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暁の中で


 燃え盛る街並みの中を人々が逃げ惑っていた。街を焼く炎は天高く登り、赤き輝きが夜空の星々の光を喰らう。

 遠くに座す月の明かりでさえ、地を焼く炎の輝きを前には心許ないものだった。

 灼熱の世界を人々は方々に逃げ惑い、泣き叫ぶ。阿鼻叫喚の地獄絵図とはこの様な光景の事を言うのだろうか。


ーーなに、これ


 そんな光景を強制的に見せ付けられて、カザリは目を剥いていた。大凡カザリが想像出来る様な地獄を遥かに上回った光景だ。

 周囲には溢れんばかりの異形の数々と血溜まり。道端に転がる人の残骸を視界に納めない様にしてカザリは駆けた。


ーー嫌だ、こんな夢早く醒めろ


 駆け抜ける通りの先では大きな鬼の異形に人が上半身を食い千切られていた。

 そんな光景から逃げる様に脇の路地へと進路を変えてひた走る。細い路地を走っていると突然目の前に何かが落ちて来た。

 なんとそれは男性の頭だった。首から上だけのそれから目を逸らし、降って来た頭上を仰ぎ見れば巨大な蜘蛛の異形が何人もの人間を糸に絡めて貪っている。

 転がる木箱に足を躓きながらもカザリは兎に角走り続けた。


ーー怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い


 何度も何度も人の死を見せ付けられ、その度にカザリは逃げる様に走り回った。

 途方も無く広い街はフォルヴェーラよりもずっと大きかった。何処まで走り続けても街並みは変わらず、端に辿り着く事もない。終わりの見えない地獄の中をどれだけ走ったのだろうか。

 気が付けばカザリは大きな城の前で膝に手を当て肩で大きく息をしていた。夢だと言うのに変に現実的なところが鬱陶しかった。


ーー今までの夢と、違う


 ふと顔を上げると城の屋根に何かが降り立った。視界を埋め尽くす程の巨躯は光沢のある黒い鱗で覆われている。街を焼く炎の光を反射してめらめらと黒き闇が蠢いている様だ。

 巨躯の異形が城の上に降り立つと、途方も無い重さで城が崩壊していく。城のあちこちから漏れていた明かりが中にまだ人がいた事を言外に伝えている様だった。

 しかしその悉くが黒き闇に奪われていく。城は崩れ、凄まじい砂煙が上がる街の中心部で、黒き異形はその長い首を伸ばしてけたたましい雄叫びをあげた。


ーー黒い、ドラゴン


 真紅の瞳に映すのは万物の終焉か。

 ヘルガルムなど可愛いと思える程の巨躯を誇る黒龍が翼を広げて狂った様に叫び続けている。カザリの周囲にいた人々は圧倒的な絶望を目に焼き付け、立ち止まって、その場で膝から崩れ落ちた。

 存在そのものが全ての希望を打ち砕く。死の象徴にして絶望の闇の権化たる黒龍が鎌首を擡げて広大な街を見下ろした。


ーーなにこれ、こんなのって


 最後まで立っていたカザリですら震える脚から力が抜けて崩れ落ちる。

 この世の終焉など想像した事もないが、もしそれを齎す者が存在し得るのだとしたら目の前の黒龍こそがその存在なのだろう。

 知らずに頬を伝った涙は恐怖によるものか。全身の震えが止まらず、喉から意味の無い音が漏れている。


ーーいっそ殺して夢を終わらせてよ


 感情を持つ者全てに強制的に死を望ませる。それこそが終焉を齎す者の放つ負のオーラ、濃い邪属性の魔力。

 誰もが生を諦め、未来を手放し、死を待つだけの地獄の中に二人の少女が駆けて来た。

 一人は燃え盛る炎にも負けないくらいに赤く、紅く、朱く、緋く、赫い髪を揺らす少女だった。黒を基調とし、赤と金の刺繍の入った剣士装束を身に纏っている。目を奪われる程の美貌と立ち振る舞いが否が応でも少女の品格を伝えてくる様だった。

 一方赤毛の少女に付き従う様に現れたのは、美しい白金麗の髪を揺らす少女だった。こちらは白を基調とし、青と銀の刺繍が入った剣士装束に身を包んでいた。赤毛の少女とは違って不安そうな挙動の少女だ。二人は同じ紫水晶の瞳で黒龍を睨みつけた。


