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おとろし  作者: 青蛙
いち・常餓猿鬼編
12/17

10



 あまりにも大きなその音に思わず両手で耳を塞いだ。しかし鈴の音は凄まじく、頭が割れるような痛みすら伴って更に甲高い音を立てて響き渡った。


「獺魯士!? 大丈夫か!」

「突然どうしたんだ。耳が痛いのか?」


 周りの友達は誰もこの鈴の音が聞こえていないのか、ただ一人耳を塞いでうずくまる僕を心配して寄ってくるが、音と頭痛と耳鳴りは更に酷くなり、彼らに反応する余裕すら無くなってくる。


「う、うううううう」

『呼ばレ……た。助け、イテクル』

「おとろし、さ……ん」


 鈴の音に混じり、何かが聞こえる。

 これは、悲鳴? 叫び……怒号と銃声。


『けぃは、ココかラ動かなぃデ』


 おとろしさんのそんな声が聞こえた途端、身体の中からふっと何かが抜けていくような脱力感があり、同時に床に崩れ落ちた。


「おい、獺魯士、大丈夫か!」

「せん、せい」


 鈴の音はもう聞こえない。

 騒ぎを聞き付けた担任の先生がいつの間にか傍に来ていて、僕の肩をがっしりと掴んでいた。顔を上げれば心配そうな表情をした先生と目が合う。


「救急車を、呼んでください」

「っ! 柴田先生、手を貸してください!」


 芳賀先生に支えられる形で立ち上がらせられ、部屋の外へと連れ出される。きっと先生は僕が救急車を必要としていると考えているのだろうが、本当に救急車が必要な人はこれからやってくる。

 先生や救急車を出してくれるお医者さん達には申し訳無いが、僕はそれまで体調が悪いふりをしなければならない。僕の予想と直感が正しければ、今救急車を呼んでおかなければ確実に誰かが死ぬ。


 フロントまで来ると僕はソファに寝かされ、先生はフロントに救急車の手配をしに行った。最寄りの病院からこの旅館までは少し離れていて、救急車が来るまでには少なく見積もっても三十分以上はかかるだろう。

 救急車の手配を終えた先生に、楽な姿勢で横になっているように言われて横向きに倒れた姿勢のまま目を瞑る。目を閉じると感覚が妙に冴え渡り、あの嫌な音を思い出してしまう。急かすような激しい鈴の音と、銃声と叫び声。彼らに大人しくしているように言われはしたが、呑気に僕が友達と雑談なんかしている時に、お坊さんや木崎さん達はあの化け物と死に物狂いで戦っていたのだ。


――ダーンッ!


「なんだ!?」


 目を瞑ってから何分経っただろうか。窓から夕焼けの光が射し始めた頃、突如として建物の外から銃声が響いてきた。そして、銃声に伴って怒号と言葉にもならない叫び声がうっすらと聞こえてくる。


「走れ走れ! 追い付かれるぞ!」

「木崎さんと坊さんはどうした!?」

「後ろであのサル食い止めてらぁ! お前らも急げ!」


 先生が慌てた様子で建物の外へと出ていき、フロントにいた旅館の人もその手に金属棒を握り締めて外へと駆けていく。

 僕も横になっていたソファから起き上がり、ズボンのポケットからお坊さんに貰ったお札を取り出して建物の外へと駆け出す。


「急げ! 運び込め!」

「あっ、先生! 救急車を呼んでくれ! 急いでくれ!」

「おいボウズ、目ぇ覚ませ! 死ぬな!」


 銃や鉄の棒を携えたおじさんたちが叫びながら駆けてくる。

 数は8人ほどで、その内四人ほどは何かを支えながら走っている。遠目からだと黒い袋のように見えていたそれは、近づくにつれて人の輪郭をとり、その人から何か液体が垂れているのが見えた。


 血の、においだ。


「アッキー!」


「なっ、おい! 獺魯士、止まれ!」


 頭からサッと血の気が引いていくのを感じる。後から出てきた僕に気付いた先生が制止して来るが、そんな声も無視して走り出した。

 彼らとの距離が近づく程に血の匂いは濃くなっていき、焦りからか呼吸は荒くなっていく。


「あ、あっきー」


「急げ急げ! 救急車だ!」

「そこのお前も早く建物に逃げ込め! 食われるぞ!」

「常餓猿鬼じゃねぇ! 鉄が効かなくなっちょる!」


 僕とおじさんたちがすれ違う。

 すれ違う瞬間、確かに見えた。

 血まみれの彼がおじさん達に抱えられて運ばれていた。服ごと切り裂かれたのか、学ランの前に斜めにバッサリと出来た切り口から赤い血が流れていた。


「嘘だ……アッキーが、こんなの………」


「獺魯士! お前身体の調子悪かったんじゃ……」


「僕の、せいだ」


「………は?」


 遠くから救急車のサイレンが近付いてくる音がする。


 頭の中がもう滅茶苦茶だ。

 僕は最善を尽くしたはず。アッキーがあんな事になったのだって、彼が忠告を無視して無理したからだ。でも、僕がもっと良い選択をしていればアッキーが死にかける事は無かったんじゃないか。自分は子供だから、そうした常識や倫理観が判断の邪魔をしてはいなかったか? 大人達に任せて、これ以上は動いてはならないなんて。仕方の無いことだからと、それで良かったのか。最初からアッキーと協力してあの化け物と戦っていれば、それで全て解決したのではないか。


―――ダーンッ! ダーンッ!


