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赤月の戦夜


“フォルヴェーラの街中に大量の魔獣が発生した”


 風に乗って何処かから確証の無い悲鳴が流れて来る。驚く程に赤い月が空に浮かぶ深夜の事だった。

 静寂を失った月下の中、ディンは不死鳥の通りを走っていた。

 ヘルガルム戦によって負傷した者の中でも逸早く回復したディンは今日の朝方に家の方に戻っていた。これまでと何ら変わらない家族団欒の時を過ごし平穏に過ぎていく日常に安堵しつつ眠りについたのも束の間、何処からか聞こえてきた悲鳴にも似た叫びに飛び起きたのだ。


「冗談じゃねぇぞ、くそ!」


 家族を近くの地下避難場に押し込んで走り出してもう十分近くは走りっぱなしか。右手に慣れ親しんだ相棒の鉄製の槍一本を持って彼はただひたすらに中央区を目指していた。

 彼処には死地を共に切り抜けた戦友達がまだ動けないでいるのだ。その事実に目を逸らして自分だけ安全な場所に逃げる事など出来なかった。

 加えて言えば隣のエイジの家族にもエイジを守ると約束して来てしまった。この男が逃げるなんて選択をするわけがなかった。


「あいつらに俺は命を貰った!助けられた恩は、忘れねぇ!」


 その時、路地裏から人間大の鼠型の魔獣が顔を出した。大鼠よりも大きな魔獣の口からはみ出す前歯には赤黒い粘液がこびり付いており、辺りには酷い血臭が漂っていた。

 ディンは走っていた勢いにたたらを踏んで立ち止まった。そして槍を数度振って構える。


「チッ!大マジじゃんかよっ!」


 街中に魔獣がいる事実に頭が痛くなるのを堪えて槍の矛先を定めた。勢い良く地面を蹴るとかなりきつい前傾姿勢で詰め寄る。

 その様はまるで地表ぎりぎりを駆けるチーター。大して愚鈍な鼠型魔獣は頻りに鼻を鳴らすだけだ。

 擦れ違い様に顎下から槍を突き上げ距離を取る。顎下から脳天を貫通した槍は赤黒い血液を吹き上げながら月明かりを反射して煌めいた。ズン、と倒れた魔獣から槍を回収して血振りをくれるとそのまま走り出す。


「何の悪夢だよ、くそ!」


 脇の屋根から飛び降りて来た犬の様な魔獣の首根を深く切り裂き槍を数度振り抜いてこびり付いた血液を飛ばして走る。

 少し走れば今度は酒場に飛び込もうとしている犀の様な魔獣の脳天に氷のオドを纏わせた槍を突き立てるとそのまま高跳びの要領で飛び越え振り返る事もなく走った。

 背後ではズンと言う音を伴って崩れる身体、しかしディンはただ前だけを見て走っていた。


「頼むから無事でいろよ!」


 各所では既に火の手が上がり始め、異変に気付いた住民達の叫びが溢れていた。

 少し前の静寂が嘘の様に喧騒に包まれるフォルヴェーラの街中、冒険者達や騎士達が忙しなく動き始める気配。ディンは中央区を目指して駆けて行ったーー。






「くそ、こちとら万全じゃねぇんだぞ!?」


 拳を握り締めて迫り来る数匹の昆虫の魔獣を打ち払ったのはロイだ。彼は中央区の外れにある治療院の前で一人魔獣達を相手に大立ち回りを演じていた。

 遠目に見える冒険者ギルドの前ではかなりの数の冒険者が魔獣を相手にしているが如何せん数が多過ぎる。応援は期待出来ないかとロイは息を吐き出して腰を落とし、空から急降下して来た蝙蝠型の魔獣にオドの宿った掌底を放つ。

 粉々に弾け飛ぶそれを見届けて彼は治療院を振り返った。幸いにも今ここの治療院に入院をしているのはこの前の初心者演習の際のヘルガルム戦に参加していた数名だけだった。仮に魔獣に抜かれる事があってもかなりの人数に被害が出ると言うことはないだろう。

