸川町まで、僕たちは来ていた。
2日目の昼の催しとして行われた飯盒炊爨。僕たちの周りでも沢山の生徒たちが学校指定の芋ジャーを着て、わいわいと楽しそうに作業を始めている。しかしこの飯盒炊爨、1班につき五人で行うのだが、現在僕たちの班は現在僕を入れても二人しか居ない。
「良いよ。彩風さんも野菜とかの下準備宜しくね」
「りょーかい。ごめんね、他の皆は遊びにいっちゃったから景君に色々押し付けちゃって…………」
ポニーテールの少女、彩風さんは申し訳なさそうに肩をすくめた。他の三人はそれぞれ他のグループのサボりメンバー達と遊びにいって居なくなってしまったのだ。この班にいる女子が彼女一人だけだというのも、彼女の苦労の一つになっているだろう。
「気にしないで彩風さん。彩風さんも忙しくなっちゃったのは一緒だし」
「くすっ………そうだった。私も頑張らなきゃね。それと景君、私の事は彩風さんじゃなくて鈴って呼んで。何か私だけ名前で読んでると変な感じで」
「そっか。じゃあ鈴さん、そろそろ薪拾いに行ってくるよ」
「うん、お願いね」
僕はそう行って班に与えられたスペースを離れた。鈴さんも小さく此方に手を振った後にすぐに野菜をカゴから出して洗い始める。
薪を拾うことができる場所は飯盒炊爨を行うスペースから少し離れたところにある。山に続く林に入ってから少し進んだところ。そこに開けた場所があって、そこにキャンプ場を管理している人が剪定したり伐採したりして出た枝や木材がまとめて置いてある。僕が到着した頃には既に薪拾いに来た学生達が大勢来ていた。
「えーと…………これを使って運んでいくのかな」
他の学生達がそれを使っているのを見て確認する。薪に使える木材をまとめて山にして置いてある横に中ぐらいの大きさの工事用の手押し車があった。これの荷台に薪を乗せていけば、手押し車を返すのも入れて一往復で済みそうだ。
手押し車を一つ傍に寄せて、山になっている薪からかまどに入れるのにちょうど良さそうな大きさの薪を選んで積み上げていく。数分経たない内に手押し車の上には薪がちょっとした山みたいになった。
「少し重いな……………っ、おっと」
グリップを握って鈴さんの居る場所まで戻ろうと方向転換したところで、バランスを崩して倒れそうになる。しかし手押し車は少し斜めに傾いた時点で横からのびてきた腕によって力強く支えられた。
「あ、すいません。ありがとうござ………って」
そこまで言って相手の顔を見て気付いた。
見覚えのある精悍な顔立ち。校則で禁止されているにも関わらず、ルールなんぞ知ったことかとばかりにワックスでガッチガチに固められたリーゼント。剃って整えたと思われるキリッとした眉毛。そして肩幅の広いがっしりとした体型に、圧倒的な目力。
ハッキリ言って見た目は時代遅れの昭和ヤンキー。
「よう、ケイ。危なかったな」
彼はそう言って白い歯を見せて、ニッと笑う。
彼の名前は小寺 晃雄。僕たちの中学校がある辺りの地名である『小霊寺』の名前の由来にもなっている寺院『木霊寺』の一人息子であり、彼とは幼稚園からの腐れ縁だ。
中学生になるまで幼稚園も小学校も一緒で、クラスは一緒になったり別れたりだった。互いの家はそんなに近い訳でもないけれど、なんだかんだで長い間家族ぐるみでの付き合いがある。
「アッキー、ありがとう」
「おう。そうだ、それ手伝おうか?」
「いや、大丈夫だよ。アッキーも自分の班の分運ぶでしょ?」
「ん? 俺は今手押し車を戻しに来たとこだぜ。持ってくモンは何もないからな」
「そっか、でも大丈夫。さっきはちょっとバランス崩しただけだから」
よいしょ、と手押し車のバランスを安定させる。アッキーほど筋肉質では無いがこれでも男だ、これぐらいは自分の力で運べる。
手押し車を押しながらアッキーと調理場へ向けて歩き始めた。調理場まで行く途中、彼と僕はいつも通学路でそうしているように他愛もない話をしながら歩いていたのだが、その中で突然彼はふと思い出したように人差し指を立てた。
