序盤のレベルの上がり方は凄まじい
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軽い風切り音を放って勢い良く振り下ろされる木剣。上段からの剣撃に備え、僅かに屈んで頭上で木剣を水平に構えた。次の瞬間、重たい衝撃を伴って木剣同士が衝突する。
思い切りの良い上段からの振り下ろしは重力や遠心力が働いており想像以上の威力を持つ。そんな剣撃をまともに受けるのは余程の強者か愚者のどちらかしかいないだろう。
しかし水平に構えられた木剣は振り下ろされた木剣に対し何ら抵抗を見せず、上段から撃ち込まれた剣撃は、勢いそのままに縦一文字の線を刻もうとしていた。
相手の木剣の軌道上にただ添えられただけの木剣は、勢いに押され上段からの剣撃に沿う様に逃れる。それを振るう所有者もまた同様に身体を逸らして剣閃から逃れた。
押された木剣の勢いに任せてその場で一回転、木剣を振り下ろしたばかりの相手に横薙ぎの剣閃が襲い掛かる。しかしーー
「うん、良い感じ」
「当然の様に指先で止めるの辞めて?流石に凹む」
カザリが身体の捻りを効かせて放った渾身の一撃をさも当然の様にジルは指先だけで止めていた。そんなジルの様子に呆れつつカザリは木剣を下ろしてしゃがみ込む。
彼此5、6時間は訓練していただろうか。辺りは既に暗くなり始めており、バトルドームの各所では灯魔石が輝き始めていた。先程まで派手に魔術の練習をしていた者やカザリの様に先達から教えを請うていた初心者の姿も気付けば無くなっている。
「つっかれたぁ〜!先生、今日はもう良いのでは!?」
「そうだね、お腹も空いたし帰ろっか」
「あのパフェは一体何処へ!?」
昼過ぎにおやつと称してジルが食べていた巨大なパフェ(しかも4つ)の姿を思い出して目を剥くカザリ。対してジルは身体を動かしたら腹が減るのは当然とでも言いた気な表情だ。尤もカザリの運動量と比べればジルには無駄な動きや力加減がない為大して動いたとも言えないのだが。
「汗掻いちゃったし、先にお風呂入ってからご飯にしよっか?」
「ジルちゃん我慢出来る?」
「で、出来るもん!」
そんな話をしつつカザリとジルは借りていた木剣を職員の元へと返しに行く。バトルドームの競技場にある4つの受付の内の一つに向かうとそこには見知った人物が突っ伏していた。
「あら、メアリィ?」
「ーーんにゃ?」
すぴー、と可愛らしい寝息を立てていた職員にジルが問いかけると当人は間抜けな表情でむくりと起き上がった。腕を枕に突っ伏していたからか額には大きな跡が付いており、前髪もぼさぼさである。
とても格式高い冒険者ギルド職員の一人とは思えない人物メアリィ•ルーティナスだ。カザリの冒険者登録を行ってくれたギルド職員でありまだまだ駆け出しの夜勤担当である。
「……受付は他にもありまひゅ……どうぞそちらへ……すぴー」
片目を僅かに開いただけのメアリィは相手を確認する事もなく職務を放棄して再び夢の世界へ。相変わらずの様子にカザリもジルも苦笑いだ。
「メアリィさん、またリズさんに怒られますよ?」
「りずぅう!?ごめんにゃしゃい!!?」
余程幼馴染の少女が怖いのか、カザリが耳元でその名を呟いた瞬間にメアリィは飛び起きて綺麗にお辞儀し、勢いのままにテーブルに額をぶつけて蹲った。
「おぉ……!おぉ……!ま、じ、で、痛いっ……!」
「だ、大丈夫メアリィ?」
「おぉ……!医者を呼んでくださいぃ……!」
「割と本気で必要かもね……」
今し方メアリィが頭突きしたテーブルに触れ、その硬さを確かめてカザリは本気で心配する目でメアリィの額を見た。そこには可愛らしいたんこぶが出来ている。
「ん……?ジルさんとカザリさん……?」
「こんばんはメアリィ」
「こんばんは!」
額を抑えながら涙目で見上げてくるメアリィに二人は元気良く挨拶をした。痛みに漸く覚醒したか、メアリィはポケットから取り出したハンカチで涎を拭き取ると席に座ってこほんと咳払い。努めて真面目な顔を作りお仕事モードである。
「こんばんは、お二方。バトルドーム冒険者訓練会場へようこそ。西口受付担当のメアリィがお伺いします」
「凄い切り替えの早さ!でも直前のアホらしさが尾を引いてて出来る女感ゼロだね!」
「言わないで下さいぃ!」
