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ジルちゃんとお喋り


ーーこれ程までに夢であってほしいと思った事は、今生において他にあっただろうか。


 霞み始める視界の中で、血だらけの弟の顔が滲んでいく。

 照り付ける煩わしい日光と、遠くで永遠と続く蝉の声が、真夏の賑やかな昼間を残酷なまでに演出していた。

 何かの爆ぜる音に、周囲では群衆のどよめきが広がっている。

 誰かに押されるようにして、車の外へと這い出て振り返った。


ーーっ


 霞んだ世界の中で、弟が何かを言っている気がした。

 誠に遺憾なことに、その言葉を己の鼓膜は意味のあるものとして拾い上げてはくれない。

 苦しそうに微笑む弟の声が聞きたくて、その心が知りたくて、霞む視界の中でもがいていた。

 弟が守ってくれたから痛みはなかった。けれど、経験した事もない衝撃に揺すられた脳が意識を手放そうとしているのは本能で理解出来た。


ーーあぁ、ダメだ。ここで寝てしまってはいけない。


 これを逃したら、二度と会うことは叶わないだろう。何故。そんな事はどうだって良い。

 生まれてこの方、弟がいない時間など想像した事もなかった。同じ血を分けて、同じ日に、少しだけ時間をずらして生まれた自分の分身のような弟が離れていく。

 そんな不安が心を包む瞬間が、永遠にも思えるくらいに記憶に焼き付いている。

 いっそこのまま時が止まれば良いのにと、そうすれば弟とずっと一緒にいることが出来るのにと。叶わない願望を抱いて、現実を直視する事を躊躇った。


「ーー生きろ姉ちゃん」


 その瞬間、限界を迎えた車の枠組みが外れて、餝の視界から後部座席を攫っていった。

 そこにいたはずの最愛の弟の姿と共にーーーー…………。











「ーーうわぁぁあっ!?」


 がばっと飛び起きると、そこは柔らかい布団の上だった。白い布団が、餝の身体を包み込むように、柔らかく沈んで支えてくれている。ぐっしょりと滲んだ額の汗を服の袖口で乱雑に拭った。

 久し振りに悪夢を見た。ここ数ヶ月前までは、毎日と言っていい程に見ていた筈の見慣れた実体験の悪夢。2年前のあの日の悲劇は、毎晩のように餝の頭の中で繰り返され、忘れる事なんて出来るわけもなく、乗り越えて歩いていく気力すら奪っていく呪いだった。

 だが、ここ最近は謎の夢が繰り返すようになり見ることがなくなっていた。何故今更と思うも、夢なんて実体のないものに疑問を抱いても仕方がないのかもしれない。


「…………気分最悪」


 悪態を吐いて、少しだけ気が落ち着いてきたか。餝は、思い出したように周囲を見渡した。

 眼を見張る程の調度品が並ぶーーなどという事はなく、これと言って特徴のあるような部屋ではなかった。

 それでも、小綺麗に整理された部屋は、ホテルや旅館の一室を彷彿とさせた。

 窓際にある小さな木製のテーブルと椅子、壁に直接備えられたクローゼットや入口脇の鏡台、二つある扉はトイレかシャワールームのようだ。

 そんな室内を見渡して数秒、餝はそのままベッドの上に大の字に転がった。


「知らない天井だーー」


 当たり前の事を呟きながら天井を見上げた。実はこの台詞、餝の人生で言ってみたい台詞ベスト10に入っていたりする。

 だが、人生の中で気絶して運ばれる事や寝ている間に何処かへ移動させられる事など滅多にないだろう。それこそ餝は事故にあった日、目が覚めたら病院の一室ではあったが、その時はまだこの台詞には出会っていなかった。

 そんな某人型決戦兵器を主軸とした物語の台詞を吐きつつ、現在の自分の置かれた状況を整理する。


「映画を観に行って、異世界転移して、冒険して、モンスター倒して、変な女に殺されかけた……はぁあ!?」


 ーーダメだ、整理しようとすればするほど、頭の中が散らかっていくような気がする。果たして、今の回想にあった出来事は全て現実なのだろうか。

 そこにどれだけの痛みや感情が伴っていたとしても、どうにも素直に信じられそうにはない。

 “異世界”なんてものは、非現実的なモノの代表格だろう。例えあったとしても、知る由は無く、行く術も無いのだから、無いものとして考えるのが妥当なのだ。

 どれだけオタク脳を拗らせていたとしても、それはそれ、これはこれである。

 餝は、決して現実と妄想をごちゃ混ぜにする事はなく、しっかりと区別をつけて生きてきたつもりだった。しかし、現状を省みるに、餝の頭がおかしくなったと考えるのが一番妥当である。


