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ジルちゃんと初夜(えっちくないよ)

修学旅行の夜みたいな話になりました(笑)。


 冒険者登録の済んだカザリとジルは、大虎の通りの中腹にあるジルが取っている宿まで戻って来ていた。

 青空亭というその宿は、一階部分は食堂になっており、二階から五階までが宿泊用の部屋になっている。

 食堂は、宿泊客以外でも利用できる様で、テーブルもカウンターもかなりの数が確保されていた。疎らではあるが、今も何人もの客が椅子についており、思い思いの時間を過ごしている。

 酒は出しているが、宿泊施設であるために酒場の様な馬鹿騒ぎは御法度な場所だ。客もその事をしっかりと理解しているため、しっぽりと優雅に酒を楽しんでいる人しかいない様である。

 だが、そんなマイナス面を差し引いても客の入りは良かった。カウンターで一人酒を楽しむ者、テーブル席で数人と酔いを分かち合う者。皆が美味い酒と肴に舌鼓を打って、笑顔を咲かせていた。


「ただいま、おじさん」


「おう、ジルちゃんおかえり」


 ジルが挨拶をすると、カウンターでグラスを拭いていたガタイの良いおじさんが眩しい笑顔で答えた。日焼けした肌の中で、真っ白な歯が輝いている。

 ジルが青空亭に泊まる様になって、もう二月は経つか。最早、ジルにとって青空亭はフォルヴェーラでの家の様な場所であり、亭主のおじさんはお父さんみたいな存在だ。

 亭主は、笑顔のままカザリに向き直ると気遣った声を掛ける。


「嬢ちゃんももう大丈夫そうかい?」


「はい!ご迷惑をお掛けしました……」


「迷惑な事なんてあるか。ジルちゃんが嬢ちゃんを担いで現れた時は何事かと慌てたもんだが、こうして無事なら何よりだよ」


「そう言って頂けるとありがたいです!本当にありがとうございます!」


 一週間前、ジルがカザリを拾ってから2日掛けて帰って来たフォルヴェーラ。それから約5日もの間、カザリは青空亭で気を失っていた。その間の身の回りの世話は、勿論ジルがメインでやってくれていたが、亭主や亭主の奥さん、娘さんが積極的に手伝ってくれていたそうだ。

 その話をジルから聞かされていたカザリは、青空亭の面々にも多大な恩を感じている。返せる日が来る事を祈って、今はただ精一杯感謝を伝えるのだった。


「あのね、おじさん。今日からカザリさんも正式にここに泊めたいのだけど、私の部屋の近くで空いてる部屋ってありますか?」


「お、それなら丁度303の脇の304が昼過ぎに空いたよ。部屋の掃除と整備も終わってるから使ってくれ」


「ジルちゃんの部屋が303?」


「そうだよ。じゃ、その304を……取り敢えず一週間お願いします」


「はいよ」


 そう言うと、亭主はエプロンを外して奥に引っ込んで行く。恐らく宿泊手続きの紙でも取りに行ったのだろう。

 カザリは、青空亭のグレードがどの程度か知らないが、昼過ぎに目が覚めた時のジルの部屋の内装を思い出してまずまずのものであると想像した。

 そもそもこの世界の宿の基準がわからないため、明確な判断は出来ないのだが、生活の雰囲気自体は、日本と大して変わらない様に感じている。そんな日本人の感覚から言わせてもらえれば、青空亭は平均的なビジネスホテルと言ったところだ。

 尤も、出している食事はとても美味しそうであり、レベルはかなり高いと見える。今も酒を楽しむ人々の肴の良い匂いが漂ってくるくらいだ。

 そんな感覚から、カザリは一週間の宿泊費は金貨7枚強くらいかと予想した。


「はい、これが304の部屋の鍵だよ。それと台帳に記録するから名前だけ教えてくれるかい」


「カザリ•タカミネです」


「カザリちゃんだね。朝食と夕食はつけるかい?」


 奥から戻ってきた亭主は、鍵をカザリに握らせると紙に宿泊情報を記入していく。名前と部屋番号、宿泊期間を書いたところで、食事の有無を聞いてきた。

 一階に食堂が併設された宿なら、食事提供のサービスがあるのも頷ける。こう言う場合、通常価格よりも割安で食事が出来たりするのが利点である。

 どうしたものかとジルを見つめると、ジルは自分と同じ内容で登録しようと呟いた。


「朝食は、付けてください。夕食は、時間に間に合わない事もあるかもしれないので無しで」


「はいよ。じゃ、朝食込みの一週間で、金貨3枚と銀貨4枚だよ」


「安い!?」


 宿泊プランを設定して提示された金額に驚くカザリ。朝食込みの一週間で34000円の宿は、日本なら破格である。とんだど田舎にある限界集落の宿泊施設ならまだしも、ここは最大の迷宮都市の宿だ。