未だに涙目でたんこぶを付けているメアリィが悲しげに叫ぶ。堪らず吹き出す二人は恥ずかしそうに慌てるメアリィをからかうように一頻り笑いあった。
「借りてた木剣を返しに来たの。気付いたらもう夜勤との交代時間過ぎてたのね」
「随分と頑張ってたんですね。頑張り過ぎると身体壊しますよ?」
「メアリィはもう少し頑張ろうね?」
「はぐぅっ!?」
気遣いの言葉を掛けただけなのに痛い所を突かれたとメアリィは胸元を抑えた。頑張る事とは無縁の生き方をしているメアリィにとってこれ程までに心に刺さる言葉もそう無い。
ずきずきとぶつけた事で物理的に痛む額と、ぐさっと言葉が刺さって仮想的に痛む胸を抑えてる様はなんとも阿呆らしい。可愛らしい顔立ちをしているのに残念な子だなぁとカザリは思った。
「初心者登録の方はクビになったんですか?」
「違いますよ!?新人はいろんな仕事やらされるんです!これもその一つです!いい迷惑です!」
「本音漏れてますよ?」
「隠してないです!」
「だろうね、あれだけ堂々と寝てるんだし……」
これはそのうち本気でクビもあるんじゃないかとカザリは心配になった。カザリ自身は兎も角、ジルを冒険者にしたのは一応メアリィである。半年でAランクに上り詰めた冒険者であるジルは今後も多くの活躍を重ね何れはロカと同じ舞台に立つ事だってあるかもしれない。そんな歴史に名を残すかもしれない冒険者の登録に携わった人物が職員をクビになってましたなんて笑い話も無いだろう。
「そういえばジルさんは街に残ったんですね?」
「カザリさんの事があるからね」
「あぁ、保護者ですもんね?」
「ジルちゃんはママです!」
「まだそんな歳じゃないもん!」
3人で阿呆みたいな話をしながら木剣の返却手続きを進める。訓練用の武器の貸出は至極簡単で貸出リストに名前とランク、借りる武器と数を記入するだけだ。
返却の手続きに関しても全く同様で返却リストに記入して物を職員に渡すだけである。読み書きが出来ないカザリはジルの手元を覗きつつメアリィに尋ねる。
「凄い人数集まってたけど何するんですか?」
「ヘルガルムの別個体の捜索並びに討伐がメインらしいです。それと並行してカスタル領近傍での出現要因の調査と未だに見つかってない初心者演習参加者の捜索が行われるって聞きました」
「……生きてる可能性はあります?」
「カームの森の捜索は昨日の夜に既に行われてて、その時点ではドッグタグは見つかっていないようです。爆閃さんが討伐した丸焦げのヘルガルムの解剖も行ったそうですが腑の中からそれらしいものは見つからなかったと」
どうやらカザリ達と共に初心者演習に参加していた最後のグループはまだ生きているかもしれないらしい。その事に安堵しつつもやはり指導員含めて5人死んでしまっている事を思うと素直に喜べなかった。
「……そっか」
「カザリさんのせいじゃないんだからあまり考え込まないで?」
「そうですよ。カザリさんが命張って戦ったおかげで多くの人が助かったと聞きました。私が冒険者にする人はみんな凄い人なんですから」
「うん、大丈夫、わかってる。私のせいだって思うほど痴がましくはないから」
無理に作ってみせた笑顔が不出来だったのか、ジルもメアリィも何とも言えない表情になってしまい黙々と木剣を片付け始めた。手続きが終われば後はもう帰るだけである。
「……カザリさん」
「ん?」
「人助けはご立派です。でも、多くを求め過ぎると己の身を滅ぼす事になります。無理はしないで下さい。ドッグタグだけになった貴女の事なんて見たくないですから」
「……ふふ、ありがとうございます!心配しなくても今ジルちゃんからたっぷりと身の程を思い知らされてる最中ですから!でも出来る範囲では無茶しますからね?」
「……そのやる気は少し眩しいですね。では、お気をつけてお帰り下さい」
既に何度かそういう経験をしたのか、メアリィの至極真面目な表情に本気の心配を感じてカザリは笑った。
この世界でのカザリは無力だ。だからこそ力を得ようと必死に踠いている最中である。
そんな折に自ら危険な場所に飛び込もうだなんて思ってはいない。暫くは長閑な暮らしの中で実力を磨いていくつもりだ。短期間のうちに何度も死ぬ思いなんてしてられないのだから。
