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桜人 ―― 源氏異聞  作者: 塔真 光
第2章 幼なじみ
13/160

2-6

 その夜、賢子は式部の寝台のそばに畳を敷き、そこで(ふすま)にくるまった。式部の容体が心配だったのだ。

 だが、昼間の看護疲れのせいで、賢子はよこになるとそうそうに、周囲の物音にも目を覚まさないほどグッスリと寝こんでしまった。


 式部親娘が眠る母屋の板敷きに伏籠が置かれ、そのなかでスズメが羽音をたてはじめた。大陰は、すっかり力を取りもどしたのだ。

 伏籠に、昼間の黒猫がコッソリと近づいてきた。そして、その黄色い瞳でスズメのようすをうかがいながら、伏籠のまわりをゆっくりと回りだした。

 黒猫が伏籠に右手をかけたとき、大陰は鵺鳥(ぬえどり)に変化した。

 ヒィーン、ヒィーン

 鵺鳥は、薄気味の悪い声をあげると、黒猫の瞳をにらみつけながら、その鋭利なクチバシをおおきく開いた。


 ウギャァァァ

 黒猫のわめき声だった。尻尾の先に火がついたのだ。

 黒猫は、板敷きのうえで足をすべらせながら、一目散に庭へ走りさった。


 鵺鳥と黒猫があげた叫声にも、賢子は目を覚まさなかった。ただ寝返りをうつだけだった。

 だが式部は、夢うつつながらも、そのふたつの妖しい声を遠くに聞いたように感じていた。そのうえ、閉じている目のおくに、ぼんやりと老婆の姿が浮かんだ。


 ――物の怪!? あのときの物の怪ですか!?

『そうですぞ、式部殿』

 ――なぜ今になって現れたのですか? あなたとの約束を、この五年というもの、わたしはずっと守ってきたではありませんか。

『ククク。はたしてそうじゃろうか?』

 ――新帖を書いたにしても、それを世に問うてはおりません。

『たしかに、それはそうじゃな』

 ――ですから、娘と孫に手出しをなさらぬように、お願いいたします。約言に考えちがいがあったとしたら、その罪は、わたくしだけのもの……。

『だから、老いさき短いわれの命だけを奪え、とでもいうのか? ククク』

 ――………、はい、そうしてはいただけませんでしょうか。

『安心なされよ。罪を犯していない者の命など、奪わぬわ。われらが交わした約束は、たしかに、源氏の新帖を現世では表に出さないということだけじゃ。そのさきのことは、あずかりしらぬことよ』

 ――娘と孫の命も……。

『わかっておる。そなたが約束を守ってきたのだから、このオババも、そなたたち三人が天寿をまっとうするよう、見まもっていよう』

 ――ありがとうございます。わたしの命はもう尽きようとしておりますが、十分に生きました。思いのこすことはありません。

『そうかな? 一の宮という、あのおバカさんにした約束があるのだろ? 天が定めたもうた命のかぎりまで、努めてみてはどうかな。それが、命を長らえさせることになるやもしれぬ』

 式部は、ちいさくうなずいた。すると、意識がはっきりしてきた。


 ――どうしたのだろう。あの物の怪と話をしていたような気がします。

 式部は、上体を起こした。すこし気分が良くなっていた。

 ――明日は起きられますかね……。

 そう願いながら、式部は伏籠に目をやった。

 ――白いスズメとは、縁起の良いこと。ちい姫たちに、(さち)をもたらしてくれるのかもしれませんね。

 そして式部は、となりで眠っている賢子にも目をやった。

「まぁまぁ、こんな格好で寝てしまって……」

 式部は、乱れた衾を賢子の体にかけ直したあと、ふたたび眠りについた。

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