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「少し、ここで待っていて下さい」
村の役場に着くと、住職さんはそう言って建物の奥へと入っていった。
僕は入り口のドア近くに設置してあったベンチに一人置いていかれる格好となり、手持ち無沙汰になった僕はポケットからスマートフォンを取り出してメールのアプリを開く。
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To:小寺 正行
From:osoroshi666@●●●●.ne.jp
件名:緊急の用件です
臨海学校で不味いことが起きました。
旅館近くの山で猿の化物が出て、既に何人も殺されています。
今は先生方が生徒を建物の中に集めて見張っているのですが、晃雄君が責任を感じたらしく猿の化物を仕留めると言って、一人で飛び出して行ってしまいました。
このままでは晃雄君もあの化物に殺されてしまいます。彼を助けるために、どうか助けてください。
化物は見た目は毛の無い赤黒い色の猿で、皮膚にはフジツボが付着しています。苦手なものは金属らしく、スマートフォンで金属音を鳴らすだけでも近付いてきませんでした。化物は昼間も夜間も活動して、抵抗する力の無い子供を狙っているようです。
宜しく御願いします。
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取りあえずはこんな所だろうか。打ち込んだ文章を確認し、アッキーの父に向けて送信する。
彼の父の事だから直ぐに読んではくれるだろうが、果たしてこんなに離れた場所で彼の助けなど得られるのだろうか。少しでも、件の化物を倒すか撃退する為のヒントを得られれば御の字なのだが。
「ケイ君、お待たせしましたね」
「住職さん……!」
ふと、声が聞こえて顔を上げると、一人の老人を伴ってお坊さんが戻ってくる所だった。恐らく彼がこの村の村長で、人を集めるために呼んだといった所だろう。
「これから猟師さんや動ける男の人を集めますから、一旦旅館まで戻って準備が出来次第山に入りましょう。それまで小寺君が無事で居てくれると良いのですが」
彼の最後の一言が恐ろしい。
自分でも理解してはいたのだが、想像もしたくは無かった。百舌鳥のはやにえのように枝に突き刺され、頭から貪られていた佐倉君の遺体が脳裏にチラつく。そして、その遺体の頭とアッキーの顔が重なり―――
「いえ、彼なら生きているはずです。彼がそう簡単に死ぬはずが無い」
小霊寺のドラ息子。
非行らしい非行はしないが、ファッションだけは昭和のヤンキーな半端なヤツ。
普段はヘラヘラしてる癖に人一倍責任感が強くて、一度やると言ったら曲げたことの無い男。頭はそんなに良くないけれど、身体はずば抜けて頑丈。
彼がこんな簡単に、死んでたまるか。
「そうですか。君が言うのなら、きっとそうなのでしょう」
住職さんは、静かに目を瞑りながら頷いた。
「あ、来たか。待ってたぞ獺魯士君」
「木崎さん!」
旅館に戻ると、フロント前のソファに腰掛けていた木崎さんと目があった。
ちらりと周囲を見渡すと、一階に集まっていた生徒達は皆居なくなっており、代わりに猟銃を携えたおじさんが数人集まっていた。
「こっちは例の鉄の箱を貰える事になった。あと、知り合いの猟師を何人か呼んどいた」
「ありがとうございます木崎さん」
「そっちは……坊さんを連れてきてくれたか。あと村長も。ところで、小寺君は?」
「アッキーは……」
「まさか、一人で先に出たのかっ!?」
驚きの余り、声を荒げさせた木崎さんに無言で頷く。
彼はあんぐりと口を開けたまま天を仰ぎ、両手で目元を覆った。
「なんて事だ。既に何人も殺されているのに、子供一人じゃ無理に決まってる」
「木崎さん、貴方も獺魯士君達と知り合いなのですか?」
「坊さん……知り合いというか、ここの学生が昨晩襲われたって聞いたから、実際に奴と遭遇した学生にどんなもんだったか聞こうと思って」
住職さんと木崎さんも知り合いのようで、木崎さんは住職さんの質問にばつが悪そうに頬を掻きながら答える。
「木崎さん……」
「俺の責任だ。化物についての情報がある彼等に少し協力を頼んだ程度に考えてた。まさか、一人で行くなんて……」
「お説教は全て済んでからにしましょう……木崎さん。貴方も焦って一人で無理をする事が無いようにお願いします。今村長さんに人を集めて貰っていますから、しっかりと準備をした上で行きましょう」
「ええ……はい」
すっかり顔色の悪くなってしまった木崎さんは、フラフラとよろつきながら近くの椅子に腰を下ろした。まさか自分の行動が一因となって、まだ若い学生が一人で山に入っていってしまうなんて思ってもいなかったのだろう。
「あの、お坊さん、僕も……」
「獺魯士君は旅館で待っていて下さい。君には強い護りがついていますが、あの方が護るのは貴方だけ。それに、私たちもあの方も常に君を守れるとは限らない。君はまだ子供なのです。君は君が出来る事は全てやりました。それだけで充分に偉い事です」
アッキーを助けに行くのに自分もついていきたい。そう言おうとしたのだが、その言葉は途中で遮られてしまった。
お坊さんは僕におとろしさんと言う味方がついている事を知った上で、やはり山へ行くのには連れて行きたくは無いらしい。まあ確かに、冷静に考えればそれが当然だろう。そもそも相手が狙っているのが抵抗力の弱い子供で、子供である僕は狙われやすい上に戦力としては数に入らない。
はっきり言って、足手まといだ。
「そう、ですか」
「彼が心配な気持ちはわかります。しかし今は我慢して下さい」
自分でもわかっている。『おとろしさん』は不確定要素だ。僕自身、彼とは出会ったばかりであるし、アテにし過ぎるのも良くない。それで単純に子供として僕を数えれば、ついて行かせない方が正しい判断だ。
――ビーッ!ビーッ!
