ひのきのぼうはやめておけ
日が沈みかけた夕暮れのフォルヴェーラ。潮の満ち引きの様に、行き交う人々で賑わっていた通りが少しづつ静けさを取り戻す時間。しかし、人の出入りが盛んな門前はと言えば、そんな時間であってもお構い無しに大盛況していた。
フォルヴェーラを囲う外壁にある4つの外門のうちの一つ『白虎の門』は、見上げる程の重圧な門に向かい合う虎の彫刻が施された絶壁だ。平時に開門する事はなく、街の出入りには門脇の衛兵詰所にある小さな扉が利用されているため、今もなおカザリの目の前で圧倒的な存在感と共に町を守っていた。
因みに白虎の門以外の北の玄武の門、東の青龍の門、南の朱雀の門に関しては、平時であっても日中の間は開門されており、大型の馬車なども多数見られる。これは、偏にフォルヴェーラの立地に関係していた。
迷宮都市フォルヴェーラの西側には、馬で4日程行くとアースランド大陸を西と東に隔てる様に霊峰オリジンと呼ばれる山脈が連なっている。霊峰オリジンは、果てしない標高と広大な地下空洞を有している事から、未だに人類の手が届いていない場所が多い。
つまり、大崩壊よりも前から存在している未開拓地という事である。そのため、いつ何が起こるかもわからないという背景から、白虎の門は建設以来一度も開いた事はないのだ。
霊峰オリジンには、西と東を行き来するための大洞穴と呼ばれるトンネルが整備されているため、人の往来がなくなる事はない。それなのに白虎の門が一度も開いた事がないと言う事実は、それだけ霊峰オリジンに対する警戒心が強い事の現れだろう。
冒険者ギルドでも霊峰オリジンには幾度となく実力者を派遣しているが、未だに攻略がされていない天然の危険区域なのである。
「すっげっぞ……!」
そんな、街の守護の要となる白虎の門を見上げていたカザリは、間抜けな表情で小学生の様な感想を溢す。
視界の端にある詰所には、絶えず人の行き来があり、前の人がいなくなっては後ろの人が入って来るの繰り返しだ。
カザリは、この街に人が溢れている要因の一端に触れた気がして深く息を吐いた。
「それにしても……商い通りよりも門前は凄い人だなぁ」
「商売に関する人だけがこの町を目指すわけじゃないからね。これだけ広大な町にある4つだけの出入り口、そりゃ人も集まるよ」
カザリの独り言に反応をしたのは、いつのまにか隣に並んでいたジルだった。
その手には、赤い果物のジュースが入った石器のグラスを二つ持っている。その一つをカザリに差し出すと、ジルは自分の分をくいっと一口煽った。
「ふぅ。身体動かした後は喉が乾くね」
「ありがとうジルちゃん、いただきます」
カザリもジルを習ってくいっと一口。口に入れた瞬間口内を真っ直ぐに駆け抜ける鋭い酸っぱさ。嫌に残るかと思えば、直ぐに仄かな甘みがじんわりと広がっていき疲れた身体に染み渡る。カザリの知るところのアセロラの様でりんごの様な何とも不思議なジュースだった。
「おいし!」
「でしょ?さて、どのお店に行こうか」
杯から口を離したジルは、白虎の門前の広く開けたスペースをぐるっと見渡した。
門前には商い通りにも負けない程の店が揃っているが、商い通りではそろそろ店仕舞いが始まる時間帯であるにもかかわらず何処もまだまだ営業真っ最中である。
大都市の人の往来は、夜でも止む事はない。門前は、夜でも商売が成り立つ特殊な場所なのである。
また、居住区とも離れているため、どれだけの騒ぎが起ころうとも苦情が来ることもない。酒場然り、遊戯場然り、歓楽街と呼ばれるものに想像し得る夜間営業をする店の殆どは、中央区の一等地か多くの人の目に触れる門前かのどちらかに多数揃っているのである。
「ジルちゃんはいつも何処行くの?」
「ごめん、私この町に来てからまだ武器は新調してないの」
「……いかにも凄そうな剣だもんね」
カザリは、ジルの腰に下げられた剣を見ながら呟いた。
白を基調としたシンプルな鞘には金の文様が走っており、まるで上等な骨董品の様に上品な印象を受ける。鞘と同系色のグリップと緑の柄、青の鍔からは、抜いてもいないのに価値のあるものだと言う事が伝わってくる。