ーーあれ、この二人って


 いつかの夢の中で見た二人の後ろ姿にカザリはいつの間にか泣き止んでいた。どうしてこんな地獄の様な場所に美しい花の様な二人がいるのだろうかと言う疑問が強くなり黒龍の存在など気にもならなくなっていたのだ。

 しかし、終焉を齎す者はそんな個人の自由意志を許しなどしない。眼下に二人の少女を見据えて再び猛り狂うと深淵なる闇を思わせるブレスを放った。

 咄嗟に防御の姿勢に入った白金麗の髪の少女を庇う様に赤毛の少女が飛ぶ。直前まで二人が立っていた地面を闇が侵食し、全てを無へと還した。


ーー無理だよ、勝てないよ


 その光景を眺めて、人が太刀打ち出来る存在ではない事をカザリは悟ってしまった。それは庇われた白金麗の髪の少女も同じだったのか、赤毛の少女の袖を引いて逃げる様に必死になって促している。

 しかし赤毛の少女は周囲を見渡した。そこには多くの人々が動けないで佇んでいた。恐怖から力を失い、絶望から意思を砕かれ、誰もがその場で崩れ落ちている。

 だけどまだ生きていた。それだけで逃げると言う選択肢は無いのだろう。

 広場をぐるっと見渡した赤毛の少女が不意にカザリを見つめた。今までの夢でカザリは其処にはいない存在だった。しかし今、確かに赤毛の少女はカザリを見て僅かに目を見開いたのだ。


ーー嘘、私この場にいるの?


 この世とは思えない情景の世界の中、カザリは赤毛の少女に向き直る。すると赤毛の少女は満開の花の様な笑顔になってーー


『ーーこの娘をお願いね』


 赤毛の少女の右眼の深奥、神器を宿す円環と一振りの剣の神紋が眩く輝くとこの場の全てを飲み込まんとする永久の闇を突き破って一つの光が生まれた。

 天の様な青藍の鍔と柄、青銀色の剣身を持つ奇跡の一振り。青空の中ですら輝きを失わない一等星の如き至高の煌めき。

 尚も食い下がる白金麗の髪の少女を軽く抱き寄せ、その額にそっと口付けをして赤毛の少女は黒龍に相対した。


ーーあれはダメだ、死を覚悟した人の目だっ


 カザリは己の身体を叱咤し、全身に喝を入れて立ち上がる。

 聞かなければいけない事がある。何故自分に沢山の情景を見せて来たのだ。何故自分にその娘を任せるのだ。この世界は何処なのだ。自分は何を求められているのだ。わからない事だらけの世界に説明も無しに放り投げるのは無責任じゃないか。

 カザリは走った。黒龍と死闘を繰り広げる赤毛の少女の方へ。

 しかしどんどん世界は色褪せていき目の前の事象が遠くへ離れていく。まるで夢から醒める手前の一瞬の出来事の様な儚い情景の中カザリは走り続けた。

 不意に白金麗の髪の少女が剣を手に黒龍に向かって走り出す。赤毛の少女は驚いて静止を呼びかけるも時既に遅く、黒龍のブレスが白金麗の髪の少女に向かっていった。

 それを庇おうと赤毛の少女がブレスの前に立ち塞がる。脳症の奥にまで届く様な白金麗の髪の少女の叫びが世界を埋め尽くし、全てが暗転していったーー。






「ーーーーアリス…………?」


 気が付けばそこは見慣れた青空亭の一室だった。何か凄い夢を見ていた気がするが全然思い出せない。ふと呟いた誰かの名前すら意味するところを掴めずに、カザリは視線を泳がせた。

 カーテンの隙間から覗く黒い世界を見つめて夜だと悟るとジルの姿を探してきょろきょろする。この世界に来てからと言うもの一緒に寝るのが当たり前だったので目が覚めて隣に驚く程の美女がいないとなんだか落ち着かないのだ。

 そんな童貞の怒りを買いそうな事を思いながらカザリは上体を起こすと、部屋備え付けの小さなテーブルに突っ伏して眠るジルの姿を捉えた。


「んもぉ、ジルちゃんったら……こんな所で寝たら風邪引くぞ?」


「んにゅ……」


 自分の腕を枕に眠るジルの身体を起こしてベッドの方へと運ぶカザリ。ジルの頬っぺたに着いた赤い跡を見て笑うと優しく布団に寝かし付けてあげた。

 これだけしても起きない辺り余程深い眠りの中にいるのか。そう言えば今日は魔力の扱い方を教わろうとバトルドームに行ったものの、訓練を始めて直ぐに意識を失ったのだったか。