 それでもロイは其処を退く気はない。彼の後ろには未だ動けない戦友達が眠っているから。


「っけど、手が足りねぇぞ!」


 石畳の上を這う様に迫る無数の芋虫の様な魔獣を蹴り飛ばし、踏み潰して駆逐していく。幸いにも一匹辺りの危険度はかなり低いため倒す事自体はさして難しくはなかった。

 しかし、絶えず押し寄せる魔獣の群れを前に一向に終わりが見えて来ない。終わりのわからない事程心が折れそうになる道もないだろう。

 舌打ち一つして、ロイはまた一つ拳を放った。しかし、そんな均衡も長くは続かず、突如として大きな建物の壁に巨大な蟷螂の魔獣が現れた。


「ギガマンティス……ここに来てBランクの魔獣かよ……」


 それも一匹に収まらず周りを見渡せばかなりの数が居た。

 冒険者ギルド前で戦い続ける冒険者達が奮戦するも、何匹ものギガマンティスが方々に散っていき街へと被害を与えていく。

 そんな光景を黙って見ている事しか出来ない自分にロイは辟易した。

 残念ながらロイは選ばれし英雄でも世界に名を馳せる英傑でも無い。田舎の山奥にある武術道場を卒業しただけのFランク冒険者に過ぎないのだ。

 出来ない事はどう頑張ったって出来やしない。先のヘルガルム戦で嫌と言う程思い知らされた事実だった。

 だけど、それでも、何かから逃げる自分は気に食わない。もしそんな事をしてしまえば寝覚めが悪いに決まっている。その時、一匹のギガマンティスがロイに迫った。


「来やがれ、虫野郎!」


 巨大な鎌が横薙ぎに払われる。上体を逸らしたロイはすれすれで鋭利な鎌の軌道上から逃れると瞬時に駆け出した。

 幸いにもギガマンティスと言う格上の存在が現れたからか、周囲の低級の魔獣はロイ達から距離を取っており横槍が入る心配はなさそうである。

 鋭利な顎を搗ち合わせ耳障りな音を発するギガマンティス。恐ろしい風貌に臆する事も無くロイは詰め寄ると図体の割に細長い脚の一本に狙いを付けて回し蹴りを放った。


「っらぁあ!」


 土属性のオドで硬化した脚は下手な金属よりも硬く、生身であっても歴とした武器になる。

 腰の捻りと、全身のバネを活かした渾身の蹴りがギガマンティスの脚を捉える。しかし鈍い音が鳴り響くだけで目に見えるダメージを負わせる事が出来なかった。


「冗談だろ!?」


 まさか今の一撃が通らないとは思ってもおらず、ロイには致命的な程の隙が生まれてしまった。野生を生きる魔獣が獲物の隙を態々見逃す筈もなく、両サイドから特大の鎌が迫った。

 絶体絶命の危機を前にロイは最後まで諦めないと腰を落として構えた。しかし、次の瞬間には突如飛来した水の弾丸がギガマンティスの鎌を押し返した。


「お待たせ!」


「シェリー!?」


 声に振り返れば淡い水色のサイドテールを揺らしながらシェリーが駆け寄って来る。オドを使い切ってゲートを枯らしたシェリーは大事をとって治療院に入院させられていたのだ。

 魔獣が現れ出した時には治療院の治癒術師達を避難させるために一旦この場を離れたのだが、どうやら態々死地へと戻って来たらしい。


「お疲れロイ。やっぱりアレンはまだ動かせないから、ここを守らなきゃダメみたい」


「そうか……だがジリ貧だぞ?」


 治療院の中にいた人達は大方避難させる事は出来たが、未だに目覚める事のないアレンを動かす事は叶わなかった。全身の骨は回復魔術と神聖術の恩恵で着実に治りつつあるが絶対安静の状況は好転していない。


「そうだけど原因がわからない今はやれる事をやらないと。アレンの側にはイリスがいるから大丈夫。私もこっち手伝うよ」


「あぁ、助かる」


 既にある程度回復しているイリスが側にいるのであれば安心か。ロイはシェリーに背を預け、鎌で頻りに顔を拭っていたギガマンティスに相対した。

 最悪な事に冒険者を始め王国騎士団第二部隊やカスタル公爵の私兵団の実力者達の殆どはヘルガルム討伐作戦で街を離れている。助けを期待して行動していても結果は良い方向には転ばないだろう。目の前の魔獣だけでもどうにかロイ達で対処しなくてはならなかった。

 そんな時不意に上空から蜻蛉の様な魔獣がロイに迫り来る。ギガマンティスに意識を割いているロイはそれに気付いていなかった。鋭い顎がロイの頭へ食いつく瞬間、雷を纏った短剣が蜻蛉の頭を穿った。