「名の有る鍛治師に打ってもらった剣だからね。でも、どんな名刀も手入れが成ってないと直ぐにダメになる。長持ちさせるなら、ものの良し悪しよりも日々のメンテナンスをしっかりしないとね」
「あー、やっぱ手入れも必要なんだ……」
「ふふ、ちゃんと覚えていこうね?」
「イエッサー……」
興味のある事は長続きするのに、興味の無い事には一切の関心を示さないのがカザリだ。
長年部活動としてやっていたバスケットボールに関しても、ボールを使った練習は大好きだったが、身体作りのための走り込みや筋トレと言った基礎的な練習は大っ嫌いだったのである。
だが、この世界での武器とは、命を預ける相棒である。その手入れを怠る事は死に直結すると言っても過言では無い。
なんとなくそれが理解出来ているのか、カザリも三日坊主にならない様にしようと心の中で弱々しく呟いた。
「取り敢えずいろいろ冷やかしてみよっか」
「うん!」
先に歩いて行ったジルの隣に並んで店を覗いていく。門前は町の顔であり、華やかな銅像や手入れされた植物が門前の広場には広がっていて、町に来る人達を出迎えている様だった。
しかし、門前は町の顔でもあり尻でもある。旅立つ人にとってもこの町で最後に訪れるのがこの場所になるのだ。
そんな背景からか、沢山並ぶ店の中には、少なくない数で保存食取扱店や便利アイテムショップ、武器屋といったものがあった。旅立つ前の旅支度に忘れ物や抜けがないかを確認するのには、非常に有難い品揃えである。
「あ、あれ」
「うん?」
そんな門前の特色をジルから聞きつつも、次々と店を覗き込んでいたカザリは、とある鍛冶屋の前で立ち止まった。
店先には、多くの武器が並んでおり、今もなお奥からはかんかんと鉱石を叩く音と熱気が伝わってくる。その店の中の壁に掛けられた一つの剣が、カザリの目に留まったのだ。
「ーーこれ?」
「うん、なんか見覚えある気がする」
カザリが指差した剣をジルが手に取った。
外観は、物凄くシンプルで黒い剣身を持つグリップが灰色の剣だ。隣を見れば、この黒剣とセットなのか、黒い鞘が立て掛けてある。
剣なんて大して見たこともないし、目利きなんてとてもじゃないが出来るわけもない。ただ、その剣だけは、ここ最近何処かで見た気がするのだ。
「見た限り何かしら特徴のあるものではないね。シンプルにただの鉄製のロングソードって感じ。ただ造り手が良いのか状態は凄く安定してるね」
「わかるの?」
「3歳から真剣に触れてるから」
「ちゃんちゃい!?」
「因みに2歳になる前には木剣振り回してたよ?」
「お、おぅ……」
当然の様に剣の目利きが出来るジルのとんでも発言に、カザリは目を剥いて苦笑する。
例えば、トップアスリートは家族の影響で幼い頃からスポーツに触れていたりする。また、天才科学者も家族の手を借りて幼い頃から実験やら研究やらに勤しんでいたりする。
歴史に名を残す者の多くは、小さい頃からある分野に馴れ親しみ、土台を形成し、その上で才能を開花させている。これらは、身体の発育が年齢に依存しているのに対し、脳の基礎が出来上がるのが幼少期とされているからだ。
スポーツも勉学も基礎となる考えるための頭が必要なのは間違いないし、脳の基礎レベルが違う人間は、身体の使い方や精神状態のコントロールの次元が違うのである。
この世界での一般常識は知らないが、幾ら何でも3歳の子供に真剣を握らせる親はそういないだろう。薄っすらと感じてはいたが、ジルはもしかしたら一般的な家庭ではなく、何かしら特殊な家柄の家庭に生まれたのかもしれない。
幼い頃から剣に触れ、どういった過程で成長して来たかはわからないが、現に職員から一目置かれる程の実力を持つ冒険者になっている点から普通じゃない事は明らかだ。カザリは、ジルという存在の背景が益々わからなくなった。
「よくわかんないけど、3歳から剣を触るのは普通なの?」
「え、そんなわけないじゃん」
「普通じゃない事を認めおったわ……」
鼻歌交じりにカザリの選んだ剣を軽く回すジルをジト目で睨むカザリ。
