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桜人 ―― 源氏異聞  作者: 塔真 光
第6章 地蔵
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6-16

 桜子たち一行は、獄卒鬼王に導かれ、鴨川の東側河川敷に開けられた穴から人界にもどった。

 悠斗には、目のまえの風景に見覚えがあった。松原橋のたもとだ。悠斗は、石山寺で桜子と出会った日の昼間に、この橋のわきを歩いたのだ。

 大文字の送り火のその日、悠斗は、大谷祖廟から五条大橋東詰まで歩き、そこから鴨川河川敷に下りて北上し三条大橋へむかった。五条大橋のつぎの橋が松原橋だ。六道の辻に近接するこの橋も、現世と冥界の境界である。


『そんじゃ、オイラはこれでかえるでごわす』

「鬼王ちゃん、ありがとう」

 やさしく笑いかける桜子に、獄卒鬼王は、恐ろしげな顔をゆがめて答えた。

『エヘッ。たやすいゴヨウだったでごわす。エヘッ。またあえるでごわすか?』

「うん。また会おうね。来年の六道まいりのころ、篁さまに、あらためてお礼を言いに行くね。篁さまのところへ、また連れていってね」

 そう頼む桜子の言葉に、夕霧は、光源氏を背中から降ろしながら眉をひそめた。

 ――わたしは、まっぴらです!


 鬼王が穴のなかへもどっていくと、地面は、なにごともなかったかのように平らかになった。

 あたりは、たそがれの闇に包まれはじめていた。対岸につらなる旅館や料亭の建物が、色をうしないつつある。桜子と悠斗、速仁の三人は、河川敷のベンチにならんで座り、暮れゆく西の空を見やった。


 速仁が、

「二つ目の品が手に入って、よかったね」

と、空を仰いだまま、真ん中に座っている桜子にボソリとつぶやいた。

「うん、宮ちゃんと悠斗さんのおかげ……」

 桜子は、膝に抱えている手箱に目を落としたまま、小さな声で返事した。

「それに、この鏡には、お祖母ちゃまとの思い出が、たくさんつまっているの……」

 涙声だった。

 悠斗は無言で、ハーフパンツのポケットからハンカチを取り出し、桜子に渡した。石山寺の手水舎でも取り出した、ガイアのハンカチだ。

 だが桜子は、春恵からもらっていたハンカチで涙をぬぐった。そして、悠斗のハンカチを手箱の上で広げ、

「この布を、鞍馬のお家にもどるまで、貸していただけますか?」と、

悠斗に頼んだ。

「うん、そりゃいいけど……」

 不思議がる悠斗の目のまえで、桜子はハンカチを手箱のなかにしまった。

「こうしておくと、だいじな鏡を護ってくださいますよね」

 桜子が悠斗にむけた顔は、もうほほえんでいた。

「うん、そりゃ、ガイアは強いから!」

 悠斗も口もとをおおきくゆるめ、桜子は、そんな悠斗にうなずきを返した。

 ――悠斗さんの持仏は、がいあ観音って仰るんだ。いいお名前だ。


 桜子のよこに座っている速仁も、そのハンカチをのぞき見た。

 ――へんな染め柄の布だな……。あんなのに、霊力があるのか? まっ、鏡を奪おうとするヤツが現れたら、おれがやっつけてやるさ!

 速仁は、右拳を握りしめた。


 悠斗が、口もとを引き締め、背筋を伸ばして両手を腰にやった。

「よし! それじゃ、(うち)にもどろうか。――一宮も、今夜は泊まっていけよな」

「うん、ありがとう。――でも、そのまえに、あの三人をどうにかしなきゃ」

 速仁は、光源氏と夕霧、それに桐壺の更衣に目をむけた。そして、

「もう物語のなかへ返したら?」

と、桜子に声をかけた。

 桜子も、光源氏たちを見た。光源氏と桐壺の更衣が、となりのベンチの上で正座しむきあっている。光源氏の小さな背中と、袖で目を押さえている更衣の顔が見えた。夕霧は、光源氏の横に立ち、なにやら機嫌がよさそうだ。