「うわぁ、まじかぁ……この歳で呆けるとか私ってポンコツ過ぎる……ごめんなさいお父さん、お母さん、私の才能は全部悠真(ゆうま)が待っていったんだ……」


 自分の不甲斐なさを棚に上げ、ここには居ない弟に全ての責任を押し付けて自己防衛を図る。

 常識的に考えて、異世界やモンスターなんてものは存在しない。それらを踏まえて、現状餝の視界に映る全ては、餝の狂った頭が魅せている幻覚である事を疑うべきだ。

 要するに、実はここは餝の良く知る日本の都心部であり、学校やら街中やらのどこかしらなのだが、餝には正しく認識されず、人混みの中で奇行に走っている可能性があるという事だ。

 布団にしか見えないふかふかのこれは、動物園のライオンかもしれないし、宿泊施設の一室の様なここは牢屋かもしれない。

 考えたところでどうしようもないのだから、これまたとんでもなく困った状況である。

 しかし、幻覚と一蹴するには、あまりにも非現実的過ぎる気もしていた。


「うーん……幻覚って言ってもなぁ……脳内で異なる世界を作る程の幻覚なんてある……?脳が見せるのって、見聞きした事があるものやそこから連想出来るものだけじゃないの……?引く程巨大な鳥とか出会い頭に襲って来る美女の事なんて、妄想しろと言われても難しいけどな……」


 幻覚とは、そもそも外的現実とは無関係な事象を脳が勝手に知覚する現象のことである。それは、視覚であったり、嗅覚であったり、人のありとあらゆる感覚器官を麻痺させる脳の働きだ。

 では、そもそも脳が知り得ない情報が、幻覚として人間の感覚を犯す事などあり得るのか。知らない世界の形成、見たこともない情景の構築、会ったこともない人格の創造。

 幻覚と呼ぶには、この世界は餝にとって無縁過ぎたのだ。

 悶々とした思考が、ぐちゃぐちゃに散らかった脳内を更に乱していく。いっそのこと自殺でも試してみれば何かわかるか、と思考が危ない方向に進み始めた時、不意に部屋の扉がゆっくりと開いた。


「ーーん?あ、やっと目が覚めたのね。良かったぁ〜」


 外から部屋に入って来たのは、眼を見張る程に美しく、可憐な女性だった。

 女性は、餝の姿を視界に収めると、柔らかく微笑んで安堵のため息を吐く。対する餝は、全く着飾った様子もないのに周囲の景色から浮く程の女性の美しさに絶句していた。

 肩口で切り揃えられたふわりと漂うレイヤーボブは、絶妙に抑えられた毛量と相まって上品に纏まっており、襟足からは一房だけが夜空を走る流星の様に溢れて、愛らしい赤のリボンで結われている。白みの強い白金麗(プラチナブロンド)の髪は、新雪の様なきめ細かい純白の肌と相まって、神々しさまで感じる程だった。

 そんな白銀の中で煌めくのは、幾何学的に複雑な色彩を放つ紫水晶の瞳だ。窓から溢れる光を受けて、きらきらと宝石の様に煌めいている。

 ラフな服装からでもわかるスラっとした手足とボリュームのある胸元。女である餝でも、一目で眼を奪われる女性だった。

 そして、目の前の女性の美しさに餝は漸く悟る事になる。これ程の美女は、見たこともなければ聞いたこともない。自分の脳が創造出来得る範疇を優に超えている。即ちこれは、幻覚なんかではないのだ、と。