 そんなに安くてバチは当たらないのかと目を見開くカザリを尻目に、ジルはさっさと支払いを済ませてしまう。

 そんな二人の様子を見て、亭主はカザリの反応に笑顔を見せて語った。


「うちは、冒険者ギルド直営の宿なんだよ。冒険者には、格安で部屋を貸してるのさ」


「冒険者ギルドのねーむばりゅーしゅごい……」


 思わぬところで冒険者ギルドのすごさを実感するカザリ。そんな様子を優しく見守るジルと亭主の目は、完全に小動物を愛でる目だった。


「朝食の時間は、朝6時から10時までだから寝坊して遅れない様にな。後、すまんが風呂は無くてな、近くの銭湯を利用してくれ。この札を見せれば無料で借りられる。チェックアウトの時に返却してくれ」


「わかりました!これからよろしくお願いします!」


「はは、元気だな。こちらこそだ」


 入浴の札を受け取ると、元気いっぱいに亭主に挨拶をしてそのまま階段を登っていく。

 階段をまるまる二つ分登り切った三階が、300番代の客室のある階だった。

 部屋数は、全部で12部屋あるらしく、各階同じ造りである事を思えば48部屋もある宿になる。なかなかに大きな宿だが、従業員の手は足りているのだろうかと一階にいた亭主とカウンターの奥で料理をしていたお猿さん(めちゃくちゃ気になったけど触れたら負けな気がしてスルーした)を思い浮かべながら心配になった。

 三階に到着して直ぐ右手側にあった303と304は隣同士の部屋だ。右手側は東側に当たるらしく、朝日が感じ取れる良い部屋そうである。


「取り敢えず今日は疲れたでしょ?荷物置いたら直ぐに銭湯に行って寝た方が良いね」


「うん、正直色々ありすぎて疲れた。でも銭湯って楽しみ!」


「元気だね……」


 部屋の前で「私まだまだいけます」と謎のハイテンションを見せるカザリ。そんなカザリを見て苦笑いのジルは、会話もそこそこに着替えを取りに部屋へ入って行った。

 カザリもカザリで、誰もいない廊下で突っ立っている趣味などないため、自分が借りることになる304の部屋の鍵を開けて中に入った。

 部屋には、人感機能のついた灯魔石が備わっており、カザリがドアを開けた途端に仄かな光が灯った。

 内装はジルの部屋と瓜二つのものの様である。小さな木製のテーブルと椅子が月明かりの漏れる窓際に備わっており、クローゼットの様な観音開きの扉が壁に直接付いていた。

 入口の直ぐ脇には鏡台があって、他にも二つ程扉があった。気になって開けてみれば、片方はトイレの様だ。材質はよく分からないが、見た目は完全に洋式トイレである。

 しかし、見たところ流水を貯めておくタンクが見当たらなかった。良く見ると脇の壁に淡く光る青くて小さな魔石が埋められてあり、興味本位で触ってみれば、なんとトイレの水が流れたではないか。


「ふぁんたじぃしゅごしゅぎるぅ……」


 もう一つの扉は、シャワールームになっていた。こちらもトイレと同様に魔石があるのだが、その魔石の周りに透明な壁があって、側には貯金箱の様な物が置いてあった。


「シャワーは別料金って感じかな。まぁお湯って無駄遣いする人は多そうだもんね」


 カザリの推測通り、シャワーの利用は別料金だ。カザリは、字が読めないが、貯金箱の側には、15分大銅貨1枚の文字が記されている。大銅貨を入れれば、15分間だけ魔導具の結界が消える仕組みになっており、その間は魔石に触れてお湯を出し放題って具合だ。

 ともあれ、お金のかかるシャワーよりも無料で楽しそうな銭湯の方がカザリには合っている。大して残念ぶる様子もなく、カザリは部屋に戻って今日の買い物の荷物をテーブルに乗せた。

