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桜人 ―― 源氏異聞  作者: 塔真 光
第6章 地蔵
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6-7

 鞍馬堂にいた白いドレススーツの女が、晴明神社近くの停留所でバスから降りてきた。夕闇につつまれはじめた一条戻橋へ、あたりをうかがいながらむかっていく。

 ふだんから閑散としているこの場所は、いまも人の気配がまったくない。カラスが数羽、橋のうえを旋回している。ねぐらへ帰ろうとしているのだろう。いつもの風景だった。

 橋のそばに建つ民家のガレージの一角では、鎖につながれた黒い大型犬のロットワイラーが、腹ばいになりながら女を見ている。この犬は、もう五年ほど、たいていこんなふうにボーッと寝ころがっている。

 女は、そんなカラスや犬には気を留めることなく橋の下へ降りると、河川敷を上流へと歩いていった。そして、クスノキの古木のまえで、歩みを止めた。おおきく盛りあがった根張りが、水ぎわまで伸びている。根もとの樹皮に、縦の割れ目にまぎれるようにして、星形五角形の紋様が、かすかに浮かんでいる。魔除けの結界を作る、晴明紋とよばれる紋様だ。

 その紋様に、女が鋭い視線を投げかけた。すると、女の体が青白い光の玉に変わり、その玉は、しだいに小さくなりながら、紋様の中心へ吸いこまれるようにして消えていった。


 光の玉は、クスノキの根を伝い地中ふかく潜っていった。そしてとつぜん、宙に浮いたかのように速度が弱まり、ゆっくりと下降した。

 そこは、地中にできた大きな空洞だった。一条戻橋から晴明神社にかけての地下に、その洞窟は広がっている。

 光の玉は地底まで下りてくると、もとの女の姿にもどった。だが、三十代からほど遠い、老婆の姿だ。

『ただいまもどりました、晴明さま』

 女がそう口を開くと、その目の先の大岩に泰然と座している老人が、口の端をゆるめながら答えた。

『ご苦労だった大陰。疲れているようだな。若い女人の姿を借りる力は、もうないのか? ワハハ』

 千年後の安倍晴明も、大陰をからかうのが、あいかわらず好きだ。


 晴明は、鳥辺野で火葬にふされて百七十数年後、源平合戦の時代に、神のひとりになった。火葬後すぐに晴明は自邸の祈祷所に息子ふたりによって祀られたが、そのときは、子孫以外の人びとから崇拝をひろく集めるにはいたらなかった。だが、武士が貴族にとって替わる世になり、事態が一変した。戦乱と飢饉もあいつぎ不安にかられた貴族たちが、かつての貴族全盛の世で希代の陰陽師と呼ばれていた晴明を篤く祀り、その呪力に頼ろうとしたのである。

 そのときから現在まで、祀られる場所は一条戻橋の近辺を転々としたが、晴明の霊魂は天将を随え、人びとの祈願に耳をかたむけてきた。参拝者が多くなれば、その力が増し、詣でる者が希になれば、力は減じた。桜子が悠斗と出会ったこの時代、晴明の力は、生前に優るとも劣らないほどの域に高まっていた。


 大陰は、他の天将たちのあいだを通りぬけ、晴明の眼前まで歩を進めると、座りながら、ふたたび口を開いた。

『若い天将たちが美しい女人に目を奪われ、仕事が手につかなくなると、晴明さまがお困りになると思いまして……』

『ワハハ、わし自身が、そなたの色香に迷いそうだ』

 破顔しながらの晴明の返答に、大陰は皺深い顔を赤らめ、天将たちは、目を見かわせながら肩をすくめた。


 晴明は、神としてよみがえったとき、源氏の新帖の行方をまっさきに気づかった。仏神界を探り、新帖にかけた封印が、まだだれによっても解かれていないことを知った。桜子が石山観音によって別の時代に送られたことも、神仏たちの噂話から耳に入った。だが、どの時代に送られたのか、それを探りだすことはできなかった。もしかすれば、桜子はもとの世界にもどり、天寿をまっとうしたのかもしれない。そうも考えた晴明だったが、それを確かめる(すべ)はなかった。藤原兼隆や賢子の子孫は、百数十年のあいだに歴史の波間に沈み、係累の一部が関東に下ったこと以外は、その行方がようとして知れなかったのである。