「……ぁっと、その……えぇと、おはようございます?」


「ふふ、もう昼過ぎだよ。でも、うん、おはようございます」


 何はともあれ、目の前の超絶可憐な女性が餝を心配してくれていたことは間違いないだろう。そんな女性を前に挨拶もなしじゃ日本人の名折れだ。

 餝は、こう見えて以外と礼儀はしっかりしている。ズレていることといえば、歳が近そうな人なら初対面でもタメ語で話すことくらいだ。


「えーっと……貴女は?」


「えっと、知りたいのは私の方なんだけど……あのね、人に名前を聞くときはーー」


「餝です!高嶺餝!あ、こっちだとやっぱりカザリ•タカミネになるのかな?とにかくカザリです!」


「……まぁ良いや。私は、えっと……冒険者のジルと言います」


 名乗りに変な間があった様にも感じたが、何よりも今は状況の整理の方が先だ。幸いにも、黒衣の女とは違って会話が成り立ちそうな雰囲気がある。

 カザリの食い気味の自己紹介にも、呆れ半分ではあるが応じてくれた。態々介抱してくれているあたりからも、敵意はないとみて良いだろう。


「ジルちゃん!良い人!覚えた!」


「あはは、良い人、ね……取り敢えず色々と覚えてます?貴女とは禁地(タブー)認定された未開拓地(ダンジョン)である幻魔の箱庭で出会ったの。急に大瀑布に突き落とされた挙句、貴女は気絶してしまっていたから、とりあえずフォルヴェーラで私が借りている宿屋まで連れて来たんだけど。あ、そうそう貴女の荷物や服はそちらに。それで、貴女はあそこで一体何をーー」


「待って!情報量が多い!」


「していたの……はい?」


 ジルと名乗った冒険者の女性は、カザリとの出会いからこれまでの経緯を簡単に説明してくれた。

 しかし、如何せん知らない単語が多過ぎて、カザリからしてみれば、最早他言語での会話にしか思えなかった。

 例えこのまま話が続いたとして、内容の一割を理解出来るかも怪しい事に焦りを感じ、カザリはジルの話を遮る。分からないことは聞くのが一番だ。カザリは、その当たり前が出来る人間である。


「え、待って、ごめんなさい。冒険者?禁地?未開拓地?幻魔の箱庭?フォルヴェーラ?ーー何その設定資料集?」


「ぇ?……まさか、記憶喪失?」


 わぉ、予想外。カザリは、単純に知らない単語の意味を聞こうと思っただけだったのだが、それでまさか記憶の有無を問われるとは思いも寄らなかった。

 しかし、その事から察するに、カザリが問うた一連の単語は、この世界では常識として一般的に広まっている情報と見て良いだろう。

 情報とは武器だ。そんな武器の中でも初級のモノですら今のカザリは持っていない。

 今更ながらにその事に焦りを感じつつ、どうすればここを上手く切り抜けながら情報を得ることができるだろうかと、悪知恵をフルに活かして考えた。


「……そうかも。一切分かりません……」


 考えた末がこれである。単純な話、”記憶喪失だと思ってるならそれに乗っかっちゃえ大作戦”だ。

 幸いにも、カザリは記憶喪失も何も、そもそもとしてこの世界の記憶はあの遺跡での一連の騒ぎ程度しかない。疑われる様な事を口走る事もないだろう。


「ーー名前は覚えてるのに?」


「……名前は覚えてたね」


 案外鋭い処を突いてくるジルであった。しかし、カザリにだってそれなりに女子グループの中で生き抜いて来た話術がある。そう、困った時はごり押しである。

 何となくはぐらかしながらも、ジルにはあの遺跡に来る前までの記憶がない事を伝えた。

 すると、


「ーーうぅ、面倒ごとの匂いがするぅ」


「ちょっとぉ!乗りかかった船なんだから最後まで面倒みてよ!」


「何で貴女が偉そうなんですか……?この場合、被害者は私の方だと思うのだけれど……」


「ゔっ!否定出来ない!」


 見ず知らずのカザリを助けてくれたお人好しのジルでも、流石に記憶喪失者の面倒を見るのは避けたいのか。あからさまに顔をしかめて呟いた言葉を、地獄耳のカザリが聴き逃す筈もなく、縋る思いで調子に乗ってみせた。


「はぁ……どうしよ……」


「……ごめんなさい」


 本当に困り果てたという様子のジルを見て、流石にカザリも自分の行動が痴がましいものだと反省した。

 そもそも、町だか村だか分からないが、この宿のあるフォルヴェーラと呼ばれる場所まで気絶したカザリを運んでくれただけでも相当な恩義がある。

 もっと言えば、無縁な騒動に巻き込んでしまった後ろめたさもあるし、介抱する手間をかけさせた申し訳なさだってあった。

 そして、何よりもジルの存在があったからあのダイナミック投身自殺をする踏ん切りが付いたのだ。

 ともすれば、ジルは遠回しにカザリの命の恩人でもある。まぁ、カザリは知らないが、大瀑布に落ちた後直ぐに、激しい水流の中でカザリを抱いて岸まで泳いでくれたのもまたジルなのだが。

