色んな感想、全てに返信をして感じた事。
今年はこれまで色々とエッセイを書いて様々な感想を頂いてきました、そこで感じた総論として書きたいと思います。
先ず言いたい、なろうの累計ランキングってそもそもテンプレじゃないよ、自身が色眼鏡を外し物語を読み当時のなろうを理解すれば、作品が出た時は確かに新しく独自の世界観を作った作品が多くあるのです。
彼らは正しく『なろうテンプレの骨格』を成す名作秀作の集まりといえるでしょう、彼らはテンプレ等では決してはないし、作者が描きたい世界の片鱗がそこかしこに散らばっており、そのトップ作品をテンプレ作だと貶める方が多いのが残念な印象で、テンプレとはその名作秀作の二匹目のドジョウを狙う後追いしている方なのです。
私の考えるなろうテンプレ源泉は昔のネット小説、所謂『最低系』と呼ばれる所で、作者が自らの欲望を全開にして他人の描いた物語に自らの分身を送り込み、作品世界をメチャクチャにして最強の自分を投影して、自身で考えた世界観もなく、ただ他人の考えた世界を壊すだけの積み木を崩して自身の欲望を満たそうとする下衆で幼稚な遊びです。
個人としての好き嫌いはともかく低俗も高尚も文化の両輪であると考えていますし、ラノベ作家になりたいのであれば、読者の欲望を煽るテンプレやチートを戦略として使う方を責める気は無いですし、場合によってしつこくネット宣伝したりする事も必要なのだと思います。
あえて勘違いを避けるため言いますが模倣も大事であるのは否定していません、自身もここに来てここで自分の思う作品を皆さんに読んで貰う為、なろうに合わせた書き方や物語の作り方していますから模倣といえる事をしています。
私が好きなモノをそのまま書いても理屈っぽくて、そもそも小説の体をなさないのは目に見えており、ここで私が体験した事をドキュメンタリー的な作品にして書いても、結果としては粘着されるのがオチで、そういう一部の読者様から私がテンプレチート絶対許さないマンであると大きく勘違いされている部分も見受けられます。
読みやすいよう作者は自身の感情の動きを客観視し書き連ねるのは文章の手法なのですが、それを知らぬのか理解できない方は私が剥き出しの意見を述べていると考えます。
このエッセイも書いてから長い間寝かせ、自身を客観視出来ているか言いたい事がきちんと書けているか、扱った内容は正しいか出来る範囲で何度も調べた上で書いています。
やはりどんなに知能があろうと我々は所詮は感情の生物で、客観視しているつもりでも感情が篭った文章を書いていたりしますから、やはり時間というのは作品にとっては大事なのです。
作品とは人の心を動かすために存在しているのですから、作品へ向けての感想に感情が介在するのはいいのです。
でも剥き出しにすると伝えたいことが伝わらない場合もあるので、だれか大切な人に贈り物をするのと同じ様に丁寧な言葉で綺麗にラッピングして送る方が素晴らしいのではないかと思います。
そして私が語るアンチテンプレとはなろうの否定ではなく、安易に欲望を煽るような事はしたくない、インスタントではない自分なりの世界観を出したい、異世界ファンタジーなら見たこともないような事があっても良い、時として我々の知る物理法則では語れない超常の非科学的な事さえ起こって欲しいそう思っているだけなのです。
何故そう考えるのかを申し上げますと、違う世界には違う法則があって然りだと感じているからです、量子力学でも多元宇宙論を語ったり、この世界はホログラムであると語られるような時代です。
私の知らない様々な宇宙がそれこそ無限にあり、そこには我々が暮らす世界とは全く違う物理法則があると私は考えているし、だとしたら何故で異世界であるのに、どうしてわざわざ地球の延長線のような自縛をせねばならないと考えて、違う世界というのであれば地球の知識など役に立たない不思議な現象が起こって欲しい、それを皆様と共有してみたいと考えているのです。
千メートルを超えるような大樹があっても良い、何もない空中に炎が湧き上がってもいい、水中で呼吸してもいいし、単身で宙へ飛んでもいい、そのできる理由を下手に科学に拘らずにもっともらしく語ればいい、神様の与えてくれた物でもいいし、よくわからない古代人の残した遺跡、外宇宙から来た高次元生命体の残滓でもいいんです。