 神となった晴明が、十二天将のなかで最初によみがえらせたのは大陰だった。それ以来、大陰は、桜子が京都の街中に現れる日を、根気よく待ちつづけた。おりにふれて鳥の姿に変化(へんげ)し、中川の流れにたたずんだ。その川の近辺に、かつては式部邸があったのだ。そして、大正時代に中川が姿を消してからは、近くの鴨川に居場所を移した。こうして、何十年、何百年と時が流れ、ようやく大陰は、最後に桜子を見てから千回目の夏に、出町デルタの河川敷で悠斗と談笑する桜子の姿を見いだしたのである。

 大陰は、桜子と悠斗がつれだって河川敷から地下駅へむかったとき、ふたりのあとをついていこうかと迷った。だが、西岸のカフェから桜子たちを見張っている男が気になった。高田だ。

 大陰は、まず高田の素性をさぐることにした。そして、大陰の予感は的中した。その夜、大陰はホテルのラウンジバーで、高田たち三人の会話に聞き耳をたて、高田と三田が潤一郎の指図で桜子のあとをつけていることを知ったのである。

 翌朝、大陰はハクタカに変化し、鞍馬へむかう潤一郎たちの車を追った。そして鞍馬堂の二階で、ふたたび桜子の姿を発見したのである。

 その日、大陰はハクタカ姿のままで、仁和寺へむかった桜子と悠斗をさらに追い、寺のまわりの木立から境内のようすをさぐった。桜子が朱雀院から横笛を渡されたことも、中門に速仁が現れたことも、大陰は、その金色の目でみつめていた。

 夕刻、大陰が一条戻橋へもどってくると、そこに高田がいた。そして、高田をやりすごして地下洞窟に入り、晴明から、高田たちが源氏物語の新帖を手に入れようとしている狙いを知らされたのだった。新帖発見という、耳目を集めるにちがいない事件を利用して、潤一郎の選挙戦を有利に運ぼうという魂胆だ。

 そして三日後の今日、大陰は白いドレススーツをまとい、鞍馬堂を再訪したのだった。


『して、孫姫は仁和寺のつぎに、どこへ行こうとしているのか、わかったのか?』

 そうたずねる晴明に、大陰は、

『はい、明後日、〈ゆうと〉という名の例の男と、鳥辺野へ行くようです。その時には一の宮も、ふたたびこの世界に、おそらく石山観音の力で現れ出るのでしょう』

と答え、さらに言葉をつづけた。

『高田と三田も、源氏の新帖を手に入れるために、孫姫のあとをつけるものと思われます。ただ、なぜ高田たちが新帖の存在を知りえたのか、そこのところが、まだつかめておりません』

 晴明は、眉間に皺をつくりながら、おおきくうなずいた。

『それは、しかたあるまい。孫姫が新帖を見つけるまでには、まだ時間がかかるであろう。そのときまでに、新帖の存在が他の人間たちにもれた理由(わけ)を探りだせばよいことよ。それに、もうすんだことの理由を探りあてても、(せん)ないことかもしれん』

『はい、晴明さま』

と、大陰は答えたが、その顔は、なにか問いたげだった。


『どうした? まだ気にかかることがあるのか?』

 そう言葉をかける晴明に、大陰はふたたび口を開いた。

『おそれながら、もうしあげます。――式部殿がお越しになったあの日のことでございます。仁和寺以外の、式部殿が詣でられた寺社の名前を、いますぐ、孫姫に教えてはいかがでしょうか。そして、式部殿が晴明さまに新帖の封印をお頼みになったことも、孫姫に伝えてはいかがでしょう。そうすれば、孫姫は容易に新帖を手にすることができるかとぞんじます』