それでももし何かをしなくてはならない場面に立たされたのならカザリは動いてしまうだろう。そんな自分の単純さに笑いつつ、カザリはメアリィに挨拶をしてジルと共にバトルドームを後にしたーー。
銭湯に行ってさっぱりしたカザリとジルの二人は青空亭へと帰って来ていた。着替えを持って行ってはいなかったのだが汗が染み込んだ衣類はその場でジルが魔術で綺麗にしてくれた。
相変わらずのファンタジーの凄さに最早カザリは何も言葉が出ずただ阿呆面を晒すだけだった。涼しい夜風を浴びながら入り口をくぐれば夜も深まった時間だというのに多くの客がテーブルに座ってご飯に舌鼓を打っている。
「おう、ジルちゃんとカザリちゃん。お帰りなさい!」
「ただいまです!デジーくんもただいま!」
猿人族のデジーくんは寡黙な少年だ。獣色の濃い猿人族特有の毛むくじゃらな腕でピシッとカザリ達に向かって敬礼をすると鼻息をふんすと一気に吐き出してお帰りの挨拶をしてくれる。その愛くるしさにカザリの頬が自然と緩むのを尻目にジルは亭主にご飯をお願いする。
「今日は食べて来なかったんですけど、今から今日のオススメセットを2人分お願い出来ます?」
「お安い御用さ!ほら、デジー5人前だ!取り掛かるぞ!」
こくこくと頷いたデジーくんは包丁を取り出すと大きな肉の塊を切り始めた。相変わらずデジーくんの一挙一動を見守るカザリは視線をそのままに呟く。
「……ジルちゃん、当然の様に4人前で計算されてるね」
「は、恥ずかしぃ……!」
「何、沢山食べることは良い事だぞ?それにジルちゃんは美味しそうに食べてくれるから作ってるこっちも嬉しくなんのさ!な、デジー?」
亭主のおじさんが問えばデジーくんは掌の中で包丁をくるくると器用に回して最後には天井すれすれまで放り投げその場で前宙をしてキャッチし決めポーズ。素晴らしいパフォーマンスに拍手するカザリとは裏腹に行動の意図が読めず亭主の顔を見たジル。
「料理人の喜びの現れさ」
「そ、そうなの?」
恐る恐る尋ねるジルにデジーくんはこくこくと頷いてサムズアップした。何はともあれお腹いっぱい食べられるのであればジルにとってこれ以上の事はない。
「じゃあ、お願いします」
「あいよ!」
恥ずかしさもそこそこに5人前が乗りそうなテーブルに腰掛けて料理を待つ。デジーくんをたっぷり堪能して来たのか遅れて来たカザリはジルの向かいに座ってにこにこ顔だ。給仕の女性が持って来たお冷やを一口飲んでジルは考えていた事をカザリに話しだした。
「明日は簡単な討伐依頼を受けようと思うのだけれど」
「ジルちゃんが?」
「……カザリさんに決まってるでしょ?」
「ですよねー」
すっとぼけた様子で返すカザリにジルはジト目で返した。これは今日の訓練の最中からジルが考えていた事である。
正直言ってカザリの飲み込みの速さは異常だった。教えれば少し練習しただけで大体の感覚を掴んで実戦形式の模擬戦で活かして来る。もしかしたら記憶を失う前は相当な手練れだったのではとジルは本気でカザリの事を評価し始めている程だ。
それならばただ訓練を繰り返すばかりでなく本格的な実践訓練も同時進行で行って良いと判断したのだ。
「……ん、待って、初めてのお依頼!?」
「あ、そうなるね」
「き、緊張して来た……何を受けるの?」
初心者演習という例外を除いてカザリはまだ冒険者ギルドに登録してからそれらしい活動を一回も行っていない。もっと端的に言えばお金を一銭も稼いでいないのだ。
戦う術をまだ持たない者であれば荷運びや店の手伝い、迷子の捜索と言った日雇いバイトの様な仕事をこなして冒険者の下積み時代を生きる事になるのが一般的である。そうして下積みを重ね、装備を整え、先達から教えを請い、戦う術を持つようになってから魔獣討伐や素材収集を行うのが自然な流れだ。
対してカザリは、はじめから戦う術を得ながら冒険者になろうとしている特殊な例である。カザリの成長過程は既に一般的なものとは逸れており、ジルの采配次第なところが大きい。弟子は師匠に似るのか、その点はやはりジルという特殊な冒険者に付いた時点である程度決まっていたのかもしれない。
「Fランク相当の魔獣の討伐依頼かな。カザリさんに実践の経験を積んで欲しいからね」
「おぉ、魔獣討伐……!ジルちゃんも一緒?」
「一緒に行くけど手は出さないからね?」
「何でぇ!?」
「何でって、私が手を出したら意味無くなるからに決まってるじゃない……」