そんな時、ガラガラだった店内に一人の客がやって来た。
やたらと装飾過多な服装にてっかてかのワックスで固めた髪型、品の無い笑顔が印象的な如何にも貴族然とした男だった。
男の後には、二人の従者が黙って付き従っており、それなりの身分であることが直ぐにわかった。
「おい、店主はいるか!?」
無駄に良く通る声で店主を呼ぶ男は、商品に目もくれず真っ直ぐにカウンターへと向かっていく。ちらっと一瞬目が合ったカザリは、直様視線を逸らすとジルと一緒に剣を眺め出した。
ジルはといえば、貴族風の男には何も気にした様子がない。如何にも迷惑そうな客だなと思って、カザリは関わらないようにと息を潜めるのだが、ジルはカザリとは対照的でやけに肝が据わっている堂々とした態度だった。
「……どうしたいお客さん」
貴族風の男の声に奥から顔を出したのは、ヒゲとシワが印象的なオヤジだった。肩に掛けたタオルで額の汗を拭っている辺り今まで奥で作業していたのだろう。そういえば、この店に来てから聞こえていた鉄を叩く甲高い音が止んでいた。
「この店で一番良い品を出せ。私は質の良い武器を欲している」
「……おいおいお客さん、目利きも出来ん奴に売る得物はねぇぞ」
筋骨隆々としたオヤジは、貴族風の男が開口一番に発した言葉に眉をひそめると、嫌悪感を隠そうともせずに言い放った。突如立ち込めた緊迫する雰囲気に、日本人のカザリは内心ひやひやしていた。
何だかんだ言って日本人は、臆病気質なところがある。例えば、公共の場で奇行に走る人間がいたら危なそうだから近付かないようにするし、道端で酔っ払いに絡まれれば萎縮したりもする。
そんな例に漏れず、カザリも理解の及ばない人種には抵抗があるし、どうせやるなら他所でやってくれと願わずにはいられなかった。
「……おい貴様、私が誰だか分かって言ってるのか?私はウィントベルク王国貴族のアルデヒド•ブラウーー」
「知らん。うちは貴族に媚び諂う振る舞いはしねぇ。買わねぇってんなら帰りな、他のお客さんの邪魔だ」
食い気味で貴族風の男の名乗りを遮ったオヤジは、取り付く島もない態度で追い返そうとする。人の集まる場所で商売をしているからか、こういった手合いの客の対処にも慣れているのだろう。
他のお客さんと言った辺りでカザリの方を一瞥して顔に似合わない器用なウィンクを送って来た。対するカザリは、成り行きをチラチラと盗み見ていたのだが、聞こえて来た貴族風の男の名前にとある分子構造の有機化合物を思い出してちょっとだけ笑った。
「どうしたのカザリさん?」
「いやいや、どうもこうも……寧ろジルちゃんは何でこの状況で平然としてられるの?」
「ん?だって関係ないもの」
「そ、そっすか……」
緊迫した雰囲気の店内であったが、ジルは本当に気にした様子もなくカザリが気になっていた剣をキープすると、隣の剣を手に取って眺めはじめた。
少し離れたところでは、オヤジとアルデヒドが睨み合っているのに、ジルは剣の切っ先を睨んでいる。
何とも言えない光景を見渡して、カザリはだんだん気にしてる自分が負けな気がして来た。
「貴様、黙っていれば調子に乗りおって!こちらで勝手に選ばせてもらう!まさか買うことすら拒む無礼な店ではないだろうな!?」
「勝手にしてくれ」
「そうさせて貰う!」
案外素直なアルデヒドに「子供か」と内心ツッコミを入れたカザリは、吹きそうになるのを我慢して、ジルの手元を眺めていた。
アルデヒドの様な態度が心底気にくわないので、絶対に関わらないようにと背中を向ける。しかし、いつだって運命は残酷だ。
「おい、女!その剣を見せろ!」
「うぇ!?」
カザリとジルの背中に向かって無駄に良く通る声が掛けられる。
そこそこ広い店内に所狭しと並べられた武器の数々。これだけの武器が揃っていて一番最初に食いつくのが人が観ている武器だなんて、どれだけ自分の目利きの出来なさを広めたいのか。
加えて言えば、カザリとジルは一般的な棚の武器を観ていた。如何にも高価そうなショーケースに入った武器ならまだしも此方に飛びつく理由が全くもってわからない。