 晴明は目を閉じ、黙りこんだ。

『高田と三田が孫姫の邪魔だてをするようでしたら、この大陰がふたりを引き受けます。とくに高田など、たわいない男です』

 あいかわらず晴明は、目も口も閉ざしつづけている。

『孫姫こそ、源氏の新帖を手にするにふさわしい者だとぞんじます。式部殿の孫君であるばかりでなく、式部殿とおなじように、物語の形代を操る力を持っておられます』

 大陰がそう語ると、晴明は目を開き、重々しい口調で言いはなった。

『わしは、そうは思わん』


 予想外の返事をまえにして驚いている大陰にむかって、晴明は言葉をつづけた。

『血のつながりなど、遺産を受け継ぐ証文になるものではない。式部殿は、血筋とは関係なく、源氏の物語を愛おしむ人物にこそ新帖が渡るよう願っておられた。孫姫と、姫を助けておるふたりの若者が、そのような人物であれば、おのずと封印は解けるであろう。式部殿が、わしに封印を頼むまえに寺社を参詣されたのは、封印を解くに値する人物が現れることを願われてのことだ。孫姫たち三名は、おのれ自身の力で、そのような人物とならなければならないのだ。よいな、大陰。孫姫への口添えは、かえって、封印を解く妨げになると心得よ』

『はい、晴明さま。考え足らずのことをもうしました。お許しください』

 そう言いながら大陰は平伏した。


『ワハハ、そのように恐縮するにはおよばないぞ。口添えはよくないが、高田と三田が邪魔だてするなら、その相手は十分にするがよい。三日まえの、一条戻橋での高田との決闘は、見ものであった。ワハハ』

 大陰の頬に、また朱がさした。

『足蹴りなど、はしたないところをお見せしました……。晴明さまの厄除けの御守りを振りまわす、けしからん男でしたが、御守りに足をむけるわけにはまいらず、手加減してしまいました』

『足加減ではないのか? ワハハ』

 大陰の頬に、ますます朱がさした。

 その恥じらい顔を、口の端をゆるめてみつめながら、晴明は言葉をついだ。

『ところで、大陰。わしと天将たちに、鞍馬の土産みやげがあるのではないか?』

 大陰は、ハッとして、

『もうしわけございません、つい忘れておりました』と、

もういちど、頭を下げた。


 晴明たちが若紫餅を頬ばっていた時分、鞍馬堂の店内では、レジをまえにして、桜子が春恵に平身低頭していた。

「売り上げの勘定が合わなくて、もうしわけありません」

「ええんよ、さっちゃん。わてなんか、しょっちゅうえ」

「でも……。これから気をつけます! ごめんなさい」と、

桜子は、あらためて頭をさげた。

 そして、頭を上げると、けげんな顔で言葉をついだ。

「それにしても、なぜレジのなかに、こんなものが入っていたのでしょう?」

 桜子は、クスノキの葉っぱを指でつまみ上げた。

「あっ、さっちゃん! もしかして幽霊が、お餅を買いに来たんかもしれんえ」

「えっ、幽霊!」

「そうえ。木の葉をお金にみせて、買いに来たんやわ、きっと。うれしいわ」

「えっ、うれしい!?」

「幽霊も、若紫餅がおいしいから、食べたかったんよ」

「はい、そうとも考えられますが……」

 桜子は、まだ得心がいかなかった。

 だが春恵は、

「今夜、おじいさんに、この話をしてあげまひょ」

と、はしゃいでいる。

 桜子は目をまるくして思った。

 ――物の怪に平気な悠斗さんは、おばあ様とおじい様の血を受け継いでおられるんだ!

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