 もしかしたら暇を持て余してそのまま依頼でも受けて来たのかなとジルの寝顔を見つめながらカザリは思った。


「勤勉な奴め……偉いとは思うけど働き過ぎると身体に毒だぞ〜……」


 ジルの形の良い鼻をつんつんと突いて微笑むカザリ。ぐっすりと眠っていたからか身体は万全に近いが下腹部の違和感が凄まじかった。

 初めて開いたゲートとそれによって全身を回ったオドの感覚が鮮明に残っている。今ならイリスやアレンが言っていた”感覚でオドを使う”と言う言葉が理解出来そうな気がする。

 そんな下腹部をさすりながらジルを見つめる事数秒、くぅと可愛らしい音が室内に響いた。


「うぅ、お腹空いたよぉ〜」


 オドの消費はエネルギーの消費に直結する。エネルギーは消費した分取り入れないと身体を維持する事は難しい。

 そればかりか、朝から何も食べていないとなれば1日3食の日本人の生活スタイルに慣れ親しんだカザリからすれば限界に近いものだった。

 どうしようかと立ち上がろうとするとふと寝巻きの袖口を掴まれている事に気付く。ジルに起きた様子はないが無意識にカザリの袖を掴んでいたのだろう。


「ちょこっと離れるだけだよ、ほら安心して?」


 切なそうな顔で眠るジルの頭を撫で撫で。するとみるみる笑顔になっていくジル。

 そんな様子を眺めてカザリは頷くと立ち上がって弱い方の灯魔石を点けた。そして棚の上に置いてあった日本から持って来たトートバッグをテーブルに広げた。


「ポテチ&チョコ〜!深夜に食べるお菓子程業が深くて美味しい物も無いな?」


 トートバッグの中からお目当てのチップ◯ターと個装のチョコを取り出してご機嫌のカザリ。

 幻魔の箱庭からの逃走の際、大瀑布に落ちた時にトートバッグは勿論ぐっしょりと濡れていた。

 しかしどれだけ濡れようとも近代の技術によって袋詰めされたお菓子類が害を受ける訳も無く。目に見える変化と言えばチップ◯ターの外側の箱がふやけている程度だ。


「……いや、でも異世界のお菓子ってもしかしてこの世界で凄い武器になったりしない?何かの交渉の時とか役立つかも!」


 チョコの袋を開けようとして静止するカザリ。前に読んだ異世界転移モノのラノベで確か主人公が日本のお菓子を使って交渉を優位に働いていたのを思い出してそっとチョコとチップ◯ターをトートバッグに戻した。そう言えばとついでにトートバッグの中をごそごそと漁り出す。


「……電子機器も何とか生きてる。防水ってあんまり信じてなくてなかなか雨の中とかで使えなかったけど本当に水通さないんだ」


 WAL◯MANの電源が入る事を確認すると続けてiPh◯neのホームボタンを押してみる。iPh◯neの方は確か耐水ではあるけど防水ではなかった筈だが、なんとか動作に問題はないらしかった。そもそもの話が異世界でiPh◯neが使えた所で何に役立つのかという所だが。勿論電波は入らない。


「折角だしぃ〜頂きますっ」


 カシャっと軽い音が鳴って画面に目の前の情景が写真として保存される。そこには可愛らしい顔ですやすやと眠るジルの姿があった。


「むふふ、ホーム画面に設定しとこ……あ、魔石なんてのもあったなぁ。高く売れるかな?」


 幻魔の箱庭にて発生したカザリの異世界初戦闘にして初勝利の記念品である。タックルバードからのドロップ魔石を取り出してころころと手の内で弄んだ。

 魔石についての知識はまだ無いが、それなりに綺麗で純度も高い事から割と良い値で売れる気はしている。

 そんな事をしていると再びきゅうと鳴るカザリのお腹。トートバッグの中身を戻してカザリはふらふらと部屋を出た。

 こんな夜でも開いている酒場はそれなりにある。大鼠の討伐によって得た僅かばかりの金銭を握り締めて階段を降りて行くと、小さな灯魔石だけが灯っている店終い後の青空亭の食堂に人影があった。


