スタイリッシュな日本語にハマるウェブライターは、今日もチェッカーさんに迷惑をかける。
これで何度目、と私はパソコンを睨んでいた。
そのメールはチェッカーさんからのもの。上げたばかりの一次原稿の訂正報告である。
″『絢爛たる』は少し難しいので『豪華な』に訂正しました。後はOKです。これにて校了とします!″
″すみません!一般的な表現と勘違いしてました。気を付けますね(^^)″
テンプレ的な反省返信を打ち込みながら「メディアが1億総白痴化助長してんじゃねえ!」と叫ぶ。
安定した質の文章、執筆速度は中の上、誠実丁寧で気持ちの良い対応。
ランク高めでチェッカーさんからの評価も上々のウェブライターである私だが、悪い癖が1つある。
たまに『難しい言葉』を使ってしまうのだ。しかも実は、ウッカリではない。
スルーされることを願いつつ、意図的に忍び込ませる。
だって……!
それを使えば、たったひとことで豊かな表現ができるのだ!
絢爛、燦然、馥郁、傾城、耽溺……etc.
単に言い換えれば済む、というものではない。
その音韻と漢字の持つ意味との複合技で、これらの言葉は果てしないイメージを喚起し、奥深い余韻を放っているのである。
『絢爛』は、光を受けた絹織物の輝き。特に赤や金銀が美しい衣装には絶対に使いたい。美しい布の如くに緻密に織り込まれた文章にも、また然り。
『燦然』は、太陽のように、非常に強く目を射る輝き。眩いまでの波の反射。美しくカットされたダイヤモンドや、磨き込まれた黄金。文学史に名を残す、大好きな一冊にぜひ。
『馥郁』は芳しい良い香り。だが、単にそれではない。あたりにほのぼのと漂い、心を穏やかに幸福にしてくれるような香りにこそ、私はそれを使いたい。
なぜなら、この言葉は『ふく』と『いく』という非常に柔らかで美しい音からなっているからだ。
この言葉に相応しいのは、白檀や蝋梅の香りだと思うのだがどうだろうか。
『馥郁たる香りの絢爛たる衣装を纏った、歴史に燦然たるかの如き傾城の美女に耽溺する』のと『イイ香りの豪華な服を着た、伝説になれそうな程の物凄い美女にハマる』のとでは、美女度にも廃人にされ度にも雲泥の差があるのだ!
こんなにも無駄なく美しく躍動する言葉たちが『難しい』という幼稚園児みたいな理由で廃れていくなんて、悲しすぎるではないか!
かくして私は(迷惑だろうな)と思いつつ今日も『悠遠の時を感じて下さいね♡』とのスポット紹介記事を上げる。
″訂正なし、校了です!″
たまにこんな時があるから、やめられない。
この程度には自由に生きたい!けど無理。
ダメと分かってて難しい表現を入れられるこの人は猛者なのか、ただのプチ迷惑な人なのか(笑)
言わずもがなですが、読みは次の通りです。
絢爛=けんらん、燦然=さんぜん、馥郁=ふくいく
傾城=けいせい、耽溺=たんでき
こちらには出てきませんが籠絡や溺惑なんて言葉も好き……とか書いていくと、性癖がバレますね(笑)