「おい、聞いているのか!?」
「き、聞いてますよ〜!あははは!」
「ん?貴様冒険者か?」
あまりにもうるさい声が堪らず、カザリはアルデヒドに振り返った。アルデヒドの顔をそこで初めてまともに見たカザリが受けた印象は、カッチカチの頭が似合う目付きの悪い若者と言ったところだ。
小者感が何処と無く漂っているが、ガタイの良い従者を二人も控えさせているので威圧感が凄い。そんなアルデヒドは、カザリの胸元で揺れる白いドッグタグを見て口を開いた。
「ふん、成る程。ビギナーか。おい、女。初心者は黙って木の棒でも振ってろ。代わりにその黒い剣は、私が使ってやるから光栄に思え」
「ーーは?」
あまりにも横暴な物言いに、流石のカザリもイラッとしてしまう。多少の我儘なら異世界の貴族あるあるとして我慢する気ではいたのだが、そもそもカザリは短気な性格なのだ。初対面の相手に思いっきり上から目線で無茶苦茶を言われれば簡単にその意思も吹っ飛んでいく。
「これは私が先に目を付けたの。貴方は別のを探してよ。これだけ数ある中で人が選んだものを欲しがるとか子供か何かですかこのやろー」
「貴様今何と言った!?私が子供だと!?無礼にも程がある!」
「無礼なのは貴方でしょ。貴族だか何だか知らないけど、お店の中で私達は等しく客だよ。そんな中で無駄に偉そうにして恥ずかしくないの?まぁ恥ずかしくないんだろうね、嘆かわしい」
「貴様ぁぁあ!!いいから早くその剣を寄越せ!!」
一度解き放たれてしまうと止まらなくなるのは、カザリの悪いところだ。異世界の常識なんて知らないのだし、権力者には逆らわず生きていくのが無難な筈である。これがもしダークなファンタジーだったら、不敬罪で死刑なんて事もあり得るかもしれないのだ。
それでも、カザリは臆する事なくアルデヒドに向かって憎まれ口を叩く。そんなカザリの態度にオヤジとのやり取りからきていた我慢の限界に達したのか、アルデヒドはジルが小脇に抱える黒い剣に手を伸ばした。
「ーーうるさい!」
突如武器屋内を鳥肌が立つ程の寒気が支配した。それは、殺気や剣気と言った武威ではなく、純粋なまでの圧力。人が発したものとはとても思えない程重たくて寒い。格の差を嫌でも教えられる力。それを発した本人は、持っていた剣をゆっくりと鞘に戻すとカザリの隣で振り返った。
「……私、今剣と話してたの。それなのにがやがやと雑音を叩きこまないでくれる?貴方が誰か知らないけれど、私とカザリさんに害を成すなら、ね?」
「っ!」
ジルが放つ凄まじい圧を孕んだ視線を受けて、アルデヒドは喉を鳴らした。ぶわっと噴き出した冷や汗が頬を伝う感触がやけに鬱陶しかった。
目の前の女が異常な事は一瞬でわかったが、一体何者なのだとアルデヒドは自問する。しかし、生憎冒険者の顔と名前には疎い。ただ、その胸元で揺れる銀のドッグタグがアルデヒドの目線を捉えて離さなかった。
「貴方、質の良いモノを求めてるんでしょ?オヤジさんの前でこういう事言うのもあれだけど、この剣はなんの特色もないただの剣よ。それこそ初心者から中級者向きってところね」
「そ、そうなのか?」
「なんなら別に譲っても構わないよ。隣の剣も然程大差なさそうだし、違うと言えば見た目だけだもん」
毅然とした態度のAランク冒険者にたじたじになるアルデヒドは、どうにかしてこの場を切り抜けられないかと思考を彷徨わせた。
正直な話、Aランク冒険者がここまで言うのなら黒い剣には大した価値など無いのだろう。流石にその程度は、アルデヒドにも理解は出来た。
それならば何がおすすめなのかを是非とも聞いてみたいところだが、生憎と向けられる圧が権力という力しか持たないアルデヒドにとって抗えない程の暴力となっていた。
「それから余計なお世話かもしれないけれど、背伸びして良い剣を買ったところで、貴方は使い手としてまだまだ未熟よ。道具の質を求める暇があったら鍛えた方が余程有意義だと思うけどね」
「ぐっ……!」
そんな事は、言われなくても分かっている。どれだけ稽古を積んでも、自分は周りの貴族家系の者達に劣っていた。通っている学園でもそれをネタに笑い者にされて悔しさに泣いた日は数え切れない。