「ーーん?あ、カザリさん!」


「ん、ハナちゃん?どったのこんな時間に?」


 カウンター席に座って本を読んでいたのは青空亭亭主の愛娘ハナであった。夜中なのにやたらと元気な様子は異様ではあったが、元気のないハナの姿など想像も出来ないなとカザリは笑った。

 ハナは日本なら小学校の高学年くらいの年頃だ。通常なら夢の中にいる時間だろうに一体どうしたと言うのだろうか。


「いやぁ、昨日はお休みの日でしてお昼寝してたら夜眠れなくなっちゃったんです!あはは、馬鹿でしょ?」


「わかる、わかるよその気持ち!夜は寝る時間だなんて誰が決めた!眠れないなら起きてれば良いさ!」


「あっはは!カザリさんおもしろ!」


 屈託の無い笑顔でお腹を抱えるハナの隣に腰を下ろしてカザリは本を覗き込んだ。

 どうやらハナが読んでいたのは絵本の様で、二人の女性が手を繋いで笑っているページが開かれている。

 生憎カザリには文字が読めなかったがそれでも残酷な物語ではない事は伝わって来た。


「何読んでたの?」


「あ、これはですね、私がもっと小さくてまだお店の手伝いもしてなかった時にここに泊まってた冒険者のお爺さんに頂いた物なんです!なんでも森精人族に伝わる英雄譚だとか」


「ふへぇ、ロカが言ってた奴だぁ。確か……対の英雄?」


「そう、それです!」


 満面の笑みのハナは絵本の表紙をカザリに見せる。相変わらず字は読めないがそこに描かれた二振りの剣の片方に何だか見覚えがある気がした。

 絵本の表紙は赤茶色一色で統一されており剣に色味は存在しない為はっきりとはしないが、カザリに宿る謎の剣になんとなく似ている気がする。


「私達純人族に伝わる話とは違ってて面白いんですよ!私これ大好きなんです!」


「ふふ、良い物貰えたね?」


「はいっ!あのお爺さんは元気にしてるかなぁ……?」


「きっと大丈夫だよ。冒険者はみんな基本的に元気いっぱいだからさ!」


「あはは、そうですね!」


 他愛ない話で笑い合っていると思い出した様にカザリのお腹がくぅと鳴った。慌ててお腹を抑えつけるカザリを見て目をぱちくりさせていたハナだが、にっこり満面の笑みを作ると握り拳を作って立ち上がる。


「何か食べますか!?作りますよ!」


「へ!?……お、お金がこれしかないんだけど大丈夫?」


 まさかこんな身近から救いの手が差し伸べられるとは思っても寄らず期待が高まるカザリ。ウエストポーチから大鼠の討伐で得たなけなしの金銭を取り出してカウンターに並べるもやはり少ないかなと不安に駆られる。

 カザリが成し遂げたのは実質大鼠二匹の討伐だけだ。最下級の魔獣の駆除はどうしてもお金になり辛く、大鼠二匹で得られたのは大銅貨が6枚と討伐証明部位の前歯を売って更に大銅貨2枚といった具合だ。

 八百円。飯を食う事は出来るだろうが何とも心許ない金額だ。

 何とか危なげなく倒せはしたものの命を賭けて得るにはあまりにも低い金額と言わざるを得ないだろう。ついでに討伐した泥火竜が一体どれ程のお金になったか。やはり強くならなくては稼いでいくのもままならないなと改めてカザリは感じていた。


「もぉ、水臭い事言わないでください!お金なんて要らないですよ!それに私の料理なんかでお金貰ったらお父さんに怒られちゃう!」


「そ、そんな酷い腕前なの?」


「違いますよー!お父さんの料理って美味しいものばっかりでしょ?あれで結構プライド高いんです。お客さんに出すもののクオリティには一切妥協しないんだからプロですよね。新メニュー考える時なんか大変なんですよ!」