 そんなジルに嘘をついてまでこれ以上お世話になるのは筋違いというもの。日本人であれば、連絡先を聞いて後日菓子折りと共にお礼に伺うのがベストだ。


「……」


「……」


 宿場の部屋の中を嫌な静寂が包む。

 カザリは、ジルの顔を見ることが出来ずに、ずっと布団の皺を数えていた。直ぐにでも追い出されるかな、なんて不安になりながらも、どうせなる様にしかならないと男らしく構えているあたり案外タフな女だ。

 数分にも及ぶ沈黙の中、ふとジルの顔を盗み見ると、物凄く葛藤している様子が伺えた。出て行けなんて心優しそうなジルが言える筈もないか。

 そこまで甘えるわけにもいかず、カザリは無言のままベッドから立ち上がろうとして、よろけて尻餅をついた。


「へ?だ、大丈夫!?」


「あ、あれ?なんか脚が凄く痛い」


「ちょっと見せて」


 宿場備え付けの寝巻きだろうか。安っぽいガウンを身にまとっていたカザリは、ジルに言われた通りに痛みを感じた足首を見せた。露出された足首は、両足共酷く腫れ上がっており、捻挫の様に痛みを感じる。

 生憎カザリは、医学の知識は全くなく、怪我した状況が分からなければ症状だけでどんな怪我かなど判断もつかなかった。

 しかし、ジルは直ぐにカザリを抱き起こしてベッドに座らせると、その場に跪いて大切なものを扱うかの様にカザリの左足首を両手で包んだ。

 すると、次の瞬間には、緑色の光がジルの手から溢れ出し、淡く明滅し始めた。その光が、カザリの足首に浸透していくと、徐々に腫れが引いていき痛みもまた無くなっていった。


「す、凄い……これ、魔法……?」


「いいえ、回復魔術ですよ。近いけど、厳密には魔法じゃない」


「んん?」


「ごめんなさいね、足の怪我に気付いていなくて。一応肩とかお腹とかの傷は治したんだけど見落としてたみたい」


 ファンタジーといえば、やはりドラゴンと魔法は切り離せないだろう。

 カザリがこの世界に来てから大して時間は経っていないが、それなりに非現実的な光景は見てきたつもりだった。

 しかし、魔法は初めて見る。何故だか魔術だと訂正はされたが、似た様なものなのは間違いない。

 やはり、魔法や魔術の行使には、複雑な魔力操作や詠唱、魔法陣とかが必要なのだろうか。

 途端に異世界ファンタジーに期待が満ち溢れてきたカザリは、そのまま右足首の治療をしてくれているジルの手元を見てニヤニヤが止まらなかった。


(魔力?マナ?オド?私にもあっるかなーっ!?)


 頭の中で妄想が爆発していく。強大なモンスターを前に大迫力の魔法をぶっ放す自分の姿を妄想して、とてもありだと何度も頷いた。魔力を使って空中を駆け抜けスタイリッシュに戦う姿は、まるで二次元娯楽の中の世界ではないか。

 いよいよここがカザリの趣味に合致した世界でありそうな気配が漂って来た。

 そんな未来を妄想して、百面相を晒すカザリの前で、ジルが立ち上がる。どうやら、治療は終わった様だ。


「あの、今、何しようとしたんですか?」


「へ?」


「何をしようとして急に立ち上がったのかと聞いてるんです。貴女は、かれこれ一週間も寝てたの。足の事を抜きにしても直ぐに動ける体じゃないんですよ。何か用事があるなら私が済ませるから言って下さい」


 ジルという女性は、何処までお人好しなのか。カザリは、気を遣ってここを出て行こうとしただけなのに、何かしたいことがあるならやってあげるから教えろと当然のようにカザリを受け入れている。

 とても見ず知らずの人間に出来るような対応ではない。情が深い日本人ですら、近年ではすれ違う赤の他人なんかに気を使うことは無いというのに。

 突然襲いかかってくる女もいれば、何も知らない人間を助けてくれる女性もいる。この世界に住む人間は、カザリが知る人間よりもよほど正直に生きているなと実感させられた。

 だからこそ、カザリはジルから離れようと思う。もし仮にここでジルに甘えて生きようと思ったら、それは結衣にしていた事と何ら変わらない。折角ここが正真正銘の異世界だというのなら、しがらみなど一切無いのだし、一人で自由に生きるべきなのだ。