父の付き添いで訪れたフォルヴェーラは、冒険者が集う街と称される事から質の良い武器も集まると聞いた。あまりにも未熟な剣術しか持たないために、家では木剣しか握らせて貰えておらず、いつしかアルデヒドにとっては、自分が成長出来ないのはそれが原因だという逃げの思考が生まれていた。
悪いのは、木で作った剣擬きの棒切れでしか稽古をつけてくれない兄だ。立派な武器さえ手に入れれば、自分だって誰もが眼を見張る程の実力を手にする事が出来るのだ、と。
「私はそれなりに剣術を学んでいる!それを言うならば、そこの初心者が武器を持っていても仕方ないではないか!初心者には、木の棒程度がお似合いな筈だ!」
完全にブーメランな発言である事に本人は気付いていないのだろう。
カザリは兎も角、ジルも鍛治屋のオヤジも最初からアルデヒドの実力は見抜いていた。いつしか、二人の視線は、哀れな人間を見るものに変わっていた。
「おい、店主!この女に木の棒を用意してやれ!何なら私が奢ってやってもいいぞ!ふははは!」
そんな馬鹿げた発言を受けていい加減痺れを切らしたのか、椅子に座って見物していたオヤジが思いっきりカウンターを叩いて立ち上がった。
ゆっくりとアルデヒドに詰め寄ると、二人の従者も手が出せない程の威圧感溢れる立ち姿で怒鳴る。
「武器は命預けるもんだ!てめぇみてぇなお貴族様にはわからんかもしれんが、冒険者は常に死と戦ってる!んな頼りないもんうちにはねーよ!」
「ひぇっ!?」
「生憎うちは客を選ぶ。お客様は神様?ふざけんな。この世界の神は、二柱の女神様だけだ。迷惑な野郎はとっとと帰れ。どうせテメェなんかに扱える武器はうちにはねーよ」
そう言って、オヤジはアルデヒドと従者二人の背中を押してそのまま店の外へと連れ出して行った。
外からは、「覚えてろ」だなんて古い悪役の様な台詞が聞こえて来て、カザリはまた少しだけ笑った。
「どうしたの?」
「なんか凄かったね〜」
「そう?普通だと思うけど」
「私には新鮮だったよ」
日本だろうが海外だろうが横暴な客なんてものは居るところにいるものだ。しかし、カザリは運良くこれまでの人生でそんなものに出会った事はなかったし、視聴者投稿系のテレビ番組の再現VTRでしか観たことがなかった。
異世界に来てまで見たいものではなかったが、恐らく元いた世界よりも明確な身分差が存在するこの世界では、ああいった光景は日常茶飯事だろう。これから慣れていかなくてはならないとなるとしんどいなとカザリは思った。
「あれ、なんか店先が煩いと思ったらカザリじゃんか」
「ん?アレン……?」
そんな時、カウンターの奥から顔を出したのは、つい昨夜に出会ったばかりの同期、アレン•クラウディアだった。
店主のオヤジと同様に肩に掛けたタオルで額の汗を拭いながらカザリとジルの方へと歩いて来る。
「今日はどうしたんだ?」
「どうしたもこうしたもアレンこそ何してんの?」
「ん?何ってここは俺ん家だぜ?」
「んなっ!?」
急に奥から出て来たと思ったら、どうやら此処はアレンの実家だったらしい。
そう言えば、白虎の門前の鍛冶屋の息子だと昨夜の自己紹介の時に言っていたのをカザリはぼんやりと思い出した。
「あ、もしかしてカザリさんが見覚えあるって言ったのは、アレンさんの剣と似てたから?」
「そうかも!スッキリした!」
「ん、あぁ。剣を買いに来たのか?」
カザリとジルがこの店に立ち寄る事になった黒い剣は、昨夜アレンが自分が打ったと言って見せてくれた剣に近しいものがあった。形はシンプルなロングソードだが鍔や柄の形と雰囲気が似ているのだ。漸くこの剣が気になった理由を知れてカザリは満足気だ。
「でも、これはアレンさんの作品じゃないよ。多分さっきのオヤジさんのもの」
「へ?」
「……驚いたな。わかるのか?」
「何となくだけどね。眺めて、触れて、振ってみると伝わってくるの。私はこれを剣との対話だと思ってる」
そう言って、ジルは優しい目つきで黒い剣を眺めた。
