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ここ最近、憂鬱な日々が続いている。
それはつい先日に起きた出来事が原因だった。
『部活、やらねぇか』
アッキーからの部活の誘い。親友からの頼みだったにも関わらず、オカルト的なものに関わりたくなかった僕は臆病風に吹かれてその頼みを断ってしまった。
あれから何日も経ち、もうすぐ一週間になる。だと言うのに、彼とはめっきり話さなくなってしまった。なんとなく、避けられているような気がする。
原因はわかりきっているが、その責任も自分にあるためにどうにも此方から話しかけに行くにも気が引ける。まあ、話し掛けられたところで彼の手伝いなど出来ないのだから大人しく彼とは距離をとるべき、なのかもしれない。
「――くん? ケイ君?」
「あ……鈴さん」
いつからそこにいたのだろうか。僕の名を呼ぶ声に反応して顔を上げると、彩風さんが此方を見下ろしていた。
「ええっと……あの、夏休み前にやる球技祭で参加したい競技についてのアンケート取ってて」
「あ、ゴメン。すぐ書くよ」
夏休み前に球技祭。そういえば、そんな話もあったななんて彼女に言われてやっと思い出した。
差し出された紙は、何かの授業で使ったプリントの裏紙を小さく切っただけの簡素なもので、競技名を書く枠だけがプリントされている。球技と言っても何をするかと少し考え、枠の中に『硬式テニス』と書いて返した。
「はい、鈴さんも委員の仕事頑張ってね」
「入学してから初めての大仕事だし、勿論がんばるよ。あ、それで……ちょっとお節介かもしれないけど、ケイくん最近大丈夫?」
「……えっ?」
思わず口から声が漏れてしまった。
自分はそんなに、人にもわかるほどに落ち込んでしまっていたのかと、少し驚きもした。
「あれ……そんなに様子変だったかな」
「気のせいかもしれないけど、最近ぼうっとしてる事が多いなって。あと、小寺くんと一緒にいるのもあんまり見ないし……何かあったのかな、って」
「あー、まあ。うん……ちょっとね」
彼女が純粋に心配してくれているのはわかっているのだけど、何となく気まずくなって目線をそらしてしまう。正直あまり話したくない。だけど、
「私で良ければ、聞くよ」
彩風さんの厚意を無下にするのも憚られて、僕は口を開いた。
「喧嘩とかさ、したわけじゃ無いんだけど……アッキーに助けを求められたのに、この間の化け物みたいなのとまた関わることになるのが怖くて逃げちゃったんだ。それで、なんとなくお互い気まずくなっちゃって」
いざ言葉にしてみると、なんとも情けなく思えてくる。だが、怪異を直に体験したが為に、あれらは絶対に関わるべきものでは無いと理解してしまった。だから、僕はオカルトに進んで関わりに行くのは反対だし、彼がそうする事についても反対なのだ。
本当に、どうして彼は自ら進んでオカルトなぞに関わろうとするのか、理解が出来なかった。常餓猿鬼に殺されかけたばかりだと言うのに、あんな選択をした彼は自殺志願者にすら見えた。
「僕は……多分、アッキーを止めるか、アッキーを助けるべきだったんだと思うんだ。でも僕に勇気が無かったから、逃げる事しか出来なかった」
ただ、思い返してみればもっと上手くやれたのではないかという気もしてくる。いくら怖いからといっても、すぐに逃げ出さずに親友の安全を慮る事も出来たのではないか。彼がわざわざオカルトに関わりに行く理由を知っていたなら、他の選択肢を提案する事も出来たかもしれない。
「だから…………あっ、えと、なんか自分語りみたいになってごめん」
話しながら、そんな事をずっと頭の中でかき混ぜていたのが良くなかった。話しすぎてしまった。