ジルの言う事は最もだろう。Aランク以上の実力を持つジルがFランク相当の魔獣なんかと戦ったら瞬殺は免れない。そんな事をしていたらカザリの訓練になどなる筈が無いのだ。
「あぶ、危ないじゃん!何事も一人でやるのはダメだってお母さんが言ってた!」
「ーー記憶ないのに?」
「気がする!」
ジルとの特訓である程度力はついて来ているのだが、当の本人は自覚がないのか未だに最下級の魔獣ですら一人で戦う事に抵抗があるらしい。
これがゲームであれば押し寄せるゾンビの群れにだってカザリは単身で乗り込めただろうに現実とは難しいものである。尤もA+ランクの化け物に一人で戦いを挑んだ気概は持ち合わせている筈なのだが。
「……カザリさんはどうなりたいんだっけ?」
「……独り立ちしたいです」
「さ、頑張りましょう」
「うわぁあん」
カザリが大袈裟な嘘泣きを始めた頃、スパイシーな匂いを漂わせた料理の数々が運ばれて来た。カザリの子供らしい態度を微笑ましく思いながらくぅと可愛らしく鳴ったお腹を抑えてジルはいただきますと呟いたのだったーー。
「うへぇ、くっさぁ〜い!衛生上よろしくないよぉ〜!」
「我慢だよ。冒険者は色んなところに行かなくちゃいけないんだから臭いも慣れないと」
薄暗いじめっとした空間でランタンの明かりを頼りにジルとカザリは向かい合っていた。昨晩の夕飯の際に話した通り、冒険者ギルドで簡単な討伐依頼を受注して来たのは先程の事だ。
ヘルガルムの一件で暫くの間初心者の街の外の依頼の受注は禁止されている。また、ジルもAランク冒険者として街の警護を一応頼まれている身の為外部に出る事は出来ない。よって二人が選んだのがフォルヴェーラの街の地下にある下水路での依頼だった。
「と言いつつジルちゃんは鼻に詰め物をしています!何か弁明はありますか!?」
「私は、ほら……良いのよ」
「ずるっ!目逸らして悪気があるのバレバレなんだからねっ!」
「だ、だってぇ、くしゃいもん!」
酷い臭いの漂う下水路は清掃が全く行き届いていないのがわかる。それこそ昔はよく初心者の冒険者が掃除を手伝っていたものだが、今では誰もやりたがらずにご覧の有様に成っていた。
カスタル公爵も地下の衛生管理にまで手が回っていないのか、いつ疫病が蔓延してもおかしくなさそうだとカザリは感じていた。同時にこんな不衛生な場所なら何かしらが住み着いても納得出来るとも思っていた。
「やっぱそうだよねぇ!?それ、私にも頂戴!」
「わ、ちょ、危なっ!?」
「ひゃあ!?」
カザリはジルの鼻から咲いている花柄の詰め物(可愛いが阿呆っぽい)を奪おうとジルに飛び掛かる。ランタンの明かりが揺れ、影がふらふらと暴れ回る空間。不衛生な下水路は臭いだけではなく床や壁面も苔やカビだらけで汚物なのか何なのかよくわからないモノが沢山付着しており足元もつるつると滑っていた。
飛びついて来たカザリを支えた瞬間、ジルは足を滑らせて盛大に転びそうになる。そんなジルに飛び付いていたカザリもまた支えを失ってそのまま下水路の方へ。
汚物にまみれた下水路なんかに浸かったら衛生的な環境で生まれ育った日本人のカザリには一生もののトラウマになり兼ねない。全ての事象に絶望して目を瞑った瞬間、何かに抱き上げられカザリは九死に一生を得た。
「……はれ?」
「も、もぉ!危ないじゃない!?こんな汚いものに浸かりたいの!?」
凄まじい身体能力で態勢を立て直したジルがカザリを引っ張り上げてくれたのだ。あまりにも必死だったからかカザリをぎゅっと抱き締めているジル。カザリは目と鼻の先にあるジルの綺麗な顔にどきどきが止まらず赤面した。
「……じ、ジルちゃん、近いよぉ」
少し動けばキス出来そうな距離で見つめ合う二人。その距離の近さをカザリに指摘され、はっとしたようにジルはカザリから離れた。
「か、かかかかかカザリさんが落っこちそうだったから!」
「う、うん……ありがと……」
何とも言えない雰囲気で赤面した二人は思い思いに視線を逸らす。カザリはどきどきと鳴り止まない心臓の音を煩わしそうに胸元を抑えた。
(おおおおおおおお落ち着け、高嶺餝17歳!お前は修学旅行の夜に悪ノリで結衣とポッキーゲームしたではないか!何なら一瞬だけど普通に唇くっ付いてたじゃないか!今更何を恥ずかしがる!相手は女であるぞ!)