尋常じゃない目利きが出来る人は、常人には分かり得ない感性を持っていたりする事がある。恐らくジルもその一人で、幼い頃から常に身近にあった剣というものの真理を理解しているのだろう。
偶々何と無くでアレンの剣と似てる事に気付いただけのカザリには、ジルのこれは全くもってわからない世界の話だ。剣と対話出来る才能なんて、鍛冶屋や武器商人が聞いたら喉から手が出るほど欲するかもしれない。
「流石”彗星のジル”だな」
「オヤジ?」
アルデヒド一行を追い出して戻って来たオヤジ。剣との対話が出来るというジルの事を流石だと評して、アレンにジルのドッグタグを見るように促した。
それにつられる様にドッグタグを見て、アレンは大きく目を剥いた。
「Aランク!?ってか、彗星のジルって言ったかよオヤジ!?あの”爆閃のロカ”と一緒に絶海の楽園を攻略した!?」
「なんだお前、冒険者になるとか言ってたくせにそんな事も知らなかったのか」
「知らなかったよ!すっげぇ!そりゃ剣と話せてもおかしくねぇ!なんなら剣を人に変えてくれそうだ!」
「それは人の出来ることじゃないよ……」
「…………むぅ」
彗星のジルという言葉に物凄く興奮した様子で騒ぎ立てるアレン。オヤジはアレンの無知さにがっかりし、ジルはアレンの無茶苦茶な物言いに呆れ返っていた。
対してカザリはと言えば、またしても知らない言葉ばかりで置いてけぼり状態である。正直なところ話の一割も理解出来ていない。
仲間外れは嫌だなと思いつつ、頬を膨らませてジルの袖を掴んだ。
「ねぇ、ジルちゃん?」
「ん?あー、今度ゆっくり話すね?」
「お願いします……」
カザリが無知な事は仕方のない事である。しかし、そんなカザリでもジルの事を知らないのは何だか嫌な気がしていた。
今度ジルに説明して貰う事を約束したは良いが、アレンがジルの事で興奮してるのが納得いかない。他人が自分よりもジルの事を知っている現状になんだかやきもきして、カザリは口をすぼめた。
「ってか益々わからなくなった。カザリ、お前昨日ジルさんと一緒に登録に来てたよな?今もこうして一緒にいるし。お前何者なんだ?記憶喪失がどうこうってのは聞こえちゃったんだけど……」
「記憶喪失だよ?変な女に襲われてるところをジルちゃんに助けて貰ったの。んで、今お世話になってます」
カザリの大分端折った説明に苦笑いをジルは浮かべていた。恐らく本当の事の半分も伝わってないんだろうなと思いつつも、別に態々訂正する様なことでもないしとカザリに任せている。
「なんかよくわかんないけど、すげー事なのはわかった」
「相変わらず考えねぇ息子だな。嬢ちゃん達、さっきは済まなかったな。俺はここの鍛冶屋の親方兼店の方の店主もやってるバーリー•クラウディアだ」
「いいえ、大変そうですね。ご存知の通り冒険者のジルです」
「カザリ•タカミネです!オヤジさんかっこよかったです!」
考える事を放棄したアレンに溜息を零したオヤジが二人に挨拶をした。
バーリーは、白虎の門前に店を構える鍛治師である。王都に名が知れ渡るーーとまではいかないが、ここら一帯では一番の腕利きの鍛治師と言えるだろう。加えて、今では10人近くも弟子をとっているのだとか。
そのうちの一人が実の息子であり先日冒険者登録したばかりのアレンだ。アレンの兄にしてクラウディア家の長男であるカイルは現在王都に修行の旅に出ており不在であるらしいが、バーリー曰く身内贔屓無しで一番出来の良い弟子だそうだ。
「カザリは、昨日冒険者登録してる時に隣で登録してた同期なんだよ。明日の初心者演習もカザリとあともう一人と行く事になってんだ」
「なんでぇ、それを早く言わねぇか。嬢ちゃん、お代はいらねぇからそいつは持ってけ」
「ぇえ!?良いんですか!?」
アレンがバーリーにカザリを紹介すると、バーリーは人の良い笑顔でとんでもない事を言ってきた。
突然の粋な計らいに流石のカザリも驚きが隠せない。内心では、またジルに借りが増えると震えていたからだ。