 袋をがさごそと漁って、ジルに買ってもらった下着と寝巻きを用意すると、空いてる袋に移していく。

 そうこうしていると、部屋の扉がコンコンとノックされた。


「ジルだけど、入っても良い?」


「どうぞー」


 ゆっくりと開いた扉の前には、袋を胸に抱いたジルが立っていた。

 カザリの姿を視界に収めると、安心した様に部屋に入って来る。


「部屋の設備とかは、使い方大丈夫そう?」


「うん、何となくわかった。シャワーは課金制でシビアだね。トイレはしっかり水洗で衛生的だし安心した。それと私寝る時は灯って全部消す派なんだけど、これってどうやって消すの?」


 そんなカザリの言葉に驚くのはジルだ。ジルは、冒険者ギルドでの様子から、カザリが記憶喪失でありながらもやたらと理解力が高いと思っていた。

 しかし、こんなものの数分で一通りの設備を見て回り、理解するのは、字も読めなく記憶もない人間には難しいはずである。流石に気になったジルは、もしかして、とカマをかけてみる事にした。


「灯、消す派なの?」


「……な気がする!部屋に入って直ぐになんか落ち着かない感じがしたの!」


 一瞬で試されてる空気を感じ取ったカザリは、強引に誤魔化しにかかる。ジルの優しさに完全に油断していたが、カザリは今記憶喪失という事になっている。

 勿論、名前の様に覚えていたと誤魔化せば良いのだが、あまり適当な設定を貫けばいつかボロが出る。まぁ疑り深い人からすれば、既に大分怪しい言動ばかりなのだが。


「……そう?」


「そ、so……」


 何故か喉の奥で言葉を発音して濁す。少しだけジルの視線が鋭くなった気がしたが、直ぐにいつもの柔らかい笑顔になって教えてくれた。


「部屋の灯魔石はね、扉の開閉に反応して勝手に点灯するの。それだけなら5分後に消えるんだけど、ずっと点けて起きたかったり消しておきたかったら、ベッドの脇のボタンで出来るよ」


「お、これかぁ」


「そう、それ」


 ボタンを見つけたカザリは、早速とばかりに数回押してみた。

 それは、カザリが良く知る電灯のボタンと同じ原理の様だった。これは益々生活がしやすそうだなと安心する。

 そんなカザリを他所に、ジルはカザリに買ってきた袋を全部開けていた。


「買った物は、シワになる前に干しておかないとダメだよ」


「お母さんか!」


「ふぇ?」


 度々同じようなツッコミをしつつ、カザリもジルの手伝いを始めた。買ってもらった上にそこまで甘えられないからだ。

 袋に詰めた寝巻きの他にももう一つ寝巻きがあり、他には数枚の下着と靴下、薄手の黒いコートがある。それらをクローゼットに収めると、ジルはカザリの分の入浴札も持って廊下に出た。


