I want to be...
新しい住居での生活は、幸せに包まれていた。
だが、その時間は一瞬の出来事で壊れてしまう。
ルカが、殺された。
一緒に殺されてしまったのは息子のジェイド…ではなく、ヒラソルの妹だった。
ルカの死を受け止められないルナはその魔力を報復に向け、リルの元を去ってしまう。
生き残ったジェイドを守り、未来をつなぐために今、オラリオンを守りに行く。
今、俺はオラリオンに居た。
そして、数少ない信用できる人物に会っていたのだ。
エテルノ侯爵。彼には、ジェイドの今後をヒラソルと共に頼みたかった。
事情を説明すると彼は二つ返事で引き受けてくれた。
それ以上何も聞いてこなかったのは彼の優しさだろうと思う。
そう。ちょうど彼の屋敷を出ていく時だった。
あの、ルナの魔力がこのオラリオンにまでたどり着いたのは。
彼女の魔力は、今や一つの災害に等しかった。
建物は崩れて生活を潰し、水は溢れ人を飲み込み、風は逃れた多くの人を巻き込んで吹き荒れ続けた。
街から大きな火の手が上がった。人々の悲鳴が聞こえる。
「本当に、行ってしまうのですね。」
侯爵は、聞いてきた。
「ああ。行かなきゃならないからな。」
「わかりました。止めなどしません。どうか、ご武運を。」
「はは、戦うわけじゃあないんだけどな…うん。行ってくる。」
「どうか、ご無事で。」
そう言い残すと、侯爵は街の外へと馬車を走らせていった。
「あの二人に任せておけば、ジェイドはきっと大丈夫だ。」
問題は、今目の前に見えるルナだ。
いや、もう『あれ』はルナではないのかもしれない。
ただただ膨大な、大きすぎる魔力の塊。
存在するだけで辺りの物を飲み込み、破壊する、そんなモノ。
だが、これまでルナはあれを制御していたのだ。
きっと、ルナ自身の意識を取り戻せれば。現実を、受け入れさせることができれば…
リルが、死んだという現実を。
そんな、絶対に認めたくない現実を認めさせなくてはならない。
もし、出来ない時は最後の手段を使うしかないのかもしれないが、何とかなる。
俺が、何とかしてみせる。
ルナが向かう先は、真っすぐ城に向かっていた。
最初に出会った、オラリオン城だ。
「ここで、止める。」
城の上層へと向かう。
中にはもう人っ子一人としておらず、がらんどうになっていた。
…ただ、一室を除いて。
それは、兄様の部屋だった。
明らかな、腐臭。
見ると、兄様の部屋全体に魔法がかけられている。
嗅覚と視覚を著しく鈍らせ、操るものだ。
だが、その魔法陣はルナの侵攻の震動で崩れ去り、意味をなくしていた。
そこにあったのは……兄様の死体だった。
無残な姿だった。
机の上には書きかけの手紙。インクは乾ききってしまっている。
兄様の手には剣が握られ、部屋は荒れていた。
そして、心臓の上には深々とナイフが刺さっていた。
「………そんな。」
絶句する。なぜ、兄様が。誰が?
「…今は、時間が無い。」
兄様の眼を閉じさせ、屋上へ向かう。
眼前には、巨大な『魔力』そのもの。
それに向かって俺は叫ぶ。
「なあ!ルナ!聞こえないのか!」
その『塊』は止まることを知らない。
「ここさぁ!最初にあった場所だろ!ちゃんと覚えてるぞ!」
手を伸ばせば届きそうな、そんな距離に『それ』は近づく。
「やっぱり、声を届かせようなんて無理なのかね…」
無理やり、『これ』を破壊してでも止めるしかないと決意した。
その時だった。
《………よ。》
《わかるよ!おぼえてるよ!》
泣きじゃくるような声が、頭に響く。
『ルナ』の侵攻が止まる。
《もう、壊したくない!殺したくない!》
ルナの叫びが、頭に響く。
《でも、もう止められないの!どんなに止めようとしても、止まってくれないの!》
ルナも、必死に『これ』を止めようとしていたようだ。
だが、止まらない。
彼女の言葉は続く。
《今は…何とか抑えてるけど…!すぐまた殺しちゃう!だからその前に…》
「まあ、待てってルナ。」
彼女の言葉を遮って俺は言う。
「もう無理だから殺して!なんて、それを俺に頼むのはひどいだろ?」
いつになく軽い口調で言う。
《でも、今頼れるのはリルしか…!》
「ああ、そうだな。だから俺がなんとかする。」
《じゃあ、早く!もう無理!》
「まあそう言うなって。これで最後なんだからさ。」
俺は続ける。ルナが必死に止めてくれているけれど、言い聞かせるように、きちんと届くように。
「頼るんならさ、『殺して』は俺に頼んじゃ駄目だ。俺はルナを殺したりなんか絶対にしないからな。」
《早く!お願いだから!》
少しずつ『それ』はこちらに近づいている。もう止めきれないのだ。
「俺は、ルナを殺さないし、殺させない。だから、許してくれよ?」
そう。
俺は、ほぼすべての魔法を使える。
一部の例外を除けば、ほとんどの魔法は既に修めているのだ。
それがたとえ、自らの命を代償に発動する魔法だとしても。
これは、「永眠」の魔法。
永遠の命を得たいと考えた愚かな過去の王が作り上げてしまった、負の遺産。
術者の命と引き換えに、対象に永遠の命を授ける。
そう言えば聞こえはいい。いや、良いとは言い難い魔法だが。