「光る君さまたち、親、子、孫の三代が顔を合わせるのは、これが初めてですよね。なにか楽しそう。あともう少し、水入らずですごせるようにして差しあげましょうよ」

 速仁は肩をすくめ、

「変な親子三代だよな。光るじいさんが、いちばんちっさいや。おれじゃなくて、あっちこそ『おい少年』だ、ククク」と、

光源氏の口ぶりをまねた。


「おれ、祖母ちゃんに、帰るの遅くなるって電話しとくよ」

 悠斗がそう言うと、速仁はふたたぶ空を見あげた。

「おれも、あのお月さまを、もっと見ていたい」

 上弦の月が、南の空に浮かび、しだいに濃くなる夕闇のなかで輝きを増していた。

 ――きれいなお月さまだなぁぁ。でも、二十四夜の月のはずなのに、いやに月の出が早いよな……。形もすこし変だし……。まっ、いいか。桜ちゃんと月見ができるんだしね、エヘヘ。


「桜ちゃんも、いっしょに見ようよ」

 聞こえるか聞こえないかの小声で、速仁は桜子に話しかけた。

 だが、桜子は、

「う、うん」

と生返事し、困惑顔の悠斗ばかりを見ている。

「すまぁとふぉんが、どうかしたの悠斗さん?」

「祖母ちゃんと話してる途中で、バッテリー切れになっちゃった。照明アプリを使いすぎたらしい」

 速仁は、言葉をかわしあう桜子と悠斗を横目で見ながら、口をとがらせた。

 ――もぉぉぉ! おれのわからない話ばかりなんだから!


 一方、桜子たちから離れて立っている夕霧は、桜子が感じ取ったように、機嫌がよかった。というのも、光源氏が桐壺の更衣に叱られているのだ。


 数分まえ、夕霧は、背中から光源氏を降ろしたとき、更衣から声をかけられた。

『ひかるをおんぶしていただき、ありがとうございました。どちらさまでしょうか?』

 名乗りたくない夕霧は、おし黙った。だが、光源氏が、

『ぼくたちふたりは、親子なのです』と、

ハキハキ声でわってはいった。

『えっ、親子? ――それでは、桐壺帝さまなのですか!? ずいぶんと、面変(おもが)わりなさいましたのね……。わたしの死を、それほどまでに嘆いてくださったのですね……』

 更衣は、右袖で目を押さえた。

『いえ、母上。ボクが父で、こっちの図体だけ大きい方が、息子なのです』と、

光源氏が、夕霧を指さした。

 夕霧は、光源氏の言いざまに眉をひそめながらも、

『まあ、そういうことでして……、お祖母さま』

と、慇懃(いんぎん)に会釈した。

『まぁ! ひかるには、このような、りりしい男君が生まれるのですね。うれしゅうございます』

 更衣は、今度は左袖で目を押さえ、言葉をついだ。

『式部さまは、わたしのことを、〈桐壺〉帖のなかだけでしか描いてくださいませんでした。ですので、ひかるがどのように育っていくのかわからず、気をもんでおりました。女君に歌も贈れない内気な青年になっていたらと、心配しておりましたのよ』