「あぁ、イベントといやぁ今日の夜のキャンプファイアもあるけどさ、佐倉たちが肝試しを企画してるらしいぜ」
「肝試し?」
佐倉は僕とアッキーのいるクラスの男子のリーダー的存在だ。彼と小学校が同じだったクラスメートの話では、何かイベントがある度に皆を盛り上げてくれる企画を考てくれていたらしい。この旅館のある辺りには昔からの言い伝えがあり、それを聞いた彼が思い付いて企画することになったようだ。
何度か僕も彼と話したことがあるが、正直苦手なタイプの男だった。妙にチャラいというか、自分勝手というか、彼が悪い訳じゃないのだけど性格が合わないのだろうなと感じた。クラスの女子に対しても妙に馴れ馴れしいというか、ベタベタとボディタッチが多いのも見ていて気分が悪い。
「でも肝試しやるって言っても、キャンプファイアが終わったら風呂入ってすぐ消灯時間だよね? 出来なくない?」
「その消灯時間が過ぎてから先生にバレないようにやるんだってさ。もう男女あわせて他クラスからも14人が集まってるらしい」
「へぇ。で、アッキーはそれ参加するの?」
「いんや? 正直肝試しとか言われたって雰囲気を楽しむモンだし、実際に見える奴からしたら普通の人間にしか見えない事が殆どだしなぁ。誘われたけど俺は断っといたわ」
「確かに………アッキーは見える人だったね」
「見えるだけだけどな」
アッキーはそう言うと残念そうに溜め息をつく。
昔からアッキーには他人には見えないモノが見えるらしい。どうも血筋のせいだそうで、彼自身は見ることしか出来ないほどにその力は弱まっているが、彼の父は日本でも有数の力の持ち主らしい。
ただ、この話もアッキーから聞いただけの、それもらしいと言うだけのなんともあやふやなものであり、あまり信憑性は無いのだけれど。
「見えるだけでも凄いって。僕はそんなの全然見えないし」
「まぁ……な。でも見えるだけってのは怖いぜ?」
「そんなもんなの?」
「そんなもんだよ。そうだなぁ………原型留めてない奴とか、下手に見ちまって目でもつけられたらたまったもんじゃねぇ」
親父が寺の住職じゃなきゃもっとヤバかったと言って、ため息をつく彼。以前、少しこうしたもの関連で酷い目にあった事があるそうで、何か嫌なことを思い出したのか彼はぶるりと身体を震わせた。
確かアレは、僕と彼が小学4年生の時じゃなかっただろうか。アッキーが一週間ほど学校を休み続けた事があって、普段の彼の元気の良さからはあまりにも考えられなくて、よく記憶に残っている。
「あー、でさぁ。ケイ、お前はどうする? 参加すんのか?」
「んー、いや、僕も別にいいかな。そう言うのあんまり得意じゃないし」
「ま、そんなもんか。別に幽霊なんざ珍しいモンでも無いからな」
「ハハハ……そりゃちょっとやだなぁ」
実のところ、こうしたオカルトは信じてはいても好きじゃない。むしろ苦手な方だ。怖い話を聞く程度なら嫌いじゃないが、信じているからむしろ近寄りがたいものに感じている部分もある。
リアルなものは本当に駄目だ。夏にテレビでやってるようなインチキ心霊映像だって一瞬たりとも目に入れたくない。目をつむって両手で耳を塞ぐに限る。肝試しで心霊スポットに行こうなんて罰当たりにも程がある。
「あ、ほらアイツら集まって話してるぜ。今夜の予定でも詳しく話し合ってんじゃないのか?」
「ほんとだ、うちの班の奴等もサボってると思ったらこんなことにいやがる」
飯盒炊爨の会場まで戻ってくると、会場から少し離れた場所に男子数人が集まってワイワイ話しているのが見えた。僕と同じ班の、サボっている男子も何人かそこにいる。
「口がわるいぞケイ。どうする? 行って注意してこようか?」
「いいよアッキー。働かざる者食うべからずだから」
「うわぁ、地味に酷いな。まーサボってんだから自業自得だけど」