だが、この魔法は必要以上に最悪だった。
まず、術者は確実に死ぬ。この魔法を放つための供物となる。
そして、対象は一人ではなく、一国を巻き込むほどの広範囲。
さらに、この『永遠の命』には、自由が無い。
ただただ眠り続け、永遠を過ごすのだ。
解呪法は確立されていない。
《……そっか、わかったよリル。ルカに、向こうで会えるといいね。》
ルナには、俺の心が見えたのだろうか。
何をしようとしているかが分かっただけかもしれない。
だが、彼女はそれを受け入れてくれた。
「会えるに決まってんだろ?意地でも見つけ出すからな。」
《口調までいつもと違うや。じゃあ、お願い。》
「ま。いつかここの『永眠』をジェイドが解いてくれることでも願っとこうかな!」
この国にもまだ逃げ遅れた人々は居るだろう。
その人たちにもこの魔法は強制的にかかってしまう。
だけどきっと大丈夫だ。俺はそう信じてる。
だから俺は、この魔法を使うという決断ができたのだ。
なんたってあいつは、ジェイドは俺とルカの………
―――カラン。
エテルノは、物音を聞いた。
自分の馬車の荷台からだった。
必要最低限の物しか持ってきていないのだ。何かが壊れたのなら直すなり買い替えるなりしなければ。
そこにあったのは、とても見覚えのある、この国の王子が大事に付けていた耳飾り。
そして次の瞬間、オラリオン王国の空気が大きく変わったのを感じた。
生きているのに死んでいる…生きているのに生きていない、生きられない…
そんなイメージが頭に浮かぶ。
そして、すぐ後ろを馬で走っていた使用人の一人が突然倒れた。
直感が、近づくなと言う。
理性が、離れろと叫ぶ。
そして何よりこの視界が物語っている。
倒れた使用人の余命が、書き換わった。
本当ならあと15年と4か月あったのだ。それが、無くなった。余命が、無くなったのだ。
だが、遠目に見ても息をしている。体は呼吸に合わせて動いている。
その様子はまるで眠っているかのようだった。
深く深く、まるで永遠の時に閉じ込められたように。
侯爵はこれまで以上に馬車を走らせた。
あの国から離れるために。
ジェイドを、守るために。
そしてこの耳飾りを届けるために。
きっとこの耳飾りは、ジェイドに必要なのだ、と。
ただただ走った。
何を考えることもなく、馬を走らせ続けた。
途中から、何故か涙が止まらなくなった。
耳飾りもどこか青く見える。
まるで何かに悲しんでいるかの様に。
大丈夫だ、と言い聞かせるように耳飾りを強く握りしめながら走る。
なぜ、こんなに悲しいのか。わからなかった。
国が、祖国があんなことになってしまったからなのか。
あの人が死んでしまうハズなど無い。きっとひょっこり帰ってくるはず。
そう言い聞かせる。
自分になのか、青く沈んだ耳飾りになのかは彼自身にも分からなかった。
ただ、ただ一つ。
頭の中に強くイメージが送られてきた。
ずっと、ずっと眠り続けるリルと、その横で目覚めをずっと待ちながら寝顔を見つめるルカ。
どうしても、そのイメージだけが離れなかった。
それはまるで、目覚めないリルをルカがずっと待っているかのようにも見えた。
どれほど長い間走らせ続けたのだろうか。
いや、実際にはそんなに長くなかったのかもしれない。
だが、何時間も、何日も、何年にも。
侯爵には、その移動がそれほど長く感じられた。
そして、私はジェイド様の元にたどり着いた。
ヒラソルという男は、その姿を見るなり駆け寄ってこう言った。
「リル様は、どうなさったのですか?」
と。
返す言葉が無かった。
しかし、言わねばならない。
「どうなったのかは、見ていない。しかし、オラリオン王国から生気というものがまるで感じられなくなった。」
ありのままを伝えるしかできなかったのだ。
そして、こう続けた。
「私は、貴方と共にジェイド様を託された。彼が、私たちの最後に残った…いや、あの方が私たちに初めて頼ってくれたことだ。」
「…はい。」
ヒラソルは、何かを覚悟していたのだろう。狼狽する様子は見られなかった。
「まずは、ジェイド様の安全を第一に考え、私たちの手で育てていかなければなりません。」
彼は続ける。
「そのための場所も、準備も整えてあります。あとはあなたが決めてください。侯爵。」
出来過ぎているほどに、全てが整っていた。
一体彼には何が見えていたのか。何を思ってここまでの準備をしていたのか。
彼には、リル様が何をするのかが予測できたのか?
主君が、仕える相手が命を賭して行った行為に対して何を思っているのか?
『商人』としての彼の冷徹さには恐怖を覚える。
だが、今はその手腕にすがるほかない。
「今、このジェイド様を失うわけにはいかない。何としても守りぬく。」
「そう仰ると思っていました。では、参りましょう。」
さらに馬車を走らせ、数時間。
敢えて遠回りの道を使うことで誰かに知られる危険を減らし、隠れ家に入る。
ここから何年間住むのだろうか。
いつ、ジェイド様にこの事実を伝えることになるのだろうか。
それはまだ、わからない。
しかし、その時は必ずやってくる。
願わくば、彼があの国を救う人間に育ちますよう。