「何、気にすんな。俺達フォルヴェーラで商いをする奴らは、決まって冒険者のおかげで飲み食い出来てんのさ。そんな冒険者になるってんなら応援しなくちゃいけねーだろうが。ほれ、貸しな」
「本当に良いのですか?貴方は腕の立つ鍛治師とお見受けしますが。以前からこの工房も気になってましたし」
「彗星からのお墨付きとは嬉しいねぇ。ま、なんだ。代わりと言っちゃ何だが、この馬鹿な息子を少し気に掛けてやってくんねぇか?見た通り考えるのが苦手な奴でな、直ぐにおっ死んじまうんじゃねぇかと心配で仕方ねぇのさ」
黒い剣を譲る事は既に決定事項なのか、ジルの手から剣を受け取ったバーリーは、直ぐにカウンターに入って整備し始めた。
普通の武器屋なら品物と硬貨を交換して終わりそうなものだが、客に渡す前にしっかりと手入れしてくれるあたりにバーリーのプロ意識が見て取れた。
慣れた手つきで黒い剣を整備していくバーリーは、本人が気付いているかは分からないが親バカ丸出しな顔でアレンの心配をする。最初に感じたぶっきらぼうで取っ付きにくそうなイメージは、良い意味で崩れ去った。
そんなバーリーの横顔を眺めてから、カザリは笑顔でアレンをからかった。
「アレンってば幸せ者だねぇ?」
「う、うるせぇよ!オヤジも余計な事すんな!」
「繋がりは何よりも強い武器になるぜアレン。人の事は大切にしろよ」
「んだよ畜生、調子狂うな」
クラウディア家の兄弟において才能は兄のカイルに傾いていた。幼い頃から何をやらせてもアレンはカイルに勝った試しが無く、それはオヤジの跡を継ぐために必死に修行した鍛治においても変わらなかった。
悔しいとは思うものの、誇りに思える兄貴を持てた事にアレンは喜びを覚えていた。しかし、等しく愛情を注ぐ親からすれば話は別だ。
不憫だと思う事がアレンに失礼だとわかりつつも、どうしても二人が並ぶとバーリーは自分の責任だと思う事が多々あった。だからなるべくアレンには危険な事はして欲しくなかったし、遠くに行っても欲しくなかったのだが、そんなアレンにもカイルを超える唯一のものがあった。
それは剣の才能だ。アレンは、造る側ではなく使う側としての才能を持って生まれていたのだ。それに気付いてからは、冒険者になるの一点張りで、バーリーはずっと心配していたのだ。
「ほら、持って行きなカザリの嬢ちゃん」
「あ、ありがとうございます!」
「そいつぁ、ジルの嬢ちゃんの言ってた通り初心者から中級者用に態とグレードを落として打った剣だ。材質とか加工とかの面では高いモノには劣るが、その分変な癖は無くて使い易いと思うぜ」
整備が終わった黒い剣を譲り受けたカザリは、ほくほく顔だ。
まさか昨日出会ったばかりの繋がりでこんな事になるとは、人生何が起こるかわからないものである。感謝の気持ちを一杯にアレンの事を沢山弄ってやろうと心の中で決めたのだった。
「嬢ちゃんは、お洒落なミニスカートだし、あんまり腰回りに金具付けんのもアレだな。剣は背中に背負う感じにするかい?勿論ベルトも譲るぞ」
「あ、それでお願いします!走ったりするの邪魔されたくないんで!」
「はは、りょーかいだ!」
そう言ってまたカウンターでごそごそし出すバーリー。そんなバーリーの事を見つつ、アレンは優しい顔をしていた。
アレンもアレンできっとバーリーの優しさが嬉しいのだろう。だからこそ、いつまでも甘えて生きていたくはないのかもしれない。
「なぁ、カザリ。俺、冒険者で頑張りたいんだ」
「わかるよアレン。私もジルちゃんのために頑張るもん!」
「はは、やってやろうぜ!」
「勿論!イリスにも協力して貰おうね!」
そう言って、同期の二人は握手を交わした。
そんな光景を眺めながらジルとバーリーも優しい表情になる。
何はともあれ準備は整った。明日はいよいよ冒険者として初の活動に入る。
未だ見ぬ世界に想いを馳せて、カザリは黒剣を背負ったのだったーー。
文章の上手い切り方がわからなくてどんどん長くなってしまう。他の方の作品と比べてやたら文字数多い気が...。ま、良いか(笑)。誤字脱字、不適切表現、意味間違いなどありましたら都度指摘いただけると助かります。感想もあれば是非!