 ハナの言葉に亭主の顔を思い浮かべて確かにと納得する。

 亭主が作る料理はどれも手が込んでいて美味しい物ばかりだ。簡単に作れるだろう料理にさえ僅かな手を加えて更に一段上の品にして提供している。

 その作業を無駄と切り捨てる者もいるだろうが亭主は手間を惜しまずに客の満足を第一に仕事をしているのだ。


「あーでも拘りとかは凄そうだね。だからこそデジーくんみたいに弟子入りを志願する人が現れるんだろうし」


「はい、自慢のお父さんです!あ、パスタで良いですか?」


「うん、お願いします!」


 てててと小走りで厨房に入って行くハナの後ろ姿を見送る。すると直ぐに鼻歌交じりに食器の擦れる音が響いて来た。

 カザリの鼻孔を刺激するのは香草の類か。あの歳で料理に香りすらも追求しているとはなかなかどうして将来が楽しみな娘である。

 手持ち無沙汰にハナの絵本をぺらぺらと捲ってみる。やはり文字は読めないが添えられた絵のおかげでなんとなく物語が読めて来る。

 闇に閉ざされた世界の中で生きる一人の少女が主人公の様であった。終わりを待つだけの運命に抗う物語だ。

 大凡ロカがカザリに聞かせてくれた物語に似た内容である。改めて気付いた点と言えば主人公の少女がジルに、物語の終盤に舞い降りる奇跡の異界人がカザリに似ていた事くらいか。


「……な〜んて考えるのはロマンチスト過ぎるよねぇ〜。ジルちゃんも私も勇者って感じじゃないし。ジルちゃんはお姫様って感じだし私は正直物語の主役ポジですらないよ」


 ふへぇと溜息を吐いてカウンターに突っ伏すと同時に良い匂いのする皿を持ってハナが厨房からてててと走って来た。

 普通なら転ぶから危ないと注意するところかもしれないがハナはもう一人前の給仕である。抜群の安定感でカザリの元まで来ると目の前に美味しそうなカルボナーラを置いてくれた。

 グラスに水を注いで、フォークとスプーンも並べてくれる。至れり尽くせりだ。


「お待たせしました!どうぞ召し上がれ!」


「お、おぉ!めちゃ美味しそう!本当に食べて良いの!?」


「食べて貰うために作ったんだから食べて貰えないと困っちゃいますよぉ!それに、美味しそうじゃなくて、美味しいですよ?」


「ハナちゃんだいしゅき!頂きます!」


 早速とばかりに両手を合わせてからフォークとスプーンを手に取ると慣れた手つきでパスタをくるくると巻き取る。

 とろーりと垂れるのはチーズだろうか。見ているだけで涎が滴りそうなパスタを一気に頬張るとクリーミーでまろやかな味わいが口いっぱいに広がっていった。

 刻んだハーブが仄かに香ってしつこくなりがちなカルボナーラの味をすっきりと仕上げていて素直に美味しかった。くどさが全くなく、フォークが止まらない。そんなカザリの様子を見て笑顔のハナは再びカザリの隣に腰掛けた。


「カザリさんって記憶喪失なんですよね?どうですか、大変ですか?」


「ふぇ?あーうん、まぁ色々と不便ではあるよね」


「そうですよね、わたしも記憶なかったら辛いなぁって思います」


 ハナは自分用に持って来たクッキーを摘みながらカザリの顔を覗き込む。経験した事はないが記憶喪失とは辛い事なのだろうなと年端もいかぬ少女なりに想像を膨らませて難しい顔をした。


「あ、でもこの街が好きって事は記憶を無くしても変わらずに思える気がします!」


「そんなにフォルヴェーラが好きなの?」


「はいっ!生まれてから何度か王都や他の街に行った事ありますけどやっぱりこの街が一番好きです!冒険者が集う街フォルヴェーラは色んな人や色んなものが集まるからいつも違う顔を見せてくれて、でもどれも私の心を豊かにしてくれる楽しい表情ばかりで!退屈なんてしないし毎日がどきどきとわくわくなんです!あはは!」


 好きなものを語る人間の様子は大小あれど楽しさに溢れているものだ。ハナの場合は子供と言う事も相まって顕著である。

 まるで一番大事なものを自慢するかの様ににこやかにフォルヴェーラの事を語るハナは見ているだけでこちらも楽しくさせてくれる。

 自然と頬が緩んだカザリも水を一口飲んで自分の好きなものを想像した。だが直ぐに思い浮かぶものが無く、程度の低い人生しか歩んでないなぁと自己嫌悪。強いて言えばバスケは好きだったがハナの様に笑顔で語れるかと言われると自信はなかった。