「余所見は良くないね」


「んな!?エイジ、大丈夫なのか?」


「僕よりも大丈夫じゃない人が居るのに寝てられないよ」


 真っ赤な短髪を揺らしてエイジが着地する。アレン程ではないがエイジもかなりの重症で先程まで寝ていた筈だった。にも関わらずエイジは冒険者としての装いに身を包みロイ達の元へ駆け付けたのだ。


「さて、僕らはまだまだ初心者なのに、一体どれだけの強敵と戦えば良いのかね?」


「そんな事言ってたらこの先やってけないよ。不測の事態に対応してこそ冒険者でしょ!」


「お前ら元気だな……良し、やるか」


 ロイの合図で3人は走り出した。

 接近戦を得意とするロイとエイジがギガマンティスに迫る。それを阻止せんと大きな鎌が横薙ぎに振るわれるもシェリーが生み出した水の壁によって妨げられ、二人は危なげなくギガマンティスに辿り着いた。


「魔術師がいる戦闘は楽で良いな」


「同感だね」


 硬質な外殻に覆われるギガマンティスの身体の中で唯一柔らかそうな腹の横に位置取ってロイはオドを練り上げた。一人の時には容易に近付く事も叶わなかった弱点部に辿り着いて改めて仲間という存在の有り難みを感じて笑った。

 土属性のオドで強化した掌底を叩き込むとギガマンティスの体内へと衝撃波が電波していき内部の体組織がぐちゃぐちゃに破壊されていく。

 苦しむ様に耳障りな鳴き声をあげるギガマンティス。エイジは身体強化を使って高く飛び上がりギガマンティスの顔面と相対した。


「僕等はもっと怖い奴を知った。悪いけど君程度には負けないよ」


 激しい雷音と共に黄色の閃光が駆け抜ける。エイジはロイの隣に降り立ってゆっくりと振り返った。

 そこには頭部を失ったギガマンティスが立ったまま絶命している。硬い外殻の至る所から緑色の血液が吹き出しており酷い異臭を放っている。


「二人とも強くなった?寝てただけなのにヘルガルムの時よりも動きが良かった気がするんだけど」


「死にかけて吹っ切れただけだ。死ぬ気になれば案外出来るもんだな」


「僕は死にたくないから常に全力で挑む事にしただけだよ」


 初心者とは思えない動きでBランクの魔獣を圧倒した3人。しかし辺りにはまだまだ魔獣の群れが絶えず押し寄せている。

 冒険者ギルドやバトルドーム、時計台や教会と言った各所でも沢山の人々が戦っているがやはり練度的に不安が拭えない。既に何人もの怪我人が出ている場所もあった。


「最悪な状況だね。どう思う?」


「わからねぇ。迷宮の氾濫にしては魔獣の出現の仕方が曖昧だ」


 迷宮の氾濫とは通常なら迷宮の外側に出て来ない魔族が出て来てしまう事故の事だ。平時は迷宮の入り口には強力な守護天使が置かれているのだが、これらに何らかのトラブルが起きると迷宮の氾濫に繋がる事がある。

 しかしそれにしては魔獣が迷宮区から出て来た痕跡は見当たらず、そればかりか街中に突然現れたという表現がしっくり来る状況だ。ロイは現状がイマイチ掴め切れずに苦虫を噛み潰した様な表情をした。