中学生の時の修学旅行の夜に結衣と瞬キスしたのを思い出しながら胸を抑える。ジルと過ごしているとふと何気無い拍子にドキドキさせられる事がある。それはジルが現実離れした美人だからなのか他に何かしらの要因があるからなのかは知らないが今まで味わった事のない不慣れな感覚がカザリには何だかむず痒かった。
「き、気をつけて。落ちたら一週間は臭いとれないよ?」
ジルもカザリを意識しているのか未だに視線を合わせずにそっぽを向いて呟いている。日焼けを知らない色白のジルが顔を真っ赤に染めているとわかりやすかった。ここがお洒落な花畑ならムードも良かっただろうに生憎汚物にまみれた下水路では甘酸っぱい空気も長くは続かない。
「うそぉ!?魔術でどうにかなるんだよね!?」
「臭い人の近くに行きたくないです」
「酷い!もぉやだぁ!帰ろぉ!?」
「ーーしっ!何か来る!」
その瞬間は突如訪れた。下水路は中央に水路が有って両サイドに通路がある造りになっている。カザリとジルが立つ通路の奥、突き当たりの曲がった先の方から無数の足音が近付いて来ていた。
「な、何が来るの……?」
「足音は軽い、そして絶え間無く鳴り続いてる……小型の四足獣ね」
「依頼の大鼠かな……?」
「うん、間違いないね。周囲のマナを探ったけど数も3匹だけみたい。いける?」
少し目を瞑ったジルは通路の奥から響いて来る音と周囲に放ったオドの感覚から迫り来る魔獣を大鼠だと判断するとカザリの方を向いた。
今日の依頼の受注主はあくまでカザリである。カザリの成長のための実践訓練の一環でありジルが考えたメニューではあるが、当人にやる気が無いのならやる意味も無い。そう思ってカザリを見ればカザリは既に背の剣を引き抜いて腰だめに構えていた。
「もちのろんだじぇ。ジルちゃん、下がってて」
先程までのカザリからは想像も出来ない程の真剣な表情。切り替えの速さは戦いに身を置く者には大事な素養だ。休む時は休む、動く時は動く。それらがまともに出来ない者は思わぬ所で躓く事になるだろう。
冒険者にしても短期の依頼ならまだしも長期の依頼や迷宮探索、禁地攻略には向かない。気持ちが向かっていてもいつか必ず身体が付いて来なくなるからだ。
その点カザリは冒険者として大事なそれを身に付けている様だ。そんなカザリの顔を見てジルは一つ頷くとランタンを掲げて後ろに下がった。
流石に初心者のカザリに暗がりでの戦闘をさせるのはいきなり難易度が高過ぎるか。カザリもランタンを持っているとは言え戦闘中に落とさないとも言い切れない。後方から照らし続けていればそういった心配がなくなるだろうというジルの気遣いの現れだった。
カザリはありがとと呟くと通路の突き当たりに意識を集中させた。果たして暗がりの奥から現れたのは人間の腰丈くらいの大きさの鼠だった。赤い瞳が暗闇の中で光り、鋭い前歯がランタンの明かりを反射している。毛並みは汚物にまみれていて元の色がわからない程だ。
「生理的に無理ぃ!でもやったるでカザリちゃん!」
汚い通路に足を取られながらもそれなりの速さで駆け寄ってくる3匹の大鼠。対してカザリが選んだ行動は静。
足元の頼りない地形で自ら行動を起こすのは自殺行為に近い。それを本能的に理解したカザリは受け身の戦闘を選んだのだ。後方から見守るジルはカザリの行動を見てまた一つ頷いた。
「来い!」
「ギィィイ!」
先頭を走っていた大鼠が強く踏み込んで飛び上がった。その拍子に床に付着していたモノを背後に勢い良く蹴り飛ばし続く大鼠の目潰しをした。
そんな間抜けな行動を見てジルははぁと溜息を一つ吐くがカザリは集中していてそんなラッキーなハプニングに気付いていない。
「ーーここっ!」
鋭い前歯を前面に飛び込んで来る大鼠の軌道から逸れる様に僅かに摺り足で位置通りを変え、擦れ違い様に下からの切り上げを一つ。
どれだけ滑り易い床でも摺り足ならある程度の安定感は得られるか。狙いのハマったカザリの剣撃は大鼠の首を深く斬り裂いて血煙を生んだ。