全く無関係の彼女に、意味不明な内容の話をここまで淡々と聞かせるなんて非常識だ。だが、気づいた時にはもう遅く、顔を上げるときょとんとした表情の彼女が此方を眺めていた。顔からさあっと血の気が引いていく。
「…………ぁ」
「ケイ君は……ちゃんと勇気があるよ?」
一瞬、自分が何を言われたのかわからなかった。彼女の口から放たれた思わぬ一言を、数秒かけて咀嚼して、冷えきった唇を開く。
「え……いや、そんなこと」
「ケイ君はさ、私があの猿の化け物に襲われてた時、助けに来てくれた。皆は私を置いて逃げていっちゃったのに、ケイ君は化け物を一瞬追い払った上に私を抱えて安全な所まで逃げてくれた。わざわざ化け物の前に出ようなんて、勇気がある人じゃなきゃ出来ないよ。ケイ君が助けてくれなかったら今頃私は死んでたし」
言われて初めて気が付いた。
僕が旅館内で常餓猿鬼から鈴さんを助けた時、おとろしさんの力は借りていなかった。僕が助けたいと思って行動した結果だ。
アッキーにおとろしさんの力を求められていたせいか、これまでの事が全ておとろしさんの力で解決してきたかのように錯覚してしまっていた。
「そうか、意外と、ちゃんとやってたのかも」
「ちゃんとやってたって、私からしたら命の恩人なんだけどな……」
「あっ! いや、そういうつもりじゃなくて……何て言うか、ありがとう」
彼女の言葉に自分では気がついていなかった自分の一面に気付かされて、少しだけ自信が湧いてきた。僕は、僕が思っていたほどヘタレじゃないかもしれない。
「えへへ……私がお礼言われるのも何かヘンだけどさ。小寺くんと、仲直り出来るといいね」
「うん、頑張ってみる」
アッキーの期待に応えられるかは兎も角、まずは先日の事を謝って、そして話し合う必要がある。そこで彼の考えも変わるかもしれないし、彼の考えが変わらなくても僕に何か出来ることが見えてくるかもしれない。きっと僕は、答えを急ぎすぎていた。
おもむろに椅子から立ち上がり、時計を見る。まだ昼休みは30分ほど残っている。教室にアッキーの姿は無いから、おそらく部室に行っているのだろう。
「あ、でも、あんまり無理しないでね。その、心配だから」
「わかったよ、鈴さん。とりあえず、僕の出来る範囲で頑張ってみるから。話を聞いてくれてありがとう。ちょっと、行ってくるよ」
「うん、それじゃあまたね」
鈴さんに別れを告げ、教室を出る。昼休みの廊下は学生たちで溢れかえり、流行りのミュージシャンやゲームアプリの話題が飛び交っている。
たしか彼が言っていた部室は北校舎の五階にあったな、なんて考えながら同級生たちの間を抜けていく。そして、北校舎へと続く渡り廊下のある角に差し掛かった時、その音は窓の隙間を抜ける風の様に耳に入り込んできた。
「俺さあ、今朝見ちゃったんだよ」
「見たって、何を?」
思わず足が止まる。顔を向けた先では、特に珍しくもない、別クラスの男子が仲良しのグループで集まって話をしている。
「幽霊だよ幽霊」
「はぁ? お前大丈夫か?」
きっと以前までの自分なら気にも止めないような、下らない雑談。
「いやいや、マジだって。俺見たんだよ、目の前を歩いてた男がふと目を離した瞬間にいきなり消えたんだよ。びっくりして探してみても、もうどこにも居なかったんだって」
「見間違いだろなー、そりゃ」
「いや本当よ。滅茶苦茶怖かったし」
何となく、その瞬間アッキーがどうして自分から危険に飛び込むのか、腑に落ちた。彼はきっと、最初からわかっていたんだ。
「あの、突然で悪いんだけど、その見たって場所どこだか教えてくれない?」
「うぉ、誰? いや別に良いけどさ」
「おん? 誰やお前」
どんなに避けた所で、奴等からは逃れられないって。