「ねぇ、ちょっとあれ……」


 シェリーの視線を追って空を見上げる二人。見上げた先には何も無い夜空の只中に浮かぶ一つの影があった。

 立ち昇る炎によって僅かに明るみを帯びる夜空の中にあって不変の黒い闇。遠目で定かではないがどうやら人の様だった。


「何だあれは?」


「人、かな……?」


「明らかに不審だね」


 まるで街を見下ろし様子を見ているかの如く空で停滞していた影。

 すると3人が見つめる先の影が突如動き出した。中央区の更に中心部、一際大きな噴水の側に影ーー否、一人の男が舞い降りた。

 黒いフードを目深く被る大柄の男だ。辺りに犇めく魔獣を気にした様子もなくゆっくりと冒険者ギルドの方へ歩いて行く。


「嫌な予感がするのは僕だけ?」


「奇遇だな、俺もだ」


「な、何する気だろ?」


 Cランクの中堅冒険者達を主軸に魔獣に対抗していたギルド前の冒険者達。男が近付くと冒険者達も異様な雰囲気に気が付いたか、警戒を強めて各々が構えた。

 不意に立ち止まった男が気怠げに手を振る。すると奇妙な事に周囲の魔獣が方々へと散って行くではないか。それはまるで命令を下す様な所作。

 人が魔獣と心を通わせる事は無くはない。しかし今現在人を襲っていた魔獣が人に従うなどあり得ない話だ。

 中央区を襲っていた多種多様な魔獣は男の号令一つで街に散り各所で暴れ始める。異様な光景に誰もが目を剥いて言葉を失った。


「何なのあいtーーっ!」


「しっ!」


 あまりにも常識離れした男の出現に吠えかけたシェリーの口元を押さえギガマンティスの亡骸に隠れるエイジ。訳も分からないままにエイジに手を引かれて同じ様にギガマンティスに隠れたロイとシェリーは何事かとエイジの顔を覗き込んだ。


「どうしたエイジ?」


「あの法衣を見てよ」


 エイジが顎で指した先、大柄の男が纏う黒のローブは西洋の法衣の様な見た目だった。豪華な刺繍や飾りはなく、何枚もの布を着込んだ様子もない。シンプルなデザインの真っ黒な衣類である。

 だが、一つだけ特筆するべき点があった。それは背中の赤い刺繍である。赤い目玉を両手で包み込む様な気味の悪い刺繍だ。


「ーーおいおい、嘘だろ……!」


「ーー邪教徒……!」


 この世界の歴史の裏に必ず暗躍している存在達。誰もが知っていて恐怖の対象として語られる世界規模のテロリスト集団。深淵よりも暗き者(ダークネス)

 大柄な男がオドを爆発させると周囲の冒険者が簡単に吹き飛んで行く。その余波はロイ、シェリー、エイジの3人をも巻き込んで破壊の嵐を巻き起こした。

 頑丈な建物のみを残して無残にも崩壊した噴水広場の中、大柄な男はゆっくりと冒険者ギルドへと入って行ったーー。






 戦火が徐々に広まりつつあるフォルヴェーラの街。大虎の通りの中腹にある地下避難施設の入口の側にカザリとジルの姿があった。

 連日同様にバトルドームでの訓練を終え、夕飯を食べて銭湯に入り後は眠るだけという時間になって響き渡った悲鳴に部屋を飛び出したのはもう30分以上も前の事だ。

 青空亭で宿を取っていた冒険者と協力しながらカザリ達は周辺の住民の避難活動を手助けしている。

 住民を守るのはあくまで騎士の仕事だ。しかし周囲にいる衛兵だけでは手が足りないのは明らかである。何でも屋である冒険者が異常時に手伝うのは何ら不思議な事ではなかった。


「ごめん、私支部長からこの街を任されてるの。そろそろこの辺りも落ち着いて来たから魔獣討伐に向かうね。カザリさんも避難してて」


「ちょっと待ってよ!治療院にいる皆んなが心配だよ!」


 ヘルガルム討伐に赴くアーノルドから街を託された一人であるジルは、冒険者としての使命を果たそうとして共にいたカザリにその旨を伝えた。

 一方カザリはといえば治療院にいる仲間が心配で気が気じゃなく、自分だけ避難所に押し込まれるのを嫌がった。


「……確かギルドも非常時は避難所になる。うん、わかった。中央区まで送るね」


「ご、ごめんジルちゃん。我儘言ってる自覚はあるから」


 申し訳無さそうに俯くも譲る気は無いか。カザリは決意に満ちた瞳でジルを見つめる。

 出会ってたかが数日の人のために自ら危険に飛び込むなんてどうかしている。だがそんなカザリの決意をジルは否定しなかった。

 それは自分がもう捨ててしまった感情だ。今でも悪い事だとは思っていないが、真っ直ぐには向き合えなくなった感情だ。否定する権利なんてジルには無かった。


「ううん、心配なのは仕方ないもん。じゃ、急ぐよ?いきなりの実践だけど昼間の特訓を思い出してオドで身体強化をしてみて。普段の倍以上の速さで走れる筈だから」


「う、うん!やってみる!」


 夜明け前の自主練に引き続き今日1日を通してジルからみっちりと叩き込まれた身体強化のオド操作。瞳を閉じて、頭の中に自分の身体をイメージする。

 下腹部の奥にある両開きの扉、ゲートをゆっくりと開いていくとエーテルボディから流れ入るオドが身体を循環し始めた。ぽかぽかと軽い運動後の様に熱を帯びる全身にオドの巡りを感じてカザリは瞼を開く。