おっさん工業で色々と言われることもありましたが、知識チートがやりたいのでしたら地球と同じ物理法則で自縛されてしまうので、その場合は該当知識の勉強は必要で地球と同じ法則なのですから設定の穴は容易に見つかりやすい、だから上手く誤魔化して欲しいと言ってるだけなんですよ。
空想だからと適当でいいと仰る人も居るでしょうが、クソ真面目に量子学や物理学の観点から言えば、魔力などという新しいエネルギーが存在すると、我々の知る物理法則は完全に破綻します。
仮に魔力というエネルギーを生物が使えるのであれば、エネルギーを発生させる在り方、エネルギーの源泉はどこにあるのか考えなければならないのです。
そうなると世界を構築する素粒子や超弦理論で言うところの振動する弦の有り様も変わりますし、この世界を構築する重力・電磁力・強い力・弱い力の4つ以外に新たな力『魔法の力』があると、世界を構築する次元の有り様すらも変わってしまうのです。
なので転移の場合ならこちらから完成品を簡単に取り寄せたりする方がスマートだと考えますし、迷い込み以外の転移と転生の場合、その世界を構築する素粒子の持つ性質が正負反対のである可能性を真っ先に考えるべきだと思うのです。
知識チートというのが我々知るの物理法則で自縛されるのが故に異世界では脆弱で、科学的でも知識的でないかを自証し矛盾に囚われてしまい、だからこそ成り立たないとまで言いませんが安易にすれば簡単に破綻する、はっきり言って地球の知識なんて主人公の常識やバックボーンを語る程度、魔法があるなら大して役に立たないんですよね。
なろうは素人小説だから色々調べたりしっかりと取材する方は少ないのでしょうが、ネットである以上は下手に語れば火傷しますから警鐘を鳴らしてきたけどあまり効果なかったのかなぁと感じます。
なろうを匿名掲示板くらいに勘違いしてる人も居ますし、自分の正義が正しい勘違いしてる痛い子が感情論のオンパレードでガンガン書きまくりますし、気の弱い子は発狂するんじゃない?って位場合によって攻撃が有りますからね。
特に優しい世界やスローライフを願う層が攻撃してくるのが闇が深いなぁと感じる瞬間で、すごーい君は攻撃的なお友達なんだね―て気分にもなりますし、きっと普段自身が攻撃を受けていると思い込んでいるから他人に凶暴性を出すのだろうと推測しています。
どうしてこれだけ分かってて、炎上に巻き込まれるなどの面倒な事があったのにこんなエッセイで書いているかといえば、ここには違う道があるよと悩んでいる方に勧めたいだけなのです。
このエッセイは特定の層へ指向性が決まった文章であり、テンプレ妄想の延長線でなく、自身が描きたい違う世界を自分なりに愉しもうと言って、チートという言葉は見る者が変わると見え方が違うアンチテンプレチートの方も見たいという方に向けて小説を書いてみませんか?とおすすめしているだけなのです。
勿論テンプレチート好きの視点から見れば拙作を読むに堪えない駄作になるでしょうが、そういう方はそもそも私の読者の範疇に入っていなんですよ。
このなろうの一番多いであろう層をバッサリと切り捨てていますので、この点から私は商業などへの意欲はまったくありません、なろうで商業を狙う受け重視の日常の延長線にあるテンプレ作品と基本からコンセプトが全く違うのです。
テンプレチートを読めない事は感受性の死ではなく、その先にある感受性の成長や変化、寧ろテンプレチートしか読めない事の方が感受性の死であるとさえ言えると感じます。
実際このなろうでは読者さんは精神的に大人で余裕のある方が多いと私は思っています、でなければ拙作のような素人丸出しの作品を、ここまで我慢強く読んで下さる方がこんなにも多く居るからです。
私も幼い頃は万能のヒーローに憧れ、大人になりそれは幻想だと目を背け、安易にチートのように楽して稼げるのが幸せじゃないかと思う時もあり、だからこそ楽な夢を見させるテンプレチートにも価値があるとは思いますが、それだけではいけないのではないか?そう考えているのです。