「ううん、用事はないよ。ただ、これ以上ジルちゃんに迷惑は掛けられないからね。お着替えして荷物持って出て行こうかなって」


「っ」


 それを聞いて驚くのはジルだ。

 確かに記憶喪失の人の面倒を見るのは正直言って大変である。面倒どころの話では済まないかもしれない。

 けれど、折角助けたのに記憶喪失のままカザリを放っておいても大丈夫なのだろうか。

 見たところお金の類は持ち合わせていないし、武器も何一つとして持っていない。きっと、戦う術すらも持ってはいないのだろう。

 記憶喪失でその上何も頼るモノのないカザリが、この世界で生きていける保証はない。

 ジルは、心の葛藤に苛まれた。


「そんな……迷惑だなんて……」


「大丈夫だよ、わかってる。ジルちゃん優しそうだから言い出せないよね。あ、そうだ。ジルちゃんには沢山お世話になっちゃったしいつか絶対お礼しに来るね」


 そんな事を笑顔で告げるカザリを見ているのが辛かった。

 いつから人を助ける事を躊躇うようになったのだろうか。中途半端に手を差し伸べるくらいなら最初から何もするなとは、少し前の仲間だと思っていた男に言われた言葉だ。その真意は理解出来ていたし、だからこそ中途半端な事などせず最後まで面倒を見る努力をして来た。

 でも、あの日(・・・)を境に、一歩を踏み入る勇気が出なくなっていた。何を成すにも中途半端で、何も最後までやり切れない。そんな自分が嫌いで仕方なかったが、自分の行動が取り返しのつかないことに繋がることを思うと、ジルはやはり動けなかったのだ。


「よーっし、準備完了!カザリ•タカミネ旅立ちます!ジルちゃん助けてくれてありがと!傷も服も全部全部感謝です!それでは、これにておさらば!」


 いつのまにか着替え終わって、トートバッグを肩にかけたカザリがビシッと敬礼していた。

 元の世界から着て来た衣服は、所々が破けて酷く不恰好だったが、似たような色合いの布で継ぎ接ぎされており、なんとか服としての機能は果たせるように修繕されていた。

 これもジルがしてくれたのかと思うと、カザリの胸の中が暖かくなっていく。

 さて、これからどうするかとは頭で考えるも、結局はこれまでと変わらない出たとこ勝負だと言う考えに落ち着いた。下を向いても仕方ない。カザリは、勢いそのままに部屋の扉に手をかけた。