「カザリ•タカミネ、行けます!」


「飛ばすよ、しっかりついて来て」


 ジルはその場で飛び上がると近くの建物の屋根に乗った。そしてそのまま物凄い速さで屋根の上を飛び移りながら駆け出す。

 地を駆ける馬よりも速く、空を翔ける鳥よりも速く。熟達したオドの操作技術は人間に人外の動きを可能とする力を齎す。

 あっという間に離れていくジルの背中に揺れる流星を目で追ってカザリもまた脚に力を込めて飛び上がった。


「大丈夫、私は出来る子……大丈夫、私は出来る子……!」


 自分に言い聞かせる様に数度呟いてカザリは屋根に飛び乗った。そして放電音を伴って夜の街並みの中を駆け出す。

 それはジルにも匹敵する速さで、既に大分遠くにいたジルの背中を見失わずに済んだ。

 目まぐるしく変わっていく周囲の風景はさながらジェットコースターにでも乗っている気分か。これがずっと続くとなるとなかなか身体に負荷が掛かりそうである。


「うぅ、怖いなぁ……大丈夫、私は出来る子……!」


 速度が乗った動作にはそれだけエネルギーが加わっている事になる。ともすれば一つ一つの動作が普段とは違った意味合いを含んで来るのも道理である。

 仮に平時に転んだところで精々膝を擦りむいたり手の皮が剥けたり、酷くても骨折程度で済む筈だ。だが、これだけの速度で躓き転びでもしたら死に直結する事だって有り得る。


「考えるな……悪い事は考えちゃ駄目だ……!」


 兎に角必死になってジルの背中を追う。足元と前方に最善の注意を払い直走る。

 周囲の景色が曖昧ではっきりとはしないが中央区に近付くにつれて被害が大きくなっている様な気がした。倒壊する建物や燃え盛る火、そして何かの叫び声。

 だが走る事に集中しているために正確な状況が把握出来ない。

 そんな時だった。走る事に意識を割いていたカザリの頭上から鴉型の魔獣が飛来したのだ。

 直前まで気付かなかったカザリはぎりぎりで鴉型魔獣の突進を回避するも、そのまま脚をもつれさせ勢いに乗って家と家の間に飛び出して進行方向にあった家の壁に激突した。


「がっーー!?」


 肩から衝突したカザリは家の壁を僅かに破壊して落下する。地面に落ちる際にもロクな受け身をとれずに背中を強打した。

 一瞬何が起こったのか分からずに肺の中から攫われた空気を求めてカザリは喘いだ。過呼吸の様に荒い息をしていると遅れて鋭い痛みが広がっていく。左肩を見ればーー成る程、無様に拉げているではないか。


「うぐっ、ぁあ!痛い!痛いぃい!!」


 感じた事のない激痛に悶えて地面を転がる。石畳の地面に身体中を打ち付けるも何の誤魔化しにもならず、灼熱の痛みが左肩を襲う。

 涙と鼻水と涎とでぐちゃぐちゃの顔を歪ませて子供の様に泣き叫んだ。

 しかし更に過酷な現実がカザリに襲い掛かる。突進を回避された鴉型魔獣が夜空を大きく旋回して再びカザリの方へと舞い戻ったのだ。

 カザリは魔獣の接近に気付かずに肩を抑えて転がるだけ。車くらいのサイズもある鴉型魔獣がカザリに迫った。


「お前らの好き勝手を許す冒険者じゃないぞ!」


 幅広の大剣が縦一文字を宙に刻む。躊躇いなく飛来した鴉型魔獣は肉厚な剣閃を身に刻み、頭の先から左右に両断されて地に堕ちた。

 むわっと血臭が通りに広がる。震える瞳で其方を見れば大剣を投げ出して男が駆け寄って来た。


「大丈夫かカザリ!?」


「ウェイドさん……?」


 Bランク冒険者にして初心者演習の際のカザリ達の指導役をしていたベテラン冒険者のウェイドだった。ウェイドは直ぐにカザリを壁際に連れて行き寄りかからせると、淡い緑の魔力を発してカザリの肩に手を添えた。


