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桜人 ―― 源氏異聞  作者: 塔真 光
第2章 幼なじみ
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2-2

 東宮御所での暮らしが肌にあわない速仁は、物心がつきはじめる三歳のころから、桜子がうらやましくてならなかった。桜子は母の賢子に連れられ、実家の紫式部邸にしばしば里下がりするのだ。ところが速仁には、東宮御所から連れ出してくれる母がいない。母方の祖父は藤原道長だが、生まれてすぐに母を亡くしていた速仁には、道長の屋敷が実家だとは感じられなかった。速仁にとっては、乳母の賢子が里下がりする式部の屋敷こそが、自分の実家に思えるのだった。

 速仁は五歳で〈着袴(ちゃっこ)の儀〉をすませると、父の東宮に頼みこみ、年に一、二回ほど、桜子たちの里下がりに便乗して式部邸に滞在するようになった。そして、そこはいつも居心地がよかった。親身になって世話をやいてくれる式部を、すぐに親仁は、したしげに「式部ばあちゃん!」とよびかけるようになったのだった。

 桜子の顔面に鞠を直撃させるという大失態を演じた十日後のこと、速仁は八度目になる式部邸での逗留を楽しんでいた。


 式部は、この冬に髪を下ろし尼姿になっていた。だがその部屋は昔どおり、桜子と速仁にとって、不思議な物がいっぱいある遊び場だ。

 速仁が里下がりでやってくるようになったころから、桜子が絵を上手に描くことに気づいた式部は、物語世界から身のまわりの物をよびよせ、それをふたりに見せながら源氏の物語を語り聞かせてきたのだった。夕顔の花をのせた白い扇、五葉の松とウグイスの作り物、遠くにいても薫ってくる名香〈百歩(ひゃくぶ)〉、……。紫の上が愛用する(そう)を、式部がふたりに()き聞かせることもあった。桜子がそうした品々を絵に描き、速仁がその上手さに舌をまく、そんな日々がつづいてきた。

 だが式部の部屋は、桜子と速仁にとって、東宮御所の延長線上の、口げんかの場でもあった。今日も、――


 トタトタトタ

 桜子が、ようやく肩まで伸びた髪を、広げた扇のようにユサユサさせながら、板敷きの簀子縁を踏み鳴らして式部の部屋にかけこもうとしていた。泣き顔で、目もとが赤い。

 部屋にひとりこもって持仏に花を供えようとしていた式部は、簀子縁からの足音だけで桜子だとわかり、笑顔で待ちかまえた。

「どうしたのですか? まさか、スズメの子が逃げたわけではないでしょ、ほほほ」

「えっ!? どうして知ってるの?、おばあちゃま」

「まぁぁ、驚いた。ほほほ」

「ねぇ、どうしておかしいの?」

「それはね……」

と、式部が説明しようとしたとき、速仁も走りこんできた。

「わざとじゃないからな!」

 速仁も半泣きだった。

「若宮さまも、ようお越しで。とり散らかしていますが、どうぞこちらにお座りください。ちい姫もそこにね」

 ふたりをならんで座らせた式部は、ふくれ面のその幼げな顔をこうごに見て楽しげだった。

「どうされたのですか?」

「あのね!」

 桜子と速仁の口から同時に大きな声があがった。

 息があったそのさまに、式部の顔がますますほころんだ。

「若宮さまから、どうぞ先にお話しくださいませ」

 いつものように後まわしにされた桜子は、不満顔で速仁をにらみつけ、速仁は、桜子の目に怖じ気づきながら、たどたどしく説明をはじめた。

「あのね、ぼく、けまりのれんしゅうをしてたの。〈うしろげり〉だよ。でも、桜ちゃんがきゅうにうしろに来たから、当てちゃいけないと思って、けるむきをかえたの。それで、まりがね、伏せごに当たって、なかにいたハトの子どもが」

 すると、速仁が言いおわらないうちに、桜子が口出しをした。

「スズメです! 白くても、あれはスズメだったの!」

「えっ、スズメだったの!? そ、それで、そのスズメがとんでにげちゃった……」

 そこで話を終えて黙りこんだ速仁に、桜子はにらみつけながら言った。

「まだつづきがあるでしょ!」


 速仁はバツが悪そうにうつむき、ふたたび口を開いた。

「そ、それで、ごめんってあやまったのに、桜ちゃんがぼくのことバカバカって言うから、まりをじめんに投げつけたら、はねて、……桜ちゃんのかおに当たった」

 すまなさそうに速仁は横目で桜子を見たが、桜子はまだふくれ面で、目を合わせないようにしながら、ポツリとつぶやいた。

「スズメなのに白くて、それに目が金色で、かわいかったのに……」

「……ごめん」


 ふたりの話を聞きおえた式部は、桜子に、顔をしげしげと見ながらたずねた。

「怪我はなかったようですね。痛かったの?」

「痛くはなかったけれど……、また、びっくりしたから」

「また?」

 おうむ返しの式部の問いに、桜子は無言でうつむき出した。

 式部は、そんな桜子の髪をなでながら言葉をつづけた。

「おばあちゃんの知らないことが、おふたりのあいだにはたくさんあるようですね。楽しそう」

「楽しくなんてない!」

 桜子は不服そうな顔をあげながらそう小さく叫ぶと、訴えるような声で言葉をついだ。

「宮ちゃんといると、いっつも変なことになる。スズメの子だって、きっといまは寂しがっているよ」

 桜子は逃げたスズメのことを思い、体を曲げて庭に目をやった。

 すると、その目の先には、……


「スズメの子がかわいそうだ。大きな鳥に見つかったら、きっといじめられるよ。あそこに変な鳥もいるし……。ねぇねぇ、おばあちゃまがだいじにしている松にとまっているよ。悪い鳥!」

 桜子が指さした先には、築山に植わっている小さな松の枝から、屋敷のなかをうかがっている白い鳥がいた。目は赤まじりの金色だ。

 指さされた鳥は、枝を離れ、満開の桜の下を流れる遣り(やりみず)のなかに脚を置いた。だが、あいかわらず屋敷のなかをうかがっている。


「あれはコサギだからスズメをいじめたりしませんよ。それに、スズメの子は羽ばたいて逃げたのでしょ。もう大きくなっていたのだから、だいじょうぶ。安心なさい」

 式部がそう説明しても、桜子はまだ不安顔だった。

「ねぇ、宮ちゃん、あの鳥、目つきが変だよね。ずっとこっちを見てるよ」

「んっ!? ほんとだ……。あの目、まぬけそうだね」

 さきほどまで大げんかをしていた桜子と速仁は、なにごともなかったかのように、肩をよせあい鳥をみつめはじめた。

 やがて速仁が、両手を翼のようにパタパタさせ、

「おーい、とりさーん、こっちだよぉぉ」

と、声をはりあげた。

 だがシラサギは、身動きひとつしない。ただその目だけが、軽侮の色をやどしながら、ますます赤くなっていった。

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