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その夜、賢子は式部の寝台のそばに畳を敷き、そこで衾にくるまった。式部の容体が心配だったのだ。
だが、昼間の看護疲れのせいで、賢子はよこになるとそうそうに、周囲の物音にも目を覚まさないほどグッスリと寝こんでしまった。
式部親娘が眠る母屋の板敷きに伏籠が置かれ、そのなかでスズメが羽音をたてはじめた。大陰は、すっかり力を取りもどしたのだ。
伏籠に、昼間の黒猫がコッソリと近づいてきた。そして、その黄色い瞳でスズメのようすをうかがいながら、伏籠のまわりをゆっくりと回りだした。
黒猫が伏籠に右手をかけたとき、大陰は鵺鳥に変化した。
ヒィーン、ヒィーン
鵺鳥は、薄気味の悪い声をあげると、黒猫の瞳をにらみつけながら、その鋭利なクチバシをおおきく開いた。
ウギャァァァ
黒猫のわめき声だった。尻尾の先に火がついたのだ。
黒猫は、板敷きのうえで足をすべらせながら、一目散に庭へ走りさった。
鵺鳥と黒猫があげた叫声にも、賢子は目を覚まさなかった。ただ寝返りをうつだけだった。
だが式部は、夢うつつながらも、そのふたつの妖しい声を遠くに聞いたように感じていた。そのうえ、閉じている目のおくに、ぼんやりと老婆の姿が浮かんだ。
――物の怪!? あのときの物の怪ですか!?
『そうですぞ、式部殿』
――なぜ今になって現れたのですか? あなたとの約束を、この五年というもの、わたしはずっと守ってきたではありませんか。
『ククク。はたしてそうじゃろうか?』
――新帖を書いたにしても、それを世に問うてはおりません。
『たしかに、それはそうじゃな』
――ですから、娘と孫に手出しをなさらぬように、お願いいたします。約言に考えちがいがあったとしたら、その罪は、わたくしだけのもの……。
『だから、老いさき短いわれの命だけを奪え、とでもいうのか? ククク』
――………、はい、そうしてはいただけませんでしょうか。
『安心なされよ。罪を犯していない者の命など、奪わぬわ。われらが交わした約束は、たしかに、源氏の新帖を現世では表に出さないということだけじゃ。そのさきのことは、あずかりしらぬことよ』
――娘と孫の命も……。
『わかっておる。そなたが約束を守ってきたのだから、このオババも、そなたたち三人が天寿をまっとうするよう、見まもっていよう』
――ありがとうございます。わたしの命はもう尽きようとしておりますが、十分に生きました。思いのこすことはありません。
『そうかな? 一の宮という、あのおバカさんにした約束があるのだろ? 天が定めたもうた命のかぎりまで、努めてみてはどうかな。それが、命を長らえさせることになるやもしれぬ』
式部は、ちいさくうなずいた。すると、意識がはっきりしてきた。
――どうしたのだろう。あの物の怪と話をしていたような気がします。
式部は、上体を起こした。すこし気分が良くなっていた。
――明日は起きられますかね……。
そう願いながら、式部は伏籠に目をやった。
――白いスズメとは、縁起の良いこと。ちい姫たちに、幸をもたらしてくれるのかもしれませんね。
そして式部は、となりで眠っている賢子にも目をやった。
「まぁまぁ、こんな格好で寝てしまって……」
式部は、乱れた衾を賢子の体にかけ直したあと、ふたたび眠りについた。




