表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
桜人 ―― 源氏異聞  作者: 塔真 光
第4章 出会い
30/160

4-6

 悠斗が鞍馬の山里で寝られない思いをしているとき、千年をへだてる石山寺の参籠部屋にも、寝つけない男がいた。

 ――桜ちゃん、どうしているだろう。せめて、生きていてくれよな!

 速仁は衾にくるまって横になっていた。うなだれながら座っている惟清に背中をむけ、目を見ひらいたまま桜子のことを思っている。


 火事からあと、こうして体を横たえるまで、速仁は夢中で動きまわった。

 まず、気絶している惟清の目を覚まさせるために、手水舎まで走って水を汲んできた。顔に水を浴びせられて意識がもどり、「もうしわけございません」「頭を丸めます」を連発する惟清をなだめるのに、こんどは手を焼いた。惟清は、速仁が自分を先に助けだしたせいで桜子を救えなかったことを察し、うちひしがれたのだ。

 速仁は、惟清を責める気などおこらなかった。むしろ、自分にもっと力があれば、ふたりを両脇に抱えて救い出せたはずだと、くやしかった。

「責任を感じているなら、これからもずっとおれに仕えて助けろ!」

 速仁がそう怒鳴り、ようやく惟清は、いつもの頼りがいのある惟清にもどった。


 火事は、本堂の大方が焼け落ちたあと、激しい雨のおかげで鎮まった。速仁と惟清は、ずぶ濡れになりながら、僧侶たちと長いあいだ、桜子の姿を焼け跡に探した。雨が止み、松明を点けて多くの寺僧が捜索にくわわり、ようやく、おおきく焼損した本尊は見つかった。だが、桜子の姿を思わせるものは、かけらもなかった。

 速仁と惟清は、桜子の姿がみつからなくて、かえってホッとした。やはりあの観音が千年後の石山寺に桜子を移してくれたのだ、と思った。


 速仁は、桜子が最後にいたと思われる場所から、小さな金銅像をみつけた。触ると、まだ熱かった。顔以外の表面は、熱のために溶けていた。惟清が松明をかざすなか、速仁は、それを両手で抱きあげ、その幼げな顔をまっすぐみつめながら、小さな声で話しかけた。

「おれは桜ちゃんを助け出せなかった。でも、観音さまが桜ちゃんを救ってくれたのでしょ。そうでしょ!?――ありがとうございます、と言ってもいいのでしょ!?――いつかまた、桜ちゃんに会わせてください。お願いします」

 最後の言葉を口にしたとき、速仁の目から大粒の涙がこぼれ落ちた。それは金銅像の半眼の瞳を濡らし、まるで、像も泣いているかのようだった。


 速仁は、金銅像を律師に手渡したあと、惟清とともに参籠所へむかった。

 その一室では、桜子の悲報を聞いた賢子が、ひとり寝こんでいた。速仁は、着替えもせず、賢子の見舞いに出向いた。そして、観音の力で桜子が千年後の世界に移され、きっと無事でいるはずだと伝えた。

 それを聞いた賢子は、桜子が観音に守られて往生できるのだと、自分自身を納得させた。しかたない。それが桜子の宿世(すくせ)だったのだ。最良でないにしても、よい宿世だ。賢子は、桜子のためにも、そう思ってやろうと心にきめた。


 夜遅くになって、兼隆が参籠所にやってきた。

 惟清が額を床にすりつけながら、東宮御所を出てから石山寺で火事に巻きこまれるまでの、事の次第を兼隆に説明した。さらに、煙のなかで耳にした観音の言葉も、包み隠さず兼隆に伝えた。紫式部が源氏の新しい物語を書き、それをどこかに隠したこと。千年後の石山寺に桜子が移され、その世界で桜子が新帖を見つけ出そうとしいていることを、兼隆は苦々しい思いで聞いた。

 政略結婚の駒だった桜子をうしなったことにくわえ、新帖が書かれていたことは、兼隆にとって青天の霹靂(へきれき)だった。だれかの手で、新帖が暴露されるかもしれない。もしかして、桜子が千年後の世界で新帖を発見するかもしれない。石山の観音から、新帖のありかを桜子は教えられたのかもしれない。姑の式部はなんども石山詣をしていたのだから、観音は新帖のありかを式部から聞いているにちがいない、と兼隆は疑った。新帖を発見した桜子が、それを携えてこの世にもどってくるようなことになれば、政略結婚の駒をあらためて手にしうるにしても、大きな打撃だ。新帖が公開されれば、道長・頼通の父子から実権を奪うための切り札をうしなうだけですまない。新帖は書かれないと、秘密結社の仲間たちに断言した兼隆の面目が丸つぶれだ。総帥の座が揺らぎかねない。