『お祖母さま、それは、まったくの取り越し苦労というものです。ハハハ。父上ときたら……、ハハハ』

 夕霧は、光源氏の目を、からかい顔でのぞきこみながら、思わせぶりに笑った。

 光源氏は、口をとがらせ、夕霧をにらみつけた。だが、それにお構いなく、夕霧は話しつづけた。

『父上は、二股や三股は常のこと、それはそれは多くの女君と……。まっ、それ以上のことは、わたしの口からはもうせません。親孝行はだいじですから、ハハハ』

 更衣は、夕霧の言葉に驚いた。

『ひかる! こちらにお座りなさい!』

 こうして、光源氏と更衣は、上機嫌になった夕霧を横におき、ベンチの上で対座することとなったのである。


 桜子の目には、光源氏と更衣が、親子ふたりで楽しく言葉をかわしているように見えた。だが、それにはほど遠いふたりだった。

『ひかる、いったいあなたは、どれだけの女君とお付きあいを……』

『そ、そんなにたくさんではない……、と思います。それに、ぼく三歳だから、右手の指の数よりもたくさんは、正確に数えられないです』

 光源氏は、懸命にごまかそうとした。だが、やぶ蛇だった。

『えっ!? 五人以上の方々となのですか!?』

 更衣は、目をまるくして光源氏を見た。

『あっ、あっ、……』

 うろたえる光源氏に、夕霧が澄まし顔で声をかけた。

『左手の指と、足の指もお使いになって数えられてはいかがですか? あっ、それでも足りなかったりして……、ハハハ』


 うつむきながら夕霧をにらみつけている光源氏に、更衣が、さらにたずねた。

『お相手の決まっておられる女君に、恋文を贈ったりはしていませんよね』

 光源氏は顔をあげ、首をブルンブルンとおおきく左右に振った。だが、夕霧が追いうちをかけた。

『ええぇぇ、そうだったですかぁぁ!? 童形でおられるあいだは、忘れっぽくなるのかなぁぁ? ハハハ』

 更衣は、光源氏の顔を心配げにみつめ、また口を開いた。

『そうなのですか?……。まさか、人さまの奥方に懸想した、ってことはないですよね』

 今度も光源氏は、首を左右に振った。そして、バツが悪そうに、すぐに下をむいた。

『そうですか。それなら、母も安心しました。――もういちど、お顔を母に見せてください』

 更衣は、びくびくしながら顔を上げた光源氏に、はかなげな笑顔をむけた。そして、夕霧にもほほえみながら、

『お会いできないまま、立派な男君に成長なさいますのね。とてもうれしゅうございます』

と、声をかけた。

 そのとたん、夕霧は、光源氏をからかう気がうせた。祖母の更衣を悲しませてしまうようなことは、口に出したくなくなったのだ。

『父は、わたしの母である葵の上さまが亡くなったとき、たいそう悲しまれたと聞いております。よい父であり、よい夫だったのだと思います』

 夕霧は、そう言ったあと、心のなかでつぶやいた。

 ――ちょっとほめすぎかな……。


 夕霧は、座っている桜子のもとへ歩みより、

『夜が更けます。そろそろ大学の君のお屋敷におもどりなさいませ。この場で、わたしたち三人を物語のなかへお返しください』

と、声をかけた。

 桜子は立ちあがり、無言で深く頭をたれた。

 幼い姿の光源氏も歩みよってきて、速仁に、

『よっ、少年。すこしは孫姫のお役にたっているか?』と、

おとなびた口調でからかい顔をむけた。立ち直りの早いのが光源氏なのだ。

 速仁は、

「そっちこそ少年じゃないか! おれよりも、ちっさいなりして……」

とブツクサ言いかえしたが、光源氏は、どこ吹く風といったようすだ。


 悠斗は、速仁と光源氏の言いあいを忍び笑いして聞きながら、桜子のよこに立って夕霧に礼を述べた。

「夕霧さん、ありがとう。おかげで、二つ目の品が見つかりました。あと何個あるのかわからないけど、またおれたちを助けてください」

『はい、もちろんです』

 夕霧がそう言うと、光源氏がピースサインを桜子にむけた。

 桜子も、笑いながらサインを返した。


 ホーホー ホーホー

 物語世界のなかへ光源氏たちが消えはじめたとき、すぐ近くの梢から、鳥の鳴き声がした。

 ホーホー

 桜子が声のする方向に目をやると、全身まっ白なフクロウが、宵闇のなかにたたずんでいた。

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