私自身が様々な国や地域の人に出会って、時に一緒に働いて食事を共にしたり、時に別れに涙を流してきた事を振り返ると人というのは出会いで変わると感じています。
ならばなろうにもそれは必要で、物語との付き合い方も一緒で出会う時、出会い方で人の心と言うのは変わって来るのでは無いかと感じているのです。
こういった作品を並べることによって、なろうを見てテンプレチートしか無いと思った人が私や他のアンチ、それ以外の作品を目にして「ああ、結構色々あるんだね」と、なろうへの色眼鏡を外す切っ掛けになれば良いなと思っています。
残念な事にトップのランキングのタイトルだけ見てから日刊ランキングを見ると、タイトルで拒否反応を出す層が確実に存在するでしょう。
反対に私の作品をアンチと聞いただけで読まずに悪しざまに叩く方が居るのも同様で、これが主観で生きる人間全ての限界かもしれません。
それでも世界には、流行っているモノや新しいものが常に良いとは限らず、流行っていない古いものが良い場合だってあるのです。
航空宇宙分野は枯れた技術を良く使うし時には数十年前の生産設備を使います、私が過去に関わった国際宇宙ステーションの部品でも、その工程には昔から有るようなハンドツールを使い手作業で作り上げました。
要はその時その人に合うものが必要で、だから私の物語が必要になる方が居ると思い書き始めて、今も必要だと感じる方がいると思えるから書き続けています。
こうしてなろうには紛れもなく宣伝すらしていない素人小説を求めてくださる方が居る、もしこの事実を納得出来ないと貴方が叫んで私を否定しようと、事実としてここにあるのです。
だからこそ他の方にも「こういうのも楽しいよ?」と言っているだけで、やりたいけど怖がっている方が居るなら一緒にやりませんかと声を掛け、その為に何が必要で何をすればいいか考えた結果を書いて共感して下さる方に届けているのです。
それを責める貴方に問いたい、私の何が駄目だと貴方は言える?私の他者の自由と自分の自由を平等に考える考え方か?それとも存在自体が気に入らない?貴方は一体何を持って他人に礼儀の欠片もない暴言を吐く権利を自分が有していると思い立ったのか、もし明確な答えを持っているなら答えて欲しい、それを正しい事だと信じている理由を教えて下さい。
そういう方は読解能力も感想を纏める力もないと感じる長文を書かれますから、それをきちんと読み解くには本当に苦労します。
殆ど、何がいいたいのかまったくもって理解が出来ない文章で、ただ文句を言いたいだけなのだろうなと感じる物が多いのです。
礼儀の無い感想、暴言を書いた貴方自身がテンプレ、ひいてはなろうを嫌う人をより嫌いにさせたり、自身が面白いと思っている作者や作品を後ろから刺さして居ないか、それを良く考えて書いてみて欲しいのです。
私の文章をつまらないと思ったら面白く無いと言ってもいい、私が自身の意見を言うのと同じ様に無視する権利は貴方はもっているんです。
ですが感想欄で口汚い言葉を書く貴方の文章を見た時、私はその文章の中に心が荒んだ可哀想な人が見えてきて、その固く握った拳では握手もできないし、胸の中にある思いを伝える事が出来ずに貴方の悪意以外が何も伝わりませんとお返しするしかなくなるのです。
感想は人間性を映す鏡で自身の攻撃がそのまま自身へ返って来た時、貴方が痛くないのかが心配になり
、そういった方々も正しい感想を書ける読者や作者になって欲しいと感じました。
貴方自身が暴言を吐くのを止めて、自らが他者に働きかけるような建設的な行動を取った時、もしかすると違う世界が見えてくるかもしれませんよ?
この文章を書きながら、ここに来る切っ掛けになったリアルで噛み付かれた子も含めてそういう暴言を吐いてる方は、実は全員ツンデレの寂しがり屋だったんじゃないかと振り返って感じます。
それなら寧ろ構って欲しかっただけなので窘めるだけでなく、必死に私の気を引こうとする駄々っ子の頭を大人として優しく撫でてあげれば良かったのかもしれません。
なろうの感想欄には寂しんいんだろうと感じる文章が多くあります、今なろうには隣人を愛する心が足らないのかもしれません、私はそんな事を今年のなろうでの活動を振り返って考えています。