「おや、何か音が」
「すみません、僕のスマホです。ちょっと失礼します」
渋々ではあるが、生徒が集められていると言う会議室に自分も向かおうとした瞬間、スマホのブザーが鳴った。先程送ったメールの返信が来たようだ。
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To:獺魯士 景
From:syouryouji1226@●●●●.ne.jp
件名:Re:緊急の用件です
多分、あいつから札を受け取っていると思う。一枚で良いから、鉄の棒か何か、金属で出来た武器になる物に貼り付けておく事。いざと言う時にそいつを叩きつけるだけで多少効果がある。
もし受け取ってなければ、絶対に山には入らない事。会ってしまっても、出来る限り逃げ続ける事。まともに戦おうとは考えないように。
今そっちに向かっているが、到着は夜の8時過ぎぐらいになると思う。それまでは、その場にいる大人を頼りなさい。
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「やっぱり、正行さんからのメールだ」
メールのアプリを開くと、アッキーの父で小霊寺の住職である正行さんからのメールが届いていた。内容は『猿の化け物への対処法』。時間稼ぎ程度にしかならないようだが、自衛手段としては充分だ。
「どうかしましたか?」
「あ、その、小霊寺の住職の方からのメールで。はっきりとは書かれてないんですけど、ざっと読んだ感じだと『勝てないから自衛の手段を持った状態で逃げるように』と」
「むう……そうですか」
お坊さんはそう言うと深刻そうな表情になって黙りこくる。一方で木崎さんは此方へ歩み寄ってきて、僕のスマートフォンを覗き込んできた。
「んで、その自衛の手段ってのは何なんだ?」
「えと、アッキーから貰ったお札を金属の棒か何かに巻き付けると良いと」
「そうか。なら、その持ってる鉄の棒、貸して貰えるか」
「これも旅館からの借り物なんですけど……アッキーの事、宜しくお願いします」
「ああ、任せてくれ」
手に持っていた鉄の棒を木崎さんに渡すと、彼は懐からアッキーに貰ったお札を一枚取り出して棒に巻き付けた。接着剤も使っていないのに、お札は不思議と棒にぴったりとくっついたまま取れなくなる。
「はは……すごいな。こりゃ本物だ」
「何たってアッキーのお父さんですから」
棒に貼り付けるまでお札の力については半信半疑だったようだが、棒にぴったりとくっついて離れなくなった様子を見て彼の表情が少し明るくなった。人知を越えた異形の化け物に対して有効かもしれない武器が手に入り、希望が見えたのかもしれない。
「でも、油断だけはしないで下さいね」
「……わかってる。勝てる相手じゃないんだろ?」
「戦おうとはしないこと、だそうです」
「目的は小寺君を連れ戻す事だからな」
木崎さんがスッと手を伸ばしてきて、僕の頭をわしゃわしゃと雑に撫でる。ごつごつとした、大人の男の人の手だ。きっと彼なりの安心のさせ方なのだろう。
多少の不安は残るが、それらはぐっと飲み込んで彼等を信頼して任せる他無い。木崎さんもきっと化け物は怖いのだろう。だが、彼はアッキーを助けるために覚悟をしてくれた。ならば、子供の僕はその覚悟を信じて待つだけだ。
「ほら、お前は談話室まで戻りな。先生達が待ってる」
「はい。頼みましたよ、木崎さん」
「ああ」
ロビーを後にし、二階の談話室に向かう。階段を上がって二階に行くと、閉じられた談話室の扉の前で学年主任の柴田先生が待っていた。
「柴田先生……」
「良く戻った。だがこんな馬鹿な無茶はもうするな。後は大人に任せろ」
「ごめんなさい」
「わかってるよ。全員集まってるから、お前も入んな」
柴田先生と共に談話室に入ると、部屋の中は昨日の夜と同じように大勢の生徒達で埋め尽くされていた。ただ昨日と違うのは、飯盒炊爨の班ではなく部屋割りで集められている事。部屋を見渡して自分のルームメイトを探すと、部屋の左端辺りにアッキー以外のメンバーが集まっていた。