「良し、じゃあ行こっか。鍵はしっかり閉めてね?」


「もう、お母さんだわ……」


「ふぇ?」


 そんなジルの後を追って部屋を出るカザリ。しっかりと鍵を閉めると、着替えの入った袋を持ってジルの隣に並んだ。

 鍵を受付で亭主に返すと、二人は直ぐ側の銭湯にやって来た。外観も内装もザ•銭湯という感じの雰囲気で、ここだけが日本だと言われてもカザリは信じそうである。

 番台に入浴札を見せて、女湯の脱衣所へと向かう。ジルと並んで籠に持ってきた袋を入れ、いそいそと服を脱いでいく。


「結構空いてるんだね」


「まぁもう夜も結構遅いから。この時間に来るのなんて冒険者くらいなものだよ」


「そうなんだ……夕方は混む?」


「そうだね。前に夕方の6時頃来たら、人が多過ぎてあんまりゆっくり出来なかったよ」


「ほうほう。遅くまで空いてるなら、時間ずらした方が良いね」


 さっさと服を脱ぎ終えたのか、番台から借り渡されたタオルを身に纏いカザリの準備を待ってくれるジル。そんなジルの視線を受けて流石のカザリも堪らず赤面する。


「ジルちゃん、あの、その、ね。流石に恥ずかしいというか、その……もぅ、ジルちゃんのえっち」


「ぇえ!?ご、ごめんなさい!そんなつもりじゃなくて!」


「ふふ、冗談だよ」


「も、もぉ!私は珍しい下着だなって思ってただけよ」


 服やサンダルもそうだが、下着だって勿論日本製のものだ。材質や造りは、この世界で再現出来るものではないし、勿論この世界の住人が見た事なんてあるはずもない。

 それに興味がいくのは何ら不思議ではないことだ。またまた痛いところを突かれて、カザリはもう半ば投げやりに答える。


「め、珍しいのかな?わかんないやっ」


「記憶喪失、大変だね?」


「ご迷惑おかけします……」


 知らんぷり大作戦だ。この作戦に乗っかっておけば、大抵の事は「だって記憶喪失だもん」で済ませられる。

 そんなずる賢い方法で乗り切ったカザリは、身体にタオルを巻くとジルの方に向き直った。


「ーーわぁお」


「どうしたの?」


 絶世の美女の裸は、卑猥さよりも美しさが勝るとは良く言われる事だ。そんな例に漏れず、タオルを巻いているとはいえジルの無防備な姿は、女のカザリから見ても溜息が出る程の美しさであった。

 寧ろタオルで隠されている分、余計な妄想が膨らんでより妖艶な雰囲気を漂わせていると言えた。更には、髪もお団子に結っていて、露出した頸が眩しく煌めいている。


(おおおおおおおお落ち着け、高嶺餝17歳!お前は腐る程に結衣の裸を見て来たではないか!腋の下に黒子がある事まで知ってるくらい、結衣の裸を隅々まで知っているではないか!今更何を恥ずかしがる!相手は女であるぞ!)


 何かいけないものを見てしまったかのように、さっと視線を逸らして悶々とするカザリ。対してジルは、頭の上ではてなマークを浮かべていた。


「べ、べべ別に?それよりほら、行くよ!」


「ぇ、ちょっと待ってよぉ」


「待たない!」


「えぇ……」


 そんなジルをいつまでも待たせるわけにもいかず、相変わらず視線を合わせないでカザリは一人で浴室へ向かってしまう。折角待ってくれてたジルを置いていこうとするあたり酷い話だ。

 スライド式の扉を開ければ、もわっとした暖かい蒸気が顔を撫でた。

 なかなか広い浴室である。入って直ぐの壁際にある身体を洗う場所に座ると、カザリは黙々と身体を流し出した。

 寝ていたとはいえ、一週間ぶりの風呂であり、異世界初の風呂だ。シャワーから流れ出て肌を撫でるお湯がやけに気持ち良く感じられた。

 そんなカザリの様子を見ながら、ジルが隣に座って来る。そして、身体を流すカザリの方を覗き込んできた。


「こっちの茶色い入れ物が髪を洗う石鹸ね」


「んひゃいっ!」


「桃色の方は身体を洗う石鹸だよ」


「んひゃいっ!」


「……ねぇどうしたの?」


 全然視線を合わせてくれないカザリに痺れを切らしたか、ジルはカザリの顔を覗き込むように狭いスペースに入って来た。

 カザリも人の事は言えないが、ジルはジルでやたらと距離感の近い女である。真っ赤な顔を覗き込まれて、カザリは更に赤くなった。


「え、顔真っ赤だよ?大丈夫?もうのぼせた?」


「……ジルちゃんにのぼせそう」


「ぇえ!?」


 突然訳のわからないことを言われてあたふたするジル。そんな姿が可愛くて、カザリはぷっと吹き出した。


「ぷっ!くくくくくく!」


「も、もぅ!笑わないでよ!」


「ごめんごめん、ジルちゃんが滅茶苦茶綺麗だったから、なんか直視するの恥ずかしくて。ーー本当に可愛いだもん」


「っ!?」


 そんな事を言われれば、顔を染めるのは今度はジルのターンだ。首まで真っ赤に染めて恥ずかしそうに声を押し殺して叫ぶ。


「からかわないでよぉ!」


「からかってないよ?」


「うっ!も、もぉ!」


「でへへ、可愛い奴め」


「わ、きゃあ!?」


 そう言って、カザリは持っていたシャワーでジルの髪を流し始めた。それに驚きつつも、ジルはにこにこと楽しそうだ。そして、お返しとでも言うように、自分のシャワーからもお湯を出してカザリの顔面にお見舞いする。


