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道満が高度一万メートルの上空を飛び、速仁が十六夜の月を見あげているとき、高田は、出町柳にある銀杏コーポレイション京都営業所で、地元新聞の夕刊をのんびりと読んでいた。営業時間はとっくにすぎているが、まだ外まわりしている三田の帰りを待っているのだった。
先週末に三田と高田は、鞍馬の温泉宿をひきはらい、営業所近くのマンションに引っ越していた。2LDKを賃借し、ルームシェアをしている。三田が選んだその住居は、鴨川を見下ろす最上階にあり、ベランダも広い。
家事一切は高田の担当だ。温泉も近くにない。それでも高田は満足していた。温泉宿に泊まっていたとき以上に、夜になると三田から、交渉術や人心掌握術など、仕事上のさまざまアドバイスをもらえたのだ。高田にとっては、目からウロコの話ばかりだった。そのうえ、三田が読書家なのにも驚かされた。医療・医薬関係の本はもちろん、国際関係や歴史書、経済書など、三田は幅広く読んでいた。外国語の勉強にも余念がなかった。事業の国際展開を視野に入れているということだった。
高田は、今夜も三田からなにかを教わることを、心待ちにしていた。多数の新聞に目をとおすようになったのも、三田からの影響だった。
高田がいま読んでいる地元新聞には、前日に晴明神社で発生した事件が報じられていた。安倍晴明の座像がバラバラに壊れた。だが、原因は不明だ。さらに奇妙なことに、神職が今朝早くに境内を見まわると、像はもとどおりになっていた。夜のあいだにだれが修復したのか、それもまったくわからない。〈この不可解な事件が口コミで伝わり、参拝客が押しよせている〉、と記事は結ばれていた。
高田は、ビジネスカバンのポケットから晴明神社の御守りを取りだし、手のひらに置いた。
――やっぱり、ご利益がありそう……、
と思ったとき、三田がドアを開けてもどってきた。
高田は御守りを握ったまま立ちあがると、開口一番、
「先輩も、晴明神社の御守りを、ちゃんと持っています?」
とたずねた。
三田は、おおきく眉をひそめた。
――コイツの思考回路は、いったいどうなっているんだ!?
あきれながらも、三田は、
「ああ、カバンに入れてあるが、それがどうした?」
と、律儀に答えた。
高田は、昨日から今朝にかけて発生した晴明像事件を説明した。
聞きおえた三田が、おもむろに口を開いた。
「それで、悠斗くんたちも、今日、嵯峨野に行ったあと、晴明神社へむかったのか?」
「はぁ!?」
高田は、三田がなぜそのようなことを尋ねるのか、まったくわからないまま、
「たぶん行っていないとは思いますが……」
と言って、スマートフォンを手に取った。
その高田のようすを見つめる三田のこめかみがピクッとふるえた。三田は、高田が本務を忘れ、晴明像事件とタイムーワープとのあいだになんらかの関連がないのか、それを考えようともしなかったことに苛だった。
「やっぱり、晴明神社には行っていないです。嵯峨野から、北山の、どうもリゾート施設らしきところに寄ったあと、いまは、鞍馬行きの電車のなかですね」
高田はそう言うと、携帯画面から目を外し、ケロリとした顔を三田にむけた。そして、
「いいなぁぁ。これって、デートコースですよね」と、
言葉をついだ。
三田のこめかみが、ピクッピクッと、さきほどよりもおおきくふるえた。
――御守りのつぎは、デートか。仕事中になにを考えているんだ、コイツは!
「さっ、夕飯食ってからマンションに帰るぞ。今夜は、悠斗くんの部屋にとりつけたパソコンからの監視初日だ」
「はーい」と、
気のない返事をしたあと、高田はボソッとつぶやいた。
「悠斗くんの部屋を盗み見か……。なんか、かわいそうだなぁぁ」
すると三田が、珍しく声を荒げた。
「だったら、おまえが四六時中、悠斗くんたちふたりに張りつけるのか!? そのうえ、タイムワープしてきた一宮という男の子はどうするんだ! その子はいまどこにいるのか、わかっているのか? えっ、どうなんだ!? そういうことが、素人の尾行で、悠斗くんに気取られずにわかるというのか? どうなんだ! 源氏物語の新帖のありかや、タイムワープの秘密は、どう考えても、悠斗くんの部屋に、それを解く鍵が集まるにきまっている。会長やおれのプランを批判するのは構わない。だがな、批判するなら、対案を出せ。どうなんだ!? 偉そうな口をきく以上は、修正案ぐらい、あるんだろうな!」
三田から詰問された高田は、うなだれるしかなかった。
三田は、窓ガラスを見ながら、服装の歪みを直しはじめた。ガラスには、高田のしょげきった顔も映っている。
「いまここで修正案を出せと言っているわけではない。おれだって、ノゾキまがいのことを、したいわけではない。よいプランを考えついたら、いつでも提案しろ」
三田は、窓ガラスの高田にむかってそう言うと、ふり返り、あらためて口を開いた。
「それから、言葉がすこし感情的になってしまった。言いすぎたかもしれない。残業つづきで、疲れているようだ。すまなかった」
高田は顔を上げ、
「先輩が疲れておられることもわからず、勝手なことを言って、すみませんでした!」
と言うと、勢いよく頭を下げた。そして、つぎに顔を上げると、元気そうな声で言葉をついだ。
「おれ、近くに、うまそうなイタリアンのレストランを見つけておきました。このあたりのOLに、かたっぱしから聞いてみたんですよ。ワインも、いいのがそろっているそうです。営業所の懇親会用にと考えていたんですが、今夜は、そこで食いましょう。今日の夕飯は、おれに奢らせてください」
「そうだな、今日は、おまえに奢ってもらおうか。すまんな」
そう返事する三田に、高田はうれしそうな表情を返した。
その顔を見て、三田は思った。
――コイツ、レストランを探すときの熱心さで仕事すればいいものを……。今夜は、食って飲んで、とことん説教してやるか……。バローロでも注文してやろう。勘定書を見て泣く顔がみものだ。




