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桜人 ―― 源氏異聞  作者: 塔真 光
第6章 地蔵
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6-8

 一夜がすぎ、日付は八月二三日に変わった。地蔵菩薩の祭りである地蔵盆の初日だ。地蔵菩薩の縁日が毎月二四日で、盂蘭盆期間にあたる八月に、前日を含めて二日間ほど、その祭りはおこなわれる。近畿を中心に、町内ごとに催される夏の風物詩である。

 地獄における責め苦からすべての亡者を救うとされる地蔵菩薩が、とりわけ子どもの守護者として信仰されるようになり、地蔵盆では子どもたちに、菓子や手料理がふるまわれ、福引きでオモチャなどがプレゼントされる。地蔵盆の会場は子どもたちの遊び場であり、小学生にとって地蔵盆は、夏休み後半の最大の楽しみのひとつなのだ。

 小学生時代の悠斗も、夏休みに母と鞍馬に帰省したとき、地蔵盆に参加した。若紫餅が地蔵像に供えられているのを見て、内心いつも自慢だった。供え物のお下がりとして会場で食べる若紫餅は、かくべつにおいしかった。そして、福引きでユルトラオムファミリーやユルトラ怪獣のフィギュアがあたると、小躍りしたものだった。

 だが、大学生として鞍馬に住むようになった昨年の地蔵盆には、手伝い役として参加することもなかった。今年も、地蔵盆のことは、頭の片隅にさえなかった。


 鳥辺野行きを明日にひかえたこの日の朝、悠斗にとって最大の関心事は、桜子が手縫いした直衣と指貫だった。朝食後、悠斗は自室で、仕上がったばかりの直衣に袖を通した。平安装束姿の桜子と、春恵のふたりに着付けてもらっているあいだ、悠斗は気を引き締めようと精一杯努力した。そうでもしないと、頬が緩みっぱなしの、やに下がった男になってしまいそうだった。


 着付けがおわると、春恵が、店のまえで記念写真を撮りたいと言いだした。

「さっちゃんとならんだら、光源氏と若紫やわ。写真撮っても、ええやろ、悠くん」

 春恵は、おそるおそる悠斗にたずねた。悠斗は、中学生になってからというもの、写真嫌いなのだ。大学入学式での写真にも、面倒くさそうな、しかめ面の顔が写っているだけだった。