「くらえ!」


「わっぷ!?……やったな〜?」


 まるで小学生のようなお湯の掛け合いっこだった。湯船に浸かっていた数人の利用客が、そんな二人を眺めて仲の良い姉妹だなと顔が綻ぶ。この二人、良い意味で今日話したばかりの関係ではないところまで繋がっていた。


「ふふ、背中流してあげる」


「あはは、お願いしまーす!」


 ひとしきりお湯をぶちまけ合って満足したか、髪を洗い終えるとジルがスポンジを持ってカザリの背中に陣取った。

 最早気恥ずかしさなど無くなったカザリは、ジルの厚意に甘えて身を委ねる。本当に仲の良い姉妹のようである。


「明日は武器選びに行こっか?」


「うん、ジルちゃんと同じにするー」


「私と?……ロングソード?」


「それにするー」


 勿論カザリに大した考えなんてない。これまで武道を学んだ事は一度もないし、得意な武器なんてある訳もない。どうせどれを始めるにも零からのスタートだ。

 ならば師匠となるジルが扱っている武器にするのが無難だろう。何たって禁地の探索を許可される程のAランク冒険者が愛用しているのだ。勿論使い手にもよるのだろうが、逆に言えば使い手がそれなりになれば禁地でも通用する武器という事である。

 加えて、師匠と同じと言う事は、師匠が教えやすいと言うことにもなるし、弟子も疑問点をぶつけやすい。お互いwin win の最適解だと感じたのだ。


「ーーふふ、厳しいぞぉ?」


 そんな意図を察してカザリの気遣いに微笑むジルは、背中を撫でながら脅すような言葉を耳元で囁いた。


「お、お手柔らかにお願いします……」


「どうしよっかなー」


「ぇえ〜!?」


 その後、お互いに洗いっこをして、肩まで湯船に浸かってさっぱりとしたカザリとジルは、髪を乾かし、牛乳のような飲み物で喉を潤して宿へと帰って行った。

 一週間ぶりにして異世界初のお風呂は、暖かくて良い匂いがして柔らかかったとカザリの記憶に一生残るのだったーー。






 所変わって青空亭の304号室。半日とは言え、異世界に来て初めて文明圏で生活をしたカザリは、流石に疲れ切ってしまったのかベッドの上でぐっすりとーー


「眠れるかぁぁぁああああ!!??」


 眠れていなかった。がばっと被っていた布団ごと上半身を起こすと、ギンギンに覚めた目を見開いて布団のしわに視線を落とす。

 既に灯魔石の光は消しており、部屋にはカーテンの隙間から差す月明かりしかない。

 この状態のまま30分くらい眠れていないカザリは、暗闇に目が慣れてある程度部屋の中が見渡せた。布団のしわだって鮮明に数えられてしまう。


「何で普通に馴染んでいるんだ私……!?おかしいだろ……っ!」


 勿論カザリは、暗い経歴があるため、元いた世界になんて未練は無かった。寧ろ、兼ねてより望んでいた何のしがらみもない世界に来れたのなら、両手を挙げて喜びたい所だ。

 だが、あまりにも突飛過ぎて何の心の準備も出来ていないし、そもそも何でこんな事になっているのかがカケラもわからない。

 勇者として召喚されたーーというには、この世界への転移の仕方があまりにもお粗末な気がするし、死んでしまったが記憶を保ったまま転生したーーというには、あまりにも身体がそのまま過ぎる。

 カザリは、好きな系統だけを嗜む一途なオタクではなく、あらゆるジャンルに手を出す雑食オタクだ。それなりに異世界ファンタジー分野に関するラノベや漫画、アニメなどは見てきたつもりだったが、カザリが置かれた状況はそれらの様な展開とはまるで異なっていた。


「ステータスオープン……!……なーんも起こらんなぁ!?」


 ゲームの世界に入り込んでしまったーーのパターンも試したが、レベルもステータスも一向に表示されそうにはない。恐らくスキルやジョブなんてものも無いのだろう。

 辛うじて人が存在する世界であった事だけが唯一の救いであったが、一体全体カザリには何を求められているのかがわからなかった。


「……物事の発生には、必ず原因と理由がある。何も無しに人が世界を渡るだなんて有り得ない。それならまだ、今から5秒後に世界が滅びると言われた方が信じれる。必ず何か理由はあるはずだよね。それこそ運命の悪戯なんてふざけた言葉で片付けられる程、私はロマンチストじゃ無いもん」


