7-2
桜子と悠斗は、つれそって美容院に行ってから二日後、速仁と約束したとおりの日に、電車とバスを乗り継ぎ、嵯峨野へむかった。八月の、最後の一日だった。
武藤潤一郎は、昨夜から、京都市内のホテルに泊まっていた。そして今日の昼まえに、悠斗の留守を見はからい、三田と高田を連れ、鞍馬堂を訪れた。
「あいにく悠くんは、藤原さんと出かけてしもうて……」
店先でそうあいさつする春恵に、潤一郎は、おうように答えた。
「悠斗にも、ようやくガールフレンドができたのですかね? アハハ」
「さあ、どやろか? ええお嬢さんやけどね……」
春恵は、くったくなく笑っていた。
店先に飾られている光源氏の人形が、潤一郎の目にとまった。純花が作った人形である。
――悠斗のやつ、ようやくふっ切れたのかな?……。
潤一郎の視線の先に気づいた春恵が、独り言のようにつぶやいた。
「今日で八月もおわりやね。明日からは、……」
「六条御息所ですね」
潤一郎は、春恵が言いきらないうちに、九月に飾られる人形の名を口にした。
「まあ、よう知ってはるね」
「ええ、もちろんです。東京で、この人形たちのことを、よく聞かされていました」
潤一郎と春恵の会話を横で聞いていた高田も、人形に目をやった。
――なんか、いわれのある人形なのかな?……。なかなかの美形だ。こいつを、もう少し冷たくしたら、三田先輩にそっくり。クククッ。
高田の忍び笑いに、三田はすぐに気づいた。
――ろくでもないことを、こいつ、また考えていそうだな。困ったやつだ……。
潤一郎は、人形の横に飾られている色紙絵にも気づいた。
「あの絵は? 初めて見るものですが……」
たずねられた春恵は、うれしそうな声で答えた。
「藤原さんが描かはったんえ。とても絵が上手なお嬢さんなんよ。なんでも、横笛を吹いてる夕霧やそうえ。純花も、おんなじような人形を作ってました」
潤一郎はそくざに、
「十月を飾る人形ですね」
と、春恵の話を引き取った。
「まあ、よう覚えてくれてはるね。純花も、作ったかいがあったと、喜んでますやろ」
春恵は顔をほころばせた。そして、両手を口のまえで合わせ、言葉をついだ。
「まあ、わてゆうたら、こんなとこで立ち話ししてしもうて……。どうぞ、奥に入っておくれやす」
居間に通された潤一郎は、春恵と一治に、あらためて高田を紹介したあと、おもむろに用件を切りだした。
「先日お渡ししたスマートフォンの調子はいかがですか?」
「へえ、おおきに。ボタンを押さへんでもええので、ちょうほうしとります。――そうゆうても、おじいさんとふたり、年寄りはめったに使いまへんけどな。悠くんからの電話を受けるぐらいなんえ」
「まあそれでも、お使いいただければうれしいです。高田に、わたしの携帯番号と京都営業所の電話番号を登録させますので、なにかあれば、遠慮なくご連絡ください」
潤一郎はそう言うと、高田をうながし、春恵と一治からスマートフォンを受け取らせた。そして、さりげなく話しをつづけた。
悠斗に、スマートフォン用のポータブルバッテリーと、新型ノートパソコンを買った。いまから悠斗の部屋へ、運び入れておいてやろうと思う。
「ついでに設定もしておきますので、ちょっと失礼いたします」
そう言って立ちあがる潤一郎に、春恵は、
「ポータブルとか、パソコンとか、わてらには、ようわからへんわ」
と、人のよさそうな顔で笑うばかりだった。
潤一郎は、かるく会釈し、三田を連れて階段を上っていった。
潤一郎が悠斗の部屋に入るのは、大学の入学式以来のことだった。
本棚の中段に置かれている銅鏡と蒔絵の筒が、すぐに潤一郎の目をひきつけた。潤一郎は、筒のふたをはずし、なかにあった横笛を取り出した。筒も笛も手のこんだ物であることに、潤一郎は感心した。
店先の色紙に笛が描かれていたことを思い出した潤一郎は、この笛と銅鏡が源氏物語の新帖となんらかのつながりがあるのだろう、と憶測した。
潤一郎が笛と筒、そして銅鏡を写真に収めはじめたよこで、三田はノートパソコンを段ボール箱から取り出し、悠斗の勉強机のうえに置いた。特注の極小超広角レンズ盗視装置と盗聴装置が内蔵されているパソコンだ。起動させると、三田のスマートフォン画面に、悠斗の部屋全体が映しだされた。本棚の中身も、手に取るようにわかる。音声も確認した三田は、パソコンを、もとの段ボール箱にしまった。
潤一郎は、〈高校から使っている古いパソコンは処分し、これを使うといい。ポータブルバッテリーも必要だろう〉というメモ書きを机に残し、三田とともに悠斗の部屋を出た。