「ハナちゃん、本当に好きなんだね。良いなぁ私はそんなに夢中になれるものに出会った事ないや」


「何言ってるんですか?その歳でもう終わりみたいな事言って〜。まだまだこれから探せますよ!あ、そうだ!手始めにフォルヴェーラを好きになってください!」


「フォルヴェーラを?」


 少し暗くなったカザリの心情を知ってか知らずか、尚も元気いっぱいな様子で語るハナ。まるで人の内にある影すらも照らす陽だまりの様な子だなとカザリは思った。


「はい!カザリさんは北東区にある楽しい遊具がいっぱいの大公園に行った事ありますか!?南西区には水族館があってこーんなに大きな魚が見れるんですよ!南東区には自然園があってそこにあるカフェのパンケーキがもう絶品で!あと、あと!」


「ふふ、ハナちゃん凄いなぁ。この街の事沢山知ってるね」


「故郷で大好きな街ですもん!きっとカザリさんも好きになれますよ」


「うん、私ももっと色んなところ見て回ってこの街の事知りたいや。今度案内してくれる?」


「勿論です!」


 同時にカザリはこの笑顔を守りたいと思った。

 誰もが最初はハナの様に純粋無垢な少年少女なのだ。しかし人生を歩んで行く上で、道を踏み外したり、何かに蹴躓いたり、壁にぶち当たったりと何処かで歯車が狂って人はどんどん沈んで行く。

 自分やジルは其方側の人間だ。だからこそハナにはまともな人間で有り続けて欲しいなとカザリは思う。

 それはカザリの勝手な望みだ。それが必ずしもプラスになるとも限らない。だけどこんなにも優しくて暖かい存在が自分の様に堕ちるのはどうしても見たくなかったのだ。


「ご馳走様!美味しかったよぉ〜!」


「あはは!良かったです!片付けちゃいますね!」


 テキパキと空の皿とフォーク、スプーンを持ってカウンター向かいのシンクで洗い始めるハナ。可愛らしい鼻歌を奏でながら楽しそうだ。


「カザリさんはもう休まれますか?」


「んー、ちょっと身体動かして来ようかなって。裏庭借りても良い?」


「良いですよー!じゃあ、私は部屋に戻りますね!あまり遅くなるとお父さんにバレちゃいそうなので!」


「うん、ありがとねハナちゃん。おやすみ、かな?」


「はい、一応おやすみなさいです!あはは!」


 終始ご元気な様子のハナは最後に一礼すると絵本を抱き抱えて階段脇の扉の奥へてててと走って行った。カザリはそんなハナの後ろ姿を見送るとさて、と立ち上がる。

 部屋を出る際に一応着替えては来たのでそのままの足で青空亭の裏庭へとやって来た。まだ空は暗く、世界は静寂に包まれて、時折虫の鳴き声が聞こえて来るだけの時間。カザリは裏庭の中央に立つと目を瞑って集中し始めた。


「確か……こうっ」


 下腹部に力を入れ、更に奥に存在するゲートをイメージする。両開きの扉を想像して徐々に開いてく感覚。

 すると下腹部が次第に熱を帯び始める。そのまま慎重にゆっくりとゲートを開いていけば高位の次元にあるもう一つの自分の体、エーテルボディとの繋がりが強くなるのだったか。やがてゲートを完全に開き切ると全身を暖かい何かが巡り始めた。


「ぽかぽかだぁ……これがオドの感覚……」


 掌を見つめて軽く握ってみる。何の根拠もないが力が湧いて来る気がする。

 そのままカザリは側に立て掛けてあった布団叩き用の木の棒を握ると素振りを始めた。心なしかいつもよりもキレが良く、感覚が冴え渡っている。

 上段から振り下ろして水平に静止、横に薙いで流れる様に腰を落とすと居合の要領で下段から逆袈裟を放つ。所作の一つ一つがワンランク上のものになっている事にカザリ自身が驚いた。


「身体強化ってこんな感じで良いのかな……?」


 折角掴めた感覚を確かなモノにする為に身体を慣らす。目の前に最強の敵、ジルを思い浮かべて仮想の模擬戦を始めた。

 容赦無く迫り来る鋭い剣撃を掻い潜り普段よりも勢いの乗った剣尖を放つ。しかし、仮想のジルは容易くカザリの剣を避けると連撃を打って来る。カザリもまたそれを迎え撃ってカウンターへと転じた。