「じっとしてろ、これでもガキの頃は教会に居た。神聖術の心得はある」


 治癒系統の魔術は特殊なものだ。本来オドに宿る8つの属性には起因しない無属性の術に部類されている。

 オドを相手の体内に流し込み体組織の再生を促すのが一般的に回復魔術と呼ばれる治癒系統の魔術の総称だ。

 他人へのオドの譲渡がどれだけ難しく危険な事かは語る必要も無いだろう。加減を間違えたり、異なる属性のオドを無理に体内へと送り込めば譲渡された側は無事では済まない。

 対して空気中にある生命の身体に順応しやすい聖属性のマナを掻き集めて治療を行うのが神聖術と呼ばれる術の中に含まれる治癒系統の魔法になる。

 聖属性や邪属性の魔力は基本的に人間が体内に有する事はない。その為互いの間でのみ属性を有する術式として広義の意味で無属性に部類される事もある。

 聖属性のマナが人体に悪影響を及ばさないものである事は遥か昔より知られており、故に守護天使という結界生成装置が実用化されているのだ。

 しかし聖属性のマナを扱うのは相当に難易度の高い技術であり、神聖術を扱える者は何処でも重宝される。教会に名を連ねる信徒には教育を施すが使える様になる者はほんの一握りだ。

 つまり治癒系統の魔術、ないし魔法は属性に関係なく人体を癒す事が出来るが、何れも難易度が高く使える者はそういないのである。


「うっ、ぐぅ……!」


「すまんが少し我慢してくれ」


 そんな高難度な魔法を発現させウェイドはカザリの左肩を癒した。徐々に痛みが引いていき肩が楽になってくる。緑色の光に包まれてカザリの表情は落ち着きを取り戻していった。


「こんなに直ぐに良くなるの……?」


「ここは守護天使の庇護下だからな。それなりに聖属性のマナが満ちていれば対象が単純な怪我なら多少無理は効く」


「ありがとうございます」


「いや、良い。気にするな」


 ウェイドのおかげで何とか復帰したカザリは左肩をぐるぐると回して異常が無い事を確かめると頭を下げた。

 魔獣の襲撃があったとはいえまさか死因が壁にぶつかった所為だなんて恥ずかしい思いをせずに済んだ事への礼か。すると頭上よりジルが舞い降りて二人に駆け寄って来た。


「何があったの!?」


「魔獣に襲われて、家にぶつかって、ウェイドさんに助けられたの」


 カザリの言葉に周囲を見渡すジル。凹んだ家の壁と地面に真っ二つになって崩れ落ちている鴉型魔獣を見て何となくの状況を掴み取った。


「と、兎に角無事で良かった。ごめん、私の配慮が足りてなくて」


「ううん、ジルちゃんは私の我儘に合わせてくれただけだよ。私だって一秒でも早く中央区に行きたかったんだし」


 申し訳無さそうに謝るジルに笑い掛ける。まさかこんな事になるとは思わずカザリは少し恥ずかしそうに頬を染めた。

 自分にもっと余裕があればこんな事態には至っていない。走りながらスタイリッシュに魔獣を狩っていくアニメの様な戦いはまだ無理かなとちょっと落ち込んだ。


「彗星のジル……治療院でも会ったな。やはり二人は知り合いか?」


「えぇ、その節はどうも。カザリさんの事、ありがとうございます。カザリさんとは簡単に言えば師弟関係です」


「師弟……成る程。道理で初心者にしてはきらきらしてるわけだ」


「へ?」


 ウェイドは今でもヘルガルム戦のカザリの姿を鮮明に覚えている。どれだけの絶望を前にしても抗い続けたビギナーは今後絶対に輝く星になるだろうと確信して疑っていない。

 そんなカザリの師匠が彗星の如く現れたスーパールーキーであるジルと言うのならば納得だ。この二つ星は冒険者に新たな風を吹き込む存在になるに違いない。


「っと、話し込む状況では無いな。俺も支部長から街を任されている。この辺の住民は避難させた所なんだがそっちは?」


「私達も青空亭周辺の住民の避難を完了させました。今は中央区に向かっている所です」


「中央区に?」


「皆んなが心配で……」


 瞳を伏せたカザリを見て成る程とウェイドは納得した。

 中央区の外れにある治療院にはまだあの時の参加者達が入院している。冒険者ギルドが近くにあるとは言え今この街にいる冒険者は精々Bランクが限度だ。

 Aランクで残っているのは目の前のジルを含めて3人だけ。カザリ達と合流する前にBランクの魔獣を一体倒していたウェイドはもしかしたら更に上の魔獣もいるかもしれないと踏んでいる。心配になるのも仕方のない事態だ。