 兼隆は、怒りを惟清に投げつけた。

「惟清、おぬしは、一の宮さまの守り役なのだぞ。それが、引き留めるどころか、東宮御所から抜け出すよう唆すとは、なにごとか! 万が一、宮さまが火事に巻きこまれ、お命を落とされでもしたら、おぬしはどのように責任をとるつもりだったのだ。これは、遠流に値する罪ぞ。自身で出処進退を明らかにせい!」

「はい、もうしわけございません。即刻、石山寺で頭を丸め、遠流の沙汰を謹んでお待ちいたします。たとえ流罪を免れましても、職を辞し、里の須磨にて蟄居いたします」

「当然だな」

 兼隆が冷たく言いはなったとき、襖障子のむこう側で立ち聞きしていた速仁が、まなじりを決して部屋に入ってきた。そして惟清の横に座り、兼隆の目をまっすぐにらみつけながら、決然と口を開いた。

「惟清を許してくれないなら、おれもいまここで出家する。そして、惟清といっしょに、須磨でもどこへでも行く!」

 速仁の言葉に、兼隆は驚愕した。

「若宮さま、そのような所にお座りにならずに、どうぞこちらへお越しください」

 兼隆は、自身が座っている場所を速仁に譲ろうとした。だが、速仁は兼隆をにらみつけたまま動こうとしない。

「若宮さま、身にあまるお言葉をいただき、惟清はうれしくぞんじます。ですが、まちがいを犯したのはわたしですから、どうぞ若宮さまは、大殿と都へおもどりください」

 哀願する惟清に顔をむけもせず、速仁は、挑むように兼隆をにらみつづけた。


 速仁が出家でもしようなら、兼隆の野望は潰えさる。速仁を東宮に、さらに帝の座に就けて宮中を牛耳ろうとする、十五年来の野望だ。背に腹は代えられない。

「ははは、惟清を叱ったのは、これからも若宮さまのよき守り役となるよう、励ましたのです。どうか、もう出家などと仰らずに、京におもどりください。――娘をうしなった父親を哀れと思し召し、この兼隆に、東宮御所までお供させてくださいませ」

 速仁に翻弄されて内心は激怒しながらも、仰々しく頭をたれる兼隆だった。速仁は、そんな兼隆に、手で涙を拭いながら答えた。

「うん、ごめん。兼隆も哀しいんだよね。おれは、惟清が守り役でいてくれたら、それでいいだけだから。惟清を許してくれて、ありがとう。これからは、おれ、御所でおとなしくする。もう、みんなを困らせたりしないから」

 速仁が兼隆にむかって一言一言しっかり話す言葉を、惟清は、両ひざのうえで拳を握りしめ、肩をふるわせて聞いていた。


「若宮さま、もうひとつ、娘をうしなった父親からのお願いがございます」

 兼隆は、あらためて大仰に辞儀をした。

「娘が千年後の世界へ旅立ったという話しを、ご他言なさいませんように、お願いもうしあげます。娘がこの世にもどって来たとき、時を超えて旅をしたなどということが知られれば、世間の好奇の眼差しを浴びることとなりましょう。それでは、あまりにも娘が不憫でございます」

「うん、そうだよね。わかった」

「千年後の世で娘がどうこうしていると、けっしてお口になさいませんよう、お願いいたします。源氏の物語の新しい帖を娘が探そうとしていることについては、そのような帖が書かれていたことをふくめて、すべてご内聞にお願いいたします」

 そして兼隆は、平伏しつづける惟清に、

「惟清、そなたも、このことをしかと心得よ」

と厳命した。

「ははー、この命に替え、一の君さまの秘密をお守りいたします」

 そう答える惟清にあわせて、速仁もおおきくうなずいた。


 こうして速仁は、門前宿の一室に設けられた寝所に入り、ようやく体を横たえた。

 だが、寝付けない。早く眠らないと、隅に控えて寝ずの番をするつもりの惟清を心配させてしまう。それは分るのだが、どうしても眠れなかった。

 ――桜ちゃん、どうしているかな? せめて、生きていてくれよな!

 いっすいもできないまま、石山寺が薄明のなかで姿を現しつつあった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