「お前の部屋は……ああ、あそこだな。今回ので帰りの予定も早まってな、帰りのバスが来るのは明日だから今日はずっとこの部屋で待機になったが我慢してくれよ」
「はい」
先生に背中を押され、床に座る学生達の間を縫ってルームメイトの元へと向かう。その途中でふと気になって再び部屋を見渡して、彩風さんの姿を探した。
彩風さんは部屋中央付近に同室の女子生徒達と一緒になって座っていた。しかし、彩風さんだけでなく周囲の女子生徒達も何処か様子がぎこちなく、何とも言えない空気が漂っている。きっと原因は午前中のあの猿の化け物に襲われた時の事だろう。化け物が部屋に侵入してきて、腰を抜かした彩風さんを見捨てて皆さっさと逃げてしまったのだから、互いに居心地が悪くなるのも当然だ。
「大丈夫かな、彩風さん」
スマートフォンを取り出して、LINKを開く。そして彩風さんとのトークルームをタップした。
『鈴さん。今、戻ったよ』
反応してくれるかわからないけれど、少し話せないかなんて思いながら文字を打ち込む。すると連絡にすぐに気付いたのか、彼女はスマートフォンを取り出してキョロキョロと周りを見渡し始めた。
『景くん、いまどこ?』
『談話室に入ってきたとこ』
立っていた僕と彩風さんの目が合う。すると彼女はほっとしたような表情になって、此方に向けて笑顔で手を振ってきた。
『無事で良かった』
『心配してくれてありがとう。とりあえずお坊さんと村の人たちの助けを呼べたから、あとは祈るだけ』
『そっか……でも景くんが無事で本当に良かった。ずっと心配で、気が気じゃなかったから』
画面から目を離し、顔を上げると彼女と再び視線が合う。口を動かして『ありがとう』と伝えると、彼女も同じように声は出さずに口の動きだけで『どういたしまして』と伝えてくる。
実際は全くそんな事は無いのだが、彼女の様子に恋愛の予感を感じ取ったのだろう。そうして少し恥ずかしそうに笑った彩風さんに、ぴくりと周りの女子達が反応して彼女にぐいぐいと詰め寄り始めた。LINKで話し掛けるまでずっと神妙な面持ちだった彼女に僅かに笑顔が戻る。
彼女の様子が少し心配だったが、この分なら大丈夫だろう。スマホの電源を落としてポケットにしまうと、再びルームメイトの居る場所へと歩いた。
「あ、やっと来たな獺魯士。遅いぞ」
「ごめんごめん。ちょっと用事があってさ」
「用事って、全員集まるように言われたのになんでお前だけ?」
「いやぁ、それは……まあ」
ルームメイトこ所まで行くと皆が僕が座る場所を開けてくれて、そこに腰を下ろした。しかし一人だけ遅れてやってきた僕が不思議だったようで、鈴木君をはじめとして何人かから疑問の視線が向けられる。
「昨日の事でさ、近くのお寺の住職さんと話を、ね」
「あぁ、あの猿の化け物。なんかどんどんオカルトな話になってくな」
「俺、幽霊とか超能力とかのオカルトなんて信じてなかったけど、なんかもう馬鹿に出来なくなっちゃったよ」
「はあ、死にたくねぇなぁ。って、そういや小寺の奴はどうしたんだよ。一緒じゃなかったのか?」
「えっ、あー、それは」
彼について聞かれてハッとした。アッキーが居なくなったのは今日。それも、例の猿の化け物が現れて混乱していた中での事。彼がどんな理由で、どこへ行ったのか知る人は学生では僕と彩風さん以外には居ない。
本当の事を話すべきか。下手に情報を伝えてまた混乱させるような事態になりはしないか。
「あーっ、と。もしかして、聞くの不味かった?」
「いや、まあ大丈夫。多分、すぐに戻ってくるよ」
「うん? まあ、そう言うことならそうなんだろうな」
答えが出せず、言葉に詰まっていた僕に鈴木くんが助け船を出してくれて、一旦話は打ち切られた。そして、また他愛もない雑談へと話題は戻っていく。最近サービスが始まったソシャゲの話題や、人気アイドルが突然婚約発表した話とか、明日家に帰った後に皆で近所のラーメン屋に食べに行かないかなんて話とか。
そうして雑談を続けて数時間が経過した頃だった。
突然「キーン」と言うような鋭く、大きな鈴の音が部屋に響き渡った。