耳を傾けるとやはり、今夜の肝試しの計画とやらが聞こえてくる。どうも今泊まっている宿舎の前の海岸を歩いて、ぐるっと大回りで宿舎裏手の森へと入り、森の中の道を通って近所の寺まで行ってから宿舎の前まで戻ってくるという予定らしい。
そこで、隣に立っていたアッキーが「ちょっとあいつらに一言言っとかなきゃならない事があるからここで」と言って、彼らの方へと歩いていった。僕もそこからは駆け足になって自分の班の竈の所まで戻った。
竈門まで来ると薪を幾つか中に放り込んで、手押し車に残った薪を近くの籠に入れておく。鈴さんが野菜などの具の準備が終わった頃に同時に米を炊き始められるように、手を洗ってから米研ぎもやっておく。研ぎ終わった米は空豆みたいな形の飯ごうに投入して、配られていたミネラルウォーターも一緒に入れておいた。そして使い終わった手押し車をもとの場所に返しに行こうとして、その前に彼女に報告しようと思い、流し台のある調理場に向かった。
「鈴さん、どれぐらい進んだ?」
「あ、景君! こっちはあとジャガイモだけだよ。景君は?」
「僕の方は薪の用意とお米を炊く準備が終わったとこだよ。これから手押し車を返しに行ってくるから、戻ってくるまで少し一人になるけど大丈夫?」
「うん、大丈夫大丈夫! それにそんなに時間もかからないでしょ?」
「そうだね。それじゃあすぐ戻ってくるから、それまで宜しくね」
彼女に報告と確認を終えて、空になった手押し車を押して再び薪が置いてある場所まで歩き始めた。すると、サボっていた彼等との話を終えたらしいアッキーが駆け寄ってきて、もう一度薪のあるところまでついてくると言う。彼の班の方は大丈夫なのかと聞いたら、持っていった薪が少なかったらしく補充に行くのだそうだ。
薪置き場に着くと手押し車を返却した。積み上げられて山になっていた薪もだいぶ減っている。
手押し車を返却した僕がついて来ていたアッキーの方を振り向くと、何故か彼は森の遠くの一点を見つめたまま固まっていた。睨んでいるわけでもなく、無表情で何かをじっと見つめている。
「あ、アッキー? どうしたの?」
「…………」
「アッキー?」
「っ! あ、ああ。悪い、考え事してた」
話し掛けても返事がなく、仕方がないので肩をトントンと叩くと彼はやっと気付いてくれた。彼は考え事をしてたと言ったが、明らかにそんな雰囲気では無かった。
何か、見えていたのだろうか。
「なあケイ、今日明日はあんま一人になったりするなよ」
「え? そりゃどういう……」
「いいから、俺からのありがたい忠告だから聞いとけよ」
「はは、何だよそれ。アッキーらしくないな」
いつもの調子を取り戻してきたのか、少しおどけた口調になった彼にこちらも茶化すように返した。でも、
「忠告、聞いとくよ」
「ああ、それがいい」
きっと、この忠告は守らないと不味いことになる。
「え、俺らのカレー無いの?」
「あるわけ無いでしょ。仕事してないのに」
ショックで膝をつく男子生徒たち。呆れたような鈴さんの視線が彼らに突き刺さる。
「働かざる者食うべからずってな。明日からはちゃんと参加しろよ」
「うへぁ……」
がっくりと項垂れた彼等に先生がカレーを食べながら追い打ちをかけた。当然と言えば当然だが少し可愛そうでもある。
結局カレー作りは先生達が手伝ってくれた。なので彼等が食べるはずだったぶんのカレーは先生たちの物だ。向かいと斜め前の席でクラスの担任と副担の先生が実に美味しそうな顔でカレーを食べている。中々に大人げない。
「カレー美味しいねぇ、景くん」
「そ、そうだね鈴さん」
黒い笑みを浮かべた彼女に此方も笑顔で返したが、膝をついて項垂れている彼等の前でとは少し気まずい。
とはいえ、ここまでは楽しかったのだ。ただ、楽しいだけの臨海学校。まさかこのあとあんな事が起ころうとは、この時の僕は想像もしていなかった。