 何度も考えて、考えても仕方ないと手放して来た疑問だが、やはり捨て切れない。自分は一体何のために此処にいて、何を成す事を求められているのか。何故自分であったのか、此処はどう言ったポジションにある世界なのか。

 どれだけ考えても答えの一端も見えてはこない。ただ一つだけ言える事は、この考えから逃げ出す事だけはダメだという事だ。この世界でカザリは、確実に異端(・・)である。この世界にいる限りその事実からは抜け出せないし、その事を忘れずに生きていくしか無いのだ。


「取り敢えず、何を成すにも生きていかなくちゃいけないのは絶対だ。そして、それなりの力だって必要になる。ジルちゃんに鍛えてもらって、冒険者としての基盤を作るまでは走り続けるしか無い、かな」


 現時点で唯一心に引っかかるのは、幻魔の箱庭で見た剣である。黒衣の女は、カザリがアレを手にするのを焦ったように語っていた。何故その娘を選ぶのだ、と。

 剣が人を選ぶとは何事だと問いただしたかったが、生憎黒衣の女は会話の成り立つ人種では無かった。しかし、黒衣の女の言葉を信じるなら、何とも不思議で神秘的な剣にカザリは選ばれたのだ。

 残念ながら黒衣の女から逃げる途中で取り落として来てしまったのだが、もしかしたらカザリがこの世界に来た理由を知る手掛かりとなるかもしれない。


「そしてランクアップしまくって探しに行こう。私のやるべき事、私がやらなきゃいけない事」


 何で自分がやらなければいけないのだという被害者的思考は既にカザリには無い。だって、異世界に来れた事自体には、感謝しているのだから。

 誰かがカザリを頼って異世界に呼んだ事ですら、カザリにとっては”哀れな女を鳥籠の中から連れ出してくれた”というプラス的解釈になっている。それならば、次は自分が何かをしてあげる番であるという気持ちと共に。


「この世界で、生きていくんだ……」


 元いた世界が脳裏にチラつく。あの世界での未練といえば、結衣の存在だけが引っかかった。

 だが、結衣にとってもカザリがいない方が未来は広がる筈である。だからと言って、直ぐ様すっぱりと切り捨ててこの世界一本に絞れる程、カザリの心はコンピューターの様には出来ていないのだが。

 迷いながらも歩いて行くしかない。それはそれで楽しそうではあるなと、カザリは口角をあげてベッドから降りた。

 部屋の鍵を手に持つと、廊下に出て鍵を閉める。そして、隣の部屋のドアをノックした。

 長い間の後に、気の抜けた声と共にジルが顔を出す。恐らく既に眠っていたのだろう。カザリは、申し訳ない気持ちになりつつも、自分なんかの面倒をみてくれる優しい冒険者に微笑んだ。


「んぅ……こんな時間にどうしたのぉ?」


「寝てたよね、ごめんねジルちゃん」


「んーん、大丈夫よ」


 魅惑的なネグリジェ一枚だけを身に纏い、それを隠すように毛布を羽織っている。そんなジルの無防備な姿を見て、「えっちだ」とカザリは心の中で呟いた。


「ねぇ、ジルちゃん。その……一緒に寝ても良い?」


「……眠れないの?」


「うん……」


「ふふ、おいで」


「お邪魔します」


 ジルに続いて部屋に入ると、ジルは鍵を閉めて一直線にベッドに向かっていった。

 夜型のカザリからすれば全然平気なのだが、恐らくジルは健康的な生活習慣を守っているのだろう。物凄く眠そうである。

 そんなジルは、ベッドに横になるとそのまま布団を持ち上げてカザリを招いて来る。カザリは、ジルに甘えるように布団に潜ってジルと向き合った。


「でへへ、あったかい」


「さっきまで寝てたもん」


「ふふ、お邪魔してごめんなさい」


「いーよ」


 こうしてカザリの相手をしてくれているが、ジルの瞼は半分が閉じかかっている。

 本当に悪いことをしたなと、流石にカザリも心を痛めた。


「……記憶がないのにあんなに元気に振舞ってさ、私だったら真似出来ないなって思った」


「え?」


 眠そうに目を細めるジルが何事かを言い始める。

 今日半日カザリの事をずっと見て来た。記憶がないのにずっと笑顔を絶やさなくて、周りにまで笑顔を伝播させていく不思議な魅力を持った少女だとジルは思っていた。

 それと同時に強いなとも思っていたのだ。記憶がないのにあれだけ気丈に振る舞う事が出来る人間は、そうはいないだろう。ジルは、今日の中でカザリの事を強い人間だと認識する様になっていた。