ぴっと天井に走る血の軌跡。低い呻き声を残して一匹目の大鼠は絶命した。ジルはまた一つ頷くと続く二匹目に視線を移す。
「やばば!手汗しんどい!」
緊張からか滲む手汗が煩わしくてカザリはシャツで手を拭った。そんなカザリの目先に迫る残りの大鼠。しかし続く二匹目は目に汚物が入り込んで視界が悪いのかとろとろともたついており三匹目の大鼠に押しやられて無様に水路に落ちた。
そんな光景にジルは最早見てられないと眉間を抑えて頭を振った。結果最後の一匹となった大鼠は一匹目程の勢いも無く、近くに来たところを上段からの振り下ろしを脳天にぶち当てて戦いは幕を下ろした。カザリの完全勝利である。
「見た!?ジルちゃん見た!?カザリちゃん超強い!」
「うん、動きも戦い方も申し分なかったよ。強いて言えば鼠の方に物申したい」
「ジルちゃんもベタ褒めだ!こりゃ私が名を馳せる未来も近いねぇ!」
「じゃ、次はもっと強いの探そっか?」
「調子ん乗ってごめんなざぁあい!スパルタしないでぇ!」
泣きついて来るカザリにわっと驚くも労いの意味も込めて頭を撫でる。カザリはと言えば引き剥がされないのを良い事にジルの首元に顔を埋めて胸いっぱいにジルの甘い匂いを吸い込んだ。
(よし、これで下水路の臭いも幾分か和らいだ気がする!)
ちゃっかりした性格の女である。一方ジルはカザリの頭を撫でながら先の戦いを思い出す。
カザリの実力は既にFランクの域に無い。余裕のある戦い方を見るからにDランクくらいならもう一人でも倒せるのでは無いだろうか、と。
「スパルタとかじゃ無いのよ。カザリさんの実力から見て今の敵じゃ程度が低過ぎて実践訓練にならないからもっと強いのにしようって話」
「ほんと?私の事嫌って嫌がらせしようとしてるわけじゃない?」
「もしやる気なら水路に突き落としてるよ」
「えげつねっ!?ジルちゃん怖いよ!」
がばっとジルから離れて改めて通路の脇を覗き込めば膜の貼った水面と濁り過ぎて形容し難い色の下水がゆったりと流れて行っている。何処まで続いているのかもわからない水路の先を見つめて再びジルに抱き着くカザリ。
「言う事聞くからぁ!悪い事しないからぁ!落とさないでぇ!」
「やらないってば!ほら、取り敢えず討伐証明の前歯を取って地上に戻ろう?此処には最低ランク以外の魔獣なんてーー」
ジルが言葉を紡ぐ途中の事、通路の奥から奇妙な呻き声が轟いて来た。低く身体の底に響くような呻き声。そして何かを引きずる様な奇妙な音。
「ーー何、今の?」
「ーーオドの反応が大きい。街の下にいちゃいけない何かがいる」
「……やばみ、あっちって帰る方向じゃん」
「ま、どうせ放っては置けないし行こ」
ジルは手早く大鼠の前歯を回収するとカザリのウエストポーチに突っ込んで歩き出した。遅れてカザリもジルの背中に揺れる流星を追って歩き出す。
次第に大きくなる音と呻き声に二人の警戒心は高まっていった。何度かの突き当たりを曲がって進んでいると突然ジルが静止の言葉を呟く。
「ーー止まって」
「……いた?」
「あれ」
曲がり角を覗き込みながら顎をしゃくるジル。恐る恐る覗き込めば視線の先には目を見張る程の巨大な山椒魚の様な生物が体をずるずると引きずって歩いていた。
「普通こんな汚い場所に山椒魚なんていないでしょ……」
「泥火竜、Bランクの魔獣だね」
「そんな危ないのが地下にいるってこの街大丈夫!?」
「まぁあの身体じゃ上には上がれないし、寧ろここに蔓延る魔獣を食べててくれたんじゃないかな?」
「すっごいプラス思考だね!?」
のそのそと下水路を歩く巨大な泥火竜。体表は滑りを帯びておりランタンの光でてかてかと光っていた。幸いにも視力や聴覚が弱いのかカザリ達に気付いた様子はない。
「……あれって私にもやれる?」
「へ?」
突如とんでも無い事を言い出すカザリにジルは流石に驚いた。そりゃ大鼠ではカザリの訓練にならないとは言ったが何もBランクと戦えとまでは流石のジルも言う気は無い。