「はぁっ……はぁっ……」


 気が付けばかなりの時間が経っていた。空の色は青白く移ろい、鳥の囀りが至る所で鳴り始める。

 肩で息をするカザリは夜明け前の曖昧な世界の中で空を見上げた。オドが身体を循環する感覚は掴めた。それによる身体強化も僅かながら実感している。

 そうなると次なるステップはやはり魔術だろうか。身体の内側を流れるオドを外側へ放出し、変化させ、世界に干渉するザ•ファンタジー。自分がそれを使う様を想像して可笑しさに笑いが込み上げた。


「大分染まってきたなぁ〜……これ、帰れる系の奴だったらあっちで元の生活に戻れるか心配になるよ」


 そんな未だ見ぬ未来を想像して頭を振る。どれだけ妄想を膨らませても結局先なんてものはわからないのだ。それならば今を目一杯楽しむ方が大事である。

 昂る気持ちを落ち着かせ右手にオドを集中させるイメージをした。すると確かにカザリの身体は思いに応えて右手が熱を帯びる。同時に僅かな黒い放電現象が起き始めた。


「まーたびりびりだよ……変質させなくてもオド自身が常に雷を帯びてるってのはどういう状況なんだろ……?」


 イリスから聞いた話ではオドやマナは属性を有してはいるものの変化を加えない限りは純然たるエネルギーでしかないとの事だった。

 水や火と言った物や現象を生む為には魔力に変化を与え世界に干渉する必要がある。しかしどうしてかカザリのオドは常に帯電しており世界に干渉をするまでもなく勝手に放電し始めるのだ。


「属性は雷って事で良いのかなぁ……?無意識に魔術を行使してる……?うーん、わっかんねっぞ」


 無い知識を絞り出そうとしても結果は見えている。悩んでも仕方のない事であるし、それならば知っている人間に聞くのが一番だ。ジルならその辺りももしかしたら知っているかもしれないと考える事を止めてカザリは大きく伸びをした。


「っと、日が出て来ちゃった。そろそろ戻らないとジルちゃん起きちゃうかな。あの娘ってば無駄に早起きだし」


 木の棒を元に戻すとカザリは小走りで部屋へと戻って行った。

 なるべく音を立てない様にそっと扉を開けて室内へと入る。ベッドの方に視線を向けるもそこに人影は無く、部屋を出る時には閉まっていたカーテンが開いている事に疑問を覚えた。

 白み始めた室内をぐるっと見渡せば、むすっとした顔のジルが窓際に立って此方を見ていた。僅かに明るくなり始めた薄暗い世界の中でジルがカザリを見つめている。


「あれ、ジルちゃん?おはよう、って本当に早いね」


「ん、おはよう」


「なんか怒ってる?」


「べ、別に?自主練してて偉いなぁって思ってただけだけど?」


 何だか言葉が冷たい様な気がしてカザリは焦る。何かジルの気に触る様な事をしただろうか。心当たりがあるとすれば勝手に写真を撮ってホーム画面に設定した事くらいか。


「え、じゃあなんで?」


「態々夜中に隠れるようにやらなくても良いじゃない……姿が見えなくて本気で心配したんだから……」


「ご、ごめん……」


「良いよ、別に……」


 何だ、どうという事はない。ジルは怒っていたのではなくカザリを心配していただけだったのだ。

 ただでさえ記憶のない少女がここ数日で二度も死ぬ様な思いをしたり、恐らく初めてのエーテルボディとのリンクをしたりと数々の事象に直面しているのだ。どれだけ元気に振る舞っていても内面的な負担は計り知れない。

 寝起きにカザリがいない事に気付いたジルはとうとう行動に出てしまったのかと焦りに焦ってかなり広域に索敵魔術を放っていた。しかし思いの外直ぐ側にあった反応を捉えて窓からカザリの自主練を眺めていたのだ。そんなジルの心配が嬉しくてカザリはにんまりと笑うと一気にジルに詰め寄った。