 だが、この日の悠斗は、

「おれ、光る君じゃなくて、夕霧さんだと言って欲しいよ」

と文句を言うだけで、その顔はうれしげだった。そして、

「外に出てもいいけど、店のまえだけだよ」

と言ったあと、悠斗は桜子を誘い、春恵を置いてサッサと階段を下りていった。


 店のまえで、春恵がカメラを構えているとき、桜子が小声で、

「写真って、なにか絵のようなものですよね」

と、となりに立つ悠斗に話しかけた。

「ああ、そうだよ。実物どおりに描いた絵みたいなものかな」と、

あいかわらず悠斗は上機嫌だ。ピースサインさえしている。

「それでは、お祖母さまが描かれる悠斗さんの写真も、ほうむぺいじに載せるとよいのではないですか?」

 桜子のこの提案で、悠斗の顔が一瞬にしてこわばった。ピースサインしている手からも、力が抜けた。

 ――うーん、それは恥ずかしすぎるよな……。

「悠くん、さっきみたいに笑いよし。はいチーズ!」

 パシャ

 悠斗は懸命に笑い顔を作ろうとした。

「悠くん、その方が男前え。もう一枚、はいチーズ!」


「もう一枚」を春恵がなんどもくりかえし、ようやく撮影会がおわった。

 三人が店のなかに入ると、大机の上に、大きな紙袋がひとつ置かれていた。そして一治が、ボンヤリと机のまえに腰掛けている。春恵たちに目をむけようともしない。

 どうしたのだろうと、桜子と悠斗は顔を見あわせた。だが、春恵は素知らぬふりだ。

 ようやく一治が、紙袋に手を添えながら、

「悠くん、頼みがあるんや。町内の地蔵盆に若紫餅を供えてきてくれんかいな」

と口を開いた。その声は、いつになく暗い。

「そりゃいいけど……。どうしたの祖父ちゃん? 体の具合が悪いの?」

と心配する悠斗の横で、春恵は笑い声を押し殺している。

「地蔵盆へのお供えは、祖父ちゃんの楽しみだったんじゃなかった? さっき、おれたちが写真撮っているときも、外に出てこなかったし……。どうしたの?」

 悠斗は心配でならなかった。桜子も、ますます顔をくもらせた。

「心配せえへんでええよ。今日はな、気になることがちょっとあるよって、家のなかにおろうと思てるだけや」

「わかった。それじゃ、着がえてくる」

と悠斗が言うと、一治が、

「その直衣、よう似おうてるやないか。すぐに脱ぐのは、もったいないのとちがうか?」と、

ボソリとつぶやいた。

 店の奥の暖簾へとむかった悠斗の足が、ピタリと止まった。

「うん、そうだね」

 一治の言葉に背中を押され、悠斗の覚悟が決まった。

「おれ、桜ちゃんと行ってくる!」

 そう言うと、悠斗は紙袋を手に取り、桜子に目配せした。


 出入り口のガラス戸に手を掛けようとする悠斗の背中にむけて、一治が、叫ぶような早口で声をかけた。

「途中で、足を隠してる人に会うかもしれんぞ。お供え以外の餅を袋の中に一包み入れておいたから、それを、その人にあげるんやで。お金は、もらわんでもええからな。その人と、けんかしたらあかんで!」

「うん、わかった」

と、悠斗は軽い調子で返答した。なぜ一治がそんな奇妙なことを言うのか、悠斗には、まったく気にならなかった。悠斗の頭は、桜子と揃いの服で外出する楽しみでいっぱいだった。


 悠斗たちが店を出ていくと、すぐに春恵が一治に声をかけた。

「おじいさん、お供えのお餅づくり、ご苦労さんどした。お茶を持ってきますよって、一服しておくれやす」

「おおきに。――悠斗たちはだいじょうぶやろか? 幽霊に渡すお餅を、もっと持たせてやった方がよかったかな……」

「だいじょうぶでっしゃろ。若紫餅が好きな幽霊やし、悪い幽霊やないと思いますえ」

「そうやったらええけどな」

「それに、さっちゃんはしっかりしてるさかい、ふたりでならだいじょうぶやわ」

と言いながら、春恵は台所へむかった。


 一治の心配は杞憂(きゆう)におわった。それどころか、地蔵盆の会場は、平安装束の男女ふたりの登場で、おおいに盛りあがったのだ。

 地蔵盆に集まった子どもたちは、桜子と悠斗を見て目をまるくし、そのようすが、悠斗にはおかしくてならなかった。町内の、世話役のおとなたちから衣裳をほめられると、悠斗は素直にうれしかった。

 桜子は、子どもたちと老人の双方から、アイドル扱いされた。子どもたちとはサイコロで遊び、老人たちとは碁盤を囲んだ。しかも、めっぽう強かった。双六と囲碁は、平安貴族女性にとって、生活に潤いをもたらしてくれる大切な遊戯なのだ。

 若紫餅を供えてすぐに帰る予定だったのに、ふたりは、子どもたちといっしょに昼食をとることにもなった。出されたカレーライスの味は昔と同じだ、と悠斗は懐かしく思った。

 昼食後、桜子と悠斗は、新調の赤い前たれを付けてもらった地蔵像のまえにならんで座り、源氏の新帖が見つかるようにと祈願した。そして、ようやく子どもたちと別れた。


 桜子は、まっすぐに鞍馬堂へもどろうとした。

 だが、

「この格好で、鞍馬寺にも散歩に行こうよ」と、

悠斗が熱心に誘った。

「でも、わたし、店番のお手伝いをしたいですし……」

「おれ、歩く練習をもっとしたい」

 悠斗は必死に口説いた。

「悠斗さんは、直衣にすっかり慣れられたから、もう練習する必要がないと思いますよ」

「いや、まだまだだよ!」

 悠斗は、拝まんばかりのようすだ。

「〈涙の滝〉の近くに、牛若丸がよくお詣りしてた地蔵堂があるんだ。たしか、川上地蔵堂、っていうんだ。そこまで行ってから帰ろうよ。祖父ちゃんが持たせてくれた余分の餅を、お地蔵さんにお供えする」

 桜子は、

「ええ、それなら……」と、

ようやくうなずいた。桜子にとっても、やはり悠斗と散策するのは楽しいのだ。

 桜子を説きふせた悠斗は、心のなかで叫んだ。

 ――ヨシ!

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