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池へむかった桜子たちは、木橋を通って小さな中島に渡った。松が三本、低いながらも枝をよこに伸ばし、それに絡まりついて藤の花が咲きこぼれている。薄紫の淡い色と、芳醇な甘い匂いを、桜子たちは堪能した。
桜子は、地面近くまでたれさがっている花房に手を触れた。そして、悠斗と速仁にそれぞれ耳打ちした。
速仁はうなずくや、勢いこんで懐剣を抜き、その花房をスパッと切りとった。そして、それを夕霧に差しだした。
悠斗も、リュックサックからサバイバルナイフを取りだし、おなじように一房を切った。
「夕霧さん、ありがとうございました。頭中将さんへ口添えしてもらったおかげで、物語を読むには友だちが大切だということに、確信が持てました。これからも、おれの話し相手になってください。そして、源氏物語の新帖につながる最後の品を探しだすのに、力を貸してください」
悠斗からも藤の花を受けとった夕霧は、顔を輝かせた。
『はい、もちろんです。第五の品は六条御息所さまがお持ちなのでしょう』
そして、桜子に聞こえないように小声で、ふたたび悠斗にむかって言葉をついだ。
『ですから、つぎも父上をぬきにして……』
悠斗と夕霧は、顔を見あわせ、おなじように口もとをゆるめた。
と、そのとき、桜子のよこに、壮年の男がとつぜん虚空から現れた。
『父上?! ……』
夕霧は二の句がつげなかった。
光源氏が優雅な物腰で桜子に辞儀をすると、桜子は、ホッとした顔であいさつを返した。そして、
「おばあちゃまから分けていただいた力を、うしなってしまったのかと不安だったのです。それでいま、光る君さまに来ていただきたいと、あらためて念じました。よかった……」
と、悠斗たちに事情を説明した。
光源氏は、
『さて、第四の品を探しにまいろう』と、
悠斗と夕霧に声をかけた。そして、速仁の存在にいましがた気づいたかのように、
『オッ、少年もおるのだな……』
と、からかい顔をむけた。
速仁はムスッとし、
「だれかさんが来ないあいだに、おれたち四人で、だいじな品をとっくに手に入れたぞ!」
と言いかえした。
『うん!? どういうことだ?』
いぶかしげな表情を浮かべる光源氏に、夕霧は、吉田神社から頭中将のこの屋敷にいたるまでのできごとを伝えた。
『絵合せについてご相談しようと、孫姫さまが父上をお呼びしたのですよ。なぜすぐにお越しにならなかったのですか!』
詰問口調の夕霧に、光源氏は、
『い、いや……。そのようなことがあったとは、まったく知らなんだ……』と、
肩をすくめるばかりだ。
「わたしのお願いのしかたが悪かったのだと思います。ですから……」
桜子は、夕霧と光源氏がいつものように口げんかを始めるのではないかと、気が気でなかった。
――おふたりには、もう物語のなかへもどっていただきましょうか……、
と、桜子は、もの問いたげな目差しを悠斗にむけた。
悠斗は、すぐにうなずき返した
桜子は、夕霧と光源氏にむかって、
「ありがとうございました。おふたりが仲良くされている〈藤裏葉〉の帖へ、おもどりください」
と、早口で告げた。
『エ、エッ!? 来たばかりだというのに……』
落胆する光源氏をしりめに、夕霧は、藤の花房をふたつ抱えなおして、現れたときの光源氏とソックリそのままの優雅さで頭をたれた。
体が透けだした光源氏は、気を取りなおし、桜子にほほえみを送った。
『つぎはかならず、つよく念じて、わたしを呼んでくださいよ』
桜子が笑みを返したとき、夕霧が、
『つぎは、六条御息所さまにお目にかかる予定です。それでよろしければ……、クッ』と、
笑い声をこらえて光源氏に伝えた。
しかめっ面になった光源氏と、笑い顔の夕霧が、桜子たち三人の目のまえから消えていった。
そのとたん、まわりの景色がもとの世界にもどった。三人は、大きな池に浮かぶ島に立っていた。藤の花はなく、よく手入れされた木々が、濃い緑の枝をひろげていた。