「そうか、では急がないとな」


「急いだ方が良いのは確かです。中央区に近付くにつれて被害が大きくなってます」


「それ、私も思ってた。やばいかな、皆んな大丈夫かな?」


 走りながらカザリが感じていた異変には当然ジルも気付いていた。街並みは徐々に荒れていき、逃げ惑う人々の声も大きくなっている。先に行っていたジルから遠目に見えた中央区は既に火の海だった。


「街の中心部の方が被害が大きいのは何故だ……?守護天使の庇護下にいるのが不自然な程低級の魔獣も沢山いる……」


「かと言って迷宮の氾濫には思えません。原因は検討もつきませんね」


「と、兎に角行こうよ!ジッとしてても何も変わらないよ!」


 頭を捻って悩み込む二人にカザリは呼び掛けた。

 これ程の大事に足を止める暇はない筈だ。この一瞬、一秒の足踏みが仲間の死に繋がるかもしれないのだから。

 カザリの言葉にハッとして二人は急ぎ中央区へ向かおうとした。その時ーー


「なぁなぁ、教えてやろうか?」


 突如頭上より降って来たのは無邪気な子供の様な声だった。声の主を探る様に3人は夜空を見上げる。

 何も無い虚空に浮かぶのは黒いフードを目深く被った人物だった。怪しさ満点な人物は両脇に何かを抱える様にして浮遊している。


「ーー誰?」


「おぉ、怖い怖い。流石に最後の(・・・)Aランクなだけはある。君をメインディッシュにして正解だったなぁ」


 こんな状況下で目の前の人物が何も関与していないなどと楽観視する程世間知らずでもない。ジルが圧を孕んだ瞳で睨み付けると空に浮かぶ人物は肩を竦めておどけて見せた。


「最後、だと?何が言いたい?」


「言葉のままさ、ほら」


 ウェイドが問えば、両脇に抱えていた何かを投げて寄越す空に浮かぶ人物。足元に落下した二つのものを見てカザリは息を飲んだ。

 それは二人の人間だった。魔術師風の装いの男と刀を背負った男の二人。全身がぼろぼろでかなりの量の出血が見られる。まだ息はある様だが急いで手当てをしないと危険な状況だ。

 そして特筆すべきは首に下がるドッグタグだ。二人のそれは戦火を反射して銀色に輝いていた。


「嘘、だろ……」


「今この街にいる最高戦力はそこの銀だか金だかはっきりしない髪色の君とそいつら二人だろう?本当に呆気ないな、何が冒険者が集う街だよ」


 溜息混じりに吐き捨てる様はまるで期待外れだとでも言わんばかりの所作だった。興味の無くした対象を見下ろすかの如く、気怠げな様子でゆっくりと舞い降りたのは若い男だった。


「に、逃げなきゃ!Aランクの人がこんなーーっ!」


「驚かなくて良いさ。勿論怖がる必要もない。君達も直ぐにそうなるんだからさっ!」


 転がる二人の実力がどれ程のものかなんてカザリにはわからない。だが、仮にもジルと同じランクをギルドから認められた人物達だ。

 加えて言えばベテランのウェイドよりも上にいる人物達である。そんな二人が瀕死の状態に追い詰められている。

 目の前の男には目立った外傷がない事から圧倒的な実力差で叩き潰されたのは明らかだ。

 怯えた様に叫ぶカザリを見て愉快に笑う男。そんな男を変わらずに鋭い目付きで睨み付けてジルは再度問うた。


「もう一度聞く、お前は誰?」


深淵よりも暗き者(ダークネス)が一人、アイザック•ヴェンテ!今宵、この街の光を喰らい尽くす者だ!」


 吹き抜けた風に黒の法衣が翻り、赤き眼球とそれを包み込む両手という趣味の悪いエンブレムが視界に映る。

 赤き光が満たす月下の世界、激しい戦いの幕が上がったーー。




連休だーっ!もう宣言しておきます、この連休で第一章頑張って終わらせます!それなりに予定あるけど合間で頑張ります!そんくらいの意気込みでいきたい!誤字脱字、不適切表現意味間違いなどありましたら都度指摘お願いします。感想、評価、ブックマークも是非!

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