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そのとき大陰は、式部邸の遣り水のなかで、身動きができずに困っていた。というのも――
大陰は五年まえに紫式部を脅して以来、ときおり鳥に変化して、式部と藤原兼隆の身辺を監視しつづけてきた。新帖の存在が兼隆の耳に入らないように、そして、式部がふたたび新帖の筆をとることがないようにという、安倍晴明からの、念には念を入れての指示だった。
今朝は、白いスズメに変化して式部邸に飛んできた。茶色の羽毛をまとうのは嫌だった。スズメであっても、美白でいたかったのだ。スズメらしく、頬とノドだけを、うっすら灰色にした。
そしてスズメ姿の大陰は簀子縁で、首を背中にまわしクチバシを羽毛に埋めて昼寝をよそおいつつ、桜子が現れるのを待った。案の定、桜子が忍び足で近づき、満面に笑みをうかべながらスズメを両手でつかまえた。大陰は、伏籠のなかで陽射しを避けながら式部邸のようすを探るつもりだったのだ。われながら名案だと思っていたのに、
――鳥まねが好きなあのおバカな男の子が伏籠をひっくり返したものだから、臆病な小鳥らしく、飛び出るしかなかったわ……。
そのあとすぐに、大陰はシラサギに変化し、小ぶりの松の枝先に留まって式部たちのようすを探ることにした。そこは大きな松の木陰になっていて、気持ちがよい。
それなのに、桜子から指さされ、「悪い鳥」だと言われた。
――オババは軽いのだぞ! 枝が折れるわけでもなし、悪い子だ!
そして結局、大陰は遣り水のなかから、式部たちのようすを探ることにしたのだ。
大陰は、桜子が物語世界から光源氏らを呼びだす力を得たことを、赤くなったその細い目で見とどけた。桜子の重大な秘密をいち早く知ったことは、今日の大きな成果だった。大陰は両目をさらに細め、邸内を探りつづけた。
すると、桜子がシラサギを絵に描くと言いだした。大陰には、思いもよらない事態だった。
――これでは動けないではないか! もし動けば、ブツブツと文句を言われそうじゃ。とくにあの男の子は、自分が下手なのを棚にあげ、「鳥が動いたから変な絵になったぁぁ」、とかなんとか、このオババに責任を押しつけそうじゃわい。おぬしの絵は、どう見ても鳥ではなかろう。どちらかというと、カエルじゃ。この大陰をそのように描くとは、失礼な子じゃ。
だいたいさっきから黙って聞いておれば、ほかにも失礼なことばっかり言いおって。なんじゃと、ほっそり切れ長のこの目つきが変だとぬかしたな。それに、輝く金色のこの目が間抜けそうだとも。おぬしたちふたりは、いったいどのような美意識をしておるのじゃ。おまけに、この大陰がスズメをいじめるなどとぬかしおって。笑止千万! まったくもってけしからん!
おまけにこちとらときたら、冷たい水に脚をずっと浸けているのだぞ。年寄りをだいじにせんか! あぁぁ、もう脚がこわばってガマンならん。
シラサギは飛びたち、屋敷の上をしばらく旋回していた。
速仁は、絵筆を握りしめながら庭に下りたち、上空のシラサギを目で追った。そして、絵筆を掲げて振りまわし、大声をあげた。
「とりがうごいたから、えが、へんになったよぉぉ!」
ポト
「んっ!? わぁぁぁぁ! とりさんの、バカァァ!」
速仁の肩口にシラサギのフンが落ちたのだ。速仁は、目に涙を浮かべて地団駄を踏んだ。
シラサギは優雅にもう一旋回したあと、日が傾きだした西空へむかって、一直線に飛んでいった。