「でへへ、そっかぁ。ジルちゃんはちゃんと私の事心配してくれるんだぁ」


「あ、当たり前でしょ!?一時的とは言え保護者だもんっ」


 気恥ずかしそうにそっぽを向くジル。そんな彼女の様子にカザリはぽつりと呟いた。


「その歪な関係がちょっぴり不安だったんだ」


「っ!」


 誰がどう見てもこの二人の関係は歪である。友達でなければ、知り合いでもなく。勿論家族や親戚でもない。行きずりの間柄でしかない二人だ。

 偶々カザリが出会ったのがジルであっただけ。偶々ジルが面倒を見てくれるお人好しだっただけ。偶々気が合ってそれなりに上手くやれてるだけ。ただ、それだけだった。


「……何かあった時、ジルちゃんは私を守ってくれる?」


 結衣だったらきっと守ってくれる。頼んでもいないのにきっと結衣はカザリを助けるのだ。

 じゃあその他の人に自分が助けられる様が想像出来るだろうか。昔なら周りにいる誰もが助けてくれる間柄だった。そう信じてる。

 だが、今はカザリの側にいる人間なんて結衣を措いて他にない。何かあった時カザリに手を差し伸べてくれる人間は恐らくいないのだ。

 だからこそイリスやアレンは眩しかった。まだまだ浅い間柄のカザリを仲間と呼んで命を賭して共に立ってくれたから。

 ではジルはどうなのだろうか。人に絶望しているジルが自分のために動いてくれる事はあるだろうか。仮に自分が逆の立場だったとして動けるだろうか。

 その先を知るのが怖くて仕方がない。だってそれはずっと考える事を放棄していたカザリの人生の末端そのものだから。その先の答えをどう定義付けるかでカザリの人生は大きく変わっていくのだから。

 カザリは人には光と闇の存在がいると思っている。カザリ自身は勿論闇側だ。だからこそ自分には無い眩しさを持つ光のためなら動いても良いと思っている。しかし態々闇のために動こうとは思えない。

 一方ジルは人の全てが闇だと感じている。そんなジルは人助けを損得抜きで本気で行えるのだろうか。わからない。答えのない感情論に最適な終着点があるとも思えない。ぐちゃぐちゃに歪んでいく心に憂いているとジルのはっきりとした声が聞こえた。


「私って結構心がぐっちゃぐちゃになっちゃった人間なんだ」


「へ?」


「だから、未だに自分の中で整理が付いてなくて、答えにも辿り着けてないの。でもねーー」


 その表情は悩み踠きながらも必死に答えを探そうとしている様だった。何処か儚さすら感じるジルの顔を見つめてカザリは悟った。ジルも自分と同じで未だ途中なんだ、と。


「守るよ、貴女は私が守る」


「っ!」


 カザリとジルはどっぷりと浸かり切った心の闇の中で足掻き、踠いていた。お互いにお互いが別種の闇に侵されている事を感覚的に理解している。この出会いとこの関係の中で、一つの区切りと答えを見つけ出そうとしているのかもしれない。

 歪な二人は自分の答えのために互いを求め合う。その先が何処へ向かうのかは二人にもわからなかった。けれどそれを委ねたいと思う不思議な何かを互いに感じている。


「うん、私もジルちゃんの事守るね?」


「へ?」


「私が守る、約束する」


「う、うん……」


 そうして取り立てて事もなく日常は過ぎ去って行く。

 朝ご飯を食べ、バトルドームへ赴き、汗をかいて技を磨き、知り合いとの談笑を挟んで、温かいお風呂で身を清め、そうして帰って来る。何気ない日常。されど何よりも価値のある平和な時間。

 そんな日々の中で沢山のものに触れゆっくりと変わっていけたらとカザリは思っていた。何かが起こるとしてもそれはきっと当分先の事で今は今を楽しむのだと。

 しかし日常の陰にはいつだって闇が潜んでいる。それに気付くのはあまりにも難解で、気付いた時にはいつだって取り返しのつかない事が起きてしまっているものだ。

 時は留まる事なく絶えず移ろうもの。絶対不変の理は存在せず、全ては流れて巡っていく。それが運命であり、それこそが定めなのだから。

 故に一つの終わりもまた必然である。そこに世界があり、時が流れるのであれば始まりと終わりは切り離せるものでは無いのだ。

 だから何も不思議な事ではない。おかしな事でも、珍しい事でもない。1日が終わる闇夜の時間、静寂の黒き世界に響き渡った一つの悲鳴と共に絶望の時間が幕を開けたーー。




暑くて何も手につかないですね。早く連休来い。誤字脱字、不適切表現意味間違いなどありましたら都度指摘をお願いします。感想、評価、ブックマークも是非!

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