相手は火竜と名の付くだけあって水場にいるくせに火を吐く低級の竜種だ。基本的に竜は同じ危険度の魔獣の中でも特に凶悪な傾向にある。初心者のカザリが戦うには流石に荷が勝ちすぎる。
「流石に危険だよ!」
「無理では無い?」
「そりゃ出来ない事は無いかもだけど!」
「じゃ、やってみる。やばかったらジルちゃん助けて」
カザリは本当に不思議な性格の少女だ。一人での魔獣討伐にびびっていたかと思えばBランクの魔獣を前に挑みたがる。
よく分からないところでやる気を見せるカザリを信じられないものを見る目でジルは見た。そんなジルに向き合ってカザリは微笑む。
「ちょっとでも早く強くなって、もう理不尽を鵜呑みにするだけの自分からばいばいしたいんだ」
カザリの覚悟を聞いてジルは数秒悩んだ。何度か視線をカザリと泥火竜の間で彷徨わせて溜息を一つ。そして悩んだ末にカザリに向き直って指を一つ立てる。
「……良いよ、だけど一つだけ。私も一緒に戦う」
「へ?でも、それじゃ……」
「うん、だから私はサポートに徹する。これでどう?」
「っ!ーージルちゃん最高っ!」
そうと決まれば行動するだけだ。相手は巨体で動きも鈍いがBランクに指定される魔獣だ。先程の大鼠の様にはいかないなとカザリは何パターンか頭の中で戦い方をシミュレーションしてジルを見た。
「大丈夫、合わせるよ。やばくなったら私がやる」
「お願いします!」
そしてカザリは走り出した。この辺りは下水路に続く地下施設が近い為、割と足場はしっかりしている。カザリはしっかりと床を踏みしめて解き放たれた矢の如く駆けた。
背中側から迫るカザリとジルに未だに気付いていない泥火竜の身体に思い切り黒剣を叩き付けた。滑りを帯びた体表のせいで何度か剣先が狂ったが4度目の突きが漸く皮膚を貫き肉に届く。
前方からは低い呻き声が響き渡った。カザリは突き刺した剣をしっかりと握り締めるとそのまま身体の前方に向かって駆け出す。
両生類の様な魔獣だからだろうか、竜と言う割には鱗は無く、柔らかい肉は何の抵抗もなく斬り裂かれていく。
堪らず暴れ出す泥火竜に身体の半分程まで切り進んだカザリは剣を引き抜いて距離を取った。瞬間、強靭な尻尾がしなりを効かせてカザリに迫る。
「しまっーー」
「余所見しない!」
カザリと尻尾の間に割って入ったジルは淡く光る白いオドを放出して迫り来る尻尾を防いだ。そしてカザリに向き直って声を掛ける。
「武器の性能や自分の力が決定打に欠けるなら、相手の弱点を探って突くのも戦術だよ」
「ら、らじゃー!」
剣を握り直して勢い良く飛び出す。ジルのアドバイスに従って弱点を探しながら油断なく剣を胴体へと叩き付けていく。
尻尾側が弱点に成り得る生物は少ないだろう。蜥蜴などの一部の生物は尻尾を囮にして天敵から逃げる事もあるくらいだ。それに強靭な尻尾の攻撃を凌ぐ術をカザリは持っていない。
なら、狙うは胴体だろうか。肉厚な脇腹を裂きながら頭を悩ませるカザリ。しかしいくら傷を付けても出血は少なく致命傷には程遠かった。
(泥火竜は肉が厚くて大振りな武器でないと致命傷には繋げ辛い……狙うなら頭部周辺になるけど……)
そんなカザリの様子を見ながらジルは泥火竜の尻尾を鞘に入れたままの剣でいなしていく。肉厚な脚を通路に伸ばして登って来ようとすれば、強目に鞘を叩き付けて常に泥火竜を下水路に押し留めていた。
「ジルちゃん!こいつ火吹くの!?それとも名前負けしてる!?」
「吹くよ!」
「じゃ、気をつけて行ってきます!」
言うが早いかカザリは終わりの見えない胴体への斬り付けを辞めて頭部の方へと駆けて行く。泥火竜と向かい合う形になって初めて目の当たりにした顔面にカザリは顔をしかめた。
「ぶっさいくだね、お前?私の趣味じゃないや」
山椒魚の様な平たく丸っこい顔面に左右3つずつ並んだ眼球。僅かに開いた口からは無数の小さな牙が覗いており、とんでもない悪臭を漂わせている。ウーパールーパーの様なエラも付いており額には謎の触角が生えていた。