「ーー待って!」


「……ほへ?」


 そんなカザリの腕を掴むのはジルだった。何事かとジルの方を向き直るも、ジルですら何でカザリを呼び止めたのかいまいち自分ではっきりとした答えが出ていない様子である。

 だから、ジルは咄嗟に尋ねた。ずっと疑問だった事が一つだけあったから。


「何であの時、私の腕を掴んで走り出したんですか?別にそのまま置いて逃げても良かった筈なのに……なんで貴女は私も連れて行ったんですか?まるで、助けたみたいに……」


 カザリは、ジルの質問の意味がよくわからなかった。

 しかし、気を失う前、遺跡で偶然居合わせたジルの腕を咄嗟に掴んで走り出した事を思い出して、その事かと思う。

 何故と問われても特に答えはない。ただ、明らかにカザリを追う黒衣の女の破壊に、何ら関係のないジルを巻き込んでしまった事だけは事実であった。


「何でって言われても、別に私はーー」


「人は損得を考えて行動する醜い生き物なの!!何の意味もなく誰かを助けたりなんかしないの!!貴女は何を求めてたの!?」


 突然大声をあげたジルに驚くカザリ。先程までの物静かで柔らかそうな雰囲気は一変し、答えない事を許さないとでもいう目でカザリを睨んでいた。

 普通ならとんだ気狂い女だと笑ってしまうかもしれないが、カザリは違った。こういう思考に至る人間が、どんな経験をして来たのか何となくだがわかってしまうのだ。

 そして、そんなジルを見て、少しだけ同族嫌悪を抱いた。


「……じゃあさ、ジルちゃんは何で私を助けてくれたの?」


「っ!」


 完全なブーメランだった。寧ろ、行動の重みを考えれば、ジルの方が圧倒的に多くカザリを助けている。

 それは、勿論損得なんて考えていない、ジル個人の心に従った結果の行動だ。

 それならば、カザリの行動に損得があるなんて決めつけるのは、お門違いと言うものである。


「ジルちゃんだって、きっと何も得するなんて考えてないでしょ?私はほら、巻き込んじゃったし。ただ助けなきゃって思ったから助けた、それだけだよ」


「そ、そんなのは嘘よ!!そんな理由で、人は他人のために動かない!!人は他人のために苦労をしない!!人は他人のために心を動かさない!!」


 もしも立場が逆だったら、きっとカザリも同じ事を言うかもしれない。それくらいに同じ思考を持つ人だと感じた。

 だが、それは今はただただ苛立たしいだけである。だって、真に優しさを持つ人間というものは、居るところには居るってことをカザリは知っているから。


「何なのさっきから!?急に叫んで人の言葉の否定ばっかり!貴女に何がわかんの!?私の事知らないくせに決めつけないでよ!」


「あ、貴女が嘘ばっかり言うから!」


「嘘なんて言ってないもん!」


「全部嘘だよ!貴女は何かを求めて私の手を握った!何が目的なの!?」


 それは結衣然り、目の前の少女然りである。何でわかってくれないんだと怒り、まるで自分のように頑固なジルに向かって、カザリは思わず泣きながら声をあげた。


「だっでぇ!怖がっだんだもん!突然知らない所にいでぇ!変な女に追いがげられでぇ!」


「あれ?ちょ、え、ぇえ!?ちょっと、泣かないでよ!?」


 これには、ジルも拍子抜けしてしまい、それまでの剣幕な表情など消し去って、おろおろと慌てだした。

 一方カザリは、知らない世界に来てからというもの、ずっと気を張っていた反動で止め処なく溢れる感情を叫ぶ。


「巻き込んじゃっだがらぁ!助げなぎゃっでぇ!それだけだもん!疑うなよばがぁ!」


「ば、馬鹿って私の事?」


「ゔん!ジルぢゃんのごどぉ!ばがぁ!ヘンテコな価値観のおばがぁ!」


「……ふふ、何それ。ほら、これで涙拭いて」


 あまりにもカザリが子供っぽい怒り方をするため、完全に気勢を削がれたジルは、幼い妹でも見るかのような優しい目でカザリを見ていた。

 子供をあやすように手拭いで目元を拭いてやると、ずびー!と勢い良く鼻水をかまれた。まさか、鼻水をかまれるとは思いも寄らず、ジルは複雑そうな表情でべっとりと鼻水の付いた手ぬぐいを見つめる。


「……私がいなかったらジルちゃんはあんな事に巻き込まれなかった。普通にあの遺跡を攻略して、何事もなく帰って来てたかもしれないんだよ?だから、私のは罪滅ぼしだよ。理由が欲しいならこれで良いでしょ?」


「貴女がいなくても私が直接あの女に出会って同じ事になっていたかもしれないよ?その可能性を考えたら、別にあの出来事が貴女のせいとは思わないし、見捨てられても私は何も言わなかった」


 どれだけ言葉を交わしてもカザリの真意が伝わらない。最早この女は、カザリに何を求めているのかと本気で疑いたくなる。

 だが、カザリはジルの事を放っては置けなかった。助けてくれたからじゃない、可愛いからじゃない。自分と同じ”知ってる側の人間”だからだ。

 ここでカザリが適当に流せば、ジルは本当に戻ってこれなくなるかもしれない。何となくだが、カザリはそう思ったのだ。


「……疑り深いなぁーーじゃあさ、逆の立場だったらジルちゃんはどうしてたの?」


 だからこそジル本人の真意が知りたかった。だって、自分と同じ事を考えているんだから、きっと同じ答えが返ってくるはずなのだから。


「……助けてた、かも?」


 そして、それは案の定当たっていた。ジルだって人を助ける事に損得なんて気にしない。なら、カザリもそういう人間だという事を認めないわけにはいかないのだ。

 ジルの中にあったもやもやが少しだけ晴れた気がした。それと同時に、カザリを見つめて羨ましいとも思った。カザリは、きっと人を助ける事を躊躇ったりしない人間なのだ、と。


「ーーぷっ、何それ」


「ーーふふ、ほんとね」


 全くもって謎の言い合いをした二人は、どちらからと言うこともなく自然と笑い合っていた。

 こうしてカザリは、異世界に来て初めてまともに会話をして、少しだけ心の緊張の糸が緩んだのだったーー。




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