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桜人 ―― 源氏異聞  作者: 塔真 光
第2章 幼なじみ
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2-7

 二日後、式部はようやく寝台から離れることができた。

 式部は賢子と桜子に、

「わたしは、もうだいじょうぶですよ。あなたたちは御所でお勤めがあるでしょ」

と声をかけ、ふたりを母屋で見送ったあと、文机にむかった。

 それからの数日、式部は速仁への約束を果たそうと、光源氏を呼びだしながら、熱心に筆を取りつづけた。そして、速仁が所望した〈葵〉帖をあらためて書きあげると、また床に臥せることが多くなった。


 スズメ姿の大陰は、桜子と賢子に連れられて東宮御所に入ってからというもの、昼間はふたりの(つぼね)で、伏籠のなかにあってゴロリと横になっていた。居心地がよいのだ。

 毎日一度、桜子によって木箱ごと速仁の曹司に連れていかれることだけが、不愉快だった。スズメを見て喜ぶ速仁が、鳥のまねをして両手を始終バタバタさせる。

 ――こやつ、バカか!? 孫姫をみならって、たまには勉強をせんか!

 白スズメは、速仁の曹司に来ると、いつも目の赤みがますのだった。


 大陰は、夜になると、青白い光に変わり、伏籠の網の目からスーッと抜け出した。そして、鵺鳥やフクロウにふたたび変化し、式部邸と兼隆邸を監視した。

 邸内に、いずれも不審な動きはなかった。だが、見るたびに式部の体が弱っていくことが気がかりだった。


 遅咲きの桜の木も新緑のつややかな葉をまとうようになった晩春の朝、式部は桜子ひとりを屋敷によびよせた。

 白スズメを入れた木箱を抱えながら桜子が母屋に入ってくると、やつれた顔の式部は、消えいるようなか細い声で人払いをした。そして脇息(きょうそく)によりかかりながら、源氏の物語世界から、光源氏の母である桐壺更衣(きりつぼのこうい)にはじまって、浮舟の女君まで、おもだった人物をつぎつぎによびだし、桜子に紹介した。

 桜子は、おとなたちには人見知りした。だが、東宮御所へもどる日没までの時間を、若紫や、光源氏の息子である幼少時代の夕霧たちと、おおはしゃぎでおしゃべりをしてすごしたのだった。


 三日後、式部が危篤におちいったとの報せを受けて、賢子と桜子は、いそいで東宮御所を退出した。ふたりが枕もとにかけつけると、式部は、もうろうとしながらも、唇をかすかに動かしていた。

 賢子と桜子は、その唇に耳をよせた。

「さようなら、光る、君さま……、お願い、しますよ、ろく、……じょう……」

 とぎれとぎれの言葉が、かすかに聞こえた。

 賢子と桜子、そして桜子の膝のうえで白スズメが見まもるなか、式部は静かに息を引きとった。


 葬儀の翌日、賢子は式部の母屋を整理していて、一の宮さまへ、と表書きされた立て文を見つけた。文は手箱の上に置かれ、手箱には〈葵〉帖がていねいに収められていた。

 喪が明けて東宮御所に参上した賢子と桜子は、速仁にこの一帖を献上した。曹司で速仁が涙目でそれを受け取ったあと、桜子が、とぎれとぎれに口を開いた。

「宮ちゃん、あのね。あの白いスズメちゃんがね……、昨日から、きゅうに元気になって、羽ばたけるようになったの。それでね、空に、放してあげなきゃいけないの……。おばあちゃまへの供養にもなると、お母さまが仰るから……」

 桜子は、スズメを手放すのが口惜しかった。

「ぼくは、大空を飛んでいる鳥を見るのが好きだよ。エサをたくさんあげてから、いっしょに放そうよ」

 速仁の言葉に、ようやく桜子は気を取りなおした。

「うん、そうだね。スズメちゃんをここに連れてくるから、待っていてね」


 ほどなくして、桜子と速仁が曹司から簀子縁に現れた。賢子が廂に座って見まもるなか、ふたりは簀子縁にしゃがみ込み、板敷きの上に立つスズメに、それぞれ手のひらを差しだした。強飯(こわいい)が山盛りに載せられている。スズメは、桜子の人差し指にヒョイと飛びのり、上目づかいで桜子を見た。

 ――気持ちはありがたいがな、これを全部食べろとでもいうのか!? もうすこし、常識というものをわきまえろ!


 それでもスズメは懸命に、ふたりの手から、それぞれ半分の強飯をついばんだ。

 ――うぅぅ、これ以上はもう無理じゃ……、

と、大陰が根をあげたとき、桜子と速仁の口から同時に歓声があがった。

「わぁぁ、たくさん食べたね!」


 子どもを喜ばせるのは一苦労だと思いながら、大陰は顔をあげ、桜子と速仁の目を順番に見やった。その輝く瞳が、大陰にはまんざらでもなかった。

 スズメは簀子縁から重たげに飛びたち、庭の上空をフラフラと旋回した。眼下の簀子縁では、速仁がまた両手をバタバタ振っている。

 ――あいかわらず、おバカな子じゃな。そんなふうに手を振れば、強飯が手のひらから落ちるじゃろうが! だが、餌を与えるという思いやりに免じて、今回は落し物をしないでやるぞ、ククク。………さて、しばらくぶりで晴明さまへ報告にまいろうか。


 白スズメは、北の空へ、プックリと腹が出た体をユサユサと運んだ。

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