「狼だって目ん玉は痛かったってさ!」
イリスの放った矢に苦しむヘルガルムを思い出して叫ぶ。通路の段差を利用して勢い良く飛び上がると泥火竜の頭の上を前宙して黒剣を叩き付けた。
浅く入った刃だったが眼球の二つを潰す事に成功した。低く呻く泥火竜を尻目にカザリはそのまま反対側の通路に着地すると油断なく一旦胴体側へと離脱の為に走る。瞬間、カザリの背中を舐める様に高熱の炎が発せられた。
「わっぷ!?あぶねっ!?」
「大丈夫!?」
「なんとか!」
泥火竜を挟んで反対側の通路から発せられるジルの声に反応しつつ冷や汗を乱雑にシャツの袖口で拭った。火を吹く生物なんてカザリの常識の中には勿論存在していない。その危険性もまた想像の域を出る事はなく、だからこそ目の当たりにして初めて焦りを感じた。
「ブレスこわっ!私が丸焦げになったらジルちゃん美味しく食べてくれる!?」
「何言ってんの!?絶対やだよ!」
「うわぁん!フラれたぁ!」
阿呆な事を叫びながら絶えず走り続けるカザリ。一箇所に留まる事は相手に良い的を用意してるのと変わらない。予備動作も無く放たれる火のブレスを警戒してカザリは動き回りながら泥火竜の身体に斬撃を重ねていった。
相変わらず凄まじいスタミナを持つカザリは通路を彼方此方に飛び回って胴体や顔周りに少しずつだが確かな傷を与え続ける。堪らず泥火竜は我武者羅に火のブレスを吐くがカザリの周りにはいつの間にか白いオドの結界が生じていてそれを防いでくれていた。
「ぜんっぜん倒せる気配ない!」
「やっぱ決定打に欠けるかぁ……」
「ジルちゃん!無理だと悟りました!お願いします!」
「はいはい、ちょっと下がっててね」
永遠に続くかに思えた戦いだったが、火力不足を悟ったカザリが早々に見切りを付けてジルの元へと駆けて来た。そんなカザリを背中側に庇って前に出るジル。
白を基調とし金の文様が走る鞘から白銀の剣を抜き放つと正眼に構えた。そして練り上げられるオドとマナ。眩く光る白い魔力はランタンの光をも飲み込んで地下の下水路を照らす。
「……しゅごい」
そんなジルの美しくも圧倒的な姿に目を奪われるカザリ。ジルは流麗な動きで泥火竜に近付くと横薙ぎに剣を振るった。
瞬間、凄まじい魔力の奔流が迸る。視界を埋め尽くす光に思わず目を瞑ったカザリは程なくして瞼の裏に押し寄せていた刺激が去ったのを見計らって恐る恐る目を開いた。
そこにはこちらに振り返って微笑む美少女が一人。そしてその背中側には頭から尻尾の先まで綺麗に横一文字に両断された泥火竜の姿があった。
「……チートやんけ」
「カザリさんもそのうち出来るようになるよ」
「人間を辞める気はないんだけどなぁ……」
カザリの呟きを聞いてるのかどうかわからない様子でジルは泥火竜の触角を切り落としていた。折角なので討伐証明部位を持って帰るのだろう。
「動きは十分過ぎるくらい良いと思うよ。でも、やっぱり火力面が物足りないね。明日は魔力の扱い方を試してみよっか?」
提灯鮟鱇の提灯の様な触角を手に今日のカザリの総評をするジルはとてもシュールだ。だがジルが発した言葉にカザリはそんな事が気にならなくなっている。
「魔力!覚えたい!」
「うん、決まりね」
「まっじゅつ〜!まっじゅつ〜!」
そんなこんなでカザリの初めての仕事は完了したのであった。カザリが受けた依頼の報酬よりも予期せぬ泥火竜の討伐の方が金になった事は言うまでもないか。
カザリが冒険者として安定した暮らしが出来るようになるまではもう少し時間がかかりそうであったーー。
早くストーリー進めろよと思うかもしれませんがヘルガルム戦から”4日後”と決めてるのでもう少々お待ちを。不自然に強い主人公ってどうなんだと思ったのでこの4日間でカザリちゃんに猛特訓してもらって頑張って強くなってもらってます。因みに今のままだと100%負けます。誤字脱字、不適切表現意味間違いなどありましたら都度指摘お願いします。感想、評価、ブックマークも是非!