 山中に響き渡る銃声が僕の意識を現実に引き戻した。

 遠くの木々の隙間から二人の大人が逃げてくるのが見える。

 木崎さんとお坊さんだ。


 そして、その二人を守るように化け物と激しい戦いを繰り広げる異形。


「っ! 獺魯士、逃げるぞ!」


 先生が僕の手首を掴んで引っ張る。

 未だ身体から抜けていった力も戻らぬまま、旅館の建物の前まで連れ戻された。


 建物の前には救急車が到着していて、そこで大ケガのアッキーを乗せるか乗せないかで救急車の人とおじさん達とで揉めていた。元々僕の事で呼んだ救急車に、大怪我をしているとは言え勝手に乗せて良いのかと言う話らしい。


 手首を掴んでいた先生の手を振り払い、フラフラと覚束無い足取りのまま彼らの元に歩み寄る。きっと今の僕はひどい顔をしているのだろう。おじさん達とお医者さん達からぎょっとしたような視線が向けられる。

 近くまで寄った僕は変わり果てた姿のアッキーを指差して、お医者さん達の方を向く。


「彼の為に、救急車を呼びました」

「……えっと、君が獺魯士くん、かな?」

「最初から小寺くんを助ける為に、救急車を呼んだんです。戻ってきてからじゃ、間に合わなかったから」

「いや、しかし」

「お願いします」

「う……あ、ああ、わかった」


 お医者さん達は困惑した様子だったが、ひとまず納得してくれたのか担架でアッキーを救急車の中へと運び込んでいく。彼らも元々の予定とは違ったとはいえ、あれほどの大怪我をした少年を見て放っておく事は出来なかったらしい。スムースに事は運び、救急車は病院へと向けて走っていった。


「今のは、どういう事なんだ。獺魯士」


 背後から先生の声が聞こえた。彼の声は震えていて、少しばかり恐怖が感じられる。大方、なぜ僕が彼の怪我を予知できたのか、そういった所だろう。


 でも、僕はアッキーの怪我を予知なんてしていない。予知なんて出来ていたなら、最初から彼に怪我をさせないように立ち回った。

 僕自身にはなんの力も何もない。力があるのは『おとろしさん』で、僕は誰かの危機を彼に教えて貰っただけの事。


「そういう風に、連絡があったからです」

「連絡って、だったら最初からそう先生に言ってくれれば良かったじゃないか」

「頭をおさえてうずくまって、唸り声をあげてた僕がそう言ったとして、先生は信じましたか?」

「それは、そうだけどな……でも正直に話せば先生達だって少しぐらいは」


「僕が間違ってたんです」


「…………獺魯士、何を考えてる」


 遠く聞こえる怒号と銃声。

 獣の叫び声と、木々のなぎ倒される音。


 こうして呆然と立ち尽くしている間も、木崎さんとお坊さんの命は蝕まれていく。


 もしもだ。もしも僕に力が有るのならば、何か変わったのだろうか。

 僕におそろしさんのような力があったとして、さっさとあの化け物を殺していたらこの臨海学校は平穏無事なまま続き、そして誰も死ぬことなく帰路へついていたかもしれない。

 何故僕は無力だった? 才能が無かったからか? どうしておとろしさんは今ごろになってその姿を現した? もっと早く、日常に潜む理不尽なオカルトに気付くことが出来ていたなら、少しは何か変わっただろうか。


『けィ。こっちへオイで』


 彼の声が、まるですぐ隣に居るかのように響く。


「おとろし、さん」


『殺シたぃ。でショう?』


「猿の化け物……常餓猿鬼。殺せるの?」


『けぃが、そゥ願うのデあレば』


 ふと顔を上げると、遥か遠くで猿の化け物と戦うおとろしさんの顔がハッキリと見えた気がした。

 苦戦しているのかと思ったが、そうでもない。ニヤけ顔のまま、猿の化け物をあしらいつつ僕の返事を待っている。


「僕は……殺したいよ。ヤツが、憎い。何人も殺して、アッキーまで殺そうとしたヤツを殺したくてたまらない」


『いぃヨ。ケぃのヲ願い、叶ぇテあげる』






「待て! 行くな獺魯士! 死ぬぞ!」


 気付くと僕は森へと向かって駆け出していた。

 血が上った頭ではまともに考えが纏まらない。しかしあの化け猿が憎くてたまらない事だけはハッキリと自覚している。

 アッキーから貰ったお札を両腕に巻き付け、お坊さんから貰ったお札を握り締める。


「っ、獺魯士少年!?」

「おまっ、待ちやがれ!」


 お坊さんも木崎さんも追い越して、猿の化け物目掛けて走り続ける。

 もう少しで辿り着くその瞬間、おとろしさんは猿の化け物の両足を掴んだかと思うと遠くに思い切り投げ飛ばした。そして此方をぐるりと振り返り、その耳まで裂けた大きな口が歪むほどの満面の笑みを浮かべて僕に飛び付いてくる。


 そして、ドクドクと流れ込むようにおとろしさんの身体が僕の身体へと戻っていった。


『けィ。けぃをカミさまにシてあげル』


 おとろしさんのそんな声が聞こえた次の瞬間、僕の視界は朱で塗り潰された。




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