「そりゃ何も頼れるものがないんだもん、寂しいよね?」


「う、うん……」


「早く思い出して、帰れると良いね?」


「……」


 カザリは、実際には記憶喪失ではない。家族がいなくなってからはずっと一人だったし、寂しさだって大して感じてはいなかった。

 でも、不安ではないのかと問われると、自信を持って首を縦に振る事は出来なかっただろう。

 見知らぬ地、見知らぬ人々。これまでの常識は通じないしこれからの先を想像する事だって出来ない。

 意味合いは少し違ったが、ジルの優しさはカザリの心の中にすっと染み渡っていった。


「今は私が側にいてあげるからね……おやすみ」


「……ありがとうジルちゃん」


 ぽんぽんと頭を叩いてくれたジルは、それだけ言うとやがて規則的な寝息を立てて夢の世界へと旅立って行った。そんなジルの寝顔を見つめながら、カザリはジルについて考える。

 聖人様もびっくりな程気の良い少女だ。もしもカザリが逆の立場だったとして、大瀑布からの救出はするだろうがその後の面倒を見るかと問われれば正直怪しい。

 この部屋で目が覚めた時、ジルと一悶着した言葉の中には、何かに裏切られて道を見失ったような事が連想できるものが散りばめられていた。カザリとはまた違った世界の残酷さを知る人種のジルは、一体どんな景色を見ているのだろうか。

 カザリは、人の優しさと冷たさの両面を知っている。絶望に沈んだ時、手を差し伸べた結衣と、虐めに回った有象無象が最たる例だ。

 一方、ジルは人の光しか知らなかった様に思える。そんな理想的なものしか見てこなかったからこそ、闇を知った時に代償として何も信じれなくなったのではないのだろうか。

 どれだけ想像しても、所詮は出会って半日の相手だ。その過去なんて分かりようもない。これから知っていって何か助けてあげられたら、少しは今日のお礼が出来るかなとカザリは目標を一つ掲げたのだった。

 そんな時、ふとジルの目元がきらきらと月明かりを反射しているのが見えた。


「私の、せいで……」


「ぇ?ジルちゃん……泣いてるの……?」


 それは、確かに涙であった。美しい頬を伝っていく悲しみの証が枕を濡らす。その辛そうな顔が、堪らなくカザリの心をキュッと締め付けた。


「……貴女に何があったのかなんて私には分からない。でも、泣かないで。今は、私が側にいるから」


 目元の涙を指で掬うと、ジルがしてくれたのと同じ様にカザリもまたぽんぽんとジルの頭を叩いてあげた。

 すると、途端にジルは安心した様な表情に戻って、静かな寝息を立て始める。

 そんな顔を眺めてカザリもまた瞼を閉じた。ジルが泣いている姿が、何処かで見た景色に良く似ている気がしたーー。






「あ、れ……?」


 窓から漏れる光に目を覚ますと、何かにがっちりとキメられて身体が上手く動かなかった。その場で首を巡らせて視線を動かせば、隣ですやすやと気持ち良さそうな寝息を立てるカザリが目に入る。

 そして、カザリの腕と脚がジルの事をしっかりとホールドしていたのだ。その光景に思わず苦笑いのジルは、身体から力を抜いて天井を見上げた。

 カザリにホールドされてはいるのだが、なんだか身体がやたらと軽い気がする。こんなにぐっすりと眠れたのは、一体いつ以来だろうか。


「ほんと、不思議な娘……」


 カザリの気持ち良さそうな寝顔を見て、頬っぺたをつんつんとつついてみた。

 それに対してまにまにと口元を動かすカザリは、まるで赤ちゃんの様である。

 これはカザリが起きるまで動けないや、とジルは満更でもない表情でカザリの寝顔を見つめるのだったーー。




今回は割と楽しく書けました!誤字脱字、不適切表現、意味間違いなどありましたら都度指摘をお願いします。